ルビー
空よ大地よ 我らの友を眠らせろ 我らの怒りを眠らせろ
花よ星よ 流れて願いを叶えたまえ 我らを果てへと返したまえ
この悪魔の為の歌を歌える者はいま何人いるのだろう。私は子供の頃母が歌っているのを聞いて覚えた。だが母はとうに亡く、この歌を知っていると言っていた師匠も死んだ。自分の子どもも作ってはみたが他人に預けてあるので今どんな顔をしているのかも知らない。黒髪で黒い目の普通の人間の女の子だった。可愛かったがどうせ私よりずっと先に死ぬのだろうと思うとなんだか面倒だった。
「その歌たまに歌ってるな。なんの歌?」
先程まで眠っていた夫が欠伸しながら私の横に座った。窓の外は鮮やかな夕焼けだった。私は別に昼でも夜でも気にしないが、夫は夜が活動時間だ。
「悪魔の歌じゃ。悪魔のくせに知らんのか。」
「知らない・・・でもいい歌だな。もう一回歌って。」
寝起きでぼんやりしている夫のおねだりは少し可愛い。仕方なく先程より大きな声で歌ってやった。
「------悪魔を慰める歌じゃ。お前が死んだら歌ってやる。」
「そりゃどうも。」
夫はまだ少しぼんやりしている。陽はちょうど沈むところで空はオレンジの光がとても美しかった。
「お茶でも飲む?」
「うん」
夫はコップを持ちながらぼんやりと空を見ていた。虫の声だけがして、まるで世界に二人きりのようだった。
このままずっと、こうしていたい。
センチメンタルな考えに自嘲する。私はまだ恋をしているのかもしれない。
「パル、さっきの歌覚えててね。」
「わかった」
夫は短く返事をすると立ち上がってどこかへ行ってしまった。空は少しずつ星の数を増やしている。
恋を知りたいという私の願いは叶ってしまった。あとはもう死ぬだけだ。私はきっと夫より先に死ぬだろう。別にそれはいいんだけど。
「ユマ・・・」
小さな声で呼びかける。あれは恋だったと、どうやったらあなたは信じてくれるだろう。もう死んでるから無理かな。生まれ変わっても無理なのかな。
「いい加減にしろ。行くぞ。」
苛ついた様子の夫が戸口から呼ぶ。先程とは違って黒いパーティスーツを着こなしておりとてもカッコいい。
「別に急ぐ必要はないじゃろ?」
「僕を待たせるなって言ってるんだ。」
仕方なく立ち上がり怒っている夫にキスすると夫は口紅の跡を心底嫌そうに拭った。私の準備はとっくに出来ていたのに、全然起きてこなかった奴の方が悪いと思うんだけどどうかしらね。
最近景気がいいという貴族の屋敷に向かう馬車の中で、夫はポツリと言った。
「助けるなよ。」
主語はなかったが、意味が分かったので頷いた。彼の姉の話だろう。パルの姉はこの間子どもを産んだがどうにも体調が戻らないらしい。このままではもうあまり長くないだろう。
助けるなというパルが時々寝ている姉を訪ねてこっそりと治療しているのを私は知っている。だがパルは治療が苦手だ。私ならあの子を何年も延命させることが可能だが、パルは決して私には頼まない。無理な延命が人をおかしくさせることを知っているからだ。
かつて私はユマの母親を10年以上延命させて生き続けさせた。それがユマの望みだったからだ。だがボロボロの体で生き続けた母は心も病んでしまった。それを見たユマも少しずつおかしくなった。結局誰も幸せにはならなかった。
人間には寿命がある。私の夫はそれを今、歯ぎしりしながら受け入れようとしている。シスコンの彼には辛かろうが受け入れてもうらうしかない。まったく、未だに妻より姉の方が好きってどういうことなんだろう。私だってリチのことは好きだけど。
「わしがずっと一緒にいてやるよ。」
そう言って夫の手を握ってみた。
「うるさい」
夫はそう言ったが手は振り払われなかった。姉のことしか考えていなさそうな横顔をじっと見つめる。見つめられているのを知っているくせにこちらを見ようともしない。
もうしばらくこの茶番を続けよう。
私はそう決めて夫へとべったりもたれかかった。
悪魔が果てへかえる日まで、一緒にいようよ。パル。




