12、遺されるのは
「ん、ぅん………………?」
口に冷たい感触がして目が覚める。
朦朧としている視界には、求めてやまなかった水が溜まりに溜まっていた。
「はぐっ、かふ………………んく」
手も使わず、口だけで水を飲む。
当然、かなり飲みづらいが、手を動かすことすら億劫だ。
しばらくの間、水の音だけが響く。
やがて、ようやく喉の渇きが収まり、周りを見る余裕ができた。
「ここは………………水殿?」
この中央砂漠に点在する、かつての古代文明の片鱗。
様々な形の建造物あるのだが、ここの水殿は水が入ったガラス球があるので、水殿の中でそこそこ位の高い貴族殿だろう。
「それにしても、私はどうやってここに………?」
あの忌々しい竜の襲来から逃げた後、ただ砂漠を歩いていた記憶しかない。
誰かがここに運んでくれたとしても、それにしては生活感がない。
では、誰が………
『走れ!走ってこのことを伝えろ!』
脳裏に、隊長の声が聞こえる。
そうだ、こんなことをしている場合ではない。私はあの惨状を、あの悲劇を伝えなければならない。
そのために、皆をあそこに残してきたのだ。一刻も早く街に戻らなければ。
「よいっしょ………………いたっ、足をくじいてるか………」
立ち上がろうとして、転びそうになる。
そういえば、逃げるときに右足に足払いを受けてしまっていた。
ズボンを捲って足首を見てみると、拳大にまで膨れ上がっている。骨折を無視して歩き続けたせいだろう。痛覚はもう麻痺している。
治療にかかる時間と街までの時間を計算する。
隊長の命令通りに行くなら、ここで傷が治るまで待機した方が無事に街まで辿り着ける可能性が高い。
しかし、それだと皆の救助に間に合わない。
しばらく、葛藤する。
そして、
「あ、ああ………!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
私は、見殺しにする方を選んだ。
「大丈夫………もう、大丈夫………」
袖で涙を拭った後、右足を庇いながら立ち上がる。
すでに太陽は沈んでおり、ガラス球が月光に照らされて幻想的な光景を生み出していた。
「そういえば………運んでくれた人が来ないな」
なら、一人でここまで来たのかもしれない。記憶が曖昧すぎてよく分からない。
一旦そこは置いておいて、あの尖塔からどこまで離れたところなのか確認するため、水殿を出た。
冷たい風が頬を撫で、目尻の腫れを刺激する。
灰色に照らされた砂丘の向こう側に、焦茶色の塔が見えた。
この水殿よりももっと古い時代、神話よりもさらに前の時代に作られたとされる謎の巨塔。
神々ですら干渉できないとされるその塔は『神無塔』と呼ばれ、私達冒険者の砂漠の目印となっている。
その塔と、夜空に映る星の位置関係で今の場所が大体分かる。
「あの星があそこだから………………街の南西くらい、かな?」
あの時混乱して、街とは逆の方向に逃げてしまったらしい。
逆に言えば、あの塔の真っ直ぐ先を行けば街があるはず。
しかし、その街の方向の空に、黒い雲を見つけた。
それを見て歯噛みする。
「周嵐………よりにもよってこんなときに………いや、予想はしてたか………」
周嵐はこの中央砂漠のさらに中心を軸として回っている嵐で、定期的にこの地に豪雨をもたらす。
この間に人間が外を歩こうとすれば、低体温症で一時間と待たずに死ぬ。
その雨が近いとなると、街への帰還はもっと延びることになる。
必然的に、わずかに残っていた救出の可能性がさらに低くなった。
「私が真逆に逃げなければ………………いや、それはそれで途中でのたれ死んでいたか………」
ここに辿り着けたのは奇跡かもしれない。
とにかく、街へ戻るには早急な傷の治療が先決だ。
水殿に戻り、部屋の一つに入る。
ガラス球から水が漏れていたせいか、部屋の中は草で覆われていた。
虫が気になるものの、天然のベッドは疲れた身体にちょうどいい。
適当なところに座り、患部に手を当てる。
「骨折は確か、骨を正常な位置に戻してから治療だっけ………気は進まないけど………」
内側に向いている足首を掴み、強引に正常な位置へ戻す。
ゴキィッ!と骨の音が鳴り、失われたはずの猛烈な痛みが襲ってきた。
「ッ!………………大丈夫、大丈夫だから………」
赤みが増した患部に手をかざし、唯一覚えている魔法を唱える。
「はあ、はあ………………我、魔力を糧に、命の芽………吹きを、欲さん………『治癒』」
痛みに悶えながらも、なんとか魔法を唱えきる。
すると、かざした手から、光でできた小さな葉が数枚落ち、そのまま患部に当たる。
その瞬間、腫れが目に見えるほど引き、痛みも若干和らいだ。
これを三回唱えると、腫れや痛みは若干残るものの、充分歩けるほどにまで回復した。
しかし、これで魔力を使い切ってしまったため、再度治療を行えるのは明日だ。
「はあぁ〜………………荷物、持ってこれば良かったなぁ………」
逃げる際に邪魔だからと、魔力薬や回復薬が入ったリュックを捨ててしまった。
あれがあれば、明日を潰さなくて済んだはずだ。
過去のこととはいえ、やはり気にしてしまう。
「ああもう!こんなことは考えない!魔力を回復するために寝る!」
天井の穴から差す月光を避け、影の中で目を閉じる。
しかし、その閉じられた暗闇の先には、あのときの光景が映る。
仲間が敵の手にかかる、その瞬間を。
「………………ごめん、皆。ごめん、ごめんなさい………!」
溢れた涙は止まらず、気づけば暗闇のさらに先の眠りへと落ちていった。




