9.祠
眠りから覚めてぼんやりと今はいつなんだろうと考える。ここの時間の流れはどうやら外よりゆっくりらしい。ネコの町に行ったときは初夏だった気がするが、今はどうだろう。ここは温度の変化もなく外の物音も一切聞こえないからさっぱりわからない。
寝床でゴロゴロして見たが暇になったので起きだす。師匠は眠っているようだ。部屋の隅に買ってきた服の袋があった。そういえば洗濯の話してたんだった。
ずっと着ていた服を脱いで買ってきた半袖のワンピースを着た。タライに水を張って着ていた服を入れる。今日は取り合えず水洗いでいいだろう。適当にじゃぶじゃぶと洗ったところで空の魔石を手に取った。タライの中の水を魔石に移す。服が含んでいる水を移動させるのに少し苦労したが、慣れればなんてことはなかった。これで服はほとんど乾いたが、もうちょっと完全に乾かしたい。
悩んでいると後ろから声をかけられた。
「そっちにハンガーがあるから使いな。壁にかけて服が燃えない程度の熱風を送るんだ。」
なるほど。言われたとおりに服を壁にかける。暖かい風・・・
ふわっ
手のひらから生暖かい風が出た。
「そんなんじゃ乾くのに何時間もかかるよ。」
師匠の呆れた声に私は風力を上げた。
ヒュツ
ワンピースが壁から外れて落ちた。
「風弱めて。もうちょっと服が乾きそうな風をイメージしな。」
わかってるし・・・私はワンピースを拾ってもう一度壁に掛けた。服が乾きそうな風・・・ほどほどの風量とカラカラに乾いた風。水分を根こそぎ奪うような。
ヒュツ
ワンピースは少し揺れただけで落ちなかった。触ってみるとほぼ乾いている。
私がドヤ顔で振り返ると師匠は肩をすくめた。
「飲みこみが早くて助かるよ。」
「私、天才みたいです。」
ドヤッ
「そうかい・・・またご飯を食べに行っておいで。」
「お腹は空いてないけどそうですね・・・師匠なにかいるものあります? お土産買ってきましょうか?」
「いらん。外は暑いから気をつけて。じゃあな。」
師匠はそう言ってまた目を瞑ってしまった。
私は教えられた通りしゃがんだ状態で町の広場へと移動した。
「暑っっっつ!」
外の世界は真夏だった。しかもどうやら昼過ぎらしい。私は周りに人がいないのを確認して立ち上がった。こんな所に数分もいたら干からびてしまう。
以前はいい匂いをさせていた食事屋の通りも今はしんとしている。昼食にはもう遅いのかもしれない。私は慌てて前に食べたオムレツ屋さんに入った。
「いらっしゃい! どこでも座ってー。オムレツでいい?」
前に会ったお兄さんが出迎えてくれた。私が頷くと厨房に消えていく。店内は私のほかに客二人組とお兄さんしかいないようだった。
「はいお待たせー。おねえさんってさあ、前にもうちに来てくれたことあるよね?」
「ある。」
「だよねー! 美人だから覚えてるよ! 今日は仕事?」
「まあね。」
「暑いのに大変だねー。まあ厨房はもっと暑いから俺死にそうなんだけどさー。」
随分と人懐っこい子だ。ニコニコと喋るのでつられて私も笑顔になった。だがお兄さんはすぐに別の客に呼ばれて行ってしまった。
久しぶりに食べるオムレツはやっぱり美味しかった。この人と結婚してここに住むのもいいかもしれない。お店を手伝って、たまに師匠の所に行ったりして。
そんなことを考えながら食べていると先にいた客が帰って、店内が二人きりになった。
「店閉めるけど、ゆっくり食べていいからね。」
そういうとお兄さんは店の外の片づけを始めた。時計を見ると二時過ぎだった。これからちょっと休憩して夜の営業に備えるのだろう。
・・・いきなり手伝います!とか言ったらおかしいよな? おかしいな、うん。
私は立ち上がるとお会計を頼んだ。
「また来ますね。」
そういうとお兄さんは待ってるよと微笑んでくれた。
その日は雑貨屋でいい匂いのする石鹸を買った。町はずれまで歩くのが面倒だったので路地裏から瞬間移動した。暑すぎて人がいなかったので大丈夫だろう。
戻ると師匠は眠っていた。私も自分の寝床に横たわった。ご飯を食べたせいか、瞬間移動という大きめの魔法をつかったせいか、やたらと眠い。
私は自分のお腹に手を当てて、自分の体の中を覗いた。
暗い人型の中に沢山の赤い線が見える。血の流れかもしれない。胸の真ん中には真っ赤な石があった。以前見た師匠に石よりも大きい。つまり魔力が師匠よりも多いということだろう。
「やっぱ私、天才じゃん・・・」
そんなことを考えていたらいつの間にか眠ってしまった。
****
師匠に揺さぶられて目が覚めた。
「・・・何ですかぁ?」
「ハリーが外で暴れている。うるさいからあんた行ってきな。」
仕方なく起き上がったが、私には何も聞こえなかった。
「気のせいじゃないですか? 用があったら入ってくるでしょ。」
「ここは強い魔力がないと入ってこられない。うるさいから早く行け。」
追い立てられるように扉を開けると、驚いたのか目の前でハリーがしりもちをついた。持っていたらしい大きな石が横を転がる。
・・・ひょっとしなくても、その石で扉を壊そうとしてた?
「何してんの?」
「呼んでるのに出てこないからだ!」
ハリーは叫んで起き上がると、私の腕を引っ張って歩き出した。辺りは暗い、どうやら夜の様だ。
「痛いなっ! 何すんだよ!」
振りほどこうとしたが意外と力が強い。魔法を使えばすぐに殺せるが、さすがにそれはしたくなかった。
ずるずると玄関まで引き摺られて屋敷の中に投げ飛ばされた。
「・・・何か用?」
摘まれていた手首を擦りながら聞くと、ハリーは不気味な顔で笑った。
「明日は秋祭りなんですよ。領主の妻がいないと困ります。」
「・・・知ったこっちゃないんだけど。」
「あなたは私の妻なんです。隣に居てくれないと困ります。」
いやだからさ・・・と言いかけてやめた。話が通じそうにない。
「死んだとか逃げられたとか言っとけばいいんじゃない?」
「そんな事できるわけないでしょう! ただでさえ魔石がなくなってきてるのに。お前はいつになったら魔石を作れるようになるんだ!」
言ってること滅茶苦茶だなぁ。なんだか物凄く面倒になった。
「・・・とりあえず師匠の世話はするし、してるから。それさえしてればいいって言ってなかったっけ?」
「魔石は?」
「金払うなら作るよ。」
バチンッ
ハリーに平手打ちされて私は吹っ飛んだ。だからなんでそんな細いのに力は強いんだ。
「金なんかお前を買うのに全部使った! もう何もないんだよ!」
わーお。全財産叩いて私を買ったのか。すごーい。
私は頬を押さえながら立ち上がった。どうしたものか。
「魔石を作らないならあの祠は焼き払うぞ、それでもいいのか!」
祠というのは師匠が住んでいる場所だろう。笑える。
「守り神って言ってんのに焼き払うの? できると思ってる?」
「出来なければっ」
ハリーはこぶしを震わせて叫んだ。
「お前を柱に縛り付けてババ様に願いを請う。お前さえいなければババ様はまた魔石を作って下さる筈だ!」
へえ・・・という感想しかでなかった。私はハリーと師匠の関係性を知らない。本当に泣いて願えば師匠は魔石を作るのかもしれない。
「まあ、好きにしなよ。別に縛らなくても邪魔しないから。私は今日こっちで寝るけど、邪魔したら殺すからね。」
私はそう言って二階へと続く階段を上った。後ろで玄関が閉まる音が聞こえてハリーの気配が屋敷から消えた。
二階の私の部屋と言われた場所は、私が出て行った時から変わっていなかった。掃除もされていないようで、どこもかしこも薄っすらとほこりが積もっている。仕方なく窓を開けてとりあえずベッドの上の埃を吹き飛ばした。一晩だけだからこれでいいだろう。
靴を脱いでベッドに潜り込む。相変わらず寝心地はいい。
「もう秋祭りなのか・・・」
春に嫁に来て気が付けばもう半年が経過したらしい。しかしハリーは一体何がしたいんだろう。先程の話を聞く限り、私をメイド兼師匠の世話係にして師匠に魔石を作り続けてもらうのが理想のようだ。どうやら師匠の寿命が近いのをわかっていないらしい。
まだ痛む頬に手を当てた。口の内側も切れているが、こうちょちょっと、赤い線の乱れを治してやればいい。
・・・ほら、すぐ治った。