11、砂の下と風の上
夜が明けた。
早速、蛇の残りを食べ、下を偵察する。
食べたばかりでは体重が重くなるため、身体を完全に覚ますにも、何かしら行動をした方がいい。
下の草木は昨日と変わりなく揺れているが、蛇を仕留めたところの近くで、見たことのある丸い身体の生物が、蛇達と対峙していた。
比較的小さい一匹の蛇が痺れを切らして丸い身体に飛びつく。
その瞬間、丸い身体から大量の紫色の液体が飛び出し、蛇の身体全体に降りかかった。
「シャアアアアァァ!!?」
液体を被った蛇から大量の煙が発生し、最上階のすぐ下にいる俺にも分かるほど、焦げた臭いが漂ってきた。
その白い煙幕が晴れた頃には、蛇は見るも無惨な姿になっていた。
頑丈な鱗が消え、その下の赤い肉が露出し、漏れ出る血には白い泡がボコボコと浮き立っている。見ただけで分かるほど強力な酸だ。
痛みに悶える蛇とは対照的に、丸い身体は嘲笑うようにユラユラと揺れる。
その身体の下には、高速で羽ばたく無数の羽があった。
そう、あの風船虫だ。あのとき、俺がヤツを襲わなかったのは正解だった。
不意に、風船虫が動く。
蛇達は酸を恐れてジリジリと引き、酸を被った蛇だけが風船虫の前に残された。
風船虫はその蛇に近づき、上下反転して鋭い口を蛇に刺す。
もう息絶えているのか、蛇から悲鳴はなく、その長い身体は徐々にしぼんでいった。
俺達が昨日、死線を掻い潜って勝ったあの蛇が、たった三分ほどで風船虫の腹の中に収まった。これが種族格差か。
「カア!カア!」
突然、カラスの声が響く。
あの風船虫の行動を見ておきたいが、カラスの方が優先だ。
すぐさま階段を上がると、異様な光景が目に飛び込んだ。
「カア!カア!」
カラスが見上げている空には無数の風船虫が飛んでおり、黒雲が形成されていた。
そして、その一部がこちらへと向かってくる。
またこれだ。原因不明の群れの襲来。前の岩場も、ネズミの群れに追い出された。
とりあえず、騒ぐカラスの足に俺の尻尾を滑り込ませる。
カラスはそれだけで察し、そのまま俺の尻尾を掴んで飛び立ち、風船虫を回避した。
ヴゥゥン………と羽音が遠のいていく。
直近の危機は回避したものの、これでまた岩場を探す必要が出てきた。
辺りを見渡しても砂漠だらけで、塔以外に何もない。砂丘が無限に広がり、暑い日差しが延々と刺してくる。
ただ、その熱のおかげで、温められた地面から上昇気流が発生しているらしく、カラスはあまり羽ばたいていない。これなら長時間飛行ができるだろう。
しかし、これもいつまで続くか………。
「カア!」
塔から離れて一時間ほど経った頃、カラスが嬉しそうに鳴いた。
獲物を探して下を向いていた視線を前に戻すと、遥か遠くの砂丘の上に、焦茶色の尖ったものが見えた。
それは近づくにつれてどんどん上へ伸びていき、前の塔よりも何百倍もありそうな巨塔になる。
「カア?………………カア!カア!」
再度、カラスが鳴く。
その視線を追って下を見ると、最初の岩場と同じような規模の白い建造物が見えた。
カラスが高度を落とし、その建造物の入り口らしき穴へ向かう。
白い建造物はあちこちが崩れているものの、細かな装飾がある柱や文字らしきものが描かれた壁がかなり残っていた。
中心部には岩場と同様に水の溜まり場があるらしく、建造物の中には植物が溢れている。
その中に入ってみる。
結構広い中はいくつかの部屋に分かれており、まるで屋敷のような間取りで、ところどころ穴が開いた屋根からは幾つもの光が差している。
中心には広い廊下が通っており、そこへは簡単に行くことができた。
「ジャ、ジャア?」
見たことのない光景に、思わず声を出してしまう。
中心部には予想通り大量の水があったのだが、その水を支えているのは巨大なガラス球だった。
豪華な装飾が施されているガラスはところどころに穴が空いており、そこから水が流れ出ている。
ガラス球そのものは壁と同じ白い石材で支えられており、まるで木の根のように周囲に広がっていた。
ガラス球の上にも白い石材があり、それは木の枝のように広がり、おそらくは雨水を収集するための葉っぱのような部分も大量についていた。
ふいに、カサカサと近くの草むらが鳴る。
カラスが瞬時にそれに反応し、鋭い嘴を突っ込んだ。
草むらから引き抜かれた嘴の先には、黄色のカエルが咥えられていた。
カラスはそれを躊躇なく呑み込む。
毒があるかもしれないのでハラハラして見守っていると、俺の心配を他所にカラスは嬉しそうな声を上げた。どうやら、好物のようだ。
カラスは別のカエルを探すべく数歩進むが、すぐに俺を振り返った。
カエルを探しに行きたいが、俺の監視もしたいのだろう。仕方なく、ピョンピョン飛び跳ねるカラスの後ろを着いていく。
見たところ、この建造物の中には大きな捕食者はいないようで、カエルの他にもいたネズミやトカゲは警戒心が薄かった。前の塔でも、こういうところを見ていたら蛇のことを予見できただろうか。
一旦それは気にしないでおき、ここでの寝床を探す。
崩れているところは多いものの、ほとんどが小規模で、俺とカラスが入れる隙間はなかった。
なので、比較的大きい瓦礫を集め、部屋の隅に積んで寝床を作った。
瓦礫が少ないので少々狭いが、寝る分には充分だろう。
この日はネズミを数匹狩り、眠りについた。
翌日、寝床から這い出すと、嗅いだことのない臭いが漂っていることに気づいた。
いや、この臭いは昨日嗅いだことがある。酸を被った蛇から発生した煙と同じ臭いだ。
臭いは建造物全体に充満しており、臭いの元を特定するのは難しそうだ。
カラスもしきりに首を動かして落ち着かない様子だ。
そこまで害はなさそうだとはいえ、嫌な臭いであるのは確かだ。
その臭いから逃げるように、建造物から出る。
そこで空を見上げてみると、黒煙が空を覆っていた。
その黒煙が出てくる元を見てみると、あの焦茶色の巨塔に続いている。
もしかすると、塔の下に人がいるかもしれない。
ただ、巨塔ににかなり近づいたはずだが、それでもまだどれだけ離れているかが分からない。せっかくの今の寝床を捨てて行く気にはなれない。
人がいたとしても、今の俺はモンスターだ。目が合った瞬間に戦闘になる可能性が高い。
カラスは俺に着いてきて外に出たが、それでもまだ嫌そうな顔をしている。俺よりも鼻が利くのかもしれない。
まあ、これは一時的なもののはずなので、我慢してもらうしかない。
一応、慰めとして尻尾でカラスの頭を撫でていると、地面から振動が伝わってきた。
それは徐々に音となり、やがて轟音と地震に変わっていく。
いや、地震ではない。巨大な何かがこちらに向かってきている。
すぐさまカラスとともに建造物の中へ移動する。
しかし、揺れが酷いせいで建造物が少し崩れかけており、明らかに危険なので入り口の方へ避難した。
ちょうどそのとき、揺れがピークに達し、音と振動の主が姿を現した。
遠くから砂埃が現れる。それは少しずつ大きくなり、大量の砂を巻き上げる巨大なナニカが、砂面のすぐ下を凄まじい速度で進んでいた。
進行方向はこの建造物を逸れ、真っ直ぐ焦茶色の巨塔の方に向かっている。
やがて、その小さな砂嵐のごとき巨体は建造物のそばを通り過ぎていった。
俺以外の生物のほとんどが前世と同じだったために忘れかけていたが、異世界なのだからあんなモンスターもいるだろう。
しかし、だからといって、これを予想するのは無理がある。
「「プロポポポ!!」」
独特な鳴き声とともに、円盤型の魚らしき生物が二匹、こちらに向かってきていた。
あのモンスターの通った跡から出てきた辺り、コバンザメとかそういう類いの生物だろう。
ただ、大きな捕食者の下で育ったおかげか、その身体は俺と遜色ない大きさだった。
ちなみに、俺も砂中を泳げるので、砂漠なのに魚がいるのは別に気にしない。
魚に気づいたカラスがすぐに上空へ飛び立つ。
しかし、魚はその平たい身体を使って砂面に跳ねるように泳ぎ、まだ充分な高度でなかったカラスに激突した。
幸い、カラスは体勢を崩さなかったらしく、そのままさらに高所へ上がる。
魚のもう一匹は俺に向かってくるが、砂中に潜ることで体当たりを回避した。
当然、魚も砂中へと潜るが、そこは耳が良く泳ぎも得意なサンドワームの領域だ。
高速で魚の周りを旋回して撹乱し、魚が攻めあぐねて地上に顔を出そうとした瞬間に、その尾ビレへと噛みついた。
そのまま、砂中で引きずり回す。ちょうど建造物の近くだったので、最後に砂上に出て壁の叩きつけた。
それだけで魚の身体が割れ、中から真っ赤な臓物が溢れ出てくる。
それらを回避しつつもう一匹の方を見ると、カラスの方を諦めて俺へと突撃している最中だった。
突然のことだったため、せめてもの抵抗で尻尾をかち上げる。
偶然にもそこに魚が飛び込み、上空へと打ち上げることができた。
そして、上空で無防備になった魚をカラスが掴み、建造物の壁に押し付けて円盤型の身体を削っていく。
魚の抵抗でカラスは途中で離してしまったが、俺はその間に魚の落下地点に移動していた。
落ちてきた魚を咥え込み、その勢いのまま壁に叩きつける。一匹目の同様、平べったい身体が割れて絶命した。
魚が死んだことを確認し、残りがいないか耳を澄ます。
しかし、聞こえるのは遠ざかっていくナニカの音だけで、魚の音はしなかった。
未だ上空で飛び回っていたカラスに尻尾を振り、脅威がなくなったことを示す。
だが、カラスはそれを見ているはずなのに、なかなか降りてこない。
不思議に思ってカラスを見ていると、カラスの進行方向が変わり、地上へとは向かっているものの建造物の方ではなく、あの巨大なナニカが通っていった方に進み始めた。
その進行方向をよくよく見てみると、一つの影があった。
最初、新手かと思ったが、それにしてはカラスに対して反応せず、カラスも攻撃体勢に入らない。
やがて、影が近づき、それが何なのかが見えた。
細身の身体に、ブロンドの長髪、少し焼けた肌、砂だらけのボロボロな服とズボン。
どう見ても疲れ切っている女性が、こちらに向かってきていた。




