山田登世子「メディアのテロル」まとめ(テスト対策)
「テロル」…暴力行為による威嚇。テロ。
◆「いつからともなく、わたしたちの世界から失われて久しいもの」
=〈はるかなもの〉
=「私から遠く、近づきがたく、手の届かないもの。私と対象とを隔てて、決してアクセスを許さないもの。距離のあるもの……。」
=「距離」
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「その距離が、なしくずし的に風化していきつつある」。
「わたしたちからはるかなものを奪い去り、すべてを近いものに変えていく(=「メディアのもたらす感覚の変容」)破壊の使者」
=「メディア」(のため)
◆マクルーハン…「テレビは「近視」のメディアである」
=「テレビは、活字文化の作り出した専門領域的な境界線の輪郭をぼやけさせ、全体をモザイク化して感覚に差し出す。輪郭の定かでないそのモザイクは、「全体包括的な〈いま〉への全面的な参与」を促している」。
=「メディアはメッセージである」
=「テレビを見るわたしたちは、いまここにない出来事を身近に引き寄せている。テレビによってわたしたちは全世界とつながり、遠くを近くに引き寄せるのだ。遠くで起こっている出来事にリアルタイムで参加する。そう、わたしたちは「参加する」のである」。
「テレビは触覚的に「遠く」に触れ、――ファッションのように――それと〈ともにある〉感覚を作り出す」。
=「いまここで、いながらにして遠くを感じる」
⇔眼と対象を切り離す活字の視覚文化
「破壊の使者」=「スイッチ一つで瞬時に成し遂げられる「遠く」の送りもの=贈りものは、わたしたちから〈はるけさ〉を奪っていく」様子。→「メディアのもたらす感覚の変容」
◆ベンヤミン
「複製技術による芸術作品の一回性の喪失」=「アウラの喪失」
※「アウラ」…人や物に漂う微妙で独特な雰囲気。「どんなに近くにあっても遠いはるけさを思わせる一回限りの現象」←「芸術作品の礼拝的価値を空間、時間的な知覚のカテゴリー(範疇)によって言い表したもの」
・「まず第一に、それは「距離」の問題である。複製技術は、一回的なものであった作品を広く大量コピー化して普及させ、マス(大衆・集団)に近づける。マスと芸術との間は、限りなく近いものになる。この「近さ」が、作品のアウラを破壊する」。「はるけさは近さの反対である。はるけさの本質は、近づきがたいということにある」。
・「作品がマスの手元に容易に届く近づきやすさによって、作品ははるけさを失う」。
・「遠くのものをいまここに電送してくるメディアは、ものを歴史的な時間の流れから引き抜いて、起源を奪い、アクチュアルな(時事的、現実的、実際の)現在の中に移し置く」。
・「作品は、いまや手近なもの、触れ得るものへと変わり、五感のすべてを巻き込んでマスの参加を促す〈いま〉という時間の中に運びこまれてくる。」
↑
「そのとき、作品は〈権威〉を失う。はるかなものは歴史的コンテクスト(文脈、背景)から離床(目覚め、寝床を離れること)して伝統の厚みを拭い取られてしまうからである」。
◆要するに
・「マス・メディアはわたしたちの時間感覚にラディカル(急進的、過激)な変容を強いる」。
・「すべてがアクチュアルという時制の支配下に置かれるとき、時間はその濃淡を失ってフラットなものになる。それとともに、時間を通して生きるわたしたちの経験世界そのものも凹凸を失ってフラットになる」。
・「メディアの時間は、人間的時間に対するテロルの行使なのだ」。
・「アウラの喪失」とは、「人間的「経験」の崩壊の危機」のこと。
◆ベンヤミンの『物語作者』
「物語と情報はいずれも何らかの出来事の伝達である」が、「両者の伝達形式は際立ったコントラスト(対照、対比)をなしている」。
□物語とは
・「口から口へと語り伝えられていく物語は、はるかなところに起源を持っている。物語の語り手たちは、空間的にも時間的にもはるかなところで起こった出来事を人々に語り聞かせる」。
「遍歴」…地方を巡り歩くこと。
「家郷」…故郷
「消息」…できごと
・「語り手は、「かつて」「どこかで」生きられた経験を、「いまここ」で生きている者たちに向けて伝達するのだ。その物語に耳をすます人々は、そこから何らかの助言を得る。物語は聞き手の記憶の中に畳み込まれ、それぞれの経験の中に根を下ろす」。
・物語は、「もろもろの経験を交換する能力のこと」。←「手仕事的」・「およそ瞬間性から最も遠い」・「ゆっくりと暇をかけて記憶の中に蓄積され、時間の厚みの中で発酵していく。と言うより、こうした時間の厚みこそ、人の経験を形作っていくものなのだ」。=「退屈こそ経験という卵をかえす夢の鳥」
「均質」…性質、状態が同じこと。等質。
「継起」…物事が続いて起こること。
・物語は、
「それぞれ〈私〉という中心があり、その私が身にこうむる(受ける)出来事が時間を分節化(分けること)していく。時間は経験にひたされて、時間として意識されることがない。退屈を退屈として意識することのない」。
「アクチュアルという時間感覚に冒されていない」。
「私という中心に伝えられて何かを教える。それに耳をすますことによって、私の経験世界は豊かさと厚みを増す」。
「ほしいまま」…思い通り、やりたいまま
「隆盛」…栄えること。
「時制」…時
◆メディア
・「速報性」
「テレビや新聞といったメディアの速報性は、物語という伝達形式を一掃しつつ、経験の交換ということを不可能にしてしまう。ニュース(速報)というマスコミの伝達形式はまさしく「退屈な時間」を餌食にしてそれを貪るからだ」。
・「次から次へと報道されていく情報」
「私の記憶の貯蔵庫を空にしてしまう。出来事は凹凸を失って継起していく。私はさまざまな出来事を「知る」けれども、そのどれ一つとして私の経験を「養う」ことはない。情報のスピードは、耳をすます時間を奪う。それは、「経験という卵をかえす夢の鳥」を殺す」。
「出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間を。そしてニュースはまた、「教え」すぎることによって物語の持つ知恵を失わせる」。
=「ニュース報道とともに、わたしたちは事件(情報)の消費者となる」。
◆今日
「メディアのテロルは、今日に至るまでその力を休めることなくますます支配をほしいままにしている。情報は溢れ返るほど身辺に氾濫(広がりはびこること)し、すべてのものが身辺的近さに引き寄せられている」。




