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7.セストの決断

デビュタントの夜会から数日後、ティーナは公爵夫人の注文を確保するため、貿易商との商談を重ねていた。


その一方で公爵家との売買契約書の準備をし、さらには天井知らずに売れている民芸品の納品管理と、いつも以上に多忙な日々を送っていた。


ティーナが忙しくしている傍らでラネッタは体調を崩しているらしい。


今までも食事を共にすることはあまりなかったのだが、最近では全く顔を合わせなくなってしまった。


メイドの話では部屋に閉じこもっているらしい。


ゼベル公爵令息からの注意が相当堪えたようだ、しかしレイール公爵夫人の契約は頂いている。

これをしっかりと取りまとめることができれば、彼女の不名誉な噂は消えてなくなるだろう。


一刻も早くラネッタにその気になってもらいたいティーナではあったが、自身の忙しさと、ラネッタの体調不良で話し合いの機会なく、一週間が経過してしまった。


公爵夫人から指定された二ダースはもう間もなく入荷予定だ。


それと契約書を持ってレイール公爵家を訪問し、定期購入の手続きを勧めるつもりでいたティーナだったから、これ以上、ラネッタの引きこもりに付き合うことはできなかった。



「ラネッタ様に今日の午後、話し合いをしたいとお伝えして頂戴。セスト様にもそのように使いを出してもらえるかしら」


ティーナは朝一番でメイドに指示を出し、今日中に片付けなければならない仕事を午前中のうちに済ませることにした。




お昼近くになって、執務室でお行儀悪く軽食をつまみながら仕事をしていると誰かがドアをノックした。


今日は内密な仕事はないからと扉を開けたままにしておいたのにわざわざ誰だろうと顔をあげてみれば、入口に立っていたのはセストだった。


「まぁ、セスト様。お出迎えもせず申し訳ございません」


慌てて立ち上がったティーナをセストは手で制した。


「お忙しいだろうと勝手に入らせて頂きました。しかし、食事の時間もとれないほどなのですか?」


「今日は特別です、午後からラネッタ様を説得しなければなりませんもの」


ティーナはデスクに置いてあった軽食をこそこそとワゴンに戻しながら言い訳をした。

淑女がなにかをしながら食事を取るなど、みっともない。



「彼女は何と?」


セストはティーナの無作法を咎めることもなく、ラネッタの様子を聞いてきた。


「あの夜会以来、顔を合わせていないのです。わたしが忙しいというのもあるのですが、ラネッタ様の調子も悪いようで」


「精神的な面で、でしょうね」


ため息と共に吐き出された彼の心情はティーナにもよくわかる。


セストはヒクソン伯爵位を継承したら、夜会で不興を買ってしまったラネッタを義母として立てていかなければならないのだ。


だからこそ、ティーナは今回の商談の取りまとめ役をラネッタにお願いしたかったのだ。

彼女の名誉回復はそのままセストへの助力になるからだ。


今日はそれも含めてラネッタを説得するつもりでいる。

将来、娘の夫となるひとの足を引っ張るべきではないと言えば、彼女だって覚悟を決めてくれるだろう。


セストの苦労は、彼と結婚するであろうヘンリエッタの苦労にもなるのだから。



「とにかく、これ以上、公爵夫人をお待たせすることだけはできません」


ティーナが強い口調でそう言ったところでメイドがやってきて、ラネッタが自室を出てこの執務室に来ることを知らせた。


「セスト様、お口添えをお願いいたします」


ティーナの願いにセストは、もちろん、と微笑み、ふたりはソファに座ってラネッタの訪れを待った。






執務室の扉は固く閉ざされている。


室内にはティーナ、セスト、ラネッタ、それになぜかヘンリエッタまで参加している。



ラネッタと共にやってきたヘンリエッタにティーナは言った。


「今から仕事の話をするけれど、退屈ではない?」


するとヘンリエッタは幼子のようにぷっくりと頬を膨らませ、


「わたしだってレディの仲間入りをしたんです、難しいお話だってできます!」


と言った。


本物の淑女(レディ)は頬を膨らませたりはしないと思ったティーナだったが、それを指摘したらさらにややこしいことになるだけだと分かっていた為、何も言わないことにした。



「先日の夜会でレイール公爵夫人様より定期購入の注文を頂戴しました。これ自体は大きな金額の商談ではありませんが、夫人は自らが広告塔となって商品を広めてくださるおつもりのようです。

夫人から紹介された別の方が同じように定期購入を希望される可能性が高く、貴族同士の契約となれば正式な当主代理のラネッタ様におとりまとめ頂くのが筋だと思います」


ティーナの説明にラネッタは早くも顔色を悪くしている。


「わたくしには無理よ。だって、商売のいろはも知らないんですもの」


ラネッタは大商家の娘だ、実家にいた頃ならいくらでも学ぶ機会があったはずなのに彼女はそれを放棄してきた。

そのつけが今になって回ってきているのだが、今、それを責めても仕方がないし、なにより、彼女に商売は向いていない。


だとしても、今回だけは頑張ってもらわなければならない。


「わたくしがサポートいたします。せめて、商談に同席だけでもして頂きたいのです。

貴族同士の契約に決裁権を持つ者が不在など、あってはならないことです」


ティーナの必死の説得にもラネッタは、でも、だって、と繰り返している。


「ラネッタ様は夜会でのゼベル公爵令息様のお言葉を覆さねばなりませんわ、それがヒクソン伯爵位を継承してくださるセスト様の力にもなります」


その指摘にラネッタは小さく身震いをした、夜会でのやらかしを思い出したのだろう。


彼女の視線は空をさまよっていたが、やがてセストに定まると急に笑顔になった。


「セスト様が今すぐ伯爵位をお継ぎになればよろしいわ」


「え?!」


ラネッタの提案にティーナは絶句するが、彼女はいかにもいいことを思いついたという顔で話を勧める。


「そうよ、今すぐ結婚してセスト様に婿に入って頂けばいいのよ」


すると今までつまらなそうな顔で黙っていたヘンリエッタも話に入ってきた。


「えぇ?嫌よ。結婚式の準備は最低でも半年は必要だわ。わたし、既製のウェディングドレスなんて着ないわよ?」



突然の展開に驚きつつも、ティーナにもラネッタの提案が悪くないもののように思えてきた。



セストがヒクソン家の入り婿になることは前々から決まっており、正式ではないものの婚約していたのも同然だ。


常識的な婚約期間を終えたことにして、書類上だけで婚姻を成立させてもおかしくはない。


ヘンリエッタの望む派手な挙式は落ち着いてからいくらでもやればいい。


今、重要なのは公爵夫人との契約に正式な伯爵、もしくは伯爵代理が立ち会うことなのだから。



問題はセストの気持ちだ、彼はこんなやっつけ仕事のような婚姻で許してくれるだろうか。


ちらりと彼に視線を移せば、彼は口元に手をあてて考えをまとめているようだったが、やがて顔を上げてはっきりと言った。




「わたしは構いません。ただし、婚姻するのはティーナ嬢です」




この発言に大声を上げたのはもちろんヘンリエッタだ。


「えぇ?!お姉様は二つも年上なんですよ?セスト様はそれでいいんですか?」


「たった二歳だよ、そのくらいの年の差夫婦なんていくらでもいる」


ヘンリエッタの反論にも彼は動じない。


「ですが、周囲の皆様が黙ってはいませんわ」


今度はティーナが反対を口にする。すると彼は心底傷ついたという顔をして言った。


「ティーナ嬢はわたしが夫では嫌ですか?」


「嫌だとかそういう問題ではなく」


あまりの展開についていけないティーナがしどろもどろに返事をするその隣でヘンリエッタは、


「セスト様がお姉様の夫だなんて、わたしは嫌です!」


と言っている。



「なんの考えもなく言っているわけではありません。今回の商談はティーナ嬢が引き受けたもの、となれば彼女の立ち合いは必須です。

ラネッタ様が伯爵代理として行かれるのであれば、その義理の娘ということでティーナ嬢が同席しても違和感はありません。

しかし、仮にわたしがヘンリエッタ嬢の夫なった場合、そのわたしとティーナ嬢とで商談に向かうのはおかしいと思いませんか?」


確かに、そう言われてみるとおかしいような気がしないでもない。


ティーナは今までこの商談を伯爵代理を中心にとらえてきたが、本当は夫人から直接、注文を受けたティーナ中心に考えなければならなかったのだ。


そうなるとセストの提案は至極当然で反対すべき点が見つからない。



「そうね、そうしなさいな」


誰よりも早く賛成したのはラネッタだった。


「お母様?!」


ヘンリエッタは声が裏返るほど驚いているがそれはティーナも同じだった。


彼女の実の娘であるヘンリエッタがセストを慕っていることはラネッタだって分かっているはずだ。


明確に言われたわけではないが、彼女にとっての娘はヘンリエッタだけであり、ティーナは正しく彼女と血のつながりのない娘だ。

実の娘の気持ちを無視するようなラネッタではない。


賛成を口にしたラネッタにヘンリエッタは食って掛かっているが彼女は意見を変える気はないようだ。


「とりあえず婚姻は書面だけで済ませればいいでしょう?書類が揃ったらサインをするわね」


「お母様、本気ですか?!」


ラネッタはそう言ってさっさと執務室を出ていき、納得できないヘンリエッタも慌ててそのあとを追いかけていった。




バタバタと走り去る足音が聞こえなくなり、静寂の戻ってきた執務室でティーナは思わずため息をつき、慌ててそれを飲み込んだ。


室内にはまだセストがいる、気を抜いていい場面ではない。


「当主代理の賛成は得られましたね。早々に吉日を選んで書面を取り交わしましょう」


セストは何事もなかったかのようにそう言っているが、ティーナには彼が心配だった。


「セスト様は本当によろしいのですか?」


「なにか問題でもありますか?」


ティーナの問いにも彼はケロリとした顔をしているが、無理をしているようにも見えるし、そうでないようにも見える。


しばらくの沈黙の後、ティーナは、いいえ、とだけ言い、諸々の手続きを勧める為、ベルを鳴らして家令を部屋に呼んだのだった。

お読みいただきありがとうございます

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