42、微睡みから
失敗しました。失敗以外の何物でもありません。
「まさか、あの紋章を持っているとは………」
サンドワームの肉体を蛹のように裂いて生まれたあの人間。
その胸元には、サイルガ家のものを示す逆さ竜の紋章が刻まれていました。
つまり、あのサンドワームはタモティナさんがテイムしたものではなく、元々サイルガ家にテイムされていたということになります。
テイムの方法にはいくつも種類がありますが、もっとも一般的なのは『名付けの儀式』。そして、それを簡略化した『刻印の儀』があります。
『刻印の儀』は刻印、いわゆる自らが属する組織の紋章が必要なので、大抵は貴族しか使えません。
その貴族であるサイルガ家。彼らに関して、良い噂は全く聞きません。
「いや、サイルガ家の息子達と言った方が正しいですね」
サイルガ家当主はかなり敏腕で、王都にてその腕を振るっていると言われていますが、その反面、息子達の教育が疎かになっています。
先日、飛竜船を全て貸し切ったのも、サイルガ家の息子達です。こんな辺境に来たのは、当主である父から逃げ、それでも遊び呆けているからでしょう。
その息子達の誰かが、あのサンドワームをテイムした。
しかし、ここで疑問が浮かびます。
彼らがサンドワームをテイムするという面倒なことをするのでしょうか?
それに加え、サンドワームがタモティナさんを助けたという話も気になります。
「影では色々なものが混ざっていましたが………………いや、そんな、まさか………?」
僕の同郷………なのでしょうか。
だとしたら、なぜこんな砂漠に………?
深く考えているからでしょうか。気づけば、目的の部屋の前に到着していました。
扉をノックしようとして、少し躊躇います。いつもここで、躊躇してしまいます。
この部屋の主は数週間ほど寝込み、未だ目を覚ましません。原因は当然、僕があんなことをしでかしたからなのですが、目を覚ましていないと分かっていても手が止まります。
ですが、いつまでもそうしてはいられません。意を決して、コンコンコンと扉を叩きました。
「入りますよ」
もはや日課になりつつあるその一言を呟き、扉を開けます。
かつての都市を再利用した白い部屋には、良質な砂を溶かして作られたガラス窓がいくつも嵌められています。
そのうちの一つ、ベッドの近くの窓だけは開け放たれており、朝日の白い光に照らされているそよ風が白く薄いカーテンを揺らしました。
そして、今まで寝ているはずの人間、元サンドワームであり、リムと名付けられた者が、上体を起こしていました。
「………あ、お、起きましたか? どこか痛むところはありませんか?」
一瞬呆気にとられたものの、すぐに華奢な手を取って脈拍を測ります。
少し脈は遅いものの、寝起きと考えたら妥当なくらいでしょう。
「脈拍は大丈夫そうですね。あ、すみません、勝手にこんなことを………」
自分を傷つけた者には触られたくないものです。僕のは必要な行為ですが、感情は時として理屈を上回ります。
しかし、触れても離れても全く反応しないので、見ることすら憚っていた顔に視線を向けました。
「え、あ、え?」
黒く艶やかな長い髪に包まれた可愛らしくもどこか大人びた端正な顔からは、二筋の涙が流れていました。
「あ、あの、やっぱりどこか痛いところが………?」
自分でそう言ってなんですが、そうは見えませんでした。
彼女は無表情のまま、ただただ涙を流しています。
その目は僕を見ているようで、どこか遠いところを見ているようでした。
そして、気づきました。
彼女の砂色の瞳の中に、もう一つの瞳があることに。
両目に二つずつあるその瞳は、忙しなく大きさを変えながら僕を見つめています。
まるで、現実を直視できないと言うように。
「ご、ごめんなさ、い」
無意識に謝っていました。
それくらい、その姿は悲壮に満ちていました。
「ごめんな、さい」
訳も分からず、その一言を紡ぎます。
あのことを許してもらおうなどとは、考えていません。それだけのことを僕はしました。
利害が一致しているなどという言葉は妄言もいいところ、失言にすらなりません。
本人がどう思っているにしろ、彼女はサンドワームのままが一番良かったと、今の姿を見てそう強く思います。
「ごめんなさい………」
彼女を人間にしては、人間に戻してはいけませんでした。
どれだけそうしていたか、何回謝ったか分かりませんが、窓から差し込んでいた光はいつの間にか消えており、代わりに夕陽の赤い光が部屋を包んでいます。
彼女は泣き疲れてしまったのか、上体を起こしたまま目を閉じていました。
「すみません、少し触ります」
間に合わせの白い服に手を入れ、彼女の胸元を露わにします。
やましい心があるわけではありません。サイルガ家の紋章が本当にあるか、僕が見間違えていないか確かめるためです。
しかし、僕の淡い希望を打ち砕くかのごとく、落ちるように下を向いた竜の紋章がしっかりと刻まれていました。
「………サンドワームのときは、厚い皮膚で隠れていたのでしょうか。僕が貴女を人間にしなければ、貴女はそんな事実を知らずにいられたでしょうに」
ここまではっきりと現れているとなると、教えないわけにはいきません。
ですが、そんな事実を知るのはもっと後でいいでしょう。
「失礼します。入りますよ」
翌朝、軽い食事を持って部屋に入ると、彼女は自分の身体を見て驚き固まっている最中でした。昨日のことは覚えていないんでしょうか。
「おはようございます。食欲はありますか?」
「え? あ、いや、今は、ないです………」
僕の問いかけに、彼女は消え入りそうなか細い声でそう答えました。
こうも簡単に受け答えできるということは、やはり彼女は元人間です。どうしてサンドワームになってしまっていたかは分かりませんが、本人の口から説明する日が来るのを待った方が良いでしょう。
………まあ、僕の場合、そんな日は永遠に来ない可能性が高いですが。
「とりあえず、食事はここに置いておきますね」
「は、はい………ありがとう、ございます」
少し喋り慣れていないようですが、タモティナさんの話によると最低でも一、二ヶ月ほどはサンドワームの姿だったようなので、仕方ないと言えるでしょう。
今はそんなことより、彼女がどれだけ覚えているかの確認が優先事項です。
「リムさんは、どれだけの記憶が残っていますか? あの牢屋の中で、はっきりと覚えているものは?」
「え、あ、えっと………………何か、背中が変な感じになったまでは、覚えています」
「ほとんど覚えていますね。では、今の身体でどこか変なところはありませんか?」
「へ、変なところ………? あ、あの、えっと、お尻の、あの、尾てい骨が少し………」
「ふむ………」
異常があるのなら診ておきたいですが、僕に許可を出すとは思えません。
一応、まあ、言うだけ言ってみますか………
「少し、診てみますか?」
「え………………は、はい」
普通なら了解しないであろう僕の提案に、彼女は少しの逡巡のあとになぜか頷きました。本当にあの牢屋でのことを覚えているのでしょうか?
そんなことを考えている間にも、彼女は自らのズボンを少し下ろし、背中をこちらに向けます。
確かに、尾てい骨周辺の皮膚が黄色がかった砂色に変容していました。サンドワームの名残でしょうか。
「尾てい骨周りの皮膚が黄色がかっています。………少し触っても構いませんか?」
「………………はい」
本当になぜ、彼女は僕に許可を出すのでしょうか。確かに人間になれたとはいえ、僕はあのような苦しみを与えた張本人です。普通は、恨み嫌がるのが普通でしょうに。
それとも、その心を抑えて接しているのでしょうか。だとしたら、かなりの役者ですね。
「あ、あの………?」
「あ、ああ、すみません、では、触りますよ」
考え事をしていた思考を引き戻し、変色している皮膚を触ります。
それは少しザラザラしており、明らかにサンドワームの皮膚と一致していました。
「ということは、サンドワームの名残で間違いないですね。そこまで気にする必要はないと思います」
「そ、そう、ですか」
彼女はズボンを直し、ベッドに腰掛けます。
数週間ほど眠っていたはずの身体はどこも痩せてはおらず、白い服から覗く手足は瑞々しいままでした。
その原因は明白です。あの進化の秘玉全ての魔力を吸い取ったからです。
現在の彼女は半分『魔化』しているはずです。そのため、その大量の魔力を消費して、生命の維持および身体の衰えを無効化していると思われます。
ですが、その期間はもってあと十数日というところでしょう。あくまで吸い取った魔力で生きているだけで、魔力貯蔵量自体が増えたわけではありません。
期間が過ぎれば、彼女も普通の人間のように暮らせるでしょう。
「………紋章を隠せれば、の話ですが」
「………?」
やはり、サイルガ家の、その威光を振りかざす息子達が厄介です。彼らは他者を平気で踏みにじるくせに、自らの物が他者に渡るのを大いに厭います。
彼女には申し訳ありませんが、胸元を開けるようなファッションはご遠慮していただきましょう。それが彼女の身のためです。
………まあ、今見た感じですと、そんな大胆なファッションをするような人には見えませんが。
「とりあえず、数日はここでゆっくり休んでください。リムさんは確か、まだ字は読めませんでしたよね? 子ども用の絵本や図鑑を持ってきますので、勉強がてら暇つぶしに使ってください」
「あ、わ、分かりました………」
彼女が嫌悪感を示さないので勘違いしてしまいそうになりますが、本来僕はここにいてはいけません。機密保持のためにそうせざる負えないだけで、彼女に部屋を追い出されても文句が言えない立場です。
代わりの者は、いないことはないです。同じく牢屋にいた研究者気質の冒険者達が候補に挙がりますが、彼らはあくまで冒険者であり、金で動く傭兵のようなものです。幸い、紋章を見たのが僕だけで済んだのですが、彼らが見つけていたらすぐにサイルガ家に報告が行ったでしょう。
そして、僕が全幅の信頼を置いているギンセイジュ団は、慰安旅行に行っています。
タイミングが悪いわけではありません。いなくなるのを待ったからです。僕を救い、けれども小言の多いギンセイジュ団副団長を。
「全ては身から出た錆、ですか………」
知識欲に溺れた末路が、これです。しかも、今回は他人も巻き込んでいます。どうやら僕は、知識はあっても学習はしない性格のようです。
「………では」
後悔の責に押し潰されそうになりながらも、部屋を出ます。
すると、扉のすぐそばには秘書が立っていました。
「………聞いていたんですか?」
「いえ、今晩の献立を考えていました。それよりも、書類がかなり溜まっています。………………彼女に構っている暇はないと、思いますが」
「それは………」
彼女の詳しい情報を知っているのは僕だけです。ギルドの従業員には、ギルドの保護を求めた謎の人物ということにしてあります。サンドワームが人化したことが知られれば、騒ぎになるのは目に見えていますから。
それがたとえ、長年補佐してくれている秘書でさえも、です。それくらい、サンドワームの人化というのは前代未聞のことなのです。
「埋め合わせはしますよ。ああでも、その前にまだ少し用事があります。執務室で待っていてください」
「………承知しました」
秘書は不満そうな顔を隠さず、大量の書類を抱えたまま歩いていきました。
ある意味、秘書も僕の被害者の一人です。僕が彼女の世話をしなければならないゆえに、その分の仕事は秘書に向かってしまいます。
それだけではありません。仕事が遅れるほど苦情が多くなり、それらも秘書へ向かいます。
………彼女が安定してきたら、長めの休暇を取らせましょう。
思考を続けながら、図書室へと向かいます。
理由はもちろん、彼女に渡すための本を回収するためです。
しかし、言葉は理解できるのに、なぜ読み書きはできないんでしょうか?
私が使ったラ・イの呪いは魔物が言葉を理解するようにするだけで、異国の言葉を翻訳するものではありません。
ということはつまり、彼女はまだ魔物という区分なのでしょうか。
「いや、名残があるだけで、完全に人間でした。ということは、やはり僕と同じように………?」
あの事件の被害者は、僕一人とは限りません。実際、身元不明の亡骸は見つかっています。
「………いや、それでもあり得ませんね。あれからもう何年も経っていますし」
図書室で目当ての本を探し、小脇に抱えていきます。
………そういえば、姿見も持っていった方が良いでしょうか。




