56、月に輝く魔術学院
「あー、ごめんね。マレちゃん的にはもっと時間があった方がいいんだろうけど、上がちょっと、ね」
「だ、大丈夫です。メモがあれば、割と読めるんで」
翌日、また暇をしているところにグランシアさんの呼び声がかかり、執務室で話を聞く。
「私も食いついてくれた方がよかったけど、思った以上に深く食いついちゃってね。まさか『アルティッシウス教授』が目をつけるとはねー」
「………なんか、よくないんですか?」
「いんや? 悪いわけではないよ。ただ、私的にはちょっと嫌な奴が来ちゃったなーって感じ。マレちゃんが気にすることじゃないよ」
割と色んな人と友好関係を持っていそうなグランシアさんが嫌う人とは、どんな人なのだろうか。
と、ここで、部屋の前からガチャガチャと金属音が聞こえた。
ドアに目を向けると、予想通りアイリスさんが入ってくる。
「アイリス、到着した。我が主、話とはどのような?」
「おはよう、アイリスちゃん。アイリスちゃんにはマレちゃんに学院までの道のりを教えて、合わせて護衛も頼みたくてね」
グランシアさんはそう言いながら机の上に地図を広げる。
地図はどうやらこの国全体の街並みが記されているらしく、大きな白い丸を中心として、蜘蛛の巣状に複雑な道が広がっていた。
「我が主、入学はまだ先の話では………?」
「学院が結構な圧をかけてきててね、断ったら支援金が減らされそうな勢いだよ」
「なるほど、理解した」
「ありがとね、アイリスちゃん。それで、マレちゃんの通学路だけど………」
グランシアさんは唸りながら、地図上の道をなぞる。
地図に書いてある文字をメモを見ながら読むと、グランシアさんはここ冒険者ギルドと中心の丸との道をなぞっているのが分かった。
どうやら、中心の丸が学院らしい。
「んー、やっぱり良さそうな道はないね〜。でも、寮に入れさせるわけにも行かないし………」
「え、普通に通うのはダメなんですか?」
「まー、普通の学生ならね。でも、学院側が意外と騒いじゃってね。要は、マレちゃんが学院に行こうとしてるのが不特定多数にバレちゃったわけだ。サンドワームの卵も、それを持ってるサンドワームの亜人の存在もね」
つまり、誘拐拉致、窃盗のターゲットにされてしまったわけだ。
だが、入国時の門見たゴーレムが警戒しているはずでは………
「考えてることは分かるよ。でも、ゴーレムは大体軍事用で警察は全然持ってないし、そもそも街中では起動できないしね。比較的治安がいいだけで、犯罪が全くないわけではないんだよ」
「あれ? でも、ライムは犯罪はない的にことを言っていた気が………」
「………あの子は、優しすぎるから」
どこか愛おしそうに、そして悲しそうにグランシアさんはそう呟く。
その複雑な感情が渦巻く表情は一瞬で消え、いつもの笑顔になった。
「それで、どうしよっか。アイリスちゃんを酷使するのは嫌だし………」
グランシアさんは再び唸り始める。アイリスさんも良いアイディアが浮かばないのか、深い息を吐いて動かない。
しかし、俺の耳は新たな足音を拾い、その足音の主がこの状況を打破すると考えた。
「おい、向こうにマレがいなかったが………どうした、皆して難しい顔をしおって」
「あ、ライムちゃんお帰りー。いやー、学院がマレちゃんの入学を急かしててね。通学路をどうしようか考えてるんだよ」
「あ、で、ちょっと思いついたんですけど………」
意を決してそう発言すると、皆の視線が一気に俺に向く。
いきなり注目されて少し声が震えてしまうが、それでも自分の意見を出す。
「あ、あの、ライムは一緒に、学院に入れない、んですか?」
「え? ライムちゃんと一緒に入学したいってこと? 確かにそれなら安心なんだろうけど………ライムちゃんはいいの?」
「そう、か………………いいぞ。初級者に魔術を教えるのも悪くない」
ライムは少し悩んだものの、それでも快諾してくれた。
あの洞窟内で見せた魔術を連発できるライムが護衛につけば、大抵の敵対者は切り裂かれるか空に打ち上げられるだろう。これで、通学路も安心のはず。
「というか、ライムちゃんと一緒なら、もう寮に入っちゃえば? ライムちゃんが四六時中面倒見ることになるけど、その方が私としては安心かなぁ」
「む、そうか………………それなら、そうするか。つまらん者どもにこいつを取られるのは癪だからな」
ということで、入学までの間の一週間、ギルドで文字や魔術の勉強に集中することになった。
ただ、グランシアさんやアイリスさんは仕事があるので俺に付きっきりになることはできず、ライムも手続きやその他雑事で、ずっと俺の勉強を見るのは不可能だった。
一週間後、結局そこまで学習が進んでいないまま、学院に向かうこととなった。
「………ご、ごめん、ライム」
「ふん、魔術の精密操作と考えれば、そこまで苦ではない」
人混みの騒々しい声から耳を保護するため、ライムの風魔術で周りの音をシャットアウトしてもらいながら、大通りを進んでいく。
進むにつれて学院の制服らしい紫色のローブを着た人が目に見えて多くなる。それに伴い、魔術書や杖の店も増え、ここが本当に魔術の国だというのが実感させられる。
「これで感動していると、学院に入ったら感動の涙で目の前が見えなくなるぞ。ここらはまだ国外への輸出品が主な物ばかりだからな」
「………国外用と国内用で、何か違うの?」
「違いも何も、素人でも一目見れば品質の違いがこれでもかと分かるぞ。お前が持っているその杖も、学院から支給されるものを使えば、それがただの棒切れであることも痛感できるはずだ」
そこまでの違いがあるらしい。ただ、そこまでの粗悪品を、なぜ輸出用にしているのかが分からない。普通なら、利益を大きくするために品質の良いものを輸出するはず。
「まあ、魔術を専門としないやつはその杖で十分だろう。逆に、魔術を専門とするなら、この学院に入らなければならない。それが、魔術士への近道だからな」
いわば、市場の独占状態なのだろうか。
社会の授業で習った気がするが、あまり思い出せない。しかし、その状態は良くないことは覚えている。
「ふん、今更学院と競争するやつなんていないだろう。いたとしても、完膚なきまでに叩き潰され、見せしめにでもされるだろうな」
「………普通に怖くなってきたんだけど。え、これからその学院に入るの?」
「安心しろ。学院は魔術を学ぶ者に対しては寛容だ。それ以外には厳しいがな」
話しながら歩いていると、ようやく学院が見えてきた。
太陽もないのに常に満開に輝く巨月の真下、その光を一身に受ける学院は、結晶のように美しく、荘厳で、巨大だった。
「ただの虚栄で、虚飾で、何の意味もないと知っていても………やはり美しいな」
学院はバルデルハラ街の城館よりも白く、いくつもの塔が月へ伸びるように建ち、一際大きな塔は月に触れそうなほど高い。
その下には回廊のような通路が何本も塔と塔を繋いでおり、まるであみだくじ、もしくはジャングルジムのように複雑になっていた。
「ここがネテリウネス魔術学国、その総本山である魔術学院だ」
「君がマレ君か! この魔術学院に来てくれて感謝するよ!」
学院を囲む高い壁に一つだけ開いているらしい門の前に着くと、そこで待っていた『ヘネレンシー教授』と名乗った女性に迎えられた。
その女性も紫色のローブを着ていたが、その下は学生服ではなくスーツのようなピシッとした服だった。
「ささっ、学園長が待っているよ。私の手を取って」
「………さすがに、耐えるだろう」
ヘネレンシー教授が手を差し出し、ライムは一瞬俺の方を見たが、それ以上何も言わずにヘネレンシー教授の手を掴んだ。
不思議に思いつつも俺も手を取ると、ヘネレンシー教授は目を閉じて小さく静かに詠唱を始めた。
「ん、詠唱は終わった。それじゃ、飛ぶよ」
「え、飛ぶってどう───」
俺の言葉が言い終わらないうちに、周囲の景色が歪む。
それだけではなく、自分の身体もこねくり回されているようにぐにゃりと曲がり、感覚もごちゃごちゃするようなよく分からないものになる。
長いようで一瞬だったその感覚はすぐに消え、周りの景色も先ほどとは全く異なっていた。
しかし、俺にそんなことを気にする余裕はなかった。
「ん、んぶぅ………」
「耐えれなかったか。少し座っておけ」
先ほどの洗濯機に入れられたような感覚のせいで、吐き気が喉まで込み上げる。
吐いた方が楽なのだろうが、知っての通り、俺の胃酸は強力すぎる。ここがどこか分からないが、溶かしていいものなど国内にないだろう。
「あ、ご、ごめんなさい。まさかそこまで転移酔いに弱いとは………」
「て、転移酔い………?」
その言葉を聞き、周りを見渡してみる。
すると、ここはすでに門の前ではなく、暗い色の木材で造られた廊下の中心だった。
転移、つまりは転移魔術なのだろう。俺はそれに酔ったらしい。
「………少し時間は押すけど、休んでいこうか。ごめんね、初日にこんな目に遭わせるなんて」
「いえ、だ、大丈夫、です。もう収まってきましたから」
ピリピリする喉を無視し、尻尾も使って立ち上がる。
しっかりと掴んでいたからか、手に持っていた荷物は落としていなかった。
「………まあ、君がそう言うなら、行こうか。学園長が待っている」
少しふらつくものの、バランスを取ってヘネレンシー教授についていく。
しばらく歩いていると、廊下の突き当たりに、大きな両開きの扉があった。
その目の前まで着くと、ヘネレンシー教授が声を張り上げる。
「植学担当、『縛茨』のヘネレンシーです! 新入生を連れてきました!」
その声に応えるように、扉が一人でに開いていた。
中はギルドの執務室に似ているが、こちらの方が比べようもなく広く、そのスペース分、調度品が多く飾られている。
それに囲まれ、一番奥に机があり、その前には一つの椅子が置かれていた。
「ヘネレンシー教授、ご苦労様です。もう下がってもいいですよ」
「ありがとうございます! では、私はこれで」
机のさらに向こうに立っていた女性がそう言い、ヘネレンシー教授はそそくさと廊下を戻っていた。
俺は無言で部屋に入るライムについていき、椅子の手前で止まる。
「ライム・ウィンダリア。君についての報告はすでに聞いています。反省は、していますか?」
「………分かりません。ただ、あれは成るように成った。それだけだと、考えています」
ライムが敬語を使っている。かなり意外だが、そう思わせるだけのオーラが、目の前の女性にはある。
深淵を思わせる真っ黒な肌に、満月のように白く長い髪、太陽のような黄金色の瞳を持ち、白色のローブを羽織っている。ローブの下はドレスのような透き通った水色の服を着ており、局部はかろうじて見えなくなっている程度だった。
そんな際どい姿だというのに、そういう欲は一切湧かず、ただ美しいという感想のみが思考を支配する。
「ふふ、新入生は開いた口が塞がらないようですね。そんなにライム君が敬語を使っているのが意外ですか?」
「あの、学園長に見惚れているだけだと思います………」
そのやり取りを聞いてハッと我に返り、学園長から目を離す。
そうでもしないと、また固まってしまうと感じたからだ。
「それは嬉しいですね。さあ、立っているのもなんですし、そこの椅子に座ってください」
「は、はい………!」
そう促され、椅子に座る。ライムはそのそばに寄ってきた。
ここで少し一息つこうとしたが、下がった視界の端には、学園長の水色のハイヒールが見えた。
「少し、顔を上げてもらってもいいですか?」
それはお願いではなく、命令。そう感じるだけの覇気に当てられ、思わず顔を上げる。
当然、そこには学園長の顔があり、その透き通るような瞳と目が合う。
しかし、その瞳をどこかで見たような気がした。俺よりも小さいはずなのに、ギルドマスターという大層な職に就いている、あの少年の瞳を。
「………ふふ、美しい瞳ですね。あなたが魔術の夜明け、その一端を担うほど成長すると、期待していますよ」
どこか意味深にそう微笑み、学園長は机に戻る。
ただ見つめ合うだけでだいぶ体力を消耗したらしく、俺の息は少し荒くなっていた。
「私の話はこれで終わりです。寮や授業に必要な物は、学寮食堂で待機しているアルティッシウス教授が説明してくれるでしょう。ライム君、君に案内役を頼みたいのですが、いいですか?」
「分かりました」
「では、今日はこれで。良い学院生活を」
話が終わったのを確認し、逃げるように部屋から出る。扉は勝手に閉まり、あの全ての呑み込むような気配の一切が消えた。
「ふう………」
「お前も、そうなるか。私も、勝てるどころか一撃さえ与えられるか分からん」
互いに疲れ切った顔を見合わせて少し笑い、ライムの案内に従って歩き始める。
できればだが、もう学園長には会いたくない。
「と、思っているのでしょうかね」
私はもっと、あの子を見ておきたいですが。
まあ、本人が嫌がるのなら、やめておいた方が良いでしょう。
「あの子が突破口になると良いですが、どうなりますかね」
上を見上げて、あの子に語りかけます。
声が届かずとも、それでも。
「あなたがそうなったのは、魔術のせいです。ならば、同じ魔術によって、あなたを解放できるはずです」
そうでなければ、私のやることは無意味になってしまう。そんなはずが、ありません。
「ですが、これでもう何人目でしょうか。確か………3608人、でしたかね」
私がこの目で有望と判断し、そして私の目的に関しては無価値だった人数です。彼らは優秀であり、天賦の才も持っていました。ですが、それだけです。
「今回は焦ってしまいました。私の悪い癖ですね。ですが、絶対に時間切れはあります。それがいつになるか、もしかしたらすでに迎えているのかもしれませんが………この目で見るまで、私は諦めません」
諦めてはならないのです。
私は、あなたの灯火になると決めたのですから。
「待っていてください。私が必ず助けますから。だからどうか、生きてください。そこがどれだけ苦痛に満ちた場所でも、生きてください。あなたには、幸福になる権利があります。ないとおかしいです。そうでしょう? ネル」
もう生きてるかも分からない彼女に、語りかけます。語りかけるしか、ないのです。
「学院の招待を受けていただき、感謝します。ここであなたを差別する者はいません。万が一そのような者がいた場合は、遠慮なく私を呼んでください。私が然るべき対処をします」
もはや屋外にすら思えるほど天井が高く広い食堂で、白衣を着た細身の男性からそう言われる。
どうやら、この男性がアルティッシウス教授らしい。
「お前が言われたのは寮と授業物に関してだけだろう? そこまでの仕事はないはずだが」
「はい、それは私の仕事ではありません。しかし、魔物学担当として、正しくない偏見から来る差別は根絶しなければならないと思っています」
一見すれば良い人だが、その濁った紫色の瞳の奥には、俺でも分かるほどの狂気が渦巻いていた。
グランシアさんがアルティッシウス教授を嫌だと言った理由が、少し分かったかもしれない。
「ひとまず、寮に必要な物は揃えています。あなたの部屋に案内しますので、ついてきてください。それと、なるべく今で道を覚えてください。ライムさんも、いつまでも一緒に学ぶとはいかないはずですし」
「え、そうなの?」
「………お前は初級部に入ることになるが、私はそこを6年前に卒業した。今更復習したところで、学びにすらならん」
「ええ、本当はライムさんは風魔学上級部二年生の授業を受けなければならないのですが、マレさんのために、特例で同じ学部に入ることになっています。ですが、それがいつまで続くか………」
そういうことなら、確かに道をしっかりと覚えていかなければならないだろう。
惜しむらくは、俺が道を覚えにくいということだ。前世はスマホ一つで解決できていたことなので、あまり改善もされずに残ってしまっている。
「安心しろ。上の奴らとてそうすぐに引き離したりしないだろう。まあ、別の奴をあてがう可能性はあるが」
「私も、そうならないことを祈るばかりです。さて、ここで話していてもあまり進みませんし、早速寮に行きましょうか」




