14.惨めな男
これは大昔の惨めな男の話だ。
男は裕福な貴族の息子として生まれた。奇麗な紫の目と髪、難しい話でもすぐに理解してしまう回転の速さ、加えて幼いころから魔力が強かった為、何にでもなれると言われて育った。
だが男は姉と一緒に家業を継ぐことを決めていた。男の家は養蚕や織物業などを営んでおり、それらを元にした貴族の服も作っていた。華やかに飾り立てる女や沢山の人たちと楽しくパーティを楽しむことが男は好きで、それを天職だと思っていた。きっと自分は何にでもなれる。だが敢えて家業を継いでこの家を更に大きくする。華やかな社交界の中心になることが男の野望だった。
だが地方で天才児と言われても、都会に出ると凡人だったというのはよくある話だ。
15歳で王立学園に入るため王都に出てきた男は、一人の平民の女と知り合う。美しい容姿と自分よりも強い魔力を持ったその女を、男は最初好きではなかった。だがいつの間にか好きになってしまった。この辺りは男の記憶から消されている。きっともう二度と思い出したくないほど美しい思い出なのだろう。
男は友人の男と一緒にその平民の女を取り合うことになった。女もそれを楽しんでいるようだった。だが女の気持ちはだんだんもう一人の男の方に傾いていった。選ばれなかった男は苦しんだ。女にキツイ言葉を投げれば投げるだけ、女の気持ちは離れていく。わかっていたのに男にはどうすることもできなかった。
学園生活三年目の最後の夏休みに、学園に魔界の扉が現れた。当時学園で1、2を争うほど魔力が強かった男と女、そして剣が学園一強かった友人の男が扉の中のボスを倒すよう命じられた。
ボスを倒すまでの1か月、あんなに楽しい日々はなかったと男は死ぬ直前に振り返った。
扉に入る前のギスギスした空気は完全に消え、みんなで魔物を倒すことだけに集中した日々。少しずつ強くなっていく自分たち、昔の様に屈託なく笑いあえたあの素晴らしい日々。
最後のボスはとても強かった。友人の男は弱ったボスに止めを刺そうと、敵の懐に入り見事敵本体に刃を突き立てた。ぐったりしたボスが死んだかのように見えたその瞬間、ボスは友人の男を殴りつけて吹き飛ばした。吹き飛ばされた男はピクリとも動かない。他の仲間も満身創痍だ。このままではここで全員死んでしまう、あの愛しい女も、二度と得ることができない大切な友人たちも。
男は最後の力を振り絞り、全ての魔力を使ってボスを攻撃した。これで魔力が枯れても、自分が死んでも、本望だと信じて。
やっとのことでボスに止めを刺しボスの体が崩れて灰になるのを見て、男はようやく後ろを振り返った。みんな勝ったぞ、生きて一緒に帰ろう。そう思ったのに----
振り向いた男が見たのは愛しい女と友人の男がキスしている姿だった。目の前が真っ暗になり、気が付いた時には男は自分の部屋のベッドで寝かされていた。重傷を負ったのは自分と友人の男だけで他の者は軽症だったらしい。それはいい。本来魔法使いは前に出て怪我をすることはないが、今回が特殊だっただけだ。だが友人は大怪我の代わりに女を得た。自分はこんな大怪我をしたのに友人も女も失った。この差は何だ?
いくら考えてもわからなかった。秋になり冬になり体の傷は完全に癒えたが、心の傷が癒えることはなかった。領地の家に帰ると姉の友人を紹介された。周りはその女と結婚し姉と共に家業を支えろと言った。それまで当然だと思っていたその道を、男はもう進むことができなかった。
あの女は男が初めて見つけた宝石だった。彼女に比べればどんな花も色褪せて見えた。男は家業を継ぐことをやめて軍に入った。軍は強い魔力を持つ男を歓迎してくれた。
軍で一年二年と研鑽を積み、男の魔力は軍のナンバー2となった。今はまだ若いから無理だが、いずれ自分は軍のトップになると信じて疑わなかった。実際に少し前から軍の中で軍トップのドーナー家領主に反発する一派が、クーデターを起こすという噂が広がっていた。男は消極的だが反ドーナー派に与することを決めた。半分は家同士の付き合いだったが、半分は早く軍の中で出世したいという欲の為だった。
一方男の目の前で結ばれた二人は学園を卒業してすぐ結婚していた。別にどうでもいいと思った。勝手にやっててくれと。自分はいつかあの女より素晴らしい女を手に入れるんだからと。
そして春のある日、軍トップであるドーナー家領主が突然失踪した。ついに何かが始まったのだと男は緊張しながら次の展開を待った。失踪した領主の娘に会ったときは、この女を落とせば今後が有利になるとおもって口説いてみたが、残念ながら袖にされてしまった。ではどこだ? どの潮目に乗れば勝ち上がっていける? 全ての者の上に立って、俺は負けていないとどうやったら証明できる?
数日後、魔王を名乗る男が現れてドーナー派と戦いを行うことを宣言した。戦いの日時と相手を指名するという前代未聞の出来事に、戦い前夜の軍は混乱を極めた。男は軍関係者としてその長いだけの会議に出席した。
「魔王に対抗するために魔力が強い人間をできるだけ集めるべきだ。」
そう言って歴代の王立学園で優秀な魔法の成績を修めた者の名前が読み上げられた。当然男の名前と、あの平民の女の名前があった。
「あいつは今、妊娠中です。戦いに参加できるとは思えません。」
男は気力を振り絞って言った。庇いたくなどないが、身重の女を戦いに引っ張り出すなんて非人道的だと思ったからだ。
「妊娠? ・・・平民のくせに貴族の為の学園にただで通った挙句、ちゃっかり貴族の男を捕まえた女だろう。少しは貴族の役に立つべきだ。そんなものは関係ない。」
男は怒りで手が震えた。何も知らないくせに。女の身で魔界の扉に入り戦ったあの女の気高さは、一生戦場に出ることのない奴らとは比べ物にならないというのに。
「ドーナー派であれ反ドーナー派であれ、妊婦を戦場に出したという事は後の世で必ず汚点となります。それに私はあの女より強い魔力を持っています。私が出れば十分でしょう。」
会議は混迷を極め朝方まで続いた。結局戦うのは魔王本人が指名した二人となり、魔王がその二人に勝てば軍が出るということになった。だが実際は魔王が勝った時点で反ドーナー派の勝ちが決まり、その後の政治は反ドーナー派が乗っ取ることになるだろう。
殆ど寝ていない体を引きずり男は戦いの場へと赴いた。同じような軍関係者と反ドーナー派で有名な貴族がその場に揃っていた。
馬鹿馬鹿しい。どうせ茶番だろうという男の考えは戦いが始まった途端吹っ飛んだ。戦いと同時に張られた半円状の透明な幕のお陰で見ている者にはそよ風すら届かなかったが、その幕の内側では信じられないぐらいの激しい戦いが繰り広げられていた。激しい炎と風、光の点滅の間に人間が信じられないようなスピードで飛んでいた。
誰かが、人間じゃないと呟いた。
魔王と戦っている失踪したドーナー家領主の弟は信じられない剣さばきで魔王を追い詰めていた。華々しい兄とは違って地味でなんの評価もなく田舎から出てこない弟だったが、その強さは凄まじかった。剣を主とする軍人たちは震えあがった。なぜあんなに腕がある剣士が名も知られず田舎で埋もれていたのかと。
もう一人魔王と戦っている男はまだ若く王立学園を卒業したばかりの平民だったが、物凄い魔力の持ち主だった。成績優秀で役所に入ったのに中途半端に軍の仕事もやっているどっちつかずの奴、それが男から見た評価だったが戦いを見てその考えを改めた。なぜここまで強いのに軍ではなく政治部に入ったのか。軍とはいったい何だ?
多くの者が口を開くこともできぬまま戦闘を見ていた。皆が格の違いを噛みしめていた頃、ドーナー家の弟が倒れた。それを見て戦いの中に入っていこうとした男がいた。今あの幕の中に入ったら死んでしまう。男はとっさに抱きとめてこれ以上進んではいけないと諭した。だが男はまるで倒れた男しか見えないように何度も名前を呼んで前に進もうとした。
見かねた他の軍人が暴れる男を取り押さえ腹に拳を叩きこんだ。男は地面に倒れたが、視線だけはずっと戦いから外さなかった。
戦いはドーナー派が勝った。魔王は負けた。負傷者が運ばれ周りで見ていたものも散りじりに帰っていったが、男はその場から動くことができなかった。耳にはまだ必死に名前を呼ぶ声が残っていた。どう見ても軍人ではないのにあの戦いの中に入ろうとするなんて自殺行為だ。だが男はその行為の中に無私の愛を見た気がした。
無私の愛は美しい。あの夏、扉の中で自分の全てを差し出して仲間を守ろうとした自分もきっと美しかったに違いない。なのになぜ、自分は愛されなかったのだろう。
魔王が死んだ後も表面上は何も変わらなかった。ただ少しずつ、少しずつ反ドーナー派が閑職に追いやられていった。男も近衛という一見すれば出世のような役職に異動になった。だが近衛から軍の要職についたものはいない。平和なこの国では近衛は高い魔力も剣の技術も持て余すだけだ。自分はまだ若いし今からでも戻って家業を継ぐべきか考え始めた頃、王太子紀に出会った。
出会ったと言っても一方的に仕事で見かけただけだ。だが男は一方的に出会って一方的に好きになった。子どももいる幸せそうな人の妻を好きになった。もちろん想いが成就することなどない。だが近衛として一生この人守ろうと決意した。それは男が考える美しい無私の愛だった。叶う事を望まなければずっと清らかな愛のままでいられる。
しばらくして王太子紀は病にかかった。高熱がでて医者は命が危ないという。男は王都で病を治すと評判になっていた魔女を医者として王城に招いた。得体の知れない魔女を招き入れるなど近衛としてあってはならない。だが男は王太子紀を助けるのに必死だった。
処罰されてもいい、なんなら自分の命を差し出してもいい。そう思っていたのに魔女が病を治すのと引き換えに望んだのは、王太子紀の娘であるまだ7歳の姫だった。
男は姫を魔女に差し出した。魔女は王太子紀の病気を治した。
魔女は姫を呪うように愛し、姫も助かったはずの王太子紀もどんどん弱っていった。男は何度も魔女に姫をかえすように頼んだ。
「ダメだ。この女は私のものだ。」
「女が欲しいのなら他の女をやる。だから姫様だけは返してくれ。」
「お前が差し出した生贄じゃないか。私はお前の願いを叶えてやったのに。」
魔女は男を嘲笑った。
「誰にも愛されない哀れな男だ。欲しいものを奪うだけの力もない、思いが報われることもない。」
結局姫もその母も歳若くして死んでしまった。男は失意のうちに軍を辞めシナト領に戻った。姉は家業を継ぎ子どもをもうけ逞しく生きている。自分などもう必要なかった。自分がしたことは姫様を早死にさせたことだけだった。
男は自分が生まれたことを呪ってその生涯を閉じた。40年もなかったその生涯で男が残したものは、一冊の日記と紫色の石だけだった。亡骸も残さず逝った男の葬式は行われず、周囲にはしばらくして男は病気で死んだとだけ伝えられた。
男が残した紫の石は魔女が持っている。




