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幻肢痛

 私はベットに座っていた。


 そのベットは獣の匂いのする畳ほどの薄さであった。しかしこれと言って寝心地の悪いものではなく、多少背中痛むものの、横になれるだけ十分であった。そして、獣の匂いがするもののそれはあまり不満ではなく、例えるなら革靴の匂いであったため、あまり気にはならなかった。


 ただ私はベットの横に座って、ただ薄雲を眺めている訳ではない。


「さぁ、心の準備はできたみたいだな。今から君の右足の状態を確認する。」


 私の右足がどうなっているのかを確認するために、こうやって座っているのだ。


 私の右足に乱雑にきつく巻かれた包帯を、彼女は刃元の曲がった特殊なハサミを使用して、手慣れた手つきで裁断する。


「なんだこれは…。」


 切断された直後に時間が止まったように、断面がそのままの形でそこにあった。


 血は一滴たりとも流れてはいない。まるで硝子で蓋をしたように、肉厚な血管や、たぎる筋肉の収縮が、そしてそれらを支える骨格のはりが、生命の営みのありのままがそこにあった。


 突如、幌馬車での彼女の言葉を思い出す。


「まるで人体模型…。」


 私は戦慄した。


 足がなくなった現実を突きつけられたからではない。なぜこのような状況で存在しているのかが分からないからだ。日本では神は見てはいけない禁忌の存在とされているように、人間が触れてはならない不可思議が今、私の足にこうして宿っている。それを知覚すると、もうどうしようもなく怖いのだ。


 どうしようにも堪えられない恐怖が、そこにあった。


「これはいったいどんな原理なんだ?こんな現象は初めてみる…。」


 そう誰に尋ねる訳でもなく、そう彼女は独り言ちる。


 彼女も明らかに困惑している様子であった。


「あ、あぁ。」


 恐怖が口から零れ落ちる。


 歯がカチカチ鳴り、体が震える。太股の上でぎゅっと握られた拳が震え、それを片方の手で押さえるも、余計に震えが増してしまう。


 精神がパラパラと音を立てて、砕けた。


「落ち着け、心配しなくていい。お前に危害を与える存在はここにはいない。」


 そう彼女は慰める。


 しかし、私の耳には届かない。


 私はひどく項垂うなだれるようにして、頭を抱える。その様子を見た彼女はどう思ったのだろうか。


「茶でも持ってこよう。」


 そう彼女は席を外した。


 今にも落ちてきそうなほどの鈍色の空の底に、執着する夜露の残りに、孤独とはどういうものなのかを感じた。


 窓から小鳥がくちばしでつつくような音がする。


 雨が降り出したようだ。



 ……あれからどれほどの時間が経過したのだろうか。


「ハーブティー。」


 私は、見たままの物を無意識に呟いていた。


 清涼系の甘い優しい薫りが鼻を抜ける。


 両手の内には、いつの間にかティーカップが握られていた。


 じんわりとした温もりが手のひらに伝わる。


 それはリンゴのような透明感のある液体に、浮遊物が渦を巻くように踊っていた。私の瞳はカメラでフォーカスするようにギューッと絞られ、その甘美な揺蕩たゆたいに、頭が固定されたように恍惚こうこつに見入っていた。


 私はおずおずと口を近づける。鼻に近づく蒸気と共にぐっと薫りが強くなる。

 

 暖かい。


 最初はリンゴに似た甘い香りが鼻腔をいっぱいに満たす。それから、ほんのりとした青草の苦みと酸味が追いかけ、後腐れなくすっと消えていく。それは大輪のつぼみがほぐれるように、それは徐々に姿かたちを変え、積み重なるストレスを融解するようである。そして、緩やかにゆったりと、私の締め付けていたものが溶け出し、じわりじわりと外へ滲みだす。


「…えっ。」


 いつの間にか、瞼から筋を引いて熱い涙が零れていた。

 

 私の近くに座っている彼女を今、初めて認識する。


「お前の涙の理由は推し量れるものではないだろうが、一つだけわかることがある。」


 私の頬に彼女の手のひらが触れ、そっと涙を拭う。

 

 あの強面からは想像もつかない程の、天使のような柔和な微笑みであった。


「もしかしたら、お前の苦悩を理解してやれるかもしれないぞ?」


 心の中でピンと張っていた何かが弾け、それをきっかけに、金柑きんかんと見間違える程の大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。拭っても拭っても零れ、拭い行き場のなくなった涙は腕へと伝う。もうこれ以上拭うものが無くなり、ついには膝を濡らした。


 彼女は私をぐっと抱き寄せた。年甲斐もなく、胸の中で泣きじゃくった。

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