51、夜の帷に包まれて
「さて、時間がありません。一刻も早く街を出ましょう」
冒険者ギルドのいつもの部屋に着くなり、ギルドマスターがそう言う。
だが、色んな事が未処理だ。
「あ、あの、ニャテルさんの依頼は………?」
「依頼中に起こった謎の集団気絶と轟雷龍の襲来で依頼の取り下げをしました。やむを得ず、というより、貴女が十二分に力を発揮したおかげですでに十分な結果を得られたようです」
「あ、その集団気絶が起きた理由は………」
「現在、護衛だった下級騎士の方々が詳しく調べています。貴女が出る幕はないでしょう」
「で、でも………」
「それと、ハーマノさんがその布では動きづらいだろうと、専用の尻尾のカバーを作ってくれましたよ」
そう手渡された厚い布は、尻尾を包み込む袋のような形に、ベルトが付けられていた。確かにこの厚さなら地面との摩擦で擦り切れることはない上、ベルトのおかげで外れることはないだろう。
「いや、そうじゃなくて………」
「あの領主に目をつけられました。明日には、ここに街警団が押し寄せるでしょう。それまでに、貴女を脱出させなければなりません」
「え、あ、明日………!?」
しばらくは見逃してくれそうな雰囲気と思っていたのだが、そこまでは甘くないらしい。
それなら確かに、未だ幻覚の可能性もある曖昧な話をしてもあまり意味はないだろう。
「周辺の街はもうダメです。点在する水殿にも捜索が入るでしょう」
「レルン様、あの竜巣の近くはどうでしょうか?」
「あそこも行けません。僕達の行動履歴を遡れば、あそこも捜索対象になります」
「いっそ、国を出ますか? それなら確実に逃げられます」
「いえ、僕達はそこまでついていけませんし、そうなれば彼女を守る存在がいません」
元サンドワームということ、サイルガ家の紋章が刻まれていること、一人で生きていくには力や知識が足りないこと。
俺を縛る呪いは、いつまでもずっとこの身に刻まれている。
それならいっそのこと………
「リムさん、それは考えてはいけません」
気が付くと、セーネインさんが俺の顔を覗き込んでいた。
そのまま両手で頬を挟まれ、強制的に目を合わせられる。
「確かに、今は辛いです。貴女の種族的に人間と暮らすのは難しいですし、その紋章がいつまでも影を落とすでしょう。ですが、ここで諦めてしまえば、わずかに残る可能性すら捨ててしまうことになります。まだ可能性が残されているのなら、もう少し頑張ってみましょう?」
「………………はい」
だが、今の時点でその可能性が潰えそうなのも事実。ここから打開できるような画期的なアイディアなんて、俺には思いつくはずも───
「───あ、いや、いけるかも」
「いいですか? 貴女はネテリウネス魔術学国に帰還するよう命じられ、そのついでに荷物を運ぶだけです」
「はっ、これが荷物か? 随分と大きいな」
そう嘲笑するライムは、それでも俺の腰に手を回す。
「まあ、私としては従うだけだ。それに、私の身体が過積載の飛行にどれだけ耐えるのかも、知りたかったしな」
「耐えるのかではありません。耐えてください」
「ははっ、それがお前の呪いの言葉か? 言われずともそうするさ」
まだ星が残る肌寒い紫色の朝、外壁の真下で体勢を整える。
俺は向こうで金になりそうな自分の卵と数日間の食料、魔力を回復するための『ムギ薬』を、防寒着を袋代わりにして前に抱えている。
その後ろでは、ライムが俺を持ちやすい箇所を探しながら抱き着いていた。
「リムさん、防具も斧槍もありませんが、存分にこの私刑囚をこき使ってください。魔術の威力だけはレルン様を超えます」
「ほう? お前、本当の名前はリムだったのか。なるほどなるほど」
「過度な詮索も禁止事項にします」
しばらくして、ようやく持ちやすい箇所を見つけたのか、ライムの腕に力が入る。
「よし、行けるぞ」
「では、ネテリウネス魔術学国までよろしくお願いします。今、外壁の警備は交代時間のはずです。その隙を突いて………」
「おい、変な目のお前。ムギ薬はいくつ入れたんだ?」
「僕はレルンという名があります。………ざっと、十本以上は入れてます。貴女に魔力切れになっては困りますからね」
「それなら………」
ライムの腕にさらに力が入ったことに嫌な予感がし、荷物を落とさないようにギュッと抱き締める。
直後、ブッ───と周りの全ての音が途切れ、まるで重力が何倍にも膨れ上がったような感覚が全身を襲い、思わず目を閉じる。
「ははは! 目を開けてみろ! これが私の魔術だ!」
やけにはっきり聞こえるライムの声に従い、眠くないのに重い瞼を開けた。
「え、なっ、す、すごっ………!」
「そうだろう!? やはり風は操るのではなく乗るのが一番だ!」
もはや模型のように小さく見えるのは、先ほどまでいたはずのバルデルハラ街。この一瞬で、この高度まで一気に飛び上がったのだ。
遥か地平線には無数の砂丘が連なり、上り始めた太陽の光が薄暗い大地を砂色に染めていく。それに合わせて、空も少しずつ色を取り戻していく。
それはまるで、色のない世界に絵具を流し込むような芸術的と言うべき光景であり、そんな光景を前にして乾いた笑いしか出ない。
「世界は美しい。それは私達がどんな状況でも、だ。世界はいつでも、いつまでも廻っている。いつ始まったのかは誰にも分からん。だが、誰が死んでも、誰が生きていても世界は終わらない。なら、この美しい世界を楽しんだ方が有意義というものだろう」
気を遣ってくれた、のだろうか。
それを問う前に、下向きの重力が徐々に上に向く。つまり、落ち始めた。
「このまま全速力で行く! 私が失敗しないように祈っておくんだな!」
「え、いや、ちょっ───!?」
身体が下を向き、そのまま地面へ真っ逆さまに落ちる。が、まだ十分高度があるうちに横向きになり、広大な砂漠を飛んでいく。
力の向きは分かるのに全く風を感じないのは、ライムの魔術だろう。
「しばらくこのままだ。眠らんようにだけ気をつけておけ」
「わ、分かった………」
目の前を砂丘が高速で流れていく様を見てそう頷く。これを見ながら眠れるほど図太くない。
「………少し、休憩する」
太陽が真上に来た頃、ライムは高度を落として土交じりの砂に着地する。
長い間飛行しただけあって、遠くの地平線は緑色に染まっていた。しかし、それ相応にライムに疲労が蓄積している。
大きな岩陰を短い詠唱とともに風で吹き飛ばした後、そこにライムが寝転がる。薄暗い影の中でも分かるほど汗をかいているのが見えたので、尻尾を振ってささやかな微風を送る。
「ふう………お前は暑くないのか?」
「え? んまあ………あんまり?」
人型になっても熱耐性は健在で、俺はそもそも暑いとすら思わない。日焼けもしていないので、本当にサンドワームが人型になったような感覚だ。
「あ゛ーーー………………ムギ薬を三本くれ」
「えっと………はい」
防寒着の中から青色の液体が入った小瓶を取り出し、ライムに手渡す。すると、すぐに全て飲み干し、瓶を放り投げる。
どこから逃亡ルートが判明するか分からないので、念のためその瓶を回収すると、それを見たライムが笑った。
「ははっ、心配しなくてもここには来ない。もう『デルンツ王国』の国境を越えた。今は緩衝地帯の小国群の中のどれかだ。もう一度の飛行でネテリウネス魔術学国に着く。あそこなら亜人は珍しくもないし、珍しい亜人はむしろ引く手数多だ。好きなようにしろ」
珍しい亜人が引く手数多なのは、実験材料か観察対象としてだろう。ライムは好きなようにと言ったが、どちらも拘束される未来しか見えない。
一応、向こうにも冒険者ギルドがあり、ギルドマスターの名である『レルン・アメド』を伝え、サイルガ家の紋章を見せれば保護してくれるらしい。
当分はそれを目標に行動した方がいいだろう。
「………………よし、休憩は終わりだ。また飛ぶぞ」
ネテリウネス魔術学国。
数十年前はある大国の街の一つだったらしいが、ネテリウネス魔術学院に学者が多く集まったことで街自体が大きくなり、それを良く思わなかった大国から武力による圧力があったもののこれを見事返り討ち。ネテリウネス魔術学院は国に昇華し、大国は軍事力が下がったところを他国に狙われて消滅したらしい。
学院からそのまま国になったゆえに首都しか街がなく、領土こそ小さいものの、軍事力は実証済みという世界的に見てもかなり珍しい国らしい。
そんな国の外壁は、まるで城壁のように堅固で、巨大だった。
「着いたぞ。ここがネテリウネス魔術学国だ。あっちの門を使う」
砂漠には全く存在しない深い森に囲まれた魔術学国の門は、バルデルハラ街とは比べようもなく大きく、並んでいる人数も桁違いだった。
「………少し、試してみるか。ここで待っていろ」
ライムはそう言うと風魔法で浮き上がり、列を無視して前へ進んでいく。
俺は呆気に取られていると、ライムを見ていた群衆の目がその連れに見える俺に向き、視線の筵に苛まれる。
しかし、運の良いことにライムはすぐ戻り、今度は俺を掴んで飛んだ。
「………どうやら、他国で犯罪をしてもこの国は気にしないみたいだな」
ライムはどこか寂しそうにそう言い、門番らしき兵士の前で下りる。
その兵士の横には人の三倍はありそうな、青色の線が無数に刻まれた鎧の石像が立っていた。
「鎮圧用の軍事魔人形だ。私でもあれは吹き飛ばせん」
ということは、挑めば必敗ということだ。もちろん挑むわけがないが。
門番はゴーレムを眺める俺達に紙と羽ペンを手渡し、次の通行人の対処に移る。
その紙には多くの文字が書かれていたが、もちろん俺は全く読めない。記入欄らしきものもあるが、書けもしない。
見かねたライムが俺から紙をひったくり、代わりに記入を始める。
「まず、お前の名前はなんだ? ここまで追ってこないから、安心して本名を言っていいぞ」
「………じゃあ、マレ」
「あ? リムもファドマも本名じゃないのか。面白そうな過去を持っていそうだな。それじゃあ次………ここに来た理由は? これは適当に答えていい」
「え………じゃあ、観光のため?」
「………よし、最後だ。使える魔術の最高位は?」
「まず魔術使えない」
「そうか。これで終わりだ」
「え?」
記入欄の数的に質問はもっとあるはずなのだが、ライムはあっさりと二枚の紙を兵士に渡す。
すると、兵士は特に表情を変えることなく、奥へ進むよう促された。
薄暗い石畳の道を歩きながら、ライムに質問する。
「あれだけでいいの? あんなにあった記入欄は?」
「あれは入学者と在学者だけのものだ。それ以外にとっては全く関係ない」
「じゃあ………ライムは?」
「………私は、悪い意味で知られているからな。名前だけでも入国できただろう」
そういえば、ライムは位の高そうな司貴家であるウィンダリア家の一人だったはずだ。それなら、有名でもおかしくない。
それと、悪い意味とは、あの洞窟で見つかった手紙にある出来損ないのことだろう。
………大空を高速飛行する魔術師が、出来損ない?
「考え方は様々だからな。それより、そろそろ門を抜けるぞ」
もう門ではなくトンネルではないかと思い始めたとき、ようやく目の前が開ける。
「………ん? あれ? 今って夜?」
「ふん、そうじゃない。だが、間違ってもいない」
中世どころか19世紀後半のヨーロッパに似ているほぼ近代的な街並みを覆う黒い空には、天の川のように幾多も並び輝くいくつもの星と、それを従えるかのように中心の頂点で光る青く巨大な月が浮かんでいた。
「ようこそ。常夜と魔術の国、そして私の故郷でもあるネテリウネス魔術学国へ」
「な、なんか、急にすごい文明レベルが上がったんだけど」
「ここは生粋の学者達が学び集う国だ。世界最先端の技術が結集している。他の国が見劣りするのも無理はない」
電線も何も見えないのに青く光る街灯に照らされながら、多くの人々で賑わう大通りを歩く。
道は全て歩きやすい石畳で、側溝も道に沿ってどこまでも続いている。大通りの横には露店ではないちゃんと室内に作られた店が軒を連ね、あちこちから不思議な匂いや聞いたことのない音が響く。
「あ、あの、ごめん、ちょっと………」
「なんだ? ………ああ、そうか。お前はサンドワームだったな」
ライムはなんてことのないようにそう言い、俺の手を引いて街灯が少ない横道に入る。
大通りがうるさかったので助かったが、あんな不特定多数が聞いているようなところでサンドワームのことを言っていいのだろうか。
「もう忘れたのか? 先ほど言った通り珍しい亜人はそれだけで優遇される。それに、門のゴーレムを見ただろ? この国にはあんなのがごろごろいるんだ。犯罪なんてやる気にもならんだろう」
「………それで安心していいのかな」
「まあ、警戒心はあるに越したことはない。とりあえず、今は荷物をここの冒険者ギルドに届ける。ついてこい」
ライムはかなり複雑そうな道をずんずん進む。迷わないのか気になるが、自信がありそうに歩くので、黙ってついていく。
しかし………
「………やっぱり?」
「………………ああ、すまん。道に迷った」
大体5分ほど歩いた後、薄暗い路地裏の十字路で立ち止まる。
もう3回くらいこの十字路を見ている。つまり、ぐるぐる回っていたのだ。
「一度来たことがあるから覚えてると思ったんだが、過信だったらしい」
「あの、飛ぶ魔法で上から見るのは?」
「あれは魔術だ。それに、風で自分を保護するから周りに爪痕を残す。街中では使えん」
となると、この迷宮から抜け出せるように祈りながら進むしかないのだろうか。
そう思ったとき、音が聞こえた。
「………足音? でも………酔っ払い?」
「人ならそれでいい。聞こえる方向に案内しろ」
「はいはい………」
足音以外にも何か別の音が聞こえるのだが、確かに人ではあるので、黙って歩いていく。
「………あの、本当に行く? なんか変な音が聞こえるんだけど」
「どっちにしろだ。黙って歩け」
そう急かされて足を動かすが、近づくにつれて臭いも感じるようになってきた。
肉が焼けるような血生臭い臭いが。
「………可能性があると思ったのだが、やはりか」
ライムも方向が分かったのか、俺を抜いて走り出す。
慌ててついていくと、青くない揺らめく明かりが見えた。
そして、あと一つ曲がればその光源が見えるというところで、ライムがしゃがみ込んで様子を伺う。
俺もその後ろにつき、ライムと同じように曲がり角を覗き込もうとすると、その目を小さな手が塞いだ。
「え、ちょっ………?」
「お前は見なくていい。あんな魔術の面汚しなんて」
その声には明らかに怒気がこもっており、それに圧されて身を引く。
それを確認したライムは手を退かして立ち上がると、曲がり角を躊躇なく進んだ。
「あ、え?」
「そこで待っていろ。私が片付ける」
「で、でも………」
「黙って従え」
ライムは私刑囚のはずだが、それを忘れるほどの圧をかけられ、大人しくその場に座る。
その後に聞こえた音は、蹂躙のソレだった。




