13、相対する時
スー………スー………と、寝息が聞こえてくる。
どうやら、ようやく女性が寝たようだ。
壁の影から身を乗り出し、起こさないように部屋から出た。
彼女の言葉は全く分からなかったが、それでも何かしらの後悔をしているのは分かった。それが、とんでもなく深いことも。
歩いている女性を見つけた後、こちらに敵対するか見ている途中に突然倒れたため、慌ててこの建造物の中心部まで引きずっていった。
幸い、彼女はすぐに目を覚まして水を飲んでいたが、ずっと尾行していた俺に気づいていない様子なのを見る限り、まだ満足できるほど回復していないらしい。
カラスが寝ている寝床に戻り、女性をどうするか考える。
女性は異世界定番の魔法を使ってはいたものの、治療を途中でやめたので、魔力切れの可能性が高い。
今なら、俺とカラスで殺害することができるだろう。
しかし、それは元人間の俺にとって、一線を越える行為だ。
立ったまま寝ているカラスを見る。
この子の安全を考えるなら、今ここにある脅威は一つでも減らすべきだ。
だが、相手は一人叩けば数百人がお返ししてくる人間という種族だ。
今減らせても、後で何百倍となって返ってくる可能性がある。
今の脅威と、その後の危険を天秤に乗せる。
そして、俺が選択したのは、『説得を試みる』だ。
相手の言葉が分からないのは痛手だが、こちらを有用なモンスターとして印象づけることができれば、人間と敵対することなく、さらには恩恵さえ獲得できるかもしれない。
説得に失敗したその時は、排除すればいいだけだ。
考えを整理して今後の方針を決めると、ちょうどよく眠気が襲ってくる。カラスの身体にピッタリくっつき、その体温を感じながら眠りに入った。
翌日、カラスの体温が消えていることに気づき、目が覚めた。
見渡してもカラスはいなかったが、あの女性がいる部屋に行こうとすると、その部屋の入り口にいるのを見つけた。どうやら、あの女性が気になるようだ。
俺も部屋の入り口に移動すると、まだ寝ている女性が見えた。
怪我をしたと見られる足首の腫れは驚くほど引いており、女性特有の細い足になっている。
あの分なら一人でも狩りができそうだが、ここはポイント稼ぎのために俺達が狩って持ってきた方がいいだろう。
チラッとカラスの顔を見る。
カラスの視線は女性に釘付けで、じーっと黒い瞳を向けている。
まあ、狩りは俺一人でもできる。
一応、俺の単独行動の監視するかと思って少し離れてみても、カラスは動かなかった。
仕方なく、中心部にて数匹のネズミを狩る。
俺が戻る頃には、女性は目を覚ましていた。
そして、なぜかカラスと見つめ合っている。
『………あなたが運んでくれたの?』
女性が何か言うも、やはりその言葉は聞いたことのない発音で、カラスも分からないのか首を傾げている。
どうやらカラスに敵対する様子はないので、俺も女性の前に出て人畜無害アピールをしようかと思ったが、サンドワームである俺の姿は結構グロイ。突然目の前に現れれば、無用な混乱を与えるかもしれない。
なので、ネズミはカラスに渡し、カラスが女性に渡すように指示する。
簡単なボディランゲージなのにカラスはすぐに察し、ネズミを嘴で持って女性に近づく。
『な、なに?これを………私にくれるの?』
「カア!」
困惑する女性にカラスが一鳴きすると、恐る恐るネズミを受け取り、それを持って立ち上がった。
女性とカラスが並んでいるのを見ると、カラスはかなり成長したように思える。なんせ、成人していると思われる女性の身長を超しているのだ。
女性もカラスが思ったより大きかったことに驚いているようで、少し距離を取りつつ、部屋の隅にあるツタの塊へ向かった。
『ええっと、ここは給仕室のはずだから………』
女性がツタをむしると、白い石材でできたキッチンのような台が出てくる。
女性はキッチンの収納らしき棚を開け、中から赤い小石を取り出した。
その石に金属光沢はないものの、相当硬そうに見える。
『よし、火産石は持ってかれてない。あとは燃えるものがあれば………………枯れ木がある場所は分かる?』
女性がカラスに何かを問い、それに対してカラスはゆっくり歩き始めた。
どうやら、俺が全く分からない言語を、カラスは理解することができるようだ。
カラスの後ろについていく女性、のさらに後ろをついていく。
カラスは建造物の外に出て、干上がった水溜まりの跡がある場所で止まった。
そこには枯れ草が大量に散乱しており、枯れた枝も落ちていた。
『さっすが砂漠大鴉。子どもでも頭が賢いってのは噂通りみたいね。ただ、これくらい賢いなら、誰かに飼われててもおかしくないのだけれど………』
女性が何か呟きながら、枯れ木と枯れ草をひとまとめに集める。
そして、出来上がった茶色の山に、先ほどの赤い小石を近づけた。
『えっと、火産石は確か………………源泉、流河』
女性が何か唱えると小石が紅く光り、その光が雫となって枯れ木に滴り落ちる。
すると、落ちたところから火の芽が出て、あっという間に茶色の山を炎に包んだ。
『還泉。これでヨシかな』
パチパチと音を立てて火が大きくなる。何気に、この世界に来て初めて火を見た。
その揺らめきは前世の世界のものと全く変わらず、物理法則は大体一緒のようだ。
女性は充分に火が大きくなったことを確認すると、ネズミを比較的真っ直ぐな枝に刺し、焚き火のそばへ立てかける。
ネズミの皮に耐火性はないのか、すぐに肉が焼ける臭いが立ち込めた。
『血抜きもしてないし捌いてもないけど………………ひとまずの栄養としては及第点か。あなたも食べる?』
焼き上がったネズミを女性とカラスが仲良く食べ始める。
カラスは何度かこっちを見るが、姿を現すのはまだ難しいだろう。
食事という気を抜きやすいときに別のモンスターを見れば、逃げるか迎撃しようとするはず。傷つきたくないし、傷つけたくない。
せめて、女性が自主的に俺に気づくくらいはいかなければならない。
やがて、ネズミがなくなり、ちょうど日も出てきた。
女性は暑い日差しを避け、小さくなった火を踏み消して建造物の中へ戻っていく。
カラスはそれについていき、俺も移動を開始した。
建造物の中を覗くと、女性はガラス球の前に立っており、漏れ出る水で手や顔を洗っていた。
カラスもそれを真似て、一際強く漏れている水の下で、頭から水を被っている。
それを見て、女性が笑った。
『あはは!そういうやり方じゃないよ。ほら、ちゃんとよく見て』
女性とカラスは楽しそうにバシャバシャと水を浴びる。
しかし、不意に女性が転んだ。痛そうに右の足首を押さえている。
しばらくうずくまった後、女性は素早く何かを呟き、昨日の回復魔法らしきものを発動した。
少し膨らみかけていた腫れが完全に引き、赤みが消える。
『………………うん、これでもう大丈夫、かな。でも、今から走っても、街に着くまでに周嵐が来る、か………』
女性は深い溜め息をつき、その場に座り込む。
カラスは女性の様子が変わったことを察知し、その横に近寄った。
『死体は………さすがに残ってないかな。名札が残っていればいいんだけど………………銀だから盗られてる可能性が高いか。そりゃ、一番は生き残っていることだけど、アレで生き残るなんて………』
女性の言葉が紡がれるたびに頭が俯いていき、先ほどの笑っていた姿から想像できないほど静かになった。
何が彼女をあそこまで追い詰めているのかは分からない。ただ、この砂漠であれほど衰弱していたことを考えると、旅団が壊滅したり街から追い出されたりした可能性がある。
まあ、どちらでも俺達の対応は変わらないが。
しばらく、女性の啜り泣く声だけが聞こえてくる。
そのうち、俺は自分の食事がまだだったことを思い出し、一旦観察はやめて狩りに乗り出した。
一番獲物がいるのは中心部付近だが、今は女性がいるので近づけない。そもそも、女性を警戒して獲物は外周へ逃げている。
なので、比較的水が残っている外周エリアでカエルを数匹捕まえた。
カエルは身体こそ小さいものの、鶏肉に近い味がして結構美味しかった。
まだ満腹には程遠いが、女性の観察の方が優先すべきと判断し、中心部へ戻ろうとした。
その時だった。
『あ、え………………?』
運悪く、女性と目が合ってしまった。
数瞬の後、最初に動いたのは女性だった。
近くにあった石を拾い、そのまま俺に向かって投げてきた。
ダメージにならないのは分かっていたが、それでも投げてくることに違和感を持ったため、石を大きく避ける。
すると、その石に隠れ蓑にして鋭い枝が突き出された。
石に気を取られていたために回避が遅れ、枝が皮をいくらか切り裂く。しかし、その衝撃で枝が折れた。
女性は折れた枝を瞬時に反対に持ち替え、再度突きを繰り出すも、俺は地面を素早く這って距離を取る。
この間、わずか三秒ほど。
この女性、とにかく行動が早い。それだけじゃなく、ちゃんと嫌なところを突いてくる。先ほどの突きも、全てヒレに向かっていた。
俺の種族はエラーになってこの世界に存在しないはずなのに、対処法を瞬時に考えている。
これまで会ったどの生物よりも、圧倒的に強い。
女性がまた突きを繰り出す。
俺はそれを避けようとして、右ヒレが切り裂かれた。
フェイントだ。突きに見せかけ、横に薙いできた。
ヤバイ。普通に負ける。こちらは対人戦闘の訓練など受けたことがない。命の取り合いで、フェイントに注意できるほど余裕は作れない。
女性が左から切りつけるように枝を振り下ろす。
それを避けようとして、軸になった右ヒレが痛んでバランスを崩してしまった。そのまま、枝が俺の横っ腹に激突する。
決して大きなダメージではないが、それでも無視できない衝撃が身体中を突き抜けた。
枝は完全に折れたものの、女性は流れるような動きで両手で大きな石を拾い、俺の頭に向かって振り上げる。
天にかかげられるようにして持ち上がったその石を、大きな影が横切ってはたき落とした。
「カアー!!」
カラスは空中でホバリングしつつ、威嚇する時の甲高い声で女性に吠える。
それに対し、女性は混乱して攻撃の手を止めた。
『な、なに?こいつはサンドワームよ?虫とかと一緒でかなり凶悪なの!ここで仕留めた方が………』
「カアー!カアー!」
女性の言葉にカラスは聞く耳を持たず、威嚇しつつ俺のそばに着地する。
女性はそれを見て何か察したのか、驚いたように目を見開いて後退りした。
『………まさか、あなたの親?もしかして、ネズミを持ってきたのも………?』
女性の手から石がこぼれ落ちる。
それを見たカラスは威嚇をやめ、俺にすり寄ってきた。
心配そうにこちらを覗くカラスの頭を撫でながら女性を警戒する。
しかし、女性はもう敵対する意思は無いようで、がっくりと肩を落として項垂れていた。
『もう………そういうことなら早く言ってよぉ………』
女性の様子を見るに、もう誤解は解けたようだ。




