10、間際とて生きてこそ
「シャアアァ!!」
「カア!」
蛇の噛みつきよりも早く、カラスが俺の身体を持ち上げた。
目の前を蛇の牙が通る。ギリギリで回避はできた。
しかし、
「シャアアァ!!」
「カア!?」
三匹目が出てきた。
その蛇の口はカラスへ向かうが、それは俺の尻尾ではたき落とす。
気づけば、辺りは多数の蛇が俺達を囲んでおり、無機質な眼をこちらに向けていた。
ここは、蛇達の楽園だったようだ。俺達にとっては地獄だが。
カラスは必死に翼を羽ばたかせ、ドサッと落ちるようにして最上階へと着地する。
何回も石を運んで、さらに俺を上まで持ってきたのでかなりの体力が消費されたらしい。
このままではマズイ。俺もカラスも、今朝から何も食べていない。
それに加え、蛇との戦闘で体力も落ちている。
特にカラスはまだ慣れない飛行で体力を消費し、俺は浅いとはいえ傷を負ってしまった。
知らない土地でこの状況はヤバイ。
せめて、少しでも腹を満たしたい。
翼を広げて身体を冷やしているカラスを横目に、階段下を覗く。
幸いにも蛇は登ってきておらず、追撃はなかった。
しかし、階段の麓には待ち構えるように複数の蛇が待機しており、すでに死んでいるはずの一匹目を回収することすら難しいだろう。
一瞬、無理させてでもカラスに回収に行かせようかと思ったが、蛇は俺の二倍の長さがあるため、それは不可能だ。
当然、それは俺も同じこと。
迅速に運ぶには、俺とカラスで協力して運ばなければならない。
仲間を殺され、脅威を排除しようと息巻いている蛇達の中で、だ。
それはもう不可能だろう。
ならば、この塔から離れ、元の岩場に戻るか、別の岩場を探すか。
しかし、どちらにしてもカラスの体力が足りない。
途中で休息を取っても、砂に潜れる俺とは違い、カラスは砂上でしか休めず、その隙に何らかの生物に襲われかねない。
つまりは、カラスの体力をここで回復させなければいけない。
ならば、一匹目を回収するしかない。
もう、腹を括った。
いつの間にか沈みかけている夕日が、最上階の壁の一部を照らす。
カラスは眠りにつき、崩壊した壁の下にある隙間で直立不動になっている。
起こさないよう静かに移動し、階段を降りる。
階段下に蛇はもうおらず、仕掛けで落ちた石が転がっていた。
その石を口で一つ掴み、思い切り遠くへ投げ飛ばす。
石は狙い違わず小さな池に落ち、派手な水音を響かせた。
その瞬間、辺りの草むらがガサガサと一斉に鳴り出し、蛇達が池へと殺到する。
予想通り、蛇は俺達を諦めていなかったようだ。
しかし、その執念は愚直で利用しやすい。
また石を一つ拾い、今度は階段の途中まで登ってから、さらに遠くの池へと投げる。
ボチャンッ!と音と同時に、草むらの揺れが一気にその池へと移動した。
この調子で蛇達を遠ざければ、一匹目を回収する時間を稼げるはずだ。
思惑通り、蛇達は次々と遠くに投げ込まれる石を追いかけ、やがて塔の中心の噴水近くまで移動させることができた。
これなら、多少音が鳴っても、時間がかかっても、一人で運ぶことができるはずだ。
ほとんど最上階に近い高さの階段から降り、池の近くにあるはずの蛇の死体を探す。
開けた場所で仕留めたおかげか、そう時間がかからずに発見した。
死体にはすでに虫が集っているものの、動物に漁られた形跡はなく、充分に食料と成り得そうだ。
死体の尻尾を自分の尻尾に巻きつけ、尺取り虫のように引っ張る。
蛇の巨躯は一人ではさすがに重いものの、蛇達が戻ってくる前になんとか移動させることができた。
だが、問題はまだある。階段をどうやって上がるかだ。
サンドワームの身体では、全身を使わないと上がることができない。
ではどうするかというと、簡単な話、蛇を先に上げればいい。
さらに時間はかかるが、着実に上へと上げられる。
蛇はそこそこ重いものの、サンドワームは尻尾より口の筋肉の方が強いらしく、尻尾で引っ張っているときより早く移動させることができた。
しかし、最上階まではまだ微々たる距離だ。日はさらに沈み、塔に入る光がどんどん少なくなっている。
度重なる脱皮で聴覚は少し強化されているものの、相手は足のない蛇だ。視覚が使える今のうちに、上がれるところまで上がりたい。
やがて、日が完全に沈み、一瞬だけ塔が暗闇に包まれるが、すぐに月明かりが塔の中に差し込み、日中ほどではないものの辺りを白く照らす。
一度上がるのをやめ、階段下を覗いてみると、爛々とした無数の赤い目がこちらを見ていた。
十中八九、蛇達のものだろう。死体を持っていっているのがバレたらしい。
しかし、一匹目が階段の罠に嵌ったのを見ていたのか、階段を上がろうとする蛇は一匹もいなかった。
赤い瞳に睨まれながらも、最上階まであと一歩のところまで来た。
道中の疲れもあり、ここは一気に蛇を引き上げようと、身体を目一杯に伸ばした。
それが、良くなかった。
「ジャア………!?」
腹に鈍い痛みが走る。日中、蛇に殴打されたところだ。
その痛みは、死体を掴んで不安定だった体勢を簡単に崩し、身体を滑らせる。
一段目は、蛇の死体がクッションになるも、それで跳ねてしまったがゆえに、何かを掴もうとした口が空を切る。
二段目は、蛇の尻尾が引っかかり、身体に回転が生まれて何も掴めず。
三段目、とにかく回転を止めようとした頭が階段の角に当たり、動きを止めてしまったが、回転も止まった。
四段目、崩れた壁の破片が見えた。蛇を狩る際にカラスに用意した岩が、尖った部分をこちらに向けている。
終わったと、思った。
こんな簡単に、こんな単純に、こんな短時間で。
痛みでバランスを崩した。たったそれだけの理由で、死がそこまで迫っていた。
スローになった時間の中で、月明かりが目の前の岩を照らしている。
その尖った先端が視界いっぱいに映ったとき、ガクンッと身体の落下が止まった。
岩には、刺さっていなかった。
後ろを向いてみると、寝ていたはずのカラスの足が俺の尻尾を掴んでいる。
カラスはそのまま、俺を最上階へと引き上げた。
「カア、カア!カア!カアア!」
カラスが俺に向けて何か鳴いている。
何を言っているのかは分からないが、一人で行動したのを怒っているのだろう。
だが、今の俺はそれを気にする余裕はなかった。
これまで、『死』が迫った感覚は何回かあった。
カラスの飛来に、風船虫の群れ、ゾンビとの戦闘、ネズミの氾濫、蛇の奇襲。
それらを覆すほど、今回の『死』は近かった。
それを意識すると、安堵感が溢れ出し、身体中から力が抜けた。
「カア!カア!………………カア?」
心配になったらしいカラスが、俺の身体に擦り寄ってきた。
その温かな体温が、本当に嬉しくなる。
それと同時に、それを失うところだったと気づいた。
これからは、二人………二匹で行動した方が良い。
というか、今後はカラスが目を光らせるだろう。
俺が単独行動しないように。
もう、するつもりはないが。
「カア?………………カア、カア!」
カラスが階段を見て、興奮したように鳴く。
どうやら、今になってようやく蛇の死体を見つけたらしい。
嘴を器用に使ってズリズリと引きずり、最上階まで持ち上げた。
その後、カラスは死体を突っついて四分割し、その一つを俺の前に置いた。
蛇の鱗は、俺の歯では貫くことができない。それを分かって、カラスが分けてくれたのだろう。
本当に、カラスに助けてもらってばかりだ。
蛇の死体の半分をカラスと俺で食べ、もう半分は明日に食べることにした。
この塔は蛇が多すぎて使えない。明日で塔から出ていき、新たな岩場を探すしかない。
そのために体力を回復させるため、カラスとともに瓦礫の下で眠りについた。
カラスは、本当に温かった。




