4.ヘンリエッタのデビュタント
ヘンリエッタの支度にてんやわんやしている中、ティーナは使用人から来客を告げられホールへと出向いた。
「ティーナ嬢、とてもよくお似合いです」
やってきたのはセストでティーナのドレス姿に微笑みを見せている。
「わたくしにまでドレスをご用意くださいまして、ありがとうございます」
ティーナの礼にセストは笑顔のまま、彼女の手をとり、その甲に軽く唇を触れさせた。
「着てくださってとても嬉しいです」
セストはそう言って目を細めてティーナを眺めている。
「ヘンリエッタももう間もなく来ると思いますわ」
「そうですか、それは楽しみですね。ところで民芸品事業のほうはどうですか?」
今夜はヘンリエッタのデビュタントで仕事の話をするつもりのなかったティーナだったが、聞かれれば答えるしかない。
「セスト様に助言いただきましたおかげで順調ですわ」
「巷ではヒクソンの民芸品と呼ばれているとか」
「売り出しているのは我が家だけではないのですけれど、最初は独占していましたからね。その影響でしょう」
「それこそ貴女の狙いだったのでは?今やヒクソン製でないものは偽物とまで言われていますよ」
「偽物ではないでしょうが、確かに作りは甘いと思います。わたくし共は品質にこだわっておりますので」
ティーナの目論見通り、いち早く市場に出回った民芸品はヒクソン家と契約のある工房から出荷されたものになった。
店頭に並べられた途端に飛ぶように売れ、最初のロットはあっという間に完売してしまった。
増産に次ぐ増産を重ねた頃、ようやく他家も出荷を始めたのだが、そのころにはもう民芸品=ヒクソン製という認識が広まっており、ヒクソン家の紋のない商品は安く買いたたかれる事態となっていた。
安価ならばと平民が買い求めていたようだが、採算の合わない商品をいつまでも取り扱う商人はいない。
二か月ほど経ったいまでは販売している民芸品のほとんどはヒクソン家だけになっている。
最近では他国からの問い合わせも入ってきており、流行りはまだまだ続きそうだ。
もちろんティーナはこの成功に胡坐をかくような令嬢ではない。次の流行りの芽を求めて常に情報を収集している。
今夜の夜会もその為に参加するのだ。
流行は社交界で作られることが多い。
デビュタントの夜会は貴族の公的な見合いの場でもある為、多くの貴族が参加する。つまり調査に適しているのだ。
「次に流行るのは何かしら」
「どうでしょう。社交シーズンの只中ですからね、集まりに関する物だという感じはしますが」
セストと仕事の話をしているところにヘンリエッタがやってきた。
「セスト様、お待たせしました」
デビュタントのドレスを身に着けたヘンリエッタは、ティーナも見惚れるほどに可憐で愛らしかった。
「ヘンリエッタ、とても素敵よ」
ティーナの心からの称賛にヘンリエッタはまんざらでもないように微笑んでいる。
「デビュタント、おめでとうございます、ヘンリエッタ嬢」
セストは礼儀正しく祝いの言葉を言い、ヘンリエッタにエスコートの手を差し伸べた。
「今日はよろしくお願いします」
ヘンリエッタも淑女らしく礼儀正しい挨拶をし、彼の手を取ったのだった。
セストの乗ってきた馬車に、ティーナ、ヘンリエッタ、それにラネッタも乗り込み会場へと到着した。
デビュタントは王宮での夜会と決まっている。
初めて来る王宮の煌びやかさにヘンリエッタは気おくれしているようでセストの腕にしがみついている。
ラネッタも数えるほどしか来ていない為、勝手がわからないようだった。
ティーナは商売上の手続きで何回か王宮に来ているし、情報収集の為の夜会にもよく参加している為、見知った顔も多かった。
それは紳士クラブに出入りしているセストも同じだったようで、彼も会場に入ってすぐ、知人に声を掛けられている。
ティーナは彼の話が終わったところで提案をした。
「セスト様、今夜はヘンリエッタをお願いいたします。わたくしはラネッタ様と一緒に行動しますわ」
王宮に不慣れなふたりをサポートする為の提案だったのに、それを聞いたヘンリエッタが場違いな大声を上げた。
「お母様はおひとりでも大丈夫ですわ、だって伯爵夫人なんですもの。そうですよね、お母様」
ヘンリエッタにそう聞かれてラネッタは目を白黒させながらもうなずいた。
「もちろん、大丈夫よ。むしろティーナのほうが心配だわ、一緒にいてあげましょうか?」
「お姉様こそおひとりでいたいのでは?いつも夜会に出かけてるんですもの、どうぞお友達と遊んでらして」
ヘンリエッタの声量に驚いた周囲の人たちがチラチラと視線を送ってくる。
ラネッタをひとりにするのは心配だったが、大声で宣言されてしまっては解散しないわけにはいかない。
「そうね。ではラネッタ様とわたくしはそれぞれ挨拶に回りましょうか。ヘンリエッタ、お行儀よくね?」
「わたしだってもう子供じゃないんですから。大丈夫です!」
ちっとも大丈夫ではない大声で返事をしたヘンリエッタに、ティーナは内心であきれながらもセストにあとを頼んで、自分は知人を探すことにした。
「まぁ、ティーナじゃない。会いたかったわ」
「ギブソン侯爵令嬢様、お久しぶりにございます」
ティーナを見つけて話しかけてきたのはギブソン侯爵家の令嬢、エリザベスだったが、彼女は苦笑している。
「あなたとわたくしの仲でしょう?どうぞエリザベスと呼んでくださいな」
「ですが、今夜は王宮での夜会です。公の場でそのような呼び方をするのは」
「わたくしがいいと言っているのだから。それとも親友だと思っているのはわたくしのほうだけかしら?」
エリザベスがわざと頬を膨らませた。その愛らしさに今度はティーナが困った顔を見せる番だった。
「ではこの場のみ、エリザベス様とお呼びさせて頂きます」
「ふふふ、嬉しいわ。それよりずいぶん忙しくしていたようね。民芸品、買ったわよ」
「ありがとうございます。おかげさまで皆様にご愛顧いただいておりますわ」
ふたりで話をしているとそこに別の女性が加わってきた。
「あぁ、ベス、ここにいたのね。ちょっと避難させてもらえませんか?」
「まぁ、どうしたの?」
「侯爵令嬢様とお話をしたかったのだけれど、非常識な方がいて。絡まれたくないから逃げてきたの」
「今夜は社交に不慣れな方もいらっしゃってるもの、仕方ないわよね」
エリザベスは小さくため息をついてからティーナとその令嬢を引き合わせてくれた。
「紹介するわ、こちらヒクソン伯爵令嬢よ」
「お初にお目にかかります、ティーナ・ヒクソンでございます」
「まぁ、ヒクソンってあの民芸品の?」
「はい。皆様にお楽しみいただいておりましたら幸いです」
「わたくし、髪飾りが欲しいのだけれど、いつ行っても売り切れよ?」
「それは申し訳ございません、増産はさせているのですがどうにも生産が間に合わず」
「人手を増やせないのかしら?」
「とても細かい細工物でございますから、作ることができる職人も限られておりまして。
ですが、販売前のサンプル品でよろしければ手元に残っておりますので、お譲りしましょうか?」
この令嬢は先ほど侯爵令嬢のエリザベスを愛称で呼んでいたし、他の侯爵令嬢とも顔見知りのようだった。
爵位はわからないが有力なコネクションを持っている令嬢だと見込んで、ティーナは商品を譲ることにしたのだ。
卑しい考えではあるが、こういうひとに恩を売っておいても損はない。
ティーナの申し出に彼女はとても喜んだ。
「サンプルってことは一点物なのね?」
「まぁ、そうですね。若干デザインが違います」
「素敵!是非、お願いしたいわ」
彼女がそう言うとエリザベスも声を上げた。
「ずるいわ、わたくしも一点物がよかったのに断られてしまったのよ?」
「申し訳ございません、新たな注文は今は受けられない状態なのです。
ですが、エリザベス様にもお譲りできますわ。サンプルは数点ございますので」
ティーナの申し出にふたりの令嬢は手をとりあって喜んでいる。
「嬉しいわ、ありがとう。ティーナ」
「明日にでも使用人をそちらに行かせますので、お願いします」
飛び上がらんばかりに喜んでいる令嬢たちにティーナは微笑んで言った。
「かしこまりました、ご用意してお待ちしております」
それから後も何人かの知り合いと挨拶をし、疲れを感じたティーナは軽食の並ぶテーブルに向かうことにした。
いくつかの料理を取り、手近な椅子に座ろうと空席を探していると呼び止められた。
「ティーナ嬢、こちらにいらっしゃいましたか」
声をかけてきたのはセストであったが、周囲にヘンリエッタらしき姿はない。一体なにがあったのか。
「セスト様、ヘンリエッタはどちらに?」
ティーナの問いに彼は苦い顔をしている。
「ヘンリエッタ嬢と挨拶をして回っていたのですが、退屈させてしまったようで。ひとりで回ると言い出してしまったんです」
「ひとりでなんて無理ですわ、あの子はまだマナーもおぼつかないのに」
「わたしもそう言ったのですが、ラネッタ様が来て連れて行ってしまいました。わたしと楽しく過ごしましょう、と言って」
ラネッタはヘンリエッタと違って社交場にもよく出かけている。しかし彼女は下位貴族の集まりにばかり参加してきた。
簡単に言えば、ラネッタは彼女が爵位の頂点である集まりにしか参加したことがないのだ。
この夜会には王族はもちろん公爵や侯爵といった高位貴族も多く参加している。
ラネッタがマナー違反を犯しても咎めない下位貴族とは違う。彼らに無作法を働けば不敬罪に問われる危険性もあるのだ。
「それでふたりきりにしたのですか?」
つい、非難するような口調になってしまったのは仕方がない。ヒクソン家から罪人が出るかどうかの瀬戸際なのだから。
ティーナの怒りにもセストは落ち着いている。
「ヘンリエッタがひどく怒ってしまって、近寄るなと言われてしまったんです。あまり騒ぐと衛兵が動いてしまうから」
なんということだろう、頼みの綱であるセストの世話をヘンリエッタは自ら断っていた。
「申し訳ございません」
謝罪するティーナの肩にセストは手を置いた。
「君が一緒なら騒がれても衛兵には言い訳ができます、急いで探しましょう」
ティーナは持っていた料理の皿を立っていた使用人に押し付けて、セストと一緒にふたりを探すことにした。
幸か不幸かふたりはすぐに見つかったのだが、残念ながらもめごとはすでに起きた後だった。
というのも、騒ぎの中心にふたりはいたのだった。
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