11.セストとヘンリエッタの噂
それから一週間ほどして、ティーナはようやくベッドから解放された。
幸いにも三日ほどで解熱したのだが、家令や使用人たち、それにセストまでもが彼女を働かせてはくれなかったのだ。
「奥様は少しお休みになっていいんですよ」
ティーナのベッドを整えにきたメイドはそう言っている。
「でも問い合わせはたくさん入ってきてるでしょう?」
ティーナは心配したが、
「セスト様が処理されていますわ。いずれこの家に入るからとご実家で勉強をなさっていたそうで。頼もしい旦那様ですね」
モルガリー家にはセストの教育を依頼していない。
若くして爵位を継ぐ彼は伯爵として過ごす時間が長く、婿入り後にゆっくりと覚えてもらっても十分間に合うと考えていたからだ。
思いがけずセストの努力を垣間見たティーナは、彼なりに真剣に考えた結果の婚姻だったのだと改めて感じたのと同時に、それが政略結婚になってしまったことを申し訳なく思ったのだった。
元気になったティーナはその日、商品の在庫状況を確認するため、ヒクソン家が経営する商会に顔を出していた。
届けられたばかりの品物を従業員と一緒に確認していると、ちょうど店内から知り合いの夫人が出てきた。
「まぁ、ティーナ様。伏せっておられたと聞きましたが、お元気になられましたのね」
「ご心配をおかけしました、この通り、回復しましたわ」
「でしたら、少しばかりお茶をご一緒しませんこと?すぐそこのカフェに予約をしてありますの」
是非、とティーナが答えるより先に従業員が言った。
「奥様、その、あちらにも検品が必要な品物が届いております」
彼の指さすほうにはいくつかの木箱が積みあがっていたものの、それほど大きな箱ではなく、手分けすればすぐに終わりそうな量だった。
「戻ってから見るわ、少し出てくるわね」
ティーナはそう言って夫人と一緒に、少し離れた場所にあるカフェへと歩いて行った。
店内には大勢の女性客がいて、そのうちのひとりが手を挙げて合図をした。
「こちらよ」
それはティーナも知っている夫人であり、見れば他にも数人の女性が席についていた。
「ちょうどティーナ様とお会いできたからお誘いしましたの」
夫人の言葉にティーナは挨拶をした。
「皆様、お邪魔いたします」
「ティーナ様でしたら歓迎いたしますわ」
「どうぞお座りになって」
ティーナは勧められるままに席に着き、給仕されたお茶を飲んだ。
「もう体調はよろしいんですの?」
「はい、少し疲れがたまっていたようで。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑なんてかけられていませんわ。ティーナ様がいらっしゃらない間はヒクソン伯爵が窓口になって。きちんととりまとめてくださいましたわよ」
夫を称賛する言葉にティーナは微笑んだ。
「彼は子爵家にいたころから商売について勉強をしてくれていたようです。良い方と縁づくことができて、とても嬉しく思っております」
ティーナなりの精いっぱいの惚気に夫人たちは顔を見合わせ、気まずそうな表情を浮かべている。
冷やかされることを覚悟していたティーナだけに彼女たちの反応は意外過ぎた。
「あの、なにかありまして?」
ティーナの問いに夫人たちは目くばせしあっていたがやがてそのうちのひとりが言いにくそうに切り出した。
「ティーナ様の義理の妹という方が、セスト様と愛人関係にあると噂になっていますの」
あまりのことにティーナは言葉を失い、やっと絞り出したのが、
「ヘンリエッタとセスト様が?」
というつぶやきであった。
「お名前は存じませんけれど、この前の夜会で一緒に出席していらして。その、彼女は『セスト様を支えたい』とおっしゃったから、つまりそういうことなんだろうと」
夫人の言葉にティーナは驚いた。
ヘンリエッタとセストが連れだって夜会に出たことは聞いていないし、そもそも夜会の存在すら自分には知らされていなかった。
しかしセストがヘンリエッタを愛人に据えたというなら正妻である自分に言えるわけがなく、伏せられていたのは仕方がないことだ。
先ほど、従業員がお茶に出かけようとするティーナを引き留めようとしていたのも、この噂を聞かせないようにするためだったのかもしれない。
だとしても、姉妹の両方を正妻と愛人にするなど非常識もいいところだ。
ティーナはセストをそんな人物だと思っていないが、ヘンリエッタを想っている彼にはこうするしか道はなかった。
「そうでしたの。わたくし、何も知らずに。お恥ずかしいですわ」
ティーナは淑女らしく悲しそうな表情を作ってそう言い、場の雰囲気を変えようと新しく取り扱いを始めた商品の話をし始めた。
案の定、彼女らはそれが知りたかったようで、セストとヘンリエッタについてはそれきり語られることはなかった。
お茶の時間を終えたティーナは夫人たちと別れて商会に戻ると、残りわずかになっていた商品の検品を手伝い、屋敷へと戻った。
「おかえりなさいませ」
出迎えたのは家令でティーナは何でもない顔をしてセストのことを聞いた。
「ただいま戻りました、セスト様は今、どちらにいらっしゃるかしら」
「旦那様はモルガリー家にお出かけにございます」
モルガリー子爵にヘンリエッタとの関係を説明しに行っているのかもしれない。
夫の愛人を認めている正妻は多い。姉妹というのはいただけないが、せめてティーナが認めた仲であることを公表すればダメージは少なくできる。
その為に彼はまず、実の父親である子爵を味方につけたいのだろう。
しかし、そんな根回しをせずともティーナは了承するつもりでいた。
セストとは政略結婚なのだ、彼に想う女性がいるのなら、応援するのは当然だ。
「お帰りになられましたらお知らせしましょうか?」
家令の言葉にティーナは首を振った。
「いいえ。でもセスト様がお話があるとおっしゃったら、いつでも呼んでください」
ティーナは家令にそう言付けて執務室へと向かった。
モルガリー邸を訪れたセストは開口一番、子爵に叱られた。
「姉妹同時に抱くなど、悪趣味が過ぎるわ!」
「違います、わたしはティーナ一筋です」
「そんなことはわかっている。だが、社交界では真実は重要ではない、周囲からどう見られているかが重要なんだ。
そういう観点からみたら、お前は妻とその義妹の両方に手を出す最低な夫だな」
子爵にきっぱりとそう言われ、セストは言い訳もできない。
まさか、ヘンリエッタが夜会についてくるとは思わなかった。
彼女を送り出したのはラネッタだろう、ラネッタが裏で糸を引く限り、ヘンリエッタはきっとセストをあきらめない。
「あの家は後妻とその娘がガンだ、ふたりを排除しない限り解決はしないぞ」
子爵に言われずともセストにも分かっている。しかし肝心のティーナがふたりを見捨てようとはしないのだ。
セストはティーナに、敷地内に別棟を立ててそちらにラネッタとヘンリエッタを移してはどうかと提案したのだが、あっさり却下された。
「部屋ならいくらでも余っていますもの、別棟なんてもったいないわ」
そして、そんな金があるのなら商隊の人数を増やしたい、と言うのだ。
「廃村での野盗の動きが活発になっているようです。大きな街に人口が集中している現状では仕方がないのかもしれませんが、せめて護衛の人数を増やして安全に旅ができるよう考慮しませんと」
それで結局、新たに数人の護衛を雇い入れてしまい、別棟を建てる資金はそちらに充てられてしまった。
苦い顔をしているセストに子爵が言った。
「子供の頃に行った別荘を覚えているか?」
急な話にセストは訝しげな顔をしながらも答えた。
「もちろん覚えてますよ、海を隔てた向こう側の国の別荘ですよね?」
「あれをお前にくれてやる、結婚祝いだ」
何でもない顔で子爵は言い、セストは一瞬の間のあとで彼に礼を言った。
「ありがとうございます、父上」
「今度こそうまくやれよ」
「必ず」
セストは決意を込めて言った。
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