10 選ばれない国
よつばマート人事部の岡宮部長が朗の事務所を訪ねてきたのは、今井が日本に戻ってから十日ほど経った頃のことだった。岡宮は、今回入国した育成就労の外国人たちと今井が同行して帰国してくれたことに対して、深々と礼を述べ、「長野の土産です」と言って、定番の土産品になっている「雷鳥の里」の箱を差し出した。
「今日は、今井先生はいらっしゃいますか?」
「今井は今日は業界団体の会議で横浜に行ってます。どうせ会議のあとに一杯やってくるでしょうし、戻るのは遅くなると思いますよ。」
「いえ、今井先生には特に用事があるわけじゃないんです。今日は村嶋先生にご相談があって……」岡宮はそう言って笑みを浮かべたが、その目の奥には明らかな陰が差していた。口元の笑顔と、瞳の奥に沈む色が、まるで異なる感情を語っているようだった。
朗は、岡宮の表情を見つめながら思った。わざわざ長野から足を運ぶほどなのだから、相談内容はそれなりに重たいに違いない。そして、朗にはそれが何の話なのかも、おおよそ察しがついていた。
「先生、実は……うちの特定技能外国人の件でして。今、全体で六十名ほど在籍しています。みんな本当に戦力になっていて、惣菜コーナーなんて、あの子たちがいなければ回らないんですよ。」
岡宮はそう言うと一息つき、目の前の麦茶に口をつけた。
「もしかして、特定技能の採用枠が近いうちに減らされるという話ですか?」
朗の問いに、岡宮はうなずきながら言った。
「そうなんです。今でも人手が足りないのに、外国人まで採用できなくなったら、現場は立ち行かなくなります。」
その表情には、切実さと焦りがにじんでいた。
確かに、特定技能や育成就労といった在留資格を持って現場で働く外国人たちは、「移民につながるのでは」という懸念から、制度上さまざまな制限を受けている。政府は、企業の日本人社員の数に応じて、外国人の採用上限を設けており、現在、その枠を半減させる案が検討されていた。先の選挙で、外国人規制の強化を掲げていた日本忠政党が議席を大きく伸ばし、一定の影響力を持つに至ったことも、そうした流れに拍車をかけていた。
「とはいえ、まだ正式に決まったわけではありません。当面の対応を考える時間はあります。少し多めに採用して備えておく、というのが現実的な選択かもしれませんね。」
朗の助言に、岡宮はうつむいたまま小さくため息を漏らした。
「でも……今はベトナムでもインドネシアでも、日本に来てくれる人を確保するのは、どの送り出し機関でも本当に大変なんです。中には、もう日本市場から撤退して、中東やヨーロッパ、それに韓国や台湾の方にシフトしているところもあると聞きます。」
その声には、明らかな不安がにじんでいた。
朗は腕を組み、少し黙ってから、ゆっくりと語り出した。
「実を言えば、日本はもう、ずいぶん前から“選ばれない国”になっているんです。賃金水準は低く、物価も上がっている。日本に特別な思いがなければ、わざわざ来ようと思う理由が見つからない。しかも今は、そうした“日本志望”の人たちすら、他の国に流れ始めているのが現実です。」
岡宮はうなずくこともできず、ただ黙ったまま麦茶のコップを見つめていた。