12.魔王になれなかった男
いつかはきっと、この人の横に並べる筈だ。
ドーナー家に代々仕えている一家は複数いる。だから敷地の片隅で遊んでいる子供の姿は珍しいものではない。俺はいつもそこでリーダーを気取っていた。親父は警備隊の中でも優秀な人間しかなれない”影”だし、俺だって将来的にはそうなるつもりだった。だから年上だろうが命令したし、繕い物なんて女の仕事はやりたくなかった。当時五歳の俺は絶好調だったといえる。
だがある日そこに領主様の息子が現れた。ハジムという二歳年上のその子は何でもできた。剣を振るえば大人にも対抗できたし、魔法も使えておまけに針仕事だって得意だった。
「きみは将来、僕の護衛になるって言われてるんだから。これぐらい出来ないと。」
ハジム様にはどんな勝負を持ちかけても勝てなかった。負けて負けて、それでもいつか何かで勝つと信じていた。確かに今はなにも勝てない、でも俺だって俺にしかできないなにか素晴らしいことがあるはずだ。それまで俺はハジム様の忠実な部下でいようと思った。
いつかきっとこの人の横に並べる筈だ。
全く根拠のないその考えを俺は腹の底から信じていた。だって、たかが二歳差だ。大人になればきっと些細な差になる。
「早く大人にならないといけないんだ。両親には悪いけど僕には探している人がいるから。」
ハジム様が俺にそうこっそり教えてくれたのは、俺がまだ六歳ぐらいの時だった。それでも既にハジム様が周りの大人から気味悪がられていることは知っていた。
ハジム様は生まれた時から字が読めて計算もできた。当時屋敷にあった本、古い帳簿や決算書も含めて全て六歳までに読破したらしい。全く子どもとは思えないその言動に親である旦那様や奥様は気味悪がっていた。ハジム様が俺たちのような子どもの遊びに参加してきたのは、もう少し子どもらしく振舞って欲しいという誰かの願望だったのだろう。
「手伝うよ。早く見つかるといいね。」
俺がそう言うとハジム様は嬉しそうに笑った。今ならわかる。俺が大して考えもなしに言ったその言葉が本当に嬉しかったんだろう。ハジム様が俺の前であんな風に笑ったのはあれが最初で最後だった。
俺はその頃自分が父親のように”影”になることを疑っていなかった。執事の子は執事に、メイドの子はメイドに、それぞれの人間が与えられた役割を果たす。親もその親もずっと繰り返してきたことだ。
だが俺の祖先はどうやらそうではなかったらしい。13の時ハジム様が王立学園に入る為に領地を離れ王都に行くので、俺も護衛としてついて行くことが決まった。歳が近いので学園内でも目立たないだろうという配慮だった。
「お前の祖先はクーデターを起こした魔王だ。」
王都へ向かう前日親父にそう告げられた。魔王はドーナー家のハジム・クマンド兄弟に敗れたが、王家とドーナー家の温情で生き延び二人の子をなした。その片方が今王族となり、もう片方がドーナー家に仕えているという。
「そんなの損だ!」
それが俺の率直な感想だった。だって生まれる場所が違っただけでなぜ片方が王族で片方が使用人なのか。親父は長々と自分たちがいかに恵まれているのかドーナー家にどれだけ世話になったか等を語ったが、俺は殆ど聞いていなかった。
自分には魔王と王族の血が流れている。
考えただけでワクワクした。昔の様に王族が全員死んだら俺が王になれるかもしれない。何かのきっかけで魔力が上がれば魔王にもなれるかもしれない。
だがハジム様のお供で出たパーティで国王の顔を見た瞬間、ワクワクは少し萎んだ。国王の容姿は親父にも俺にもまるで似ていなかった。親父に揶揄われたのかもしれないと少し冷静になった。
ハジム様が魔法の授業に出た際、その圧倒的な魔力にも驚かされた。領地ではかなり力を加減していたらしい。しかもハジム様ほどではないにしろ、魔法を使えるものが学園には沢山いた。俺の手からはどんなに頑張っても数滴の水しかでない。親父だって似たようなものだ。
クソ親父に騙された。そう思いながらハジム様について学園に通い続けた。ハジム様には一緒に勉強するように言われたが、面倒だったので適当な本を読んでお茶を濁すことにした。学園内の図書室には魔王に関する本がいくつかあったのでそれを少しずつ読んだ。
どの本も魔王は人間離れした恐ろしい存在だと書いてあった。口から火を吐き、手から稲妻をだし天候すら操ったという。
「ドーナー家のご兄弟はどうやってこんなのを倒したんでしょうね。」
俺はため息をついて本を閉じたが、ハジム様は笑っただけだった。
「・・・そう言えばね、ドーナー家から魔王がでてくるって噂があるんだよ。」
「うちから?」
「もっとも100年以上前から言われてるけどね・・・僕は会いたくないなあ。」
ハジム様はそれだけ言うとまた勉強に戻ってしまった。今ドーナー家で一番魔王に近いのはハジム様だと思うがどうやら自覚はないらしい。
図書室の中は人もまばらで、ハジム様がペンを走らせる音だけが聞こえた。ハジム様はこの夏、縁もゆかりもないシナト領に出掛け5歳の女の子にプロポーズした。
俺だけは事前にずっと会いたかった人に会いに行くと聞かされていたが、正直半信半疑だった。行ったこともない土地に、会ったことはないけど会いたい人がいるとはどういうことだ。
だがハジム様は迷わず五歳の女の子の前に跪いた。そして女の子が頷くのを見て嬉しそうに笑った。あんなに嬉しそうなハジム様は見たことがなくて、俺は少し泣きそうになった。よくわからないけど良かったと思った。
ハジム様が今熱心に読んでいるのは蚕の育て方だ。詰んである本を見るに製糸業全般を学ぶつもりらしい。この間までは服飾の歴史を学んでいた。どちらもシナト領に関するもので婿入りでもする気なのかと冷や冷やする。その内ドレスでも縫い始めそうだ。だがハジム様は笑って否定した。
「他に兄弟がいればその人にドーナー家を任せてそうするのも良かったけどね、残念ながらいないから。この勉強は念のためだよ。」
ここで俺が継ぎましょうか?とか言わない程度には俺も大人になっていた。ドーナー家の後継ぎという重圧は途轍もないものだ。俺に務まるとは思えない。
ハジム様は毎年女の子に会いに生き、5年後あまり乗り気ではなかった先方を説き伏せ女の子と婚約した。ハジム様は20歳で相手はまだ10歳だった。俺は毎年ハジム様がシナト領に行くのに付き合っていたが、正直ハジム様が惚れこむ理由はさっぱりわからなかった。どこにでもいるようなちょっと可愛いだけのおどおどした女の子だ。俺はそれよりもハジム様をいつも睨みつけている女の子の弟の方を気に入っていた。姉を取られそうで怒ってるなんて可愛いじゃないか。
ハジム様は学園卒業後少し各地を回った後、ドーナー銀行の副頭取となった。大人たちと難しい話をしているハジム様は立派な次期領主の顔をしていた。もう俺はハジム様がしていることがさっぱりわからなくなっていた。まあそれでもいい、所詮俺は影だ。魔王かどうかは知らないが少なくとも親父は同じようにしてドーナー家を守っている。
小さかったハジム様の婚約者リチも15になり、ハジム様は学園進学に託けて強引に自分の屋敷へ婚約者を住まわせることに成功した。大人げないと思った。15と言ってもリチはまだ子どものように見えたし、ハジム様を絵本に出てくる王子様だと信じているほど幼かった。実際にはそこそこ怖い人なのに。
リチはドーナー家にきてしばらくすると前世の記憶を思い出したそうだ。確かに人が変わったとしか思えない言動の変化はそうとしか見えなかったが、正直気味が悪かった。上手な芝居を見ているようで、次の瞬間には舌を出して笑うんじゃないかという得体の知れない恐ろしさがあった。でもそれもあの言葉を聞くまでだ。
「ハージム」
リチが酔っぱらって甘い甘い声でその言葉を発した時、この二人が心の底から想いあっているのを感じた。前世だかなんだか知らないけど、二人はお互いに惚れていて、きっともう離れることはないんだろう。俺は生涯それを横で見続けることになる。
長い間ハジム様の周りには俺しかいなかった。あの優秀でなんでも出来るきれいな男が唯一近くにいることを許可したのが俺だった。でもきっとこれからは三人だ。子どもでも生まれたら俺の位置はどんどん端に追いやられていくだろう。
だから魔女を口説こうと思った。魔女はハジム様に匹敵するほどの力があるそうだ。だが見た目は細くて若い女だし、いくら強いといっても力で抑え込めばなんとかなるんじゃないかと思った。これでも多少腕に覚えはある。目の前で消えたり現れたりできたって、所詮それだけじゃないか。
ハジム様が苦手する魔女を手に入れたら、きっと見直してくれる。そんな子どもじみた考えで俺は魔女を口説いたがまったく相手にされなかった。
俺は見た目も悪くないし格闘に関してはかなり強い。剣もナイフも使えるし女には優しいと自負している。なのに魔女は俺をろくに見もしなかった。それどころかリチの弟を口説くとか言いだす始末だ。あんなのまだ子供なのに。
「魔女が子供好きっていうのは本当なんですね。」
だから面と向かって嫌味を言ってしまったのは仕方ない。昔読んだ絵本も魔女は子どもを閉じ込めていたし、きっと大人の男の魅力がわからないのだろう。残念な女だ。
この時俺は初めて魔女の顔をちゃんと正面から見た。魔女の赤い目に吸い込まれそうになってようやくただの少女ではないと気が付いた。
「お前は、魔王そっくりだな。」
以前にも言われた言葉だったが、その時の一言一言は頭の中に響いて染み込んでいった。
「魔王がこんなところで何をしている?」
忘れかけていた魔王の血筋というのを思い出した。俺が魔王の生まれ変わりなら全てを手に入れて当然なのに、俺は一体何をしているんだ?
俺が魔王なら女も、金も、地位も、名誉も、全てを手に入れられる。
俺は次第にその考えに取りつかれていった。その幻想の向こうにはいつもハジムがいた。何もかも持っていながら平然としているカッコいい幼馴染。手の届かないところへ行こうとしている幼馴染。昔は一緒に普通の友達みたいに遊んでたじゃないか。
「魔王の石はわしの師匠が封印してしまった。封印を解くにはハジム・クマンド兄弟のような二人の男の力が必要だ。一人はお前、もう一人はあの子どもだ。なあに、封印さえといてしまえば相手は子供だ。魔王の石はお前のものだ。」
魔女のささやきに抗える筈などなかった。魔女は魔王の石を手に入れたものの女になると言った。魔女は夢に見るほどに美しく、いつのまにかその言葉は絶対だと思うようになっていた。
我に返ったのは親父を刺してからだ。
正気に戻れと言った父親を殺し、魔女と一緒にたどり着いた場所は薄暗くおかしな匂いがした。手についた親父の血が取れない。なんど拭っても血の匂いが消えない。手の震えが止まらなかった。魔女に助けてもらいたかった。
「ルビー・・・俺は、魔王にはなれないかもしれない。」
「わしが欲しくないのか?」
「欲しい・・・だけど・・・」
父親にとどめを刺した感触がまだ手に残っている。自分を呼ぶ声と悲しそうな歪んだ顔も頭に焼き付いて離れない。なぜ俺はあんなことを・・・
魔女は俺の前に血まみれのナイフを押し付けた。さっき父親を刺したナイフだ。魔女はゆっくりと自分の服のボタンを外し始めた。白い胸元が露わになると、魔女はそこを広げて言った。
「そのナイフでわしを刺せ。そうすればお前は魔王となる。全てがお前のものになる。」
夢にみるほど触りたかった女の肌に、ナイフを突き立てろと魔女は言う。さっき父親を殺したように。
「できない・・・できないよ・・・」
いつの間にか涙が溢れていた。俺はただの人間だった。魔王になんてなれるはずがなかったのに。
「ならば死ね。」
魔女はそう言って姿を消した。
俺はナイフをしばらく見つめてから自分の首を切った。意識が途切れる瞬間、ほんの少しだけ子どもの頃の夢を見た。




