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12.年上の妻

ティーナは今、セストと一緒に、彼が父親から譲り受けたという外国にある別荘に来ている。


「民芸品も美容液も落ち着きました、新婚旅行も兼ねて少しのんびりしましょう」


セストはそう言ってティーナをこの別荘へと連れ出したのだ。



ここは海の向こうの国ではあるが、母国とは船で一日ほどの距離で大して離れてはいない。


それでもヒクソン家の醜聞を語る者は少なく、そのことだけでもティーナにとってはありがたかった。


どのくらい滞在するつもりか知らないが、彼は家令を始めとしたほとんどの使用人を連れてきてしまった。


「外国に行ったことのない者も多いだろう?せっかくの機会だ、みんなで行こう」


セストはそう言って希望する使用人を全員、同行させたのだ。


おかげでティーナの暮らしは元の家にいたときと変わることがなく、主だった取引先の支店もこちらにあったことから商売への影響もなく過ごすことができた。



「今日の午後は散策しよう、バスケットにお茶と軽食をつめるよう頼んでおくよ」


こちらに来てからティーナはセストと一緒に出歩くことが増えた。


起伏のあるこの街では馬車を使うより、馬に乗って移動したほうが楽だ。

しかしひとりで馬に乗れないティーナはセストに乗せてもらうしかない。


「わたしも乗馬を覚えたほうがよさそうね」


そう言うティーナにセストは決まって、


「君を運ぶのはわたしの役目だよ」


と言って彼女の手を取り、物語に出てくる騎士が姫に忠誠を誓うかのように指先に口づけを落とすのだった。





ヘンリエッタはこの屋敷に連れてきていない。


てっきり一緒だと思っていたティーナは船に乗ってから彼女の不在に気づき、慌ててセストに尋ねた。


「ヘンリエッタは一緒ではないの?」


するとセストは心底、嫌そうな顔をして、


「何故、彼女を連れてくる必要があるのですか?」


と言った。


「何故って、ヘンリエッタと貴方は」


愛人関係にあるのだから、とはさすがに言いづらく、口を閉ざしたティーナにセストは言った。


「わたしが結婚したかったのはティーナ、貴女です。貴女はずっと気づいてはくれなかったけれど、わたしはいつだって貴女を想っていた」


それを聞いたティーナはひどく驚いた。



セストとは、ティーナが伯爵家のちょっとした商談に参加するようになった頃に知り合っている。


そのときはまだ互いに少年、少女の年齢であり、恋に発展するようなことはなかったが、それでもティーナは彼に対して良い印象を持っていた。

だから婚約の話が出た時、ティーナはセストとなら結婚してもいいと思っていたのだ。


しかし偶然、メイドたちが『妻のほうが年上なんてみっともない』と言っているのを聞いてしまった。


そのメイドは、好意を抱いていた幼馴染の男性を年上の女性に取られて失恋したばかりだった。

何の根拠もないただの愚痴であり、周囲も彼女を慰める意味でそれに同意していただけなのだが、その頃はもう伯爵の仕事を手伝っていたティーナに同世代の少女たちとの交流は少なく、それが世間の常識であると勘違いしてしまった。


そのため、年上の自分がセストと結婚するのは歓迎されないのだと知り、以降、ティーナはセストを恋愛対象として見ることをしなくなったのだ。


それなのに急に、お慕いしておりました、などと言われ、ティーナは混乱するばかりだ。



「でもわたしはあなたより年上なのよ?」


「だからなんだというんです?年齢なんて関係ない」


「セスト様はご存じないのですね、世間では妻のほうが年上の夫婦は歓迎されないのですよ?」


得意げな顔でそう言ったティーナに今度はセストが驚く番だった。


「誰ですか、そんなでたらめを言ったのは。まさかラネッタ夫人?」


「いいえ、メイドたちがおしゃべりしていたのを偶然、耳にしたんです。彼女たちは、年上の妻ではみっともない、と言っていましたわ」


ティーナの言葉にセストだけなく、居合わせたメイドや使用人たちも絶句している。

他人の会話を盗み聞きするのはマナー違反だ。みんな、ティーナに呆れているのだろう。


「盗み聞きするつもりはなかったの。偶然、聞こえてしまっただけで他意はないのよ?」


ティーナの必死の言い訳に突然、ひとりのメイドが進み出て頭を下げた。


「奥様、申し訳ございません!」


彼女に続くように何人かのメイドが同じように謝罪を口にした。


「あなたたち、どうしたの?」


「すみません、それは嘘なんです。あの、その頃、好きなひとがいたんですけど、彼は年上の女性を選んでしまったので悔しくてつい」


「奥様が聞いていらしたとは気づかず、申し訳ございません」


彼女たちは必死になって謝っているが、メイドたちのおしゃべりを勝手に聞いてしまったティーナにも非はある。


「謝らないで、わたしだって悪いのだから」


ティーナは彼女らにそう言ってから、


「それにしても夫婦に年齢は関係ないって知らなかったわ」


またひとつ新たな学びを得たわ、とティーナは笑顔を見せているが、セストとしてはそれで終わってもらっては困る。


「では、わたしのこともきちんと異性として意識してくださいね?」


セストはそう言ってティーナの髪をひと房とり、それに口づけをした。


彼の瞳には明らかな熱が込められており、それに気づかないでいられるほどティーナはもう子供ではなかった。


「そ、そうですね。まぁ、そのうち」


明朗快活なティーナにしては珍しくごにょごにょとした返事だった。


彼女のそんな様子にセストは内心でほくそ笑んだのだが、そんなことはおくびにも出さず、彼は今日もせっせとティーナを口説いている。





「おいで」


セストは先に馬にまたがり、ティーナに手を差し出す。


「お願いします」


彼女が伸ばした腕をセストは遠慮なくつかんで持ち上げると、自身の腕の中にすっぽりと収める。


互いの体温を感じられるほどの距離になったところで、セストは馬の腹をけり、ゆっくりと歩を進めた。




木漏れ日の差し込む小道を、馬は小高い丘を目指して軽快に登っていく。


馬による散策を始めた頃は、セストの体温が落ち着かなかったティーナも今では彼に身を預け、周囲の景色を楽しむ余裕も出てきた。


「見て、もう満開になってるわ」


先日来たときは三分咲きほどだった花々がすっかり咲きそろっている。


「この花は夏の間中、次々と咲きますよ。これから楽しみですね」


やがて目的地に着き、セストはティーナを馬から下すとそのまま横抱きにして歩き出した。


「セスト、降ろして」


「わたしがティーナを運びたいんです」


「でも重いわ」


「まさか。羽のように軽いですよ」


セストはそれを証明するかのようにティーナを腕に抱いたまま、その場でクルクルと回ってみせた。


「きゃぁ、止めて。落ちちゃうわ」


ティーナは慌ててセストの肩に手を回したが、もちろんこれも彼の狙い通り。


自らにしがみつく愛しい妻を腕に抱えて、セストは悠々とした足取りで丘に設置されている四阿に入った。




心地よい風が丘を吹き抜け、四阿の中をも駆け抜けていく。

眼下に広がる海には、何隻もの大型船が行き交っているのが見えた。


それぞれの船が所属する国の国旗が掲げられており、母国の旗にティーナはヒクソン邸へと思いをはせた。


「ラネッタ様やヘンリエッタは元気にしてるかしら」


「さぁ、どうでしょうね。便りが無いのは元気な証拠と言いますし、あちらはあちらで楽しくやってるんでしょう」


何の気なしにそう言ったセストだが、実は真っ赤な嘘だ。




ふたりからは苦情を訴える手紙が連日、届いている。

もちろんそれをティーナの目に触れさせるセストではなく、彼が目を通し、必要なだけの処置を施していた。



セストはこの国に移り住むにあたって、ティーナについてくるか、ラネッタに付き従って屋敷に残るかを使用人自身に決めさせた。


結果、常識ある使用人たちはティーナを選び、そうでない者はヒクソン邸に残った。


ラネッタが重用していた使用人たちは皆、仕事をさぼることだけは人一倍長けている。

誰もが仕事を嫌がる屋敷が正常に回るわけもなく、ラネッタから何人か使用人を戻すよう訴えが来ていた。


セストは新しい使用人を募集する許可を彼女に与えたのだが、そのひとたちはほんの数日で辞めていってしまうらしい。


それはそうだろう、元からいた使用人たちは労働を嫌っている。新しく入ってきた自分たちだけが働かされるような職場に居残る者はいない。


定着しない使用人たちにラネッタは頭を抱えており、それなら仕事をしない者たち数名を見せしめとして解雇してはどうか、と先日、人づてに伝えてやった。


そんなことをすればきっと残っている使用人たちは自主退職していくだろう。

解雇では紹介状をもらえないが、自ら辞めるなら内容はともかく受け取ることはできる。紹介状がないと次の勤め先を見つけることは難しいのだ。




「そうよね。ふたりは血のつながった親子なんだもの、きっと楽しく暮らしてるわよね」


ティーナの微笑みにセストも微笑みを返し、


「そろそろお昼にしましょう」


と言った。









ティーナが隣国に住まいを移して一年が過ぎようという頃、レイール公爵夫人との契約見直しのため、ティーナはセストと共に帰国していた。


久しぶりのヒクソン邸の空気は少し埃っぽい気がするが、それは仕方がない。


ここにはもう誰も住んでおらず、年老いた夫婦に管理を任せているのだ。


ティーナとセストの帰国を知らされた彼らは、窓という窓をすべて開けて、隅々まで掃除をして出迎えてくれたが、やはり使ってない屋敷のすえたにおいは数日で消えるものではない。


屋敷の管理ができなかったラネッタは結局、それから逃げるように貴族籍を抜け、砂漠の大富豪の愛人となった。


正妻は気難しく、すぐに悋気を起こすような女性だったが、それを上回るだけの贅沢はさせてもらえるようで、それなりに幸せな生活を送っているようだった。


ヘンリエッタも似たようなものでとある貴族の第三夫人として嫁いでいる。


こちらも正妻から相当いびられているようだったが、優秀な使用人がいなくなったヒクソン邸での暮らしが余程こたえたのか、美しく着飾ってちょっとした茶会ができるだけで満足しているらしい。


彼女らの縁談を調えたのはもちろんセストだ。


彼はモルガリー子爵の後押しもあって、無事、ラネッタとヘンリエッタをヒクソン家から排除することに成功した。


今後一切、ティーナがあのふたりに煩わされることはなく、それならここに戻ってきてもいいように思う。







公爵夫人との新たな契約締結を終えた数日後、セストはティーナに聞いてみた。


「せっかくだからこのままここで住むことにするかい?」


「そうねぇ」


ティーナは少し考えてから首を振った。


「隣国でも商売に支障はないし、あちらで暮らすことにするわ」

「そうなるとこの屋敷が空いてしまうね」


家というものは常にひとが住んでいるほうが長持ちする。現に長く空き家だったこの屋敷には修繕箇所がいくつも見つかり、業者に依頼を出したところだ。


誰も住まない家の修繕費など無駄でしかないのだが、ここはティーナの生家であり、おいそれと手放すわけにもいかない。


どうしたものかとセストが考えているとティーナがなんでもないことのように言った。


「実は貸家を探している方をレイール公爵夫人からご紹介いただいたの」


「いつの間に」


セストの驚きにティーナはくすりと笑った。


「だって、ここを空き家にしておくなんてもったいないんだもの」


いかにもティーナらしい言い分に今度はセストが笑う番だった。


「ははは。そうだね、確かにもったいないか」



普段は人の気配もなくひっそりと佇むヒクソン邸に、明るい笑い声が響いたのだった。

これでおしまいです、お読みいただきありがとうございました。

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