第二話〜モモはもっと嫌い〜
『親愛なる君へ
衣替えの季節となり、日ごとに暑さを感じるようになりました。貴方様におかれましては、お健やかにお過ごしのことと存じます。
私は、先日、開かれる前の海を観に行ってまいりました。
制服が砂で汚れることも厭わず、誰もいない砂浜で、ただひとり、私は足を抱えて座っておりました。座り心地の悪い砂上で、お尻に跡が残るだろうなあなんてどうでもいいことを考えながらおとなしく潮風に撫でられておりました。
ざざあっと、波が砂浜を覆い隠すたびに、潮の香りが僕の鼻を抜けていって、自然と頭の中が洗い流されている様な気さえしておりました。
ただただぼーっと穏やかに波立ってキラキラと日の光を反射する青い海を眺め、何も考えず、暑いなあなんて他愛のない感想だけを心に抱いて時間を浪費するのは―――』
ガラガラガラっと部室の引き戸が開かれる。便箋の中に埋もれていた僕の思考はその音で無理やり引っ張り出された。
「どうぞこちらの椅子におかけくださ―――」
オカルト研究部へやって来る生徒たちへ殆ど定型と化した文言を述べながら、僕は開いた扉の方へ顔を向けた。
「…………」
扉の前に立つ彼女と目が合った時、まるで真剣で首でも切られたかのような張り詰めた静寂がオカルト研究部に訪れた。
「ひ、久しぶり………」
そこにいたのは柳美月という女子生徒、僕と同じ高校1年生。
………忌々しくも彼女は幼馴染である。
「すみません。今日の活動はもう終わる予定でして、手短に用件だけ仰って頂ければ明日にでも、紙面で、回答を送りますね」
僕は申し訳なさを見せつけるように眉をハの字に曲げて愛想の良い微笑みを顔面に湛えながら、少々早口で彼女に事務連絡を伝えた。
「いや、えっと、あの……私はただカナくんとお話がしたく―――」
「すみませんっ!ちょっと早急に世界救って来るので今日は帰ります!お疲れ様でしたっ!」
僕は彼女の声に欠片も耳を傾けず、びゅーんと慌ただしく部室を後にした。いまの僕なら100mの自己新を軽く叩き出せるだろう。
息切れすらも無視をして、ただ逃げるように自宅に向かって走る僕。幼馴染の家は隣家であるというのに、実に滑稽な事この上ないな。
実は、柳美月と、鬼頭陸も、僕と同じ高校に進学している。
イジメられていたことも、寝取られたことも、裏切られたことも全部吹っ切れて、僕は僕の道を生きようと心に決めた。だからといって、柳美月も鬼頭陸も心底嫌いだという気持ちはちゃんと存在する。ほんと死ぬほど嫌いだし、今後の人生で金輪際顔も見たくない。その噂話を耳に入れることだって絶対に嫌である。
幸いなことに、鬼頭陸に限っては僕に接触してくることはもう殆どないだろうと思う。彼の最大目標である柳美月の奪取に成功したからだとか、もう高校生になったからだとか、要因は色々あるが、一番は僕が反撃してきたということが挙げられるだろう。彼は案外小心者であったのだ。
鬼頭陸含めた実行犯にスタンガンで応戦して、彼ら全員の顔が判別できるような僕のイジメ動画をこっそり撮りそれを以て「学校や受験予定の高校にバラされたくなければ―――」と脅しをかけた、ただそれだけで彼らはイジメを辞めたのである。
ほんと僕は今まで何をしていたのだろうと馬鹿馬鹿しくそして惨めに思ったものである。
だが同時に、柳美月が寝取られたからこそ出来たことなのだとも思う。
僕のイジメ動画をばら撒く事は、それ即ち、僕が惨めにイジメられていたことが周知となる事である。憐憫や好奇の目に晒されることは目に見えているし、何より幼馴染の耳にも届くだろう。僕は彼女にだけは知られたくなかったのだ。僕の惨めな姿を見て僕に失望するかも知れないとそんな考えがどうしたって拭い去ることが出来なかったのである。
まあ裏切られた今となってはただの懐かしい過去なのだけど。
同じ高校に進学したのもこちらが彼らの弱みを握っている限りイジメられる心配がなくなったからというのもある。そもそも寝取られるまでは当然のように幼馴染と同じ高校に行くつもりだったので、中学3年生の歳末で急に志望校を変えることも出来なかったのである。
しかし、無理やりにでも志望校を変えるべきだったかも知れないと今では思っていた。偏に柳美月の存在である。
彼女は実に煩わしいことに定期的に僕へと接触を図ろうとする。学校であろうが家であろうが構いなく。ちょうど彼女のRineをブロックして僕なりの決別を示した時からだ。何がしたいのか、理由は分かり切ってはいるが頼むから関わらないでほしいと切に思う。
また、可能性として、彼女の接触が引き金となって鬼頭陸が僕へとまた因縁つけてくるなんて事態も起こり得る。そうなるとただでさえ一人でも面倒なのに、二人の相手をしなければいけないとなると地獄でしかないのだ。
だから僕は彼女をなるべく避けてずっと今まで逃げてきているわけだ。
生きたいように生きるなんて宣ってみても、それはこの組織立った現代社会からの逃避と何ら変わらない。どうしたって影を踏んでくるその現実に、僕の手紙は大言壮語でしかないのだと思い知らされてしまう。
自室のベッドに横になり、鳴り響くインターフォンに居留守を使いながら、僕は深い深いため息を吐くしかなかった。