49、不運な邂逅
「ごほっ、ごほっ………………大丈夫ですか?」
もうもうと煙が視界を塞ぐ中、なぜか同じ階にいた亜人さんにそう話しかけます。
しかし、返事がありません。まさかと思い、亜人さんがいたはずの場所を手探りで探します。
すると、あっさりするほどすぐに亜人さんを見つけました。
「あ、あの、大丈夫ですか!?」
倒れている亜人さんはなぜか尻尾を布で隠し、耳を両手で塞いでいます。ぶつかった際の音がうるさかったのでしょうか。
とりあえずその身体に怪我がないのを確認し、ほっと一息つきます。
「お嬢様ー? お怪我はありませんかー?」
「大丈夫です! それより、そちらはどうですか!」
「テンが頭を打ったようで、気絶していまーす。血は少ないので、安心してくださーい」
「………あとで医者に見せてもらいますか」
護衛にも、大きな怪我人はいないようです。こちらは正面玄関とは反対方向ですので、こちらが崩れていないということは民間人への被害も少ないでしょう。
まさかこちらに落ちてくるとは思いもしませんでしたが、意外に少ない被害で済みました。
………領主様には、あとで謝なければならないですが。
「………ぅ、んん?」
「あ、起きましたか? 痛いところはありま、せん、ゕ………?」
起きた亜人さんの目を見て、自分の声が小さくなっていくのが分かります。
なんと、亜人さんの瞳の中にもう一つの瞳があるのです。叔父様方の悪趣味な愛玩動物である亜人さんを何人か見たことがありますが、こんな瞳は見たことがありません。
その瞳は、その異質さゆえにとても美しいです。私にも欲しいと、悍ましい欲望が沸き上がるほどに。
自分ですら忌み嫌うその暗い欲望を振り払い、亜人さんに手を差し伸べます。
亜人さんはまた少し迷ってから、私の手を取りました。
「あ、ありがとう………」
私が言うのもおかしいですが、こんな細い手で、ちゃんと食べているのでしょうか。
しかも、年齢も私より少し上ぐらいでしょう。それでこの細さなんですから、少し心配になってしまいます。
「よっと………とりあえず、下降りなきゃ………」
「あ、少し持ってください。私の護衛がいますので、一緒に行きましょう」
出口を探す亜人さんを呼び止め、一緒に護衛の方々を探します。
この煙の中ですから、先ほど声がした方を探すしかありません。しかし、すぐに瓦礫に阻まれてしまい、どこにいるのか分からなくなってしまいました。
「お嬢様ー、どうやら我々は瓦礫で分断されてしまったようですー。この瓦礫をどうにかしますから、そこで待っていてくださーい」
「分かりましたー!」
護衛の方々は瓦礫の向こう側にいるようです。大人しく待っていた方がよいですね。
「ここで待っていた方がいいみたいです。少し、休みましょうか」
亜人さんにそう話し、床に座ります。
この街に来たその日に龍の襲撃に見舞われるのは想定外でしたが、龍は災害のようなものです。予想予測するのは不可能です。
それよりも、なぜ亜人さんは立ったままなのでしょうか? 何かを警戒するように辺りを見回したりして、一体何に………
「は!? やっばいだろ………!」
亜人さんは急に声を上げると、私の身体に覆い被さります。その太い尻尾が、私を守るように巻き付いてきました。
「あ、亜人さん? 何があったんですか?」
「あ、えっと、少し静かに………」
亜人さんがそう言いかけた瞬間、領主様の城館がズズ………と揺れ始め、私を包む亜人さんの身体が強張ります。
揺れは次第に強くなり、煙の中に光が差し込み始めました。
そこで、ようやく私も気づきました。
「クオオオオオオォォォォン!!!!」
轟雷龍のけたたましい声が世界を、脳を揺らします。途端に降り始めた雨が頬を濡らし、煙を晴らしました。
その向こうに見えたのは、城館に似合わない白い鱗の壁。いえ、壁ではなく、轟雷龍そのものです。
「まだいたのですか………!」
てっきり、私達が気絶している間にどこかへ飛び去ったものとばかり思っていました。
だからこそ、亜人さんは静かにして、と言いたかったのでしょう。
やがて、轟雷龍は身体を起こし、その大きな翼を広げます。
それだけで一瞬雨が止み、とてつもない烈風が吹き荒れました。
「クオオォ! クオオオォォン!」
轟雷龍はそのまま飛び上がり、ようやく城館から離れます。
その行く先を見たかったのですが、亜人さんの力が強く、引き剝がせませんでした。
なぜこんなにも強く?と思い、亜人さんの顔を見ようとすると、今度は亜人さんの身体からどんどんと力が抜けて倒れてしまいました。その端正な顔は、物凄く苦しそうな表情に歪んでいます。
「あ、亜人さん!? 大丈夫ですか!?」
「お嬢様! お怪我はありませんか? って、その亜人は………」
急いで瓦礫をどかしたのでしょう。駆け寄ってきたベイラのメイド服が汚れていました。
「べ、ベイラ………わた、私は、どうすれば………」
目の前で人が倒れるなど、初めての体験です。どうすればよいか分からず、震える声でベイラに助けを求めます。
「私にお任せください。まずは瞳孔を………………すみません、これじゃ、分かりませんね………」
ベイラは瞳孔の様子で判断しようとしましたが、この亜人さんの瞳は二重です。その判断方法は通用しませんでした。
代わりに、ベイラは亜人さんの首や手首に指を当てます。
「脈は………正常。外傷も見当たりませんし、一体何が………」
どうしようもなく二人して困っていると、亜人さんはゆっくり自分の耳に手を当てました。
そこで、察しがつきます。亜人さんは耳の良い方が多いらしいです。そんな方が、あの龍の咆哮を間近で聞いてしまえば、頭が揺れるどころの話ではないでしょう。むしろ、よく気絶しないで耐えています。
しかし、そうなると、私達ができることはありません。とにかく亜人さんを安静に休めるよう、そのままにするしかありません。
「………しかし、珍しいですね。尻尾しかない亜人とは」
「そう多くないんですか?」
「多くない、というより、そもそも人間の生活圏に現れる亜人が珍しいですからね。目はかなり特殊ですが、これでも外見的な特徴は少ないと言えます。お嬢様も、耳や鼻が人間のものではない亜人を見てきたでしょう」
確かに、ベイラの言う通り、この亜人さんは人間との差異が少ないです。それのせいか、その差異一つ一つがより特徴的に見えますが。
「あら? 尻尾の布が解けてますね。怪我をしているわけでもないようですし、なぜ巻いているのでしょう………?」
尻尾が太いのか、布が足りずに先端から解けています。おかしいですね、気絶する前は布が余っているように見えましたが………
好奇心からか、はたまた親切心か、気が付くと私は尻尾の布を取りました。
取って、しまいました。
「なッ!? お嬢様、すみません!」
「え? ぐっ」
突然、身体を後ろにぐんっと引かれ、尻餅をついてしまいます。
まさか轟雷龍が戻ってきたのかと思いましたが、もはや半壊した城館から覗く未だ黒い雲が残る空に、雷の光は見えませんでした。
「ベイラ? 何かありましたか?」
「あるんじゃありません! いるんです!」
いつの間にかベイラは抜き身の短剣を持っています。その視線の先には、まだ耳を押さえて苦しんでいる亜人さんがいました。
「ッ! ベイラ、やめてください! その方は敵じゃありません!」
「ですが、こいつはサンドワームです!」
その言葉を聞いて、ベイラを止めようとした手が止まります。
以前この街を訪れた時、ベイラからその危険性を嫌というほど聞かされました。
龍のように神出鬼没であるにもかかわらず、襲うときは一瞬。と思いきや、獲物が弱っていると分かると地の果てまで追いかける。群れていると気が大きくなり、砂上船さえも襲うとてつもなく凶暴な魔物だと。
「あのときは言っていませんでしたね。サンドワームの脅威はそれだけではありません。サンドワームは適応能力が高く、様々な亜種がいます。オアシスに籠っては、近づいてきた旅団を襲う水生型。洞窟の天井に張り付き、獲物が来ると皮膜で滑空して襲う洞窟型。そして、人の声を真似て、助けに来た人間を喰らう模倣型。亜種がこんだけいるんですから、人の姿を模倣しても、不思議ではありません」
「で、ですが………」
ベイラの声を聞いて、心が揺らいでしまいます。
ベイラも悪意があってこんなことをしているわけではありません。私を思ってのことは十分分かっています。ですが………
「………ですが、亜人さんは豪雷龍から私をかばってくれました!」
「か、かばっ………?」
私の言葉に、ベイラが動きを止めます。
ベイラと合流する前、亜人さんは咄嗟に私を守ってくれました。その行為に結果が伴わなかったとはいえ、行為自体に意味はあります。
亜人さんに、敵意はないと。
「し、かし………奴は、サンドワームで………」
「先ほど自分で言いましたよね? サンドワームには亜種が多いと。なら、人に友好的な種もいる可能性があるのでは?」
この亜人さんが、特別というわけではありません。
ですが、もう、罪なき者がその命を散らすのを、見たくはないのです。
「分………かりました。お嬢様がそう言うのであれば………」
ベイラはそう言い、短剣を下ろします。その顔には未だ疑いの色がありますが、私の意思を尊重してくれるそうです。
「ベイラ、ありがとうございます。それで、こんな話をした後でなんですが、亜人さんを濡らしたままにしたくありません。何か雨を防げるものはありませんか?」
「………それなら、崩れた木材が大量にあります。テンが起きたら、火も熾せるでしょう」
「なら、ちょうど良かったですかね」
後ろから声が聞こえて振り向くと、テンが頭を押さえながら瓦礫から這い出ていました。
テンは魔力こそ少ないものの、多彩な火魔法を使うことができます。
「話は聞こえていました。ベイラが何も言わないなら私も異論はありませんが、亜人は元魔物ということを忘れないでください」
「………はい、分かっています」
私がそう頷くと、テンはいつもの優しい顔になりました。そして、ベイラとともにバラバラになった木材を集めてくれます。
集められた木材は効率的に組み立てられ、あっという間に亜人さんを雨から守る屋根が出来上がりました。
そのそばで、テンが剥き出しになった白い石床の上の木屑の山に小さな火魔法を放ちます。
「これで、しばらくは暖を取れるでしょう。雨が止みましたら、この簡易屋根も薪代わりにしますか」
「よし、テンはお嬢様を。私は階段が無事か見てきます」
ベイラがそう言い、たき火から離れます。
怪我をしていない私も一緒に行こうかと思いましたが、亜人さんが起きた時に知らない男性と二人きりだと、非常に怖いはずです。私はたき火から離れず、亜人さんの看護をすることにしましょう。
「ったぁ~~~………」
「あ、亜人さん、起きましたか? 耳は大丈夫ですか?」
やっと五月蠅い耳鳴りとそれが伴う鋭い痛みが収まり、周りの音が聞こえるようになる。
涙で滲んだ視界には、少女の心配そうな顔が映っていた。
「轟雷龍は撃退できたようです。雨も止みましたし、階段も見つかったようですよ」
尻尾でバランスを取りながらふらふらと立ち上がる間に、少女が色んなことを報告してくれる。
少女の言う通り、澄み切った薄紫の空には暗雲は一つもなく、白い外壁から太陽が昇ってきているのが見えた。どうやら、轟雷龍の咆哮でダウンしている間に夜が明けたようだ。
「やっと、日が昇ってきましたね。お嬢様が避難せず外に飛び出したときは肝を冷やしましたよ」
「ご、ごめんなさい。あのままでは、街が焼かれてしまうと思って………」
「責めているわけではありません。あのときはあれが最善策でしたし。ただ、お嬢様に何かあれば、悲しむ人がいることを忘れないでくださいね。私もその中の一人だと」
知らない声が聞こえたのでそちらを見ると、金髪の好青年が頭を押さえながら少女と会話していた。
そこで、轟雷龍に立ち向かう少女の背を支えていた護衛の一人だと思い出す。
それと同時に、赤髪の女性が瓦礫の影から出てくるのが見えた。
「お嬢様、領主様が下でお待ちしております。そろそろ降りましょうか」
「ちょうど亜人さんも起きましたし、すぐに行きましょうか。亜人さん、歩けますか?」
少女にそう問われるが、正直足腰がガクガクだ。あの咆哮のせいでまだ頭が混乱しているらしい。
そんな俺の様子に耐えかねたのか、護衛のもう一人らしい赤髪の女性が俺の手を取った。
「これで歩けますか?」
「あ、ありがとうございます」
その手に引かれ、尻尾を床につけた瞬間、ようやく布が外れているのに気付いた。
「あ、え、あれ………?」
しかし、少女とその護衛はそれを気にした様子はなく、ただの亜人かのように接してくる。少女の恰好から見て貴族なのだろうが、貴族にとってはサンドワームの亜人など珍しくないのだろうか。
しかし、貴族はよくても街の庶民に見られたらどうなるか分からないので、もはや炭の中で燃えているだけのたき火の横に置いてあった布を尻尾に巻き付ける。
少女はそれを不思議そうに見ていたが、どうせすぐ別れるはずなので、気にしないでおく。
「って、あれ? 布が足りない………」
しかし、布は尻尾の半分までしか巻けなかった。
布が千切れたわけでも、斬られたわけでもない。純粋に、尻尾の太さに対して布の長さが足りないのだ。
しかし、そんなことはあり得ないはず。今日一日中この布を使っていた上、その間は完全に巻けていた。ということは………
「尻尾が腫れてる………?」
というより、張っている、の方が正しいかもしれない。
なんというか、満腹になったときと同じキツさを尻尾から感じる。意識しないと分からないぐらい微弱だが、それでも異常には変わらない。
しかし、今は尻尾が張っていることよりも、尻尾を隠しきれない方が問題だ。
「あ、あの、尻尾、気になるんですか?」
「え? えっと、まあ、はい」
少女の問いに、曖昧にしか答えられない。怪我をしているから布を巻いている、という用意していた言い訳はもう通じない。最悪、ファッションとでも言い張ればいけるだろうか。
「………………ああ、そうでしたね。その尻尾ではあらぬ誤解を招くのでしょう。ベイラ、布はどこかにありませんでしたか?」
「それなら、もう使い物にならなそうなカーテンがあります。この長さなら、十分隠せるでしょう」
なぜ事情を知っているかのような口ぶりなのかは置いておいて、手渡されたカーテンをありがたく受け取る。
カーテンで十分そうなので、元々巻いていた布を解く。
その瞬間だった。
「え? 待ってこれ………!」
端的に言えば、すごい漏らしそう。
尻ではなく尻尾の先に詰まっている感覚があるのだが、サンドワームの亜人の排泄口がどこかなんて知らない。尻ではないからといって、大が出てこないわけではないだろう。
「あ、亜人さん? 大丈夫ですか?」
もしかすると、セーネインさんの家で食べたものが今になって押し寄せてきているのだろうか。
しかし、『消化』スキルを持っているはずの俺が、なぜ排泄を………
「尻尾が辛いんですか?」
少女の冷たい手が、尻尾に触れる。
その刺激で、かなり久しぶりに感じる便意がいとも簡単に決壊した。
「ちょっ、あ、ああ………!」
しかし、尻尾の先から出たのは茶色ではなく、
「え、なんですか、これは………!?」
白く丸いものだった。




