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第一話『玉響の行き違い』(続)

その後はひたすら待っていた。木陰とは言え、気温は上昇して行く一方。今は一体何時だろうか。飲み物を何か買ってこればよかったなぁ。ぼうっとしてくる頭の中で、何を言おうか必死に考えた。


変わらずスーパーを見つめていると、一人の女性が裏口から出てきた。ジッと見つめる。美凪だ。働いている時の格好とは違い私服だったのだが、あのショートヘアを忘れるわけがない。あれだけ繰り返し繰り返し、夢の中に出てきていたのだから。


頭の中に流れてきた映像を振り切るように私は走り出した。持ってきていたカバンなんて、置きっ放しにして。また拒絶されるかもしれない、なんて考えてもいなかった。駐輪場に向かって行く彼女を追いかけて自転車に乗ろうとする美凪の名前を叫んだ。


「美凪!」


「……は? なんで、まだいるの」


「話したいことが、あるんだけど」


息を切らしながら必死に言葉にする。伝わるとか、伝わらないとか、そんなことは考えるな。ただひたすらに言葉を紡ぎ出すことしか私にはできないのだから。


「私はないから」


それだけ言って自転車の鍵を入れて動かそうとした。しかし、私は荷台のところを強く掴んで止める。驚いた彼女は目を見開いていたが、グッと力を入れて抵抗する。


「あの時のことを、謝りたいの」


「何のこと?」


「私、本当に自分勝手だった。今もそう。許して欲しいからここにきて、今更謝りたいとか言っているからあんなことを言われた。だから……」


「……もう、親友じゃないんでしょ」


ドンっと突き放された感覚。絞り出した声はあまりにも小さくて。遠くで鳴いているはずの蝉の声が耳元まで迫っているような気がした。まっすぐ彼女の顔を見ることができなかった私は、か細い声を聞いてやっと自分の顔をあげた瞬間。


私は、後悔した。


彼女を引き止めたからとか、無理やり謝ろうとしたとか、そんなものではない。彼女の、美凪の顔を見て一生癒えないかもしれない傷を与えてしまったことに。今まで気づくことのなかった大事なことに、目を向けてしまった。


「ははっ……何で、私……」


「……璃菜? ここで何をしているんですか?」


目の前が真っ暗になった私に声をかける人。地元だと言うこともあり、友人か誰かに見られたのかと一瞬冷や汗が出た。しかし、それはついさっきも聞いた声。


振り返ると、そこには手にいっぱい荷物を抱えたルナちゃんがいた。両手にパンパンの買い物袋を持っている。どう見ても重そうなのに、平然と持っている。


「ルナちゃん、何でここに……」


「それはこちらのセリフです。璃菜の予定はここだったのですか?」


「ま、まぁね」


涼しい顔をしているのだが、少し驚いているようにも見える。少しずつだけど分かるようになってきたような。いや、それよりもこの状況をどう説明しようか。


すっと目線をそらしてしまう私はまだ弱い。ぼうっとしている頭の中で考えているが、油を刺し忘れた機械のように動かない。ギギギと鈍い音がする。


「追いかけた方が、いいのではないですか」


「え?」


「今の人、大事な人なのでしょう?」


勢いよく振り返った。ルナちゃんは、私をジッと見つめる。軽くだけど、話していた内容で察したのだろうか。本当に人をよく見ている子だ。年下に気を遣われるなんて、年齢はただの数字であると思い知らされる。


「大事な人、だよ。でも、もう無理なんだ。元の関係には戻れな……」


「彼女は、そんな言葉が欲しいんじゃないと思います」


「そ、れは、どういう……」


「親友だって、言って欲しかったんじゃないですか」


「親友?」


「『私たちは親友だ』って、その言葉が欲しかったのではないですか?」


そうか。何かがお腹の上にストンと落ちた。ずっと前に話していたことを、彼女は覚えていたんだ。私が彼女に言い放った言葉を、ずっと胸の中に押し殺していたんだ。喉から手が出るほど欲しかったのは、私からの言葉だったのか。


「何か思うことがあるのなら、すぐに伝えるべきです」


二度目の彼女の言葉は、確実に私の心へと突き刺さった。人は、いつ死ぬか分からない。現代においてその言葉は通用するのだろうか。でも、人生は物語とは違って唐突に不幸が訪れる。だからこそ、目の前に大好きな人がいるのなら伝えるべきなのだろう。


「私、行ってくる」


「はい、お気をつけて」


ルナちゃんの言葉が後ろに聞こえた。自分で発言した時にはすでに走り出しており、他のことなんて気にも留めなかった。履き慣れた靴で来た自分を褒めながら、ただひたすらに走った。


ここら辺は見覚えがあるので迷いなく追いかける。ここから彼女の家までは約十五分ほどだったはず。確証はないけれど、ここを去って数分しか経ってないから頑張れば追いつく。現役ほどではないけれど、そこそこ足が速かった私はぐんぐんとスピードを上げた。


「たぶん、ここら辺の、はずっ……」


はぁ、はぁ、と息を切らせながら足を動かすスピードを遅くする。中学生の時に何度もこの道を使っているので懐かしく思いつつ、キョロキョロと当たりを見渡した。もう、帰ってしまったのだろうか。


ふぅと一息ついて歩きながら探していると「やめてください!」と叫ぶ声が。聞こえた方向へ足が勝手に動いていく。あの声は、間違いなく彼女だ。彼女の身に何かあったのだろうか。

ドクドクと全身に血が回っている感覚がして、耳に心臓があるんじゃないかと勘違いしそうだ。


「ちょっとくらいいいっしょ? ほら、同じ高校のよしみじゃん」


「だから嫌だって……!」


全力で走った先にいたのは一人の男の人に腕を引っ張られている彼女の姿。コンビニの前でのやりとりを何人かが見て見ぬ振りをしている。それもそのはず、相手の男性はどう見ても一般人には見えない。


あんな人と知り合いなのだろうか。誰も助けない様子を見て足がすくむ。


でも、助けなきゃ。私が、あの子を、親友を。


「誰かっ……!」


助けないと。


「私の親友に……何をしてるんですか!」


駆け出した足は止まることなく、掴んでいる腕が離れるように無理やり間に入った。


勢いがあったこともあり、一瞬怯んだ男性。


そして、「り、璃菜?」と驚いた声で私を呼ぶ美凪。


大太鼓を身体中に打ち鳴らしているようで、微かに聞こえたのは相手の低い声。何やら怒鳴っているようだが、状況を全く理解していない私は心臓の音で全てがかき消されている。ただ、彼女の前からどいたらダメだと自分に言い聞かせて無言で睨みつけた。


「……この、くそ女!」


ブンッと頭の上に掲げられた拳。あぁ、私殴られる。抵抗することなんてできないし、そんなに運動神経がいいわけでもない。ひたすらに自分の大切な人を守ることができるのなら。力強く目をつぶって美凪をかばうようにしてギュッと抱きしめた。


大丈夫。このくらいの罰を受けて仲直りができるのなら。


「璃菜ちゃん! 伏せて!」


「え?」


遠くから叫ばれた言葉通りに私は彼女と一緒に屈んだ。反射的にした行動だったが、ドンっと何かがぶつかった音。そして、ドシンと地面に何かが倒れた音がした。


あまりにも鈍い音だったのでゆっくりと目を開けると、そこには拳を掲げていたはずの男性が。更には彼に馬乗りになっている一人の女の子。


生温い風が吹き、流れに身を任せるように濡れ羽色の髪が動く。あまりの美しさに見惚れていると、後ろから息を切らしたロロさんがいた。


「はぁっはぁっ……やっと、追いついたわ……!」


「え、ロロさん? それに、ルナちゃんも……な、何でここに?」


「ル、ルナがっ……はぁっ……いきなり、走り始めてっ……わ、私、訳も分からず付いて来たのよ!」


はーあ、と息をついた彼は完全に膝に手をついている。あまり体力はないのだろうか。あの距離をノンストップで走って来たのなら、大したものだと思う。


それよりも、ルナちゃんが持っていた買い物袋は一体どこへ消えてしまったのだ。馬乗り状態で男性を睨んでいる彼女は手ぶらだったはず。


「あ、ルナちゃん!」


ロロさんに気が向いててすっかり彼女のことを忘れていた。ふと視線を戻すと、意識が朦朧としている男性の胸ぐらを掴んで拳を掲げていた。間に合わない、と思い止めようとした時。


「ルナ! ストーップ!」


肌に拳が触れる直前で静止の合図が叫ばれた。先ほどまで息を切らしていたロロさんの声。ピタッと止まったその拳はだらんと力が抜けたように垂れ下がる。


ちらっとこっちを見た彼女は口を尖らせていた。息を整えたのか、ロロさんはスッと立ち上がって近づいていく。目の前でピタッと止まりルナちゃんを見下ろしている。


「こいつ、璃菜を傷つけようとした」


「うん、そうね。でも、幸いなことにここの二人は何も怪我してないわ。だから、ダメよ」


「……わかった」


パッと手を離し、再びドスンと地面に落ちる男性。「次は、ないから」とドスのきいた声で威嚇をするルナちゃん。


小さく悲鳴をこぼしたそいつはどうにか立ち上がってこの場を去って行った。しかし、どうやらその威嚇はロロさんにも聞こえていたようで「こら!」と再び怒られていた。ガミガミと叱っているようだが、むすっと膨れているルナちゃんは可愛らしい。年相応の女の子に見えるのだから、微笑ましいのだ。


「……璃菜、助けてくれたの?」


「え、あ、その……まぁ、うん」


「そっか……ふふっ そっかぁ!」


唖然としていた美凪は声を出して笑った。さっきまで震えていたのに、何でそんなに嬉しそうなのだろう。私も私で今目の前で起こっていることが上手く処理できていない。ただ、私は親友を守れたってことが実感できずにいる。


「あ、あの! 今までごめん! 意地はって嫌なことばかりして、本当にごめんなさい!」


本来の目的を思い出し、勢いよく頭を下げた。彼女の顔は見えない恐怖に手が震えてしまう。自分の悪いところしかなかった過去をそうそう許してもらえるなんて思えなかったから。


悪いところを指摘するのが友達なのだろうけど、私はそれを受け入れることができなかった。心も体も未熟だったから。


「え? あぁ、あのこと? 別に気にしてないよ」


「へ? で、でも私たちは他人だって……」


「そりゃそうでしょ。璃菜がそう言ったじゃん」


「私が……あっ!」


あっけらかんとしている彼女の横で私は考え込んだ。自分の発言を思い出していると、確かに言っていた。『もう親友じゃない』と。大きな声に耳をふさぐ彼女は得意げに笑った。


「ほら、思い出した?」


「うん。ごめんね、あんなこと言って」


「ううん、私こそごめん。あんな言い方したら、誰だって嫌になるよ」


鼻がツンとする感覚とともに「ごめん」と絞り出した声が出た。視界が霞んで見える。こんな自己中心的な私でごめん。酷いことを言ってごめん。溢れて仕方ない気持ちはどうしようもないようで、言葉にするには必死だった。


「こほん。えーっと、二人とも? ちょっといいかしら?」


「ぐすっ……ロロさん。すみません、ここまでご迷惑おかけしてしまって……」


「そんなこと、気にすることじゃないわ。それよりもここじゃ暑いでしょう? 私たちの民宿でお話したらどうかしら?」


「えっ で、でも美凪は宿泊客ではないし……」


ちらっと横を見ると、ウンウンと首を縦に振っている彼女。宿泊客以外はお邪魔することはダメなところがほとんどだ。いくら変わっている民宿とは言え、そこらへんのルールはあると思っている。


しかし、「え? そんなのないわよ」と不思議そうに首を傾げた。


「まぁ一般的なホテルではあるかもしれないけれど、ご存知の通り私たちの民宿は変わってるの。だから、大丈夫よ」


ね? と進めてくるロロさん。隣ではぎゅっと手を握られているルナちゃんが頷いていた。おそらく先ほどのように暴走しないためだろう。彼女はかなり力が強いようなので簡単に抜けられるだろうけど、きっとロロさんのことを信用しているのだ。羨ましい関係だな、と心がほだされた。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」


「はい、決定ね! おやつにホットケーキ作ろうと思ってたのよ! あなた、えーっと、美凪ちゃん、でいいかしら?」


「あ、はい!」


「ホットケーキ、好き?」


「大好きです!」


「ふふっ いい返事ね。それじゃあ民宿に帰りましょ!」


元気よく響いた彼女の返事。異形頭ということもあり少し警戒していたようだが、彼の人となりがすぐに分かったのかもしれない。どこまでも人を包み込んでくれる優しさは、初対面でも感じるのだろう。誰にでも持ち合わせているものではなく、きっとロロさんだからできること。


私もいつか、彼のように受け止めるのではなく包み込める懐の深さを身に付けたい。


「あの、さっきルナちゃんが持っていたスーパーの袋ってどこにあるんですか?


「んー? あぁ、あれねぇ。お店の人に頼んで保管してもらってるの。私たち、常連だから甘やかしてもらっちゃてるのよぉ」


申し訳ないわぁ、と頬に手を当てるロロさん。主婦のような振る舞いに思わずふふっと笑ってしまった。ん? 待てよ。常連ってことは長い間通ってるってことだよね? 普通に歩いていると目立つのだから、色々噂とかあるのでは? 今まで当たり前のように会話をしていたので気がつかなかったが、色々と不思議な点が出てきた。


「ねぇ、美凪。もしかして、ロロさんのこと知ってたりする?」


「えー? まぁ、噂では聞いてたよ。異形頭の人がここら辺に住んでいるって。でも、会うのは初めてかな。何で?」


「いや、色々と不思議なところが多いと言うか……」


うーん、と一人で唸っているとすでに数メートル先を歩いているロロさんとルナちゃん。「早く来なさいよー!」と声を張っているので急いで返事をした。まぁ、深く考えない方がいいってこともあるよね。


湧き出た疑問を自分の心の中に押し込んで美凪に手を差し出す。一瞬、不思議そうな顔をした彼女だったが照れ臭そうに私の手を握ってくれた。じわじわと出てくる汗で暑さを感じる。この時期に手を繋ぐなんておかしいかもしれない。けれど、七年間離れていた時間を埋めるにはまだ始まったばかりだから。


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