53、夜は冷たく朝日は遠く
「お前、結構細いんだな」
「う、うん、力は強いはずなんだけど」
「こんな細腕に、どれだけの筋肉が詰まっているんだか」
「あ、あの、ちょっと………」
「………お前も女だろう。今更恥ずかしがるものでもないだろうに」
なぜかこっちを見ようとしないマレの腕を離し、石鹸で自分の腕を磨く。
マレは尻尾を全身に巻き付けて泡立てて素早く洗い、私よりも早く湯船に浸かった。
「はあ~~………」
「………初めてではないのか? 亜人は大抵水を嫌うと思っていたんだが」
「ん~? ぅん、入ったことある~」
「こいつ、脳まで溶けてるだろ………」
しかし、マレの気持ちよさそうな顔を見ていると、こちらも入りたい欲求が強くなる。
私もさっさと泡を落とし、マレの横に座り込んだ。
「ふう………おい、寝るなよ」
「ん? うん………」
あの恥ずかしがりようもどこへやら、マレは半目開きで肩まで湯に沈んでいる。
もしかしたら自分を殺すかもしれなかった人物が真横にいるというのに、呑気なものだ。
『ねえ、なんで? もう放っといていいじゃん。別に大事な人じゃないんでしょ?』
グランシアの言葉が脳裏に反響する。
あいつが言っていることは本気だと分かっていた。私と一緒に旅をしたいことも、マレのことをただの塵芥にしか思っていないことも。
だが、あいつには悪いが、私は一人が好きだ。独りではない、一人だ。私も人との繋がりは欲しい。ただ、あいつのようにグイグイ来る奴はあまり好きではない。
『なら、直すから。今までみたいに干渉しないから………』
『正直に言おう。私はお前が好きじゃない。お前がどんな感情を私に向けているか分からんが、私がそれに応えることはない』
『そ、んな………』
いや、本当はあいつが私をどう思っているか、ひしひしと感じられた。
それでも、私はあいつを否定した。
自分のためではなく、あいつのために。
「人はかくも脆き、脆弱なものだな………」
「………………ん? ライム? 沈んでるよ? ちょ、起きて起きて! 溺れるって!」
ああ全く、考えるべきことが多い………
「これがのぼせるってやつ?」
「………すまん」
ここの冒険者ギルドのギルドマスターからなぜか不服そうに「使ってどーぞ」と言われた部屋のベッドで、頬が赤くなっているライムを寝かせて尻尾で扇ぐ。
「考え事に集中しすぎてしまった。昔からの私の悪い癖だ」
「まあ、それだけ大事なことだったんでしょ」
「………ああ」
そのまましばらく、冷たい夜の静寂が火照った身体を冷ましていく。
カーテンが揺れる窓の外の夜空には、何年もそうしてきたのだろう星々が輝いていた。
その静けさのせいか、頭の中では先ほどの風呂の光景が浮かび上がる。
グランシアさんにちょっと臭うからと入れてくれた風呂は、魔術学国だからか前世と大差ないレベルになっており、ややお湯が出にくい以外は普通に使えた。
ただ、一つ問題があった。
同性だからと、ライムも一緒に入ってきたのだ。
一応、俺も見ないようにしたが、ライムが風呂に沈みかけたときはさすがにそんなことを気にする余裕はなく、がっつり見てしまった。
そのときのことを思い出してしまい、顔が熱くなるのを感じる。
それをごまかすために窓に顔を向けた。
夜の小さな微風が、少しずつ頭を冷やしていくのが分かる。
「………なぜ常夜なのか、分かるか?」
突然ライムがそんな言葉を発したので何を思い出しているのかバレたかと思ったが、ライムは窓に目を向けていた。
ひとまず安心して、ライムの質問を考える。
確か、最初の魔導師がどうたら言っていたので、それ関連だろうか。
「まあ、遠くはないな。初代魔導師であるネル・ラリウスが最初の魔術を編み出したのが、こんな夜だったそうだ。それだけの理由で、膨大な魔力を消費してこの夜が映し出されている。本当の空を塗り潰しながら、な」
ライムの言葉には、少しの怒気と諦念が含まれていた。
俺にとっては珍しいただの光景だが、ライムには別の何かに見えているらしい。
「まあ、空は同じではあるが、それを見た人間が抱く思いは人によって違うということだ。私とお前が違うように、私とグランシアも、違う」
「はあ………」と、ライムが深いため息をつく。
俺より幼いはずなのに、俺よりも大人びた言動のライムは、その小さな身体に何を背負っているのだろうか。少なくとも、転生して人々に助けられながら運よく生きられている俺とは、重みが全く違うだろう。
ライムだけではない。向こうのギルドマスターも、セーネインさんも、ギンセイジュ団団長も、副団長も、アスアサも、タモティナも、皆その身に想いを宿し、それでもしっかりと歩いている。
じゃあ、俺は? ただ生きてきただけの俺は、一体何を背負っているのだろうか。
「………おい、尻尾が止まっているぞ。この国は閉じ切っているせいで風が起きにくいんだ。ちゃんと扇げ」
「あ、ごめん」
いつの間にか垂れ下がっていた尻尾を上げ、また左右に揺らす。
まあ、あまり深く考えることでもないだろう。俺が誰かの想いを背負うなど、ありえないことなのだから。
「んもー、それを早く言ってよー。あのクズどもの敵なら大歓迎!」
「むぎゅっ………!?」
回復したライムとともにグランシアさんの執務室に入り、向こうのギルドマスターの名前と紋章、そしてここに来た経緯を話すと、不機嫌だったグランシアさんは途端に元気になり、俺を抱き上げた。
服のせいで分からなかった豊満な胸が俺の顔を押し潰し、呼吸を妨げる。
「む~~………!」
「おい、窒息させるな」
「あ、ごめんごめん! それなら、もうずっとここにいてもいいよ。あ、飴ちゃん食べる?」
聞きながら押し込まれた飴玉はこの世界に来てから初めての甘いもので、久しぶりの甘味に思わず動きが止まる。
「あれ? 止まっちゃった。もしかして、飴ちゃん初めてだった?」
「他国では砂糖は貴重だからな。大量に砂糖を消費する飴自体がないんだろう」
我に返り、お礼として頭を下げる。
グランシアさんは「いーよいーよ」と言っているが、もはや感動を覚えるほどのこの味は、頭を下げずにはいられない。
「だからもういいって。それで、これからどうするの? 向こうが大丈夫になったら連絡が来ると思うけど、それまで何するの?」
「私は一度学院に戻ろうかと思っている。ブローチのことも届けねばならんし、妹の様子も見に行きたい」
「え? あ、そっか、ライムちゃんは三女だったね。やっぱり末っ子は心配?」
「心配、というより、レモンが家を破壊していないかの確認だな」
「え、そんな魔性の女って感じなの?」
「あ? 違う、そっちじゃなく、物理的にだ」
「………やっぱり司貴家って化け物だらけだねぇ」
飴を口の中で転がしながら、ライムとグランシアさんの会話を聞く。
ライムの妹の名がレモンということは、ウィンダリア家の名前は全て柑橘系なのだろうか。というか、この世界にも柑橘系が存在するのだろうか。
「んで、亜人ちゃんはどうするの?」
「………ん、あ、自分ですか?」
「うん、やることないなら、私から提案があるんだけど」
「えっと………………はい、特に予定はないですね」
思い返してみるも、これからやらなければならないことはない。強いて言えば卵の換金や言語の勉強だろうが、どちらも急いでやるものでもない上、冒険者ギルドに泊まれることになったので卵の換金はやらなくてもいい。
「そういうことなら、亜人ちゃんも入学してみない? 魔術学院に」
「………え? いや、え?」
「あー………こいつはまだ文字が読めん。さすがにお前の推薦でも入れないと思うぞ」
「なら私が教えてあげるからさ」
「予約はどうした。待っている相手がいるんだろう? ほったらかしてもいいのか?」
「そこは上手いことやる。待ってるって言っても、相手も時間の都合があるし」
「あの、なんでそこまで?」
鼻息を荒くするグランシアさんに、そう問いかける。
普通、学校というものは我が子を教育させるもので、見ず知らずの赤の他人を入れるのはよく分からない。また、入学にもお金がかかるはずだ。卵で補えるとしても、そこまでの出費を抱えて行く意味が分からない。
「あー、まあそうだね。入学金でも結構かかるし、施設整備費とかもよく変動するって言うし。でも………」
「でも………?」
「私が見たことがない亜人ちゃんが作る魔術って、絶対面白いじゃん? だから、魔術を作れたら私にも教えてほしいなーって」
「おい、魔術を舐めるな。そんな簡単に魔術が作れたら、大半の学者や研究者はいらなくなるぞ」
「それは分かってる。けど、万が一ってあるじゃん?」
つまりは、俺に魔術を学ばせて、俺独自の魔術を作ってそれを教えてほしいと。
全く魔術を使ったことがない俺が作る側に回れるのは、一体どれくらいの時間が必要なのだろうか。
「でもまあ、やることなく過ごすよりはいいじゃん? 魔術も使えないよりかは使えた方がいいし」
確かに、それはそうだろう。しかし、それだけの理由で多額であろう学費を払わせてしまうのは気が引ける。
そう思っているのだが、グランシアさんは向こうのギルドマスターと同じようにキラキラと目を輝かせていた。
「あ、えと、はい、入ります………」
「よし、決まりね! それじゃ、今日はもう遅いし、さっきの部屋で休んでね」
さすがに仕事が溜まっているのか、グランシアさんに「また明日ね」と執務室を追い出され、廊下に出る。
ライムも同じように押され、すぐに部屋へと歩き始めた。
その後を追い、窓から差し込む月の光で薄く照らされる廊下を並んで歩く。
「………よかったのか? 魔術は厳しいぞ」
ふと、ライムがそう言う。
魔術がどういう規準、規則で発動するのか分からない。そういう面でも厳しいだろうが、俺が使えるどうかぐらいは知っておきたい。
「………暇だったら、教えてやる。学ぶならしっかりと学べよ」
「うん、できるとこまでやる」
そう返答し、その後は無言のまま部屋に着いた。
使用人でもいるのか、いつの間にかベッドがもう一つ用意されており、毛布もシーツも整えられている。
「明日に備えてちゃんと寝ておけ。やることが多いからな」
「了解。卵も換金しときたいしね」
部屋の隅に置いていた防寒着の包みを解き、中の卵を一つ抱え上げた。
こんな拳大の石みたいな卵が高額で売れるとは到底思えない。しかも、俺の体内から出てきたものだ。なんというか、自分の便が売れると言われた気分になる。
「んー………………いや、まさかなぁ」
不意に浮かんだあり得ない考えを、一応確かめるために卵を窓から差す月の光にかざす。
石のように硬い卵は、それでも光が透けて中が見えた。
「………ねえ、ライム、ちょっといい?」
「あ? なんだ? 私は寝ろと言ったはずだが?」
「いや、まあ、それはそうなんだけど、これって大丈夫なやつ?」
「ああ? 何がだ?」
いらついた声を出しながらも、ライムはベッドから降りて俺の隣に来てくれる。
そのライムに卵を見せた。中に太い一筋の線が見える卵を。
「これは………………高額なんてものじゃない。この国でもお前しか持っていない最高級の一品だ! あ、まさか………!」
何かに思い至ったらしいライムが防寒着の中を漁り、残りの卵も月光の下に晒す。
すると、その卵全てに同じような線があり、眩しそうにブルッと身を捩った。
「………ねえ、これってさ、ヤバイ?」
「………サンドワームは卵生で、産み落とされた卵は砂の奥底に隠されることが分かっている。サンドワーム自身は子育てをしないが、孵化するまでの間、親は卵の周りを回るように常に警戒する」
「え、ちょっと?」
なぜかライムが解説パートに入った。説明したくなるほどヤバイものなのだろうか。
………ヤバくて説明したくなるのは意味不明だが。
「だが、サンドワームは十分な栄養を摂るか、群れでいるときしか卵を産まん。砂漠で十分な栄養を摂るのはほぼ不可能な以上、卵を手に入れるには群れに突っ込むしかない。本当に卵があるかどうか分からん群れにな」
そこで言葉を切り、ライムは俺の方を見る。
まるで、信じられないものを見るように。
「………お前は、これをどこで手に入れたんだ?」
「………………そう、だねぇ。とりあえず、その子達は亜人ちゃんが育てよっか」
「え、えぇ? 自分が、ですか?」
「だって、その卵は亜人ちゃんが産んだんでしょ? 子どもはちゃんと親が見ないと」
「親………親なんかなぁ………?」
翌朝、変わらず輝く月光が満ちる執務室で、グランシアさんが俺に全ての卵を抱えさせる。
あのときはとりあえず睡眠を取った方がいいということで眠ったが、起きたときに改めてヤバイことを理解し、テンパって自分で口を滑らせてしまった。
俺の言葉を聞いたとき、ライムもグランシアさんもあんぐりと口を開けていた。
「まさか、そんな顔でやることはやっているとは………」
「やってない! 絶対にヤッてないし、絶対にヤらん!」
今はこんな身体だが、前世は男子高校生だ。童貞を捨ててもいないのに、先に処女を捨てる事態には絶対になりたくない。
「んー、とりあえず子育ては任せるとして、その記録を学院にチラつかせて入学する? こんな記録対象、これまでもこれからもないと思うから、すぐに食いつくと思うけど」
「あー………文字の勉強からで、いいですか? あの、まだ全然覚えてないんで………」
「りょーかい。それじゃ、亜人ちゃんには私の専属護衛をつけるから、その人から文字を学びながら卵の記録をさせてちょうだい?」
「あ、はい、分かりました」
しかし、確かサンドワームを研究する人は少ないと聞いていたのだが、なぜそこまで高価値なのか分からない。
生態を研究して、襲われないようにするとかそこらへんに使うのだろうか。
「………なぜここまでの価値が、と疑問に思ってそうな表情だな。いいだろう、私が説明してやる」
疑問に首を傾げていると、ライムが察してくれたのか、説明をしてくれる。
「まずは、生態研究などでサンドワームの生息範囲を特定し、交易路の安定ができることだな。魔術学国とはいえ手に入らない物もある。デルンツ王国との取引も多い中、頻繁に襲ってくるサンドワームを回避できるとなれば、商人どもが諸手を挙げて喜ぶだろう」
先ほど俺が考えていたことと似ている。サンドワームの習性などを研究できたら、対処法が増えるのだろう。
「次に、それそのものの希少性だ。群れの中心、その砂の下に埋もれたあるかも分からない卵は、もはや都市伝説的存在に片足を突っ込んでいる。一部では、サンドワームは卵生ではない説もある」
都市伝説ということは、もう目撃例レベルだろうか。
というか、ライムはなぜこんなにサンドワームに詳しいのだろうか。
「最後に、それが全て受精卵ということだ。幼体から成体まで事細かに観察できる研究対象は、それだけで価値が高い。さらに、それが五つもある。対照実験のサンプルにもなるんだ」
受精した覚えはないしこれからする予定も未来永劫ないのだが、確かに命が宿ってしまっている。
しかも、それらは俺が背負うことになったので、実験に明け渡すことはない。
「ま、価値が高くても亜人ちゃんの子どもだから売ることはないんだけどね」
「んまぁ、はい、育て方は分かんないすけど………」
「亜人ちゃんがどんなものを食べてどう育ってきたかをその子達にすれば良いと思うよ」
ということは、小動物の肉とかがいいのだろうか。排泄はない上、消化スキルレベルも低いはずなので消化にも時間がかかり動きが少ないだろう。
………意外と育てやすいかもしれない。
「………私はもう学院に行く。用事を済ませてくるから、それまでの様子を記録しておいてくれ」
「うん、ちょうど私の護衛も来たみたいだし」
グランシアさんのその言葉と同時に執務室の扉が開かれる。
開く前から聞こえていたのだが、金属音をガチャガチャと鳴らす黒い鎧を着込んだ大きな騎士が入ってきた。その顔はいわゆるグレートヘルムによって隠されている。
「………アイリス、到着した」
「アイリスちゃん、昨日話した通り、しばらくはこの亜人ちゃんの護衛と文字の勉強の面倒を見てあげて」
ヘルムの中から響く低い声は、年齢こそ分からないもののどこか歴戦を思わせる凄みのようなものがあった。
その黒いヘルムが俺を向く。
「貴殿、名はなんと申す」
「え、あ、マレ、です」
「あ、聞くの忘れてた。マレちゃんねマレちゃん。うん、ちゃんと覚えた」
「我もしかと記憶した。それでは早速、文字の学びを始めよう。卵はそのまま抱えてついてきてくれ」
「あ、は、はい」
アイリスさんに促され、部屋を出る。
これから文字を学び、ある程度理解できるようになれば魔術を学ぶ。
それを思うと、少し心が躍り始めた。
なぜか子どもができ、デルンツ王国では追われる身になっても、それでも少しわくわくしていた。




