第一話〜トマトは嫌い〜
欠伸とともに寝起きで霞む目を擦りながら、何気なく、リビングにあるテレビの電源をつけた。
僕の朝はご飯派である。朝は特に活力をつけなければ一日が保たない。手軽に食べられるものよりもしっかりと栄養をつけられるものを選ぶのが僕の流儀なのだ。
朝ご飯の支度をしながら、ぼーっとテレビから流れる音を聞き流す。
『―――いま話題のあのアイドルグループが、PR大使に選ばれました―――』
最近は何処もかしこも、SNSでは殊更、彼女ら“Dreamy☆Estrella”というアイドルグループの話を聞く。
僕はあんまりアイドルに明るくはないが、それでもDreamy☆Estrella、もっと言えばそのセンターである大城葵の名前は知っている。街を歩けば何処かしらで彼女らの曲を聴くし、家で日がな一日過ごしていてもインターネット広告やらCMやらに彼女らが流れてくる。
人気者には人気者たる所以というものがあるが、穿った見方をすれば、一時の大花火に目を奪われているだけという可能性も考えられる。流行の移りが激しい現代社会でまた見たいと思えるような花火であるために、なんて想像するだけでも疲れてしまうようなことを常に考え続けなければならない彼ら彼女らには尊敬の念とともに僕は一種の憐憫すら覚えてしまう。
まあ何であれ、つまるところ、僕には遠い話だし、無理な世界だなあと他人事のように思っているだけである。
だが、物理的には案外近い話ではあるのだ。
大城葵という名を僕が知っている理由はもちろん先に述べた超有名だからというのも一つではあるのだが、なんと信じられないことに僕の高校の同級生なのだ。
アイドルが同級生だなんて、そんなバカなことが現実にあるんだなあと感慨に耽る今日このごろだけど、実際の所、関わりなんてあるはずもなく、何ならとても忙しそうにしているので学校を頻繁に休んでいるから僕の目に映ることもそうそうないのだ。
結局、浮世離れしたお話であることに変わりなく、如何せん、最近は興味の少し薄れてきた頃合いである。
さて、僕が高校に入学して早2ヶ月が経とうとしている。高校では中々に充実した毎日を送っている。
その筆頭が、『オカルト研究部』の設立である。部員は僕一人。そもそも、部などと銘打っているが、実態は同好会である。僕の高校は意外と同好会の設立は容易で、迷惑をかけないなら学校側が正式に同好会として認めてくれるのだ。
いやはや、オカルト研究部という響きは良いものである。やはりオカルト研究部は全ての高校に一つはなくてはならないと僕は考えている。不思議な世界への扉といった様な立ち位置で、物語にとってのワクワクの入り口であり駆動力ともなり得る重要な存在なのだ。
とは言え、それは活動している場合においてのみ適用されるもので、ひとりでコソコソと教室を借りてぼーっとしていても意味がない。ということで僕も結構精力的に活動している。
まずもって、設立当初の同好会に必要なものは人員である。だから単純に、いまのオカルト研究部に必要なのは知名度なのだ。
知名度というものは好感度に比例する。それは現代社会、特にSNSを見ても容易に想像がつくだろう。
なので、主に好感度を稼ぐため、いろんなところに奔走した。生徒会の手伝いや教職員の手伝いをオカルト研究部として買って出たり、多くの生徒の相談を受けたり、グラウンドで流しそうめんをしてみたり…、思いついたことは全部やってみたわけだが、結果として、知名度はそこそこ向上したことと思う。2カ月という短期間であることを考慮すれば上々の成績であると僕は考える。
ただ、オカルト研究部として知れ渡ったというよりは何でも屋さんとして伝わっている節がある。現に、たまさか放課後にわざわざオカルト研究部へとやって来る生徒は入部希望者など一人も居らず、何か相談を持ちかけに来る人や雑用の依頼なんかが舞い込んでくるのだ。
だから、今日、5月30日、放課後、オカルト研究部部室にやって来た一人のアイドルもまた、入部希望者なんかじゃないんだろうなって、そう思う。
ガラガラガラっと教室の引き戸が開かれて、一人の少女がオカルト研究部へと足を踏み入れる。
ちょうど僕は持ち込んだマットの上でイルカのポーズを決めていたので、顔を見えなかった。
「…………あの、お取り込み中ですか?」
「やっぱ、制服のままヨガするとズボンが破けそうでハラハラするね」
「………はい?」
でも意外とこのハラハラ感が新陳代謝を促進してくれていい感じである。
「大城さんもやってみる?」
僕は顔だけを少女―――大城葵さんに向けて、そう聞いた。
「………やらないよ」
「そっか…」
少し残念に思いながらも、僕はヨガを中断して徐ろに立ち上がった。
「大城さんは入部希望者かな?」
彼女へ椅子を差し出して、多分違うんだろうな、と思いつつも一応聞いてみる。
「ううん、ごめんなさい…」
「構わないよ!じゃあ何か相談事かな?僕に出来ることなら、何だって頑張るよ!」
僕も忘れがちだけど、そもそもここはオカルト研究部だから、何か相談事や依頼を持ちかけられる事自体、変な話である。だから持ち掛けてくる彼ら彼女らもおっかなびっくりといった様子であることもしばしばだ。そんな時はこちらが明るく何でもないように振る舞っていると彼女らもあまり気負わず済むらしい。
「ありがとう」
さあさあ話してみぃ、なんて瞳で語り僕は彼女を見つめる。
おずおずと彼女は相談内容を口にした。
「えっとね、探してほしい人がいるんだ」
「探してほしい人?」
「うん、この高校の1年生だってことは分かってるんだけどね」
いいね、400択まで絞れたよ。僕と彼女を除いても398択だ。
「……他には何かある?」
「…あとは、男子生徒だと思うってくらい……」
形の良い眉をハの字に曲げて申し訳なさそうに彼女は付け加えた。
まあ大体200択くらいまで絞れたから良しとしよう。半分になったわけだし。
「差し支えなければ、どうしてその人を探しているのか教えてもらってもいい?」
危害を加えようとしているなら素直に探し出すわけにもいかないしね。その場合は多分正直に理由を話してくれないだろうけど。
「う~んと……………」
それ切、彼女は黙り込んでしまう。真剣に悩んでいるようだ。
カチカチと時計の針が静寂を切り裂いている。
そして、ふと彼女は口を開いた。
「何でだろうね?」
何でだろうね。僕も分かんないや。
「一応聞いておくけど、危害を加えるつもりはないんだよね」
「そ、そんなことないよっ!」
彼女は大袈裟に手と頭を横に振って否定する。よく手入れされた濡羽色の髪がブンブンと踊っていた。
雰囲気からただ会いたいから探しているんだろうなと言うことは読み取れていたので、念の為聞いて反応を伺ってみただけである。
「じゃあ、その依頼、オカルト研究部として引き受けるね」
「ありがとう」
ふぅと安堵の息を吐く彼女。一つ一つの仕草が若干大袈裟で愛嬌があるなあと感じる。
「早速、ホシの特徴教えてもらえる?可能な範囲で良いんだけど」
「ホ、ホシ…」
「そもそも、どうしてその彼か彼女かを知ったの?SNSか何かなのかな?」
「うーん、まあ、そんなところかな」
彼女は歯切れ悪く答える。言いたくないだろうことをわざわざ聞くような無粋な事はしたくないので、話を変えることにした。
「ふ~ん、じゃあ今度は、その某がどんな性格なのかを考えようか」
「どんな性格…」
何かを思い出そうとしているのか、彼女は思考の中に沈潜する。単に性格を考えるのは難しいよね…。
「あるシチュエーションを考えて、それにその某がどんな対応をする人なのかを想像すると案外簡単だよ」
そこで、ふと僕は思い立つ。
「とその前に、大城さん時間は大丈夫なの?」
彼女は大人気アイドル、多忙な身であろう。
教室の壁掛け時計をチラと確認する彼女。
「あ!えっと、また来ます!ありがとう!」
勢いよく立ち上がったと思うや否や、颯爽と教室から駆け出していった。
僕はふぅと一息吐いて、騒がしい人だったなあなんて呑気な感想を覚えた。
………ヨガの続きでもしようかな。