15 黒い太陽の下で
翌朝、朗はいつもより早く目を覚ました。窓の向こうに広がる牧草地は朝露に濡れ、遠くの森からはかすかに鳥の声が聞こえてくる。空はまだ青白く、太陽は木々の間からぼんやりと輪郭を現し始めていた。
朝の8時半を過ぎたころ、朗たちは外に出て、今井から渡された専用フィルター越しに太陽を見上げていた。標高が高いためか暑さは感じなかったが、太陽の光は強烈で、フィルターを通さなければ、まぶしいばかりで何も見えなかった。
やがて、望洋大学の学生たちの方からも声が聞こえてきた。ピッピッというカウントに混じって、女子学生が「ファーストコンタクト」と口にした。その言葉に、朗ははっとした。今井がかつて事務所で言った「ファーストコンタクトは始まっている」という言葉が、不意に脳裏に蘇った。
「さあ、始まったぞ」と、今井が誰に言うでもなく静かに言った。
最初は何も変化がないように思えたが、やがて太陽の端が、ほんの少し凹んだように見え始めた。朗も子どもの頃に部分日食を見たことがあったので、見慣れた光景に感じられた。周囲もまだ、特に変わった様子はなかった。
けれど、時間がたつにつれて、陽が翳ってきたような感覚がじわじわと広がってきた。とはいえ、肉眼で太陽を見ると相変わらずまぶしく、光の勢いは衰えていないようにも見える。
「もう半分くらい欠けたから、ちょっと光が弱くなってきたね」と今井が言った。
さらに時間が過ぎると、空は明らかに変わってきた。真昼の青空が、夕暮れ前のような仄暗い青に変わりつつある。その変化に、朗はなぜか不安を覚えた。太陽が出ているのに、世界が沈んでいくような感覚だった。
そして、その時が来た。
「ダイヤモンドリング!」という学生たちの声が響く。続いて、女子学生の「セカンドコンタクト!」という声が重なった。太陽は一瞬だけ強く輝き、それを最後に光を失った。
空には、本当に“黒い太陽”が浮かんでいた。
その周囲には、白く淡いコロナが広がっていた。パソコンのモニターにも、輪郭がはっきりと映し出されている。地上は驚くほど暗く、隣にいる人の顔すらよく見えなかった。
「悦子、やっぱり君はダイヤの輝きだね」と今井の声が聞こえた。
「何言ってんの」と石崎が、呆れたように、少し怒ったような声で返した。
再び、学生の「ダイヤモンドリング!」という声とともに、太陽の光が戻ってきた。辺りは一気に明るくなり、ざわめきと歓声が広がる。
朗は、言葉を失っていた。生まれて初めて経験する光景に、ただ立ち尽くすしかなかった。
「なんでかわからないけど、感動しました」と、山川が目にハンカチを当てながらつぶやいた。
「そうだろ。皆既日食って、理由なんかなくても感動するんだ。自然って、ほんとに偉大だよな」と今井が頷いた。
けれど、今井も石崎も、その感動を何度も経験してきたせいか、朗や山川ほどには動じていないようだった。
けれど朗にはわかった……たとえ今は慣れてしまっていたとしても、この出来事を体験した誰もが一度は言葉を失ったはずだと。