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1 静かな潮目

 「皆さん、外国人が増えて、何か良いことはありましたか? 無いでしょう。安心、安全と言われた日本は、もう昔の話になってしまいました。全部、外国人を優遇してきた与党の責任なんですよ。」

 甲高いマイクの声が、新宿駅東口の広場に響いている。


 村嶋(あきら)は、その声をあまり気に留めずに足を進めた。かつては国会議員が四人しかおらず、街頭に立っても誰も足を止めなかった日本忠政党。だが、今は違う。駅前には小さな人だかりができ、スマートフォン越しに動画を録る者もいれば、真剣な面持ちで聞き入る高齢の女性の姿もある。対外政策が弱腰だと批判されてきた加藤内閣が数日前に衆議院を解散し、間近に迫った総選挙で日本忠政党が議席を倍増するかもしれない・・・そんな報道が現実味を帯びてきていた。


 「邪魔だな……」


 心の中でつぶやきながら、朗は人垣の間を縫うように通り抜けた。約束していたクライアントとの打ち合わせがある。広場を抜け、雑居ビルが並ぶ裏通りに入り、少し歩くと新しいガラス張りのオフィスビルが見えてくる。


 「先生、お待ちしていました。」


 自動ドアの前で、ダミタが笑顔で迎えてくれた。ネイビーブルーのシャツに淡いグレーのスラックス。ただ、どこか冴えないその笑顔は、いつもの快活さを欠いている。開口一番、彼は真顔で尋ねてきた。


 「先生、会社の資本金を5千万円にしないと、ビザを更新できなくなるって本当ですか?」

 朗は少しだけ歩を緩め、横に並びながら答えた。


 「確かに、外国人が新しく会社を設立するには、近々5千万円の投資が必要になるかもしれないって話は聞いてますよ。でもね、ダミタさんみたいに、もうちゃんと会社を経営している場合は、今の資本金のままで大丈夫なはずですよ。」


 二人は並んで、ロビーから奥へと続く廊下を歩き出した。壁にはスリランカのコロンボで撮影されたダミタが贔屓にしているクリケットチームの写真が飾られている。


 ダミタがこのことをとても心配しているのは一目でわかった。ダミタの歩調が朗と微妙に揃わず、どこか落ち着きなくポケットの端を指でつまんでいる。


 政府は、外国人による会社設立の要件を年々厳しくしてきた。今から9年前の2026年から、外国人が会社を設立するのに必要となる資本金は段階的に引き上げられ、まもなく資本金を5千万円以上とすることが検討されている。それは事実だ。しかし、すでに設立されている会社に対して、新たに増資を義務づける動きはこれまで一度もなかった。


 「ダミタさんの会社は、スリランカと日本の両方で、AIを活用したオフィス向けのソフトを開発してるんですよね。利益もちゃんと出てるし、今のところ、在留資格の更新も心配いらないはずです。」

 ダミタはふっと息を吐き、わずかに肩の力を抜いたようだった。


 「本当に……大丈夫でしょうか。最近、SNSでも不安を煽るような投稿ばかりで……」


 「選挙が近いからね。ちょっとしたデマも広がりやすい時期なんですよ。」


 エレベーターの前に着いた二人。朗は壁際に立ち、ゆっくりとした声で言った。

 「法律は確かに変わっていきます。でも、すでに日本に根を下ろしている人をいきなり排除するなんて、少なくとも今は考えられません。もちろん油断はできない。でも私も情報をちゃんと追っているから、一緒に備えていきましょう。」


 「はい、先生。ありがとうございます。」

 ダミタはようやく、安心したように微笑んだ。その笑顔の奥に、まだ拭いきれない不安の色がわずかに残っているのを、朗は見逃さなかった。


 世の中の空気が少しずつ変わっていく気配を、朗は肌で感じていた。

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