プロローグ〜味のしないきゅうりを〜
僕が文通を始めたキッカケはなんとまあシンプルなものである。
元来僕は暗い性格で、小さい頃から友だちと呼べる存在は片手で数えて事足りる程度であった。
昼休みは一人黙々とノートに絵を描いているような小学生で、一日を一言も発さず終えることだって多かった。
別に、独りの世界が好きだったとか、集中していると周りが見えなくなるような性格だったとか、そんな高尚なものではない。ただ単に、僕は周りの子たちに話しかけるのが怖かっただけである。
どうしたって周りの目が気になって、下手に言葉を発することが排撃への一歩目になるような気がして、もはや喋らない事が自己防衛と化していた。
ただの妄想で目に見えないものに怯えている僕は、さぞ滑稽なことだろう。鏡の中の僕と似た彼はいつだって僕の事を掠れた声で嘲り笑っていた。
こんな惨めな自分を変えたいと思ったこともある。いや、思わなかった時がない。
でも、どうやって変わればいいのか分からなかった。
相談出来る友達なんていない。両親を煩わすことも出来ない。
そんな時の唯一の存在が幼馴染であった。
物心がついた頃から隣の家に住んでいた同い年の女の子。ずっと小さな時から側にいて優しい微笑みを浮かべてくれるこの世で唯一の安らぎだった。
当時の僕の両親は、それはそれは仲が悪く、僕へ向ける優しい親の顔は彼らの子育てに対する貢献度比べに利用されていた。
いつも僕は彼らの愛情は本物か、見栄や体裁のために偽られたものではないかと疑ってしまう。そんな猜疑心を持つ自分が心底醜い人間のように思えた。
罪悪感に駆られて僕は家でとても良い子を演じていた。わがままは言わないし、お手伝いは言われずとも進んでやっていた。学校の成績だって優等生のそれだった。
…僕が良い子にしていれば、いつか両親の仲が良くなるんじゃないかって下心もあった。
歪な空間だからこそ、自然な笑みを浮かべてくれる幼馴染の存在に憧れに近い安らぎを覚えていたのだろう。或いは軽く依存していたと言い換えても良いかもしれない。
そんな彼女に勧められたのが、文通であった。
どこの誰とも知らない人間ならば怖くないんじゃないかって、彼女が言って、彼女は意外と強引に話を進めてしまった。
多分、彼女は当時文通に多少の憧れがあったのだろう。小学生らしいロマンを感じていたのだと思う。
でも自分ひとりでやるのは怖い。だから、僕はただ単純に巻き込まれただけだったのだと振り返ればそう思う。
初めのうちは二人で一緒になって手紙を送っていた。幼馴染のお母さんも協力してくれて、一通目を送った時は妙な達成感を覚えたものである。
そんなにすぐに返ってくるはずもないのに、二人して返事はまだかまだかとソワソワしていたのもいい思い出だ。
学校帰りの放課後には二人で集まってどんな返事を書こうかと、来てもいない手紙を空想して語り合っていた。
まるで世界で自分たちしか知らない秘密の共有をしているみたいで、僕はその時間が好きだった。
結局、彼女は飽きてしまって、それからはずっと僕がひとりでどこかの誰かと文通を続けているんだけど。
これが小学4年生頃に僕が文通を始めたキッカケだった。
この情報伝達が著しく発展した現代において、文通とはただただ無意味の代名詞なんじゃないだろうか。
今時、文通相手すらインターネットで探すような時代だ。わざわざ紙に書いて時間をかけて相手に届けることに何の意味があるのだろうか。コップがあるのに手で水を掬い上げて飲もうとする人間なんかいないだろう。
例えば、直筆の手紙の方が心が伝わるだとか、急いた現代でゆったりとしたコミュニケーションを楽しめるだとか、便箋がポストに入っているかどうかの一喜一憂が醍醐味だとか、尤もらしい文通の利点を挙げられるかも知れない。がしかし、直接声で伝えた方が気持ちは伝わるだろうし、別に現代において急いたコミュニケーションしか取れないわけじゃない。つまるところ、文通の利点はわざわざ手紙じゃなくとももっと簡単な方法で解決できるような話なのである。
さて、斯く言う僕は、お気に入りのペンを右手に握り、菫のあしらわれた便箋を机に広げて、頬杖をついている。
文通を無為な時間の浪費であると断じたところで、僕にとっては人と意味あるコミュニケーションをとれる唯一無二のツールであるため、手放すことなど出来ようもないのだ。
書き出しは紋切り型で、これまた無意味な様式美である―――
『親愛なる君へ
歳末の候、貴方様におかれましてはますますのご健勝のこととお慶び申し上げます。
平素は変わらぬご厚情を賜り誠にありがとうございます。
私こと、本年は自身の無力さを痛感する一年となりました。人の愛とは何なのかと自室の白壁に問いかけてしまう程に自己意識に歪みが起きた、そんな出来事がありました。これから歩んで行く道が、これまで歩んで来た道の延長上に必ずしもあるわけじゃない。そう自身に言い聞かせることが、自分を保つための唯一の解決策に思えてなりません。
大変勝手ながらこの一年を締めくくる前に、ここに私の決意を残す事をお許し下さい。
僕には幼馴染がいました。
生まれた頃から一緒で、ずっと隣に居てくれた本当に大切な存在でした。思い返せば、彼女が居たからこそ僕は今まで生きてこれたと、そう言っても過言ではありません。
こうして君と文通をするようになったのも幼馴染が居たから、僕の暗い性格が少しだけ上向いたのも幼馴染が居てくれたから、思い出すと切りが無いほどに僕は幼馴染に支えられて、いや依存していたと言っても良いかもしれません。
小学6年生のある日、僕の母親は蒸発しました。ちょうど君と文通を始めて2年が経った頃です。
外に男を作って出ていったようです。両親はずっと仲が悪かったですから僕も子供ながらに何となく覚悟はしていたのですが、実際に経験すると母を失うというショックの大きさは計り知れないものでした。何よりも、『お前さえいなければ』と僕へ向けた父の憎しみがありありと籠もった声や目が、今もまだ瞼の裏に残っています。
そんな時でも、やっぱり側にいてくれたのは幼馴染でした。別に励ましてくれたとか、一緒に遊んで忘れさせてくれたとか、そんなロマンチックなことではありませんでした。公園のベンチにぼーっと座る僕の隣でただただ何時間も一緒に座っていてくれた、ほんとにそれだけです。涙なんかは出なかったけど、僕の手は自然とみっちゃんの手をぎゅうっと握っていました。
中学に上がって、みっちゃんはますます綺麗になりました。元々、彼女は社交的で誰にでも優しい性格です。そこに学校一の美貌が加わるのだから、学校一のマドンナとして登り詰めるのに入学からそう時間は要しませんでした。
ずっと隣にいたみっちゃんがどんどんと高みを登っていく様は見ていて寂しさを覚えると共に嬉しさもありました。僕は彼女の良さを色んな人に知って欲しかったのでしょう。
ですが、話はそう簡単ではありませんでした。
端から見て、僕とみっちゃんが一緒にいるのはどう見ても釣り合っていなかったようです。
少し上向いたといえどいまだ暗い性格であったことも相俟って、僕は次第にイジメられるようになりました。
その主犯の名は鬼頭陸。めちゃめちゃ嫌いなのでここに晒しておきます。
それはさておき、彼は外面はとんでもなく優等生で、巧妙に、先生や多くの生徒から文武両道、才色兼備、温和勤勉という評価を得ていました。誰も彼もが彼を慕っていて、僕がイジメられているのは僕の方に問題があるのだ、という空気が教室中に蔓延していました。恐らくそこには、あいつがイジメられているのはあいつの所為であって仕方がないことなのだ、といった様な自己防衛も含まれていたのでしょう。
まあ何にせよ、僕はひどいイジメを受けていたのです。イジメの内容はほんとに凡庸です。お弁当を捨てられ虫を食べさせれたり、身包みを引っ剥がされてボコボコにされたり、便器に顔を突っ込まれたり、挙げれば切りがありません。人をイジメる様な人間などその程度の貧困な発想しか持ち合わせていないのでしょう。……お目汚しすみません。
とは言え、頻度はそこまで多くはなかったです。なぜなら、僕の隣にみっちゃんが居たからです。
そもそも僕がイジメられていた最大の理由は、鬼頭陸がみっちゃんの事を好きだったからという至極単純な嫉妬によるものでした。だから、彼女の前で僕に下手のことが出来なかったようです。その分、彼女がいない所では過激なイジメになっていたわけですが。
僕がイジメの日々に耐え抜けたのは偏にみっちゃんの存在でした。みっちゃんと関わればイジメが酷くなってゆくのは重々承知していましたが、それでも僕は彼女と共に在りたかったのです。
中学2年生の夏に差し掛かる手前のある日。僕はみっちゃんに告白されました。夢かと思いました。だってそうでしょう?つらい時にはいつも彼女が側にいてくれました、だから僕が彼女を好きになってしまうのは当然のことです。でも、僕は彼女に何を返してあげれていたのでしょう。だからといって僕の何処を好きになったのかなどというような無粋な質問はしません。その日から僕と彼女は恋人となったのです。
僕は彼女にとっていい彼氏になれるようにそれはもう頑張りました。記念日は必ず祝っていたし、彼女の好きなものは全て記憶していました。一緒にいられる時間は何よりも優先して一緒にいたし、逆に彼女が煩わしくならないように気も遣っていました。彼女の前では愚痴の一つも漏らさないで、もちろんイジメを受けていることなんて欠片も見せないようにしていました。彼女の話は些細なことから込み入ったことまで真剣に聞いていたし、僕の出来る最大限の協力をしていました。僕はそんな日々に苦など一つもなく、ただただ彼女といられることが嬉しかったのです。
でも多分それが間違っていたのでしょうね。彼女にとって見れば僕は、何も相談してくれない、全く心をひらいてくれない、そんな寂しさを覚えていたのかもしれません。恋人なのに二人の間に心が通った気がしない、それは焦りになっていたのかもしれません。もちろん全部僕の想像でしかないんですけどね…。
先日のクリスマス、僕らが中学最後となるクリスマスでのお話です。
その日、最近忙しかった彼女を労うために盛大な計画を立てていました。ちょっと高い食事処の予約やイルミネーション街のルート取りなんかして、その日は僕の誕生日でもあるから、毎年彼女と共に祝っていて、今年も同じなんだろうとワクワクしていて、…ほんと柄にもなく浮かれていました。
でも当日みっちゃんから急にキャンセルしたい、埋め合わせは必ずするから、とRineが一つ送られてきました。もちろん僕は全然大丈夫だよ!って何でもないようなメッセージを返しました。でも、文面上だけで、携帯を落とした時の暗い画面にはさえない顔をした僕が映っていました。
それから意味もなく自分が考えたサプライズも何も無いデートコースをひとりでぽたぽたと巡って、最後には駅前の大きなクリスマスツリーへと辿り着きました。ここが僕が考えたデートのゴール地点だったのです。
そこで僕の目には巨大な光の木に照らされた二つの影だけが映りました。見上げた視線の先には居たのです。
みっちゃんと鬼頭陸が。
抱き合って、僕はしたことの無いような舌を這わせるようなキスをして。
ゆっくりと口づけを終えて彼ら二人では向き合い、みっちゃんは僕に背中側を向けていましたから僕に気がついていないようですが、鬼頭陸は僕に気が付きました。
意地の悪い笑みを浮かべて、僕を嘲笑うように視線を切りました。
そこから先は世界が判然とせず、ただ気がつけば自室のベッドにぼーっと座っていました。
ふと、鬼頭陸から動画が送られてきて、これが僕の唯一のクリスマスプレゼントでした。
そこには僕の知らないみっちゃんが、鬼頭陸と体を重ねていました。僕は彼女とキスだって一度しかしたことが無かったから、彼女のその蕩けた表情や艷やかな喘ぎ声は、僕の知らない、幼馴染の顔でした。
初めてじゃないんでしょう。最近の幼馴染の忙しさも鬼頭陸との逢引が理由だったのでしょう。
なんとまあ滑稽な僕です。僕の存在は彼女らの秘密の淫らな関係というスパイスに使われていただけでした。
でも、幼馴染に対する愛情が冷めただとか、イジメ寝取り男へ復讐心が沸々と湧いただとか、そういうことは全くありません。
それを目にして、僕は、今まで何を馬鹿なことをしていたのだろうと、氷水でもかけられたように妙に頭が冴えました。周りの目を気にすることに一体何の意味があるのだろうと、そんな思いが沸きました。
鬼頭陸から送られてきたクリスマスプレゼントをそのまま幼馴染に転送して、別れの言葉だけ添えてあとは彼女をブロックしました。
僕はおそらく一般的に見た正しさと一般的に見た幸せが僕にとっての正しさであり幸せであると馬鹿の一つ覚えをしていたのでしょう。
だから僕は生きたいように生きる。
………だから君も一人じゃないよ。君の生きる道が正道だ。
それでは年末ご多忙の折ではございますが、寒冷のみぎり、どうぞご自愛ください。
僕より』