43、苦痛の波は未だ終わらず
〈名前〉ファドマ・レニア
〈種族〉%%%%・%%%%・%%%%
〈スキル〉砂泳Lv1・咬合Lv1・消化Lv3・飢餓耐性Lv4・翻訳Lv4
〈称号〉翻訳者
「弱体化してる………」
麻で編まれたブランケットにくるまりながら、ステータスウィンドウを眺める。
十中八九、人型、それも女になったせいで弱体化したのだろう。しかし、『消化』や『飢餓耐性』は変わっていないので、変わったのは外見だけなのかもしれない。
あと、1だけだが、翻訳が上がっている。が、あまり違いは分からない。翻訳はレベルが関係ないのだろうか。
「んん………? んぅ………」
前世とも、サンドワームとも全く違う中性的な声で呻く。
ギルドマスターに言った身体の違和感。そこがたまに疼くような感覚を発する。もしかすると、脱皮前の皮が引っ付いているのかもしれない。表面はザラザラしているだけで、取れはしないが。
実は、ギルドマスターに言い損ねた違和感がいくつかある。それは、口と目だ。
口は、歯茎、もしくは歯そのものが、なんというかまごまご?しているような感じがする。嚙み合わせが悪いわけではないが、歯並びが自分に合わないというか。自分でもよく分からない。
目は、視界の中にいつまでも円のような薄い曲線が見えている。しかも、その中だけ物がくっきりとよく見える。円外の視力が悪いというわけではなく、むしろ前世の眼鏡をかけたときよりもはっきりと見える。円内はそれよりもさらにはっきりしているのだ。まるでスコープを覗いたときのように。
「まあ、強化は貰ってる………のか?」
一応、レベルが変わっていないスキルのように、サンドワームのアイデンティティである聴覚も全く変わっていない。スキルには表示されないので、五感系はスキルではないのかもしれない。視力のやつも表示されていないのがそれを裏付けている。
あらゆる物質の振動を通して、外の喧騒が耳に響く。
異世界感あふれる外の言葉も、今ではその一つ一つが脅威にしか感じられない。
サンドワームの身体で街中を歩いたときは、いつでも反撃できると思っていた。冒険者ギルドで屈強な冒険者達の視線を浴びたときも、撃退くらいはできると。
ようは、余裕があったわけだ。カラス………ルメスと連携していたとはいえ同種を打ち倒し、アスアサの助けを貰いながらも砂割竜から生き残った。それ相応の力を持っていると、錯覚できた。
中身はただの男子高校生であることを、必死で覆い隠しながら。
「………………………怖い」
人型となり、その力を失った今、俺はただの人間だ。しかも、サンドワームの身体だった期間が長すぎて、歩くことすら覚束ない。立ち上がろうとしただけで転んでしまう、普通の人間よりも弱い存在になってしまった。
さらには、俺の味方のルメスやタモティナ、ギンセイジュ団は、はるか遠い地にいる。今の俺は、独りだ。
例えるなら、今まで戦車の中にいたのに、急に外へ放り出されたような気分だ。
FPSゲームをプレイしたことがある人は強く共感できると思うが、今まで特に気にしてもいなかった小火器の銃弾一つ一つが、外に出た瞬間に致命傷足りえるのだ。しかも、他の味方は戦車に乗ったまま、俺を置いてどこかへ行ってしまった。
ゲームなら、瞬時に敵からの袋叩きに遭い、リスポーン地点まで戻されるだろう。しかし、現実にリスポーンなど存在しない。死んでしまえば、それで終わりだ。前世の死因も分からない今、転生に縋ることもできない。
「………………………怖い」
今までも、死にそうな場面はいくつかあった。
しかし、それらはサンドワームの身体だったので、サンドワーム自体の限界を知らない心の中では「もしかしたら生き残れるかも」と淡い希望があったのかもしれない。ゆえに、死にかけてもまだ余裕があった。余裕で、いられた。
今の身体では、敵に体当たりしたら確実にこちらの骨が折れるだろう。それくらい、貧弱だ。
「………………………怖い」
自分の身の振る舞い方すら知らないのに、この貧弱な身体で金を稼ぎ、生活を営むなど、もはや夢物語と言えよう。
俺は、これからどうすれば───
コンコンコンと、扉がノックされた。
ブランケットから這い出て上体を起こし、ステータスウィンドウを消してそちらを見る。
「すみません、失礼します」
入ってきたのはギルドマスターで、その両脇には大量の本が抱えられていた。
「先ほど言った、子ども向けの本です。良かったらこれで暇を潰してください。………………なにかありましたか? 涙が出ていますよ」
「え?」
ギルドマスターにそう言われて初めて自分が泣いていたことに気づく。
必死に心を鎮めようとしていると、いつの間にかギルドマスターがベッドのそばまで移動していた。
ギルドマスターはなぜか気まずそうにしているものの、目をこする俺に向かって言葉を放つ。
「あの、昨日のことは覚えていますか………?」
「き、昨日のこと、ですか? 背中が変な感じになってたのは………」
「覚えて、いないんですね。では、もう一度言います。………………こんなことになって、ごめんなさい」
「………え?」
まさか謝られるとは思っていなかったので、その言葉に少々面食らう。一体、何に謝っているのだろうか。
人化は若干脅し気味ではあったが、結局は同意の元で行われた。何も謝られることはないはず。
あ、温泉のやつは絶対許さん。
「貴女を、人間にするべきではありませんでした。あのまま、あなたの生きやすいようにしておく方が、良かった」
「………………………」
言いたいことは分かる。
こんなに弱体化するなら、こんな思いをするなら、サンドワームの身体の方が良かった。
だが、会話できないのも、相応にキツかった。夜の水殿で砂割竜が近くに来ていたことを教えられていたら、あんな目には遭わなかったかもしれない。団員であるアスアサも、死ななかったのかもしれない。そうなれば、今頃は他の団員と共に温泉旅行へと行けたのだ。
この身体でも、まだ人の役には立てる、はず。
「大、丈夫です。喋られるようには、なったので」
「ですが………いや、そう言ってくれるのなら、僕はそれに従うまでです」
ギルドマスターはそう言って本をベッド横の机に積んでいく。代わりに、未だ手をつけていなかった食事が入った皿を持ち上げた。
「まだ、食欲はありませんか?」
「あ、は、はい、なんか、ずっと満腹になっているような感じがして………」
「やはり、ですか。吸いすぎた魔力を生命力に変換しているのでしょう。あと二週間は空腹になることはないでしょう」
「え、そうなん、ですか?」
「ええ、貴女の影が溢れんばかりに膨張しているので」
ということは、しばらくは食事を取らなくていいらしい。今は口が変になっているので、それは僥倖かもしれない。というか、今それを言えばいい。
「あ、あの………」
「すみません、僕は仕事が溜まっているので、今は少し待っていてくれませんか? 夜には必ず戻ってきます」
「あ、はい、分かりました………」
確かに、ギルドマスターは俺と違って職がある。それに、マスターと付くくらいなのだから書類の最終認証など大事な仕事があるはずだ。俺なんかに構っている暇はないだろう。
「それでは」
俺より小さな身体が、扉の向こうへと消える。
実は、ギルドマスターのことも警戒している。サンドワームのときはいざ知らず、今は歩くことすらままならない身体だ。言葉を分かるようにする魔法を持つギルドマスターなら、当然攻撃魔法の一つや二つは覚えているだろう。
つまり、今の俺はあんな小さな少年にすら余裕で負ける。ギルドマスターがその気になれば、の条件がつくが。
朝の部屋の外の会話を聞く限り、ギルドマスターはなぜか俺を隠しがっているので、不都合があれば簡単に消されるかもしれない。
俺は、そうならないよう願うしかない。
「はぁ………………ルメスがいればなぁ」
いざとなれば、俺を掴んで空へ逃げられるだろう。サンドワームのときより軽くなっているはずなので、より遠くへと行けるかもしれない。
結局は、たらればの話だが。
「あ、いや、独り立ちしたみたいだしなぁ」
それか、死にかけてもどこか楽観的、そんな俺の態度に愛想を尽かしたのかもしれない。何回かおかしな行動を取ったのも、砂割竜の流砂に巻き込まれるときにタモティナを優先したのも、それが原因なのだろうか。
「………暇だな」
あれこれ考えても、結局今は動けないのだから意味がない。
暇つぶしに、ギルドマスターが持ってきてくれた本を手に取る。表紙のイラストから本当に子ども向けであるのが分かるが、中の文字は一切読めない。
一応、一ページごとにあるイラストを見て、これはこういう意味なのか?というのはあるが、教えてくれる人がいないので確証が持てない。
一度その本は諦めて、一番分厚い本を手に取る。
それはどうやら図鑑のようで、細かく描写された植物や魔物の絵に、先ほどの本とは比にならないほどの文字が綴られている。しかし、絵が細かい分、絵本よりかは楽しく見ることができる。
「お、サンドワームがあんじゃん」
ページをいくらかめくると、サンドワームが緻密に描かれたページを見つけた。
補足のように小さく描かれたサンドワームもある。そちらは尻尾が異様に長かったり背ビレがあったりと、普通のサンドワームとは明らかに違う点が見られる。サンドワーム自体が進化で変化しやすい種族なのだろうか。
「俺の進化が正規………なわけないか。普通は巨大化するもんな」
俺の予想通り、サンドワームについて書かれている項目の最後に、一ページ丸々使って描かれた巨大なサンドワームの絵があった。比較用に人間の絵も隣にあるのだが、サンドワームの遥か下、サンドワームの歯の一本と同じくらいの大きさで描かれている。
冒険者や街の住民がなぜ俺をあんな目で見るか、少し分かった気がする。こんな化け物になる可能性がある魔物が街にいたら、そりゃあ警戒するはずだ。
「他には………お、大トカゲも載ってる」
最近のレルン様は様子がおかしいです。あの方がギルドマスターに就任したときから秘書をやっていますので、すぐ分かります。
レルン様は、ギルドに寄贈されたはずのサンドワームがいなくなった日から妙に焦っています。
しかし、どこかに逃げられたというわけでもありません。それならすぐに騒ぎになるはずですし。
なら、あの女性のせいでしょうか。
ギルドに保護を求めたとレルン様はおっしゃっていましたが、受付嬢はそんな人物は見ていないと言っていますし、保護してきたらしい冒険者達も外で拾ってきたとばかり。女性のあんな日焼けしたこともないような白肌を見れば、そんなものは嘘だと簡単に分かります。
こうなれば、直接問いただすしかありません。
「部屋に入らないようにとは言われていますが、実害を被っているのは私です。原因の究明くらい、誰にも咎められないでしょう」
女性がいる部屋のノブに手をかけます。
すると、部屋の中からバサバサッ!と何かが落ちる音が聞こえました。まさか、私の接近に気づいて逃げたのでしょうか。
「逃がしません!」
勢いよく扉を開けると、強い風が私の髪を大きく揺らします。
思わず顔を防御した腕の隙間から、あの女性が見えました。逃げていなかったことに安堵を覚えると同時に、女性の姿に驚愕します。
「あ、あぐっ………熱、い………!」
夕日の赤い光が部屋を満たす中、女性がベッドの上で激しく悶えています。
暴れた手足に当たったのか、机が倒れて本があちこちに散らばっていました。先ほどの物が落ちた音はこれが原因なのでしょう。
「か、考えている場合ではありません! 大丈夫ですか!?」
これでも私は治癒士の端くれ。目の前で苦しんでいる人がいるのなら、その方の治療を優先します。それが例え、身元不明の怪しい人物でも。
「落ち着いてください! 深呼吸して、心臓を鎮めて!」
「が、あぁ………はぁ………!」
女性が涙目で見つめてきます。その瞳に、私は息を飲みました。揺れる瞳の中に、さらに激しく揺れる瞳があります。確実に、人間ではありません。
それでも、私は、治癒士です。治癒士なのです。誰であろうと、見捨てたりしません。
「我、魔力を糧に命の芽吹きを欲さん、『治癒』!」
私の言葉に従って必死に自分の身体を押さえつける女性に対して、癒しの魔法をかけます。全身で苦しむ女性のどこを癒せばいいか分かりませんが、とりあえず全体にかけて───
「な、なんで、発動………しないんですか………?」
いや、発動自体はしています。しかし、発動した瞬間に何かに吸われるように魔法が搔き消えてしまいます。いくら唱えても、いくら魔力を込めても、同じ結果です。
こうなれば、もう他の治癒士を呼ぶしかありません。しかし、私でさえ立ち入りを禁止されているのに、さらに人を呼んでいいのでしょうか。なぜか、どんどんマズイ状況になっているのを感じます。
大量に汗をかいて苦しむ女性の前でどうすればよいか迷っていると、女性が私の手首を掴みました。まるで、「行かないで」と言っているように、力強く。
その手を、握り返します。
「大丈夫です。私はどこにも行きません」
レルン様に見つかるかもしれませんが、関係ありません。むしろ、この女性の治癒のために情報が欲しかったです。
そのまま熱さに悶える女性の手を握ることしかできないでいると、突然女性の身体が一際大きく跳ねました。そして、その勢いのまま身体が私の方に、横向きになりました。
「大丈夫です。ゆっくり、息をしてください」
「ふぅ………ふぅ………!」
私の言葉通りに女性は呼吸を整えようとしていますが、その努力むなしく身体の動きは次第に大きくなっています。
そのとき、女性の身体の向こう、女性の背中側に、大きな影が現れました。もうレルン様が聞きつけたのかと思いましたが、どうやらそういうわけではないようです。
「なっ、尻尾!? しかも、これはサンドワームの………!」
まさか、ベッドの下に潜んでいたのか。そう考えましたが、事実は全く異なっていました。
なんと、そのサンドワームの尾は、女性から生えていたのです。
「え、な、一体、貴女は………!?」
彼女が苦しんでいるのも忘れ、激しく問いただそうとしたとき、手首がさらに強く握られました。
その痛みに顔を顰めていると、女性の意識がすでに無くなっていることに気づきます。つまり、これらの身体の動きは無意識なのです。
そして、彼女が掴むその手首から、自分の魔力が失われていくのを感じます。
女性が、私の魔力を吸い上げているのです。先ほどの魔法の不発も、彼女が魔法自体を吸い上げていたのでしょう。
この現象はさほど珍しくありません。魔物が急激な成長を遂げるとき、足りない魔力を周囲から吸収するのです。
しかし、ええ、しかしです。これは魔物でしか起きません。つまりは………
「消えたサンドワームは、貴女でしたか………!」
そう考えると、全て辻褄が合います。レルン様が焦っていたのも、この女性………いや、サンドワームの扱いに困っていたからでしょう。
「離してっ………ください!」
魔力切れになる前にどうにかサンドワームの手を振りほどこうとしましたが、力がかなり強くびくともしません。
なので、私は腰にある短剣を引き抜きます。レルン様から頂いた価値ある短剣ですが、もはややむを得ないでしょう。
そうして短剣を振りかぶり、サンドワームの細い腕に振り降ろそうとしたとき、バタン!と、扉が開けられる音が聞こえました。
そちらを見ると、レルン様が驚いたような表情でこちらを見ていました。
これで助かる。そう思った瞬間に、視界がぐらりと捻じ曲がりました。とうとう魔力の限界に到達したのです。
「レ、ルン、様………!」
こちらに手を伸ばすレルン様の姿を最後に、私の意識はブツリと暗転しました。




