2 チャンドラの決断①
ダミタと朗が会議室に入ると、テーブルの奥に、黒いTシャツにデニム姿で、黒ぶち眼鏡をかけた細身の若者が座っていた。知的さを感じるが、少し神経質そうな雰囲気だ。
ダミタはその若者を指し、
「村嶋先生、甥のチャンドラです」と紹介した。
「チャンドラさん、行政書士の村嶋です。今日はビザのご相談ということで伺っていますが」と朗が声をかけると、チャンドラは真剣な表情でうなずいた。
「はい、先生。私、大学を辞めて、おじさんの会社に就職しようと思っています」
チャンドラのことは、朗もダミタからよく聞いていた。彼は、高輪にある東京情報科学大学の博士課程で、AIを活用した自動車の完全自動運転技術の研究をしていると聞いていた。それも、もうすぐ博士号を取得できる段階だったはずだ。
突然の話に、朗は戸惑いを隠せなかった。そんな朗の様子に気づいたチャンドラが、静かに事情を説明し始めた。
要するに、これまで博士課程の留学生に支給されていた奨学金が、急に打ち切られたということだった。ダミタも「生活費くらいは援助するから研究を続けたらどうだ」と説得したそうだが、チャンドラ自身は「別に博士号はいらない。おじさんの会社で自動運転の技術開発をしたい」と考えているのだという。
留学生に対する奨学金の打ち切りは、実際、ここ数年で急激に増えていた。以前から、なぜ外国人留学生に奨学金を支給するのか、日本人の税金が無駄に使われているのでは、という声があったのは事実だ。しかし、日本の大学で高度な研究を行う外国人が、日本とのつながりを持ち続けていくことは、日本の科学技術を世界に広げるためにも重要だ。
「ガラパゴス化」という言葉があるように、日本国内だけでどれほど優れた技術を生み出しても、それを世界に発信できなければ意味がない。外国人研究者との連携や国際的な人材育成が、日本が主導する国際標準の確立にもつながると、朗は常々考えていた。しかし、今日はその話をする場ではないと思い、口には出さなかった。
「そういうご事情でしたか……。確かに最近、留学生向けの奨学金は次々と打ち切られていますからね。本来、こういう奨学金は相当優秀な人しか受けられないはずだし、国の財政的負担はほとんどない。なのに、こうして研究を続けられなくなる優秀な人が増えているのは、日本にとってはとても大きな損失だと思いますけどね」
そう言いながら、朗は鞄からノートを取り出し、在留資格を「留学」から「就労可能なもの」へ変更するための聞き取りを始めた。