17.勝敗
ルビーが帰った後、一冊の本が残されていた。ハジムとダリッチを題材にしたという本だ。恐る恐るページを捲って、すぐに閉じる。それを何度も繰り返し、最終的には心を無にして読んだ。
自分たちとは無関係だと思って読めば、まあただの恋愛物語だった。どちらかと言えばラブシーンがちょくちょくあって、これを本当に貴族のお嬢様方が読んでいるのかという驚きの方が強い。
「ふう・・・」
一気に読み終えて顔を上げると外はもう暗くなっていた。途中で誰かが明かりをつけてくれたことは何となく覚えているが、こんなに時間が経ったとは気が付いていなかった。
人を呼んでハジムがどうしているのか聞くと、ご飯も食べずにまだ仕事をしているという。時刻は20時過ぎだ、私は少し考えて二人分の軽い食事をこの部屋に用意するように頼んだ。
廊下を出て執務室の扉を叩く。返事がなかったので勝手に部屋に入ると、ハジムは呆れたような顔で笑った。
「懐かしいな・・・なんで毎回ノックだけして返事を待たずに開けちゃうの?」
「だって返事遅いから。」
「それを待つのも仕事だよ・・・もう仕事じゃないか。礼儀だよ。」
「そうだな、もう使用人じゃなくて婚約者だな。だから婚約者に無理やりにでもご飯を食べさせる義務と権利がある。」
義務と権利・・・ハジムがぼんやりと呟いた。おそらく直前までかなり集中して仕事していたのだろう。集中を突然切られて夢うつつのハジムはしばらくぼぅっとしている。昔と一緒だ。
「じゃあ行くよ。」
「どこに?」
「ご飯食べないと。」
え、いらない・・・とまだぼんやりしているハジムを無理やり立たせ廊下まで押し出した。手を引っ張って廊下を歩く。ハジムは特に抵抗せずについてきた。
部屋に戻るとちょうどメイドが食事を並べ終わった所だった。給仕がいなくても食事ができるように全ての皿が机の上に置かれている。
「さ、食べるよ。」
「うん・・・」
ハジムはまだぼんやりしているが、機械的に目の前のものを口に入れ始めた。それを見ながらこちらも食べ始める。しばらく黙って食べた後、少しずつ現実に帰ってきたらしいハジムに話しかけてみた。
「さっきさ・・・あの例の本読んだんだけど。」
「例の? ああ、僕たちが題材になってる話?」
「うん・・・ちゃんと中身読んだら、全然俺たちの話じゃなかったな。」
「そうだね。僕の方はキャラクターはどっちかというと兄さんみたいだったし、ダリッチの方はやたら可愛い乙女みたいだったね。あんなんじゃなかったよね。」
「うん・・・でも妙に正確な記述もあったりしてちょっと怖かった。」
「あれね、どうも当時の僕たちの近くにいた人が書いた話が元になってるらしいよ。誰かが書いたのかは結局わからなかったけど。」
「マジで?」
「初版本には『ドーナー領の乙女に捧ぐ』って書いてあったんだ。それで僕の所に話が来て、出版社に苦情を言ったらこれは原作者がドーナー領にいたことに対する献辞だって言われてさ、しばらくしたら『全ての乙女に捧ぐ』に変えられてた。」
「マジか・・・誰なんだろ。」
「怖いよね、こんな何十年後も残っちゃうんだから。今回は男女で良かったよ。」
ハジムの言葉に少しカチンときた。
「どういう意味?」
「え? 男同士だからって変に騒がれて嫌じゃなかった?」
「それは嫌だったけど・・・ハジムは俺が男で嫌だったの?」
「・・・食事中にする話じゃなかったね、ごめん。」
「いや、謝って欲しいんじゃなくってさ。」
食欲は一気に失せた。フォークを放り投げたくなるのを我慢してゆっくりと更に置く。
「・・・悪いけど帰ってくれる?」
「ダメだよ。食事はちゃんと取ろう。ちゃんと食べた後にちゃんと話そう。」
「いらない。」
ハジムは参ったという顔で笑ってフォークを置いた。
「あのさ、君は15歳のリチなの? それとも良い歳のはずのダリッチなの?」
「そんなの・・・わからない。」
「わからないものを全部僕に押し付けないで。最終的にはきみの心の問題なんだから。ね、ちゃんと話そう? きみがリチでもダリッチでも、納得できるまでちゃんと付き合うから。」
優しく、まるで子どもを諭すような言い方に心が揺れた。
「わからないんだよ・・・ダリッチみたいに振舞うことがしっくりくることもあるし、何だかそれが恥ずかしくなることもある。でも女の子みたいに振舞う事にも抵抗がある。」
「急に思い出したからね。人格が二つあるようなものだよね。」
二重人格か・・・それって病名じゃなかったかな。
「ごめん、本当に食欲ない。」
俺はそう言うと立ち上がった。食事をこんなに残すのは嫌だけど、もう何も食べたくなかった。本当はベッドに潜り込みたかったが、ハジムの前でそんなこともできず仕方なくソファに座った。ハジムはメイドを呼んでいる。
ぼんやりしていると、いつの間にかハジムは隣に座っていた。お酒を飲むかと聞かれて黙って首を振った。そんな気分じゃない。
「この際だからはっきりさせときたいんだけど・・・僕は今も昔も女の子の方が好きだよ。それは本当。でもね、ちゃんとダリッチのことも好きだったよ?」
「・・・男の体は好きじゃなったくせに。」
「仕方なくない? それって性別ぐらい変えられないものだと思うよ。」
「・・・でも好きになって欲しかった。」
「僕なりには好きだったよ。じゃなかったらあんな事しない。」
あんな事ってなんだと思ったが、聞くと実践されそうで止めた。
「じゃあ中身がダリッチで外見が女の子の今は、ハジムの望んだ通りなの?」
「うーん正直微妙・・・自分でも驚いたけどね。きみがダリッチみたいに喋る度に違和感がある。でもすぐに慣れると思うよ?」
「慣れる?」
「うん。結局僕はダリッチもリチも好きだからさ。男の体にも慣れたし、女の体は元々好きだし。今後どんな君が出てきても、好きになれると思うよ?」
ちょっとスケールが大きすぎてよくわからない。
「つまり・・・ハジムは生まれ変わっても俺のことが好きってこと?」
「うん」
当たり前のように頷かれて、急に実感が湧いた。明かりが薄暗くて良かった。きっと今耳まで赤くなっているだろう。ハジムがくすくす笑った。
「なんだ、知ってると思ってたよ・・・ね、酔ったふりして押し倒していい?」
「よくない! あんた飲んでないだろ!」
「今も思い出すんだ、あの時のダリッチ手震えてたよなって。」
「どの時だよ!」
叫んだけど自分でも完全に思い出してしまった。こいつは俺のこと好きだけど、絶対に自分から手を出す気はないんだと思い知って・・・冬の夜、死ぬ気で押し倒したんだ。
「・・・そんな顔されると18まで我慢できないかも。」
「じゃあ見んな! 帰れ!」
半分押し倒されそうになっていたが、ソファから転がるように逃げ出した。立ち上がり仁王立ちで叫ぶ。
「出てけ!」
「・・・婚約者にその言い方はないと思うなぁ。」
ハジムはゆっくりと近づいてきて俺の左手を手に取った。全く抵抗できない時点で、俺はもう、ダメだ。
「愛してるよ、今も昔も、生まれ変わっても。」
そうして左手の甲に口づけてハジムは部屋を出て行った。力が抜けて床に座り込む。
昔は良かった。ダリッチが一方的にハジムを追いかけまわしてるだけだった。ハジムが追う方になると、あんな逃げ道を残さないハンターみたいな奴だなんて知らなかった。ダリッチは昔のハジムだけが好きだったのに、結局ダリッチも今のハジムを好きになってしまった。
負けだ、負け。いつだって惚れた方が負けに決まってる。
今日で三話更新終わりです。




