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5 氷の溶ける間に

 「先生、村嶋先生!」


 入管前のバス停で声をかけられた。振り向くと、目の前に伊藤沙耶が立っていた。


 「すぐそばにいたのに、全然気づかないんですね。こっちは先生が横断歩道を渡る前からわかってましたよ」


 沙耶は、登録して3年目ほどになる若手の行政書士だ。父親が川崎で町工場を営んでおり、その一角を事務所にしている。品川や横浜の出入国在留管理局には多くの行政書士が出入りしており、こうして知り合いに出くわすことも珍しくはない。


 「久しぶりですし、品川駅まで出たらお茶でもしませんか。いろいろお話したいことがあって」


 この日は朝から晴れていて、真夏の光が歩道に反射してまぶしいほどだった。

 ダミタの会社へ行くにはまだ少し時間があった。朗はうなずき、沙耶とともに品川駅構内のカフェへ入った。


 席に着くなり、沙耶は声を落として切り出した。

 「留学からの在留資格変更、不許可だったんですよ。ひどくないですか?」


 「どうして?」

 朗が穏やかに尋ねると、沙耶は息を吐くように話し始めた。

 沙耶の父の工場では、マシニングセンタなどの工作機械を使って金属を加工し、自動車や産業機械の部品を製造している。そこに、今年4月に工学系の専門学校を卒業したインドネシア人留学生を採用し、製図や設計図作成などの業務を担ってもらう計画だった。

 沙耶は「留学」から「技術・人文知識・国際業務」への在留資格変更申請書類を作成し、自信を持って提出した。だが、戻ってきた結果は「不許可」。


 氷が少し溶けて薄くなったアイスカフェラテをストローでかき回しながら、沙耶は眉をひそめた。


 「最近の入管、審査厳しすぎると思いませんか?」


 「うん。私も今日ちょうど、在留資格認定証明書の不交付の理由を聞いてきたところだよ。ソフトウェア会社の申請で、単純作業なんてありえないのに、“どこかで単純作業をする蓋然性がある”って言われた。意味、わからないよね」


 沙耶はグラスの水滴を指先でそっとぬぐいながら、うなずいた。


 「入管って、“蓋然性”って言葉、すごく好きですよね。うちの工場にも現場部門があるから、『技人国』でも現場作業をする“蓋然性がある”って。それが不許可の理由でした」


 朗も、近頃は今までなら問題なく通っていた申請が次々と不許可になっていることを肌で感じていた。自分や沙耶の件だけでなく、知り合いの行政書士たちからも「最近、明らかに厳しくなっている」という話をよく耳にするようになっている。


 出入国管理及び難民認定法、いわゆる入管法は、入管当局に極めて広い裁量権を与えている。外国人の在留の可否は、国家の自由裁量の範疇とされており、どんなに不当と思われても、いくら異議を唱えても、たとえ裁判を起こしたとしても、覆ることはほとんどない。


 しかも昨今では、入管の厳格な姿勢を“秩序”や“安心”と結びつけて歓迎するような風潮すら、一部には見られるようになっている。申請を支援する側にとっては、明らかに逆風だ。


 「伊藤先生、たぶんこれからもっと厳しくなると思うよ。だからこそ、相手に一分の隙も見せずに、こっちも本気で抵抗するしかない。……まあ、私も不交付くらってるけどね」朗はひと呼吸おいて、小さく肩をすくめた。


 沙耶は真剣な表情でうなずいた。


 「はい、私もがんばってみます。今回の件も、完璧な書類を作って再申請します」


 そう言って、テーブルの上のコップを両手で包むように持ち上げ、トレイに戻した。


 カフェの窓の外では、スーツ姿の人々が次々と改札を抜け、忙しなくビル街に吸い込まれていく。

「さて、そろそろダミタさんのところに行くかな」


 朗も腰を上げ、背筋を伸ばして席をあとにした。


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