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17 見えている未来図

 今井は、朗がまだ寝ている間に戻ってきていたようだったが、すでに部屋にはいなかった。


 外の風の音と、湯を沸かしている小さな音が耳に届く。朗はジャージ姿のままスリッパをつっかけ、リビングに向かった。


 カーテンは半分開け放たれ、窓際の椅子に腰掛けた今井の背中が、白んだ朝の光を受けて輪郭だけを淡く浮かび上がらせていた。湯気の立つカップを手で包むように持ち、外の山並みを眺めている。


 リビングの空気はまだひんやりしており、昨夜の涼しすぎるような空気がそのまま残っているようだった。


 「コーヒー、飲むか?」


 振り向いた今井がそう言ったが、朗が答える前に、もう一杯注いで差し出してきた。深く煎った香りが鼻をくすぐり、まだ眠気の残る頭にゆっくりと沁み込んでいく。


 朗は礼を言いながら受け取り、向かいの椅子に腰を下ろした。カップの縁から立ち上る白い湯気が、射し込む光の中で細く揺れている。


 しばらく沈黙が流れたのち、今井がぽつりと口を開いた。


 「昨晩のことは、気にしなくていい。いつもあんな感じだから。彼女、一度こうと決めたら、何があっても突っ走るタイプでね」


 「石崎さんも言ってました。『いつものことだから、大丈夫』って。じゃあ、ああして衝突するのは……」


 「必ずしも毎回ケンカになるわけじゃないけどな。でも、周りが見えなくなることがあって、こっちが忠告めいたことを言うと、どうしても火花が散る。ま、そういう人間なんだよ」


 そう言って、今井は一瞬天井を見上げ、窓の外の白い雲を視線で追った。


 そして少し間を置いてから、言葉を継いだ。


 「でも今回ばかりは、彼女は見えていないんじゃなくて、むしろ“見えてしまっている”からこその行動なんじゃないかと思ってる。日本は若い世代が驚くような勢いで減っていくし、もしこのまま外国人からも魅力のない国だと見限られれば、じわじわと、超高齢化が進んだこの国そのものが介護疲れになって崩れていく……彼女は、それを本気で心配してるんだろうな」


 そこまで言うと、今井は椅子から立ち上がり、カップをテーブルに置いた。


「ちょっと、大学の施設のほうに顔を出してくる。またすぐ戻るよ」


 玄関が静かに閉まる音がして、部屋はしんと静まり返った。外からは牧草地を渡る風の匂いと、遠くで鳴く鳥の声がかすかに届く。


 朗は残されたコーヒーを口にしながら、今井と石崎、ふたりの視線の先にある風景を思い描こうとした。それは決して明るいものではない……その一点で一致しているような気がして、胸の奥にじわりと不安が広がる。


 そして、以前今井がふと口にした、あの言葉が再び頭をよぎった。


「ファーストコンタクトは、もう始まっている」


 それが何を意味するのか、朗には見当もつかなかった。日食に関係しているのかとも思ったが、今井の言い方には、単なる天文現象を語るような客観性はなかった。むしろ、もっと切実で、社会的な何かを予感させる響きがあった。


 朗はカップの底に残った最後の一口を飲み干すと、ふと立ち上がった。

 窓から見える空は、さっきよりも青みを増している。何かに背中を押されるように玄関へ向かい、外に出た。


 ひやりとした高原の朝の空気が肌を包み、鼻先に草の匂いがふわりと漂う。足元では夜露に濡れた芝が、冷たさを伝えてきた。


 遠くの山肌には、朝日を受けた雲が淡い橙色を帯び、ゆっくりと形を変えている。鳥のさえずりが響き、耳を澄ましても、その奥に人の気配はまったくなかった。


 胸の奥に残っていた今井の言葉が、外気の冷たさと混ざり合って、より鮮明に意識の底に沈んでいく。

 ファーストコンタクト……その言葉が指すものは、やはり自分の想像の範疇を超えている。だが、この清冽な朝の風景さえ、どこか遠い予兆の手前にあるような気がしてならなかった。

 朗は深く息を吸い込み、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。


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