5.トラブルメーカー
難しい話ばかりしているセストと一緒にいるのに嫌気がさしたヘンリエッタは彼と組んでいた腕をといた。
「ヘンリエッタ嬢?」
驚いたセストが彼女を見るも、ヘンリエッタの心はもうセストにはなかった。
セストの隣で会場を眺めていたのだが、ここには彼より見目の良い男性が大勢いる。
もちろん彼も悪くはない、しかし可愛い自分にはもっと素敵な男性が相応しいと思ったのだ。
ラネッタから今日の夜会はお見合いの場だと聞いている、セストよりも良い男性と知り合うことができるかもしれないとヘンリエッタは考えたのだ。
「セスト様、わたし、ひとりで回ります」
「駄目ですよ、わたしはティーナ嬢から貴女のことを頼まれているのですから」
ふたりきりのときでも二言目にはティーナ、ティーナと姉の名を口にする彼に嫌気がさしたヘンリエッタは彼から離れることにした。
「大丈夫です、わたし、今日から大人の仲間入りをしたのですもの。挨拶くらいできますわ」
ヘンリエッタはセストから離れようとするも彼はしつこく後をついてくる。
「でしたら、せめてお友達のご令嬢が見つかるまでは一緒にいます」
ヘンリエッタに貴族令嬢の知り合いなど数えるほどしかいない。
人でごった返すこの会場でその知り合いに会うなど、示し合わせてでもいない限り不可能だし、一緒に会場を回るほどの親しさでもない。
「もう!ついてこないでください!」
「あら、ヘンリエッタ。どうしたの?」
ヘンリエッタが大声をあげるのと、ラネッタが合流したのは同時だった。
ラネッタに気づいたヘンリエッタは彼女に抱き着いていった。
「お母様、セスト様がしつこいんです」
「わたしはティーナ嬢にあなたを頼まれているから」
「またティーナ、ティーナと。そんなにお姉様がお好きならふたりで回ればいいでしょ」
ヘンリエッタの言葉にセストはわかりやすく顔を赤らめた。
そう、ヘンリエッタは知っていた。セストがティーナを慕っていることを。
でも仕事ばかりしている残念な姉は、それに全くと言っていいほど気づいていない。
そのうちティーナをあきらめてそばにいるヘンリエッタに求婚するだろうと思っていたが、もうどうでもいい。
この会場でセストより素敵な王子様を射止めてみせるわ。
ヘンリエッタはうろたえるセストを置いてラネッタとふたりで会場を回ることにした。
人一倍、見目の良い男性を見つけたヘンリエッタはさっそく話しかけてみる。
「初めまして、わたしも仲間にいれてください」
彼と話をしていた令嬢は変な顔でヘンリエッタを見たが、男性のほうが優しく返事をしてくれた。
「初めまして、お嬢さん。すまないが今は彼女と話をしているんだ」
「ですから、その話にわたしも混ぜてくださいと言っています」
やんわりとした断りの言葉が通じないヘンリエッタはずけずけと彼らの間に入ろうとしている。
明らかに仕立ての違う服を身に着けた令息、令嬢にラネッタは顔色を悪くし、
「ヘンリエッタ、おふたりの邪魔をしてはいけないわ」
と小声で注意したが、それを聞き入れるヘンリエッタではない。
「お母様もお知り合いと挨拶してきたらいいわ」
ヘンリエッタの無邪気な提案にラネッタはさっと顔色を変えた。
実はラネッタもすでにやらかした後だったのだ。
茶会で一度だけ見かけたことのある顔を見つけたラネッタは、意気揚々と話しかけたのだが、彼女が話をしている相手は侯爵令嬢だった。
「お久しぶりです、わたくしを覚えていらっしゃいますか?」
侯爵令嬢との話に割って入ってくるような無作法者と知り合いだと思われては困ると考えたその夫人はラネッタに素知らぬ顔をした。
「申し訳ございません、どなたかとお間違えでは?」
「そんなはずはございませんわ、商会の茶会でお会いしましたもの。皆様、お元気かしら?今日もいらしてるの?」
ラネッタが話しかけたのは子爵夫人のため、伯爵夫人のラネッタよりは身分は下ではあるが、だからといって他のメンバーが集まっているかどうかなど彼女がいちいち知らせることではない。
知りたければ事前に出席者名簿を取り寄せ、確認しておくのが常識だ。
あまりの無作法に驚いて黙ってしまった相手にラネッタは、
「王宮の集まりだからと緊張なさってるのね、大丈夫よ。わたくしも同じですから。でもこうやって知った顔にお会いできると安心できますわね」
と勝手な解釈を披露している。
それでやめておけばよかったのに、彼女はあろうことか侯爵令嬢に話しかけたのだ。
「まぁ、なんて美しいお嬢様ですこと。失礼ですがお名前をうかがっても?是非、お近づきになりたいですわ」
下位貴族から高位貴族の名前を聞き出すなどあってはならない無礼だ。
高位貴族の顔と名前は貴族名鑑を読んで頭に入れておくべきだし、それが無理なら居合わせた知り合いから教えてもらう。
もっともこの場にいるラネッタの知り合いは目の前で固まっている子爵夫人しかいないし、彼女がラネッタと他人のふりをした時点でラネッタに教えてくれる者はいない。
侯爵令嬢は不快そうに眉をひそめて持っていた扇を広げると、
「彼女はあなたとお話がしたいようですわ、お相手をして差し上げてはいかが?」
と言って数人の令嬢を連れてその場を離れていってしまった。
子爵夫人は、お待ちを、と彼女を追いかけるも、彼女に付き従っていた令嬢のひとりからなにかをささやかれ、諦めたようだった。
「行ってしまいましたね、ご紹介くださればよかったのに」
状況を理解していないラネッタは意気消沈している子爵夫人にのんきに話しかけるも、夫人は怒りに震える目を彼女に向けて言った。
「あの方は侯爵令嬢です!金輪際、わたくしには話しかけないでくださいませ!」
夫人は怒りのままに大声でラネッタを怒鳴りつけると、彼女をその場に残して立ち去ってしまった。
残されたラネッタの周囲の人たちはこそこそと話をしていたが、やがて彼女に興味を失い、また喧騒が戻ってきた。
一方のラネッタは気軽に話しかけた令嬢が侯爵位だと知って驚いていた。
言われてみればここは王宮での集まりで、今夜はデビュタントということもあり、高位から下位まで大勢の貴族が集まっている。
今まで参加してきたどこぞの商会で開かれる茶会では伯爵位を持つラネッタが一番爵位が高く、誰もがラネッタと話をしたがり、彼女が話しかければ皆、喜んでその相手をしてくれた。
いつもと同じように声をかけたのだが、まさか相手が侯爵令嬢とは知らなかった。
勉強嫌いなラネッタでも侯爵が高位貴族だということくらいは知っている。
その侯爵家の令嬢に無作法を働いてしまったのだ。
ラネッタにはどう挽回すればいいかわからなかったが、ともかく今夜はおとなしくしていようと決めた。
そう思った矢先にヘンリエッタの姿を見つけ、ラネッタはふたりで甘味でも食べてのんびり過ごそうと思っていたのだった。
それなのにヘンリエッタは見知らぬ男性に話しかけてしまった。
相手は明らかに上等な服を着ていて、爵位は上か同じ伯爵家だとしてもかなり羽振りの良い家だと分かる。
先ほどの失敗に堪えていたラネッタはヘンリエッタを注意したのだが、それで引いてくれる彼女ではない。
ヘンリエッタは明らかに熱のこもった瞳で男性を見つめていて、男性と話をしていた令嬢は嫌そうな顔をしている。
「あの方、また?」
「いったいどこの家の者だ、ご当主はなにをしているのか」
先ほどのラネッタを見ていた人もいるようで、またも騒ぎをおこした彼女を非難する声も聞こえてくる。
「ヘンリエッタ、もう行きましょう」
ラネッタは娘の袖を引き、その場から逃げ去ろうとしたのだが、そこにティーナとセストがやってきたのだった。
「セストじゃないか」
ヘンリエッタから熱く見つめられて困惑していた男性はセストの姿に助けを求めるかのように声をかけてきた。
「ゼベル公爵令息様、ご無沙汰しております」
セストは最上位の礼をし、隣にいたティーナもそれに倣った。
「申し訳ございません、この者たちがご迷惑をおかけしたようです」
「この者だなんてひどい」
「お黙りなさい!」
セストの言い回しが気に入らなかったヘンリエッタが大声をあげたが、ラネッタがそれを厳しく叱責した。
「お、お母様?」
いつもヘンリエッタに甘い母親の厳しい口調に彼女は驚きで声を失っている。
騒ぎの元凶が静かになったことをほっとしたセストは令息に許しを請うことにした。
「彼女はわたしの婿入り先であるヒクソン伯爵家のご令嬢なのです。見ての通り、彼女は今夜がデビュタント。おぼつかないマナーにご無礼がありましたことお詫びいたします」
セストの言葉に反応したのは彼と話していた令嬢のほうだった。
「ヒクソン伯爵家とおっしゃいまして?」
「はい。そちらは次女のヘンリエッタ嬢、こちらにいますのは長女のティーナ嬢にございます」
セストの紹介を受けてティーナは口を開いた。
「お初にお目にかかります、ティーナ・ヒクソンにございます」
最上位のお辞儀をしたティーナに令嬢は少し微笑んでみせた。
「なるほど、姉のほうは話が通じそうね。ちょっとこちらにいらっしゃいな、貴女に会わせたいひとがいるのよ」
令嬢は手招きするような仕草をして自分の後についてくるように言っている。
「彼女の家が君の婿入り先なら一緒に来たほうがいいだろう」
ゼベル令息に促されたセストもティーナと共に二人の後をついていくことにした。
去り際にゼベル令息はラネッタに向けて言った。
「ご令嬢にはまだデビュタントは早かったようだ、今夜はもうお帰りになられたほうがよろしいでしょう」
集まりの途中で高位貴族から帰宅を促されることは、社交界への参加資格がないと判断されたことになる。
ラネッタにその意味は読み取れなかったが、もとよりこれ以上、失敗を重ねるのはごめんだった。
「帰りましょう、ヘンリエッタ」
「えぇ?嫌です、まだ来たばかりじゃないですか」
「いいから、帰るのよ」
ラネッタは渋るヘンリエッタを引きずるようにして会場から出て行った。
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