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2.ティーナとセストとヘンリエッタ

約束の観劇の日、ティーナは予定通り、午前と午後の会合を済ませると屋敷に飛んで帰ってきた。


「ティーナ様、お早く」


ティーナの帰宅を待ち構えていたメイドたちは、ぞれぞれに与えられた任務を遂行しようと彼女に群がってくる。


あっという間に服を脱がされ風呂に沈められたかと思うと、体を清める者、髪をすく者、それぞれが黙々と手を進める。


風呂から出て髪を乾かしている間、爪の形を整えられつつ、軽食のサンドイッチを口に突っ込まれた。


「自分で食べられるわ」


抗議をするティーナにメイドは目もくれない。


「このタイミングしかありません、メイクの前にお口をすすいでいただきます。それ以降は食べてはいけませんよ」


そう言って彼女はふたつめのサンドイッチをティーナの口に突っ込んだ。




何とか支度を終えるのとセストが到着したという知らせは同時だった。


「お嬢様、お急ぎください」

「分かってるわ」


仕上がりを確認する間もなく、ティーナはメイドたちに急き立てられてホールへ向かった。


「ティーナ嬢」


ホールに姿を現したティーナにいち早く気づいたのはセストだった。


彼はヘンリエッタと話をしていたのだが、ティーナに気が付くと彼女の前に来て、その手を取った。


「今宵は格別にお美しい」


内心で、一時間で仕上げた付け焼き刃ですけどね、と舌を出しつつ、


「ありがとうございます」


と、心にもない笑顔で彼からの称賛を受け取ったティーナであった。





三人は、セストの乗ってきたモルガリー家の馬車に乗り込み、劇場へと向かった。

劇場の前はすでに多くの馬車でいっぱいで、少し待たされてから降りることができた。


「どうぞ」


先に降りたセストに手を借りて馬車を降りる。

ティーナのあとにヘンリエッタが続き、三人がそろったところで場内へと足を向けた。


エントランスで係員によるチケットの確認を受けているとき、ティーナは声をかけられた。


「これはこれは、ヒクソン伯爵令嬢様ではございませんか」


振り返るとそれはヒクソン家と取引のある商家の令息だった。彼と腕を組んでいる女性はおそらく彼の妻だろう。


「まぁ、ご無沙汰しております。外国に行っておられると伺っておりましたが、帰国されたのですね」


「一時的なものです、わたしはあちらの支店を任されていますからね」


それから彼は隣に立つ女性を妻だと紹介してくれた。


「初めまして、いつも夫がお世話になっております」


「いいえ、こちらこそ。いつもなにかと助けて頂いて、ありがとうございます」


当たり障りのない会話をしてから夫妻と別れたティーナは周囲を見渡し、ドリンクコーナーにいるセストとヘンリエッタを見つけてそちらに向かった。



「すみません」


ティーナの謝罪にヘンリエッタは顔をしかめている。


「待ちくたびれましたわ。セスト様もそうですよね?」


ヘンリエッタの問いにセストはあいまいな笑顔をするだけにとどめている。


「早く席に行きましょう、また待ちぼうけなんて嫌だもの」


ヘンリエッタが先頭に立って三人はチケットに記載された席へと向かった。


しかし席に座ったすぐのタイミングでティーナはまた声をかけられてしまう。


「ヒクソン伯爵令嬢様が観劇とはお珍しいですね」


声をかけてきたのはとある商会の会頭、彼の商会はかなりの影響力を持っている。

貴族のティーナのほうが立場は上だが、だとしても失礼をしてはならない相手だ。


「お誘いを頂戴しましたので」


話を始めたふたりの様子にヘンリエッタは遠慮なく胡乱な目を向けていて、彼女の口から失言が飛び出さないうちにとティーナは会頭をエントランスホールに誘った。


「ここではなんですし、シャンパンでもいかがですか?」

「それはいいですね、是非とも」


会頭が先ほどのドリンクコーナーへと足を向けたところで、ティーナはセストに、

「すみません、ヘンリエッタをお願いします」

と、小声で謝罪をしてから急いで彼を追った。



飲み物を口にしながら会頭と話をしていると、いつの間にか周囲を囲まれてしまった。


見知った顔もあればそうでないひともいて、ティーナは忙しく挨拶をする羽目になり、これでは社交に来たのと同じだと内心でうんざりしていた。


開演を告げるベルの音が鳴り響き、ようやく解散となった。


「長くお引止めしてしまいましたな」

「いいえ、とんでもない。有意義なお時間をありがとうございました」


今夜はセストの誘いを受けて観劇に来ただけだったはずなのに、結局、社交場になってしまった。


もっとも平民である商人と貴族の交流の場は少ない。

彼らにとっての劇場は、偶然を装って貴族とお知り合いになれる数少ない場であり、会頭もそれをわかっていてティーナとの橋渡し役を引き受けていたのかもしれない。


ティーナとしても収穫がゼロというわけではなかったのだが、またヘンリエッタに放置したことをなじられるかと思うと気が重かった。




しかし席に戻るとヘンリエッタは思いのほか上機嫌だった。


「まぁお姉様、戻ってきたんですね」


戻ってこなくても良かったのにという口外の言葉が聞こえるような言い回しにティーナは内心で驚いたものの、セストとふたりきりになれたのが嬉しかったらしい。


とはいえ、ヘンリエッタはまだセストと正式に婚約をしていない。


婚約前の女性が男性とふたりきりで過ごすのは外聞が悪いとされている。

今夜はティーナも一緒だったからメイドは連れてこなかったのだが、こんなことになるなら誰かについてきてもらえばよかったと思う。


ひと目のあるこの席でいかがわしい行為に至るようなセストではないから安心して妹を預けたのだが、むしろヘンリエッタがのぼせてしまったようだ。


「開演のベルが聞こえたから解散してきたの」

「お誘いくださったセスト様を放っておくなんて失礼だわ」

「それは、ごめんなさい」


謝罪をするティーナに助け舟を出したのは他でもないセスト本人だった。


「ティーナ嬢は忙しくしておられるのだから、仕方がありませんよ」

「セスト様は優しすぎます」


ヘンリエッタは彼にうっとりとした視線を送っているが、ティーナには彼の言葉が嫌味にしか聞こえなかった。



本来なら、会頭に声をかけられた時点でセストを紹介するべきだった。

しかし彼を紹介したらヘンリエッタも紹介しなければならない。


ヘンリエッタは奔放な性格で、それを愛らしいと受け取ってくれる相手ならいいが、無礼だと思われるのは困る。


相手は力を持つ会頭だった、彼に睨まれたら伯爵位を持つヒクソン家でも危ういものがある。


それにセストを紹介するにしてもどう説明したらいいのか。


彼はティーナとヘンリエッタの婚約者候補に過ぎず、ティーナの夫になるのか、義理の弟になるのかはまだわからない。


相手を混乱させない為にも、ティーナは彼の立場が明確になってから周囲に紹介するつもりでいたのだ。



セストはヘンリエッタの賞賛をあしらいながら、もの言いたげな視線をティーナに向けており、彼には理由を説明したほうがよさそうだと思ったが、ここで話していいような気軽な話題ではない。


「もうすぐ始まるわ」


ティーナは彼の視線に気づかないふりをしてステージへと顔を向けた。






その後もセストと姉妹の関係は変わらず、彼はひと月に一度ほどのペースで何かしらの外出先を用意してくる。


ティーナは忙しい合間にもなんとか時間を捻出して、ふたりに付き合ってきた。


しかしセストがいつものように訪れたその日はティーナ、いや、伯爵家にとって大切な事業が動いた日だった。


それは伯爵が生前に見出した民芸品で、長い年月をかけてやっと日の目を見そうなところまでこぎつけたのだった。


故伯爵の遺志を大切にしたいティーナとしてはなんとしても成功させたい事業であり、考えることは山のようにある。


正直、余暇など一秒たりともないのだが、ティーナが断りを口にしたが最後、彼はきっと帰ってしまうだろう。

そうなったらまたヘンリエッタとラネッタが烈火のごとく怒りだし、余計に時間を取られることになる。


デスクの上に山積みになった書類の向こうにいる家令に、すぐに行く、と言い、ティーナは読みかけの書類を素早く確認し、サインをして事務方の男性に手渡した。


「セスト様がお見えになったから行ってくるわ」

「提案書のほうはどうしますか?」

「たぶん出かけることになるから、帰ってきたらやります。明日の朝には必ず間に合わせるわ」


ごめんなさいね、とティーナに謝罪されては事務方も文句は言えない。

彼女は実質の雇い主兼伯爵代理なのだ。


「いってらっしゃいませ」


彼からの見送りの言葉に再度、仕事を抜けることへの謝罪を口にして、ティーナはセストとヘンリエッタが待つホールへと急いだ。




ラッキーだったのはその日の彼が出かけると言わなかったことだ。


「庭園の花が見ごろだと庭師の方に教えてもらいました、よろしければご案内いただけませんか?」


セストの言葉に外出を楽しみにしていたヘンリエッタは少しがっかりしていたが、すぐに思い直したようで彼の腕をとった。


「もちろんですわ、こちらへどうぞ」


庭の案内ならティーナは不要だろうとふたりを見送ろうとしたのだが、セストは律儀にも彼女のほうに振り返ると、


「ティーナ嬢も行きましょう」


と言った。


ここで断ったら彼は帰る選択をし、ヘンリエッタとラネッタの金切声にさらされる未来しか見えない。


「今、まいります」


ティーナは笑みを貼り付けて、彼らの後ろについていった。

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