7.誰が誰を
「ちょっと離れてもらえますか。」
ハジムは走ってきたようで息を切らしている。この時間は仕事中だと思うがどっから湧いて出たんだろう。
「なんじゃ? 取り込み中じゃぞ。」
ルビーは楽しそうにそう言うと俺の頭をぎゅっと見せつけるように抱きしめた。
「人の婚約者に何やってんですか。離れてください。」
「いやじゃ。」
ハジムが近寄ってきたので慌ててルビーの胸に顔を埋めた。さっきまで泣いていた顔を見られたくない。
「ハジム、仕事は?」
「え? 今それどころじゃないんだけど。」
「忙しいんだろ? 早く戻れよ。」
「そーじゃそーじゃ。早く消えろー。」
ルビーが楽しそうに囃し立てる。
「婚約者がこんな状態で戻れるわけないだろ!?」
「あんたに関係ない。」
「かんけ・・・」
何かを言おうとしたハジムの声が不自然に止まった。片目で盗み見ると、ルビーがハジムに胸に向かって片手を突き出していた。
「お前が多少生まれ変わろうとわしの魔力には及ばん。わかってるな?」
「・・・本気で私からその子を奪う気ですか?」
「わしはユマが生まれる前に恋とか愛を知らなくてはならん。今度こそ間違えない為に。こいつはそれに協力してくれるそうだ。」
そんな事一言も言ってないけどな。
「ダリッチ?」
気遣わし気なハジムの声。なんで声だけは昔と同じなんだろう。
「・・・そうだよ。だからどっか行って。」
ハジムの顔を見ずにそう言うと、しばらくしてドアが静かに閉まる音が聞こえた。
「お前ら面倒くさいのう。」
ルビーはそう言って俺を離すとさっさと自分の席に戻った。
「何が?」
「愛とか恋とか・・・全部めんどくさいな。」
最後は独り言ように呟くとルビーは俺を見て言った。
「つまりあれじゃろ? わしを当て馬にする気じゃろ? 任せなさい。ルビー様にかかればお安い御用じゃ。」
「いや、当て馬とか・・・」
違うと言いかけてさっきの自分の言動を思い返して顔が赤くなった。確かに若い子の痴話喧嘩みたいだった。
「恋とは恥ずかしいものだと聞く。お前のそれは恋じゃないんか?」
「恋って・・・一体何なんだよ?」
「知らん。それをお前がわしに教えろ。なるべく早急に。」
ルビーはそう言ってカップ越しに俺を見た。目が座っている。
「わかんねぇし・・・あんたも自分で考えろよ。」
「考えたさ。」
もっと沢山言い返してくるかと身構えたが、ルビーはそれだけしか言わなかった。
しばらく無言のまま二人でお茶を飲み、ルビーは帰っていった。このわずかな罪悪感はなんだろう。別に俺悪いことしてないと思うけど。
考えそうになったがやめて筋トレを続けることにした。リチの運動は散歩とダンスのみだったので、まったく筋肉がない。最近は長期戦を覚悟してストレッチにも力を入れ始めた。何を目指しているのかは自分でもわからない。
夜は一人で夕食を食べた。義両親もハジムも忙しいらしい。これが毎日続くようだとちょっとしんどいかもしれないなと思った。リチは大好きな王子様に請われてこの大きな屋敷にやって来たはずだが、こんなにも一人だとは。実家では毎日家族で食事を共にしていたのに。
自室に戻ってからもため息が止まらなかった。これがシンデレラの成れの果てなのか・・・いや、王妃なら公務で忙しいか。つまり、俺も仕事をすればいいのでは?
突然閃いたいい考えに人生が明るくなった気がした。そうか、前世だって14からずっと仕事してたんだし、今15のリチが仕事を始めたって問題ないだろう。
俺はその勢いのまま廊下に出た。この廊下の端にハジムの執務室がある。昼間のことから考えてもきっとハジムはここにいる筈だ。
扉の前に立つとなぜか急に緊張してきた。自分の服を見下ろして変じゃないかを確かめる。普通のブラウスとスカートだから特に変じゃないと思う。多分。顔はどうだろう、髪型は? 今日鏡見たっけ? 髪は邪魔だから後ろに一つでくくってるけど、下した方がいいんだろうか。前世を思い出してから化粧や髪を整えるのを断っていたのはよくなかったのかもしれない。
なんだか妙にドキドキしてなかなか扉を叩けなかった。もうそんな自分に嫌になって自分の部屋に帰ろうかと思った時、中から扉が開いた。
「何してるの? ダリッチ」
そこにいたのはハジムだった。ホッとしたようなむず痒い気持ちになる。
「あ、いや、別に大した用じゃないから・・・」
言いながら思わず後ずさってしまった。恥ずかしくて顔を見られない。
「・・・まあせっかくだから入ってよ。」
ハジムが大きく扉を開いて中に入るように促した。恐る恐る中に入るとそこは昔一緒に仕事をした場所に似ていた。正面に大きな机があって、手前にはソファーが二つ向き合って置かれていてその間には低いテーブルがある。違うのは俺用の机がない事ぐらいだ。
「お邪魔、します。」
そう言って俺はソファーに腰かけた。昔と違うのは本の多さもだった。以前は印刷技術が低くほとんど手書きだったが、最近はあっという間に本の複製ができるらしい。
「何か飲む? 夕飯はもう食べたよね?」
ハジムが棚を開けてお酒を取り出した。
「あ、俺はいい。」
「そっか。15だもんね。話してるとよくわからなくなるけど。」
ハジムはそう言いながら俺の前に水が入ったコップを置いて向かいに座った。自分は飲むらしい。
「ハジムはご飯食べたの?」
「うん?・・・食べた気がする。よく覚えてないけど。」
「ちゃんと食えよ。」
「面倒なんだよね。明日食べるからいいかなって。」
「言い訳ないだろ。・・・誰かいないの? 補佐とか秘書とか。」
「いるけど仕事中に一緒にいられると気が散るから。」
知ってるでしょ?と言わんばかりの顔でハジムが俺を見た。
知ってる。だから前世はずっと部屋に二人だけで仕事をしていた。ハジムは俺だけは別にいいって言ってくれたから。
「俺が・・・手伝おうか?」
ハジムが無言で首を傾げた。変なこと言ったかと思って顔が赤くなった。
「いやだって、昔も手伝ってたから今もできると思うし。それにほら・・・婚約者だし・・・」
言ってる最中からどんどん自信がなくなって声が小さくなった。ちょっと図々しいかもしれない、なんせドーナー銀行はほぼ国営の大企業だ。
ハジムは立ち上がると分厚い書類を机に置いて見るように言った。
「なんだこれ・・・」
開くと中身は帳簿だったが、前世で俺が見ていたものと全然違っていた。
「一の位まで数字合わせてんの? 無理じゃね!?」
「うん、百年経つとこうなってた。細かいよね・・・しかもこの分厚さで月報だから。年度末は訳わかんなくなるよ。」
「これが月報・・・」
昔との違いに唖然とする。これはちょっと、しんどいかもしれない。
「で、でも! 仕組みは一緒だろ? 細かいのと項目が増えてるだけで。」
「まあね。正直僕もいちいち計算はしてないよ。そういうのは既に終わった書類が回ってきてる筈だから。僕が見てるのは値上がり幅とか、不正はないかとかそういう所。」
この数字の羅列からそんなことがわかるのか。俺は再び絶句した。
「まあ慣れたらできると思うよ。でも今のダリッチは本当にそれがやりたいの?」
「・・・どういうこと?」
「僕の感覚では、女の人ってこういうの苦手な人が多い気がするからさ。出来ないんじゃなくてそもそもやりたくないって人が多い。もちろん計算がすごく得意な人も沢山いるのは知ってるけどさ。ダリッチはどうなのかなって思って。」
「・・・正直この桁数の計算をするのかと思うとウェって思う。でもそれは別に前からそうだよ。昔もざっくりあってりゃいいじゃんって思ってた。女だからどうっていうのはわかんないな。」
「そっか。本人もわかんないのか。」
「うん。・・・あんたから見て、俺は変わったように見える? 外見じゃなくてさ。」
真面目な質問だったのにハジムはなぜか笑った。まるで愛おしい物でも見るよう顔で俺を見る。思わず目を反らすとハジムは立ち上がって俺の隣に腰かけた。
「前より可愛くなったと思うよ。」
そう言って顔を覗き込んで来ようとするので思わず後ずさった。だが狭いソファの上ではすぐに追い詰められてしまう。
「そりゃそうだろ。女なんだし。」
「顔はあんまり変わってないけどねぇ・・・ダリッチも十五歳の時はこんな顔だったよ?」
ハジムが俺の髪を一房取って口づけた。顔が近い。
「そんな訳あるかよ。こんな派手な髪じゃなかっただろ!?」
「色じゃなくて顔立ちね。目がクリッとしてて童顔で。・・・正直昔はそれが苦手だった。なんか、いかにもって感じがして。」
「いかにも?」
「いかにもでしょ。童顔で可愛い顔をした使用人の男の子に手を出すとかさ・・・」
ハジムが遠い目をした。前世はそんなこと考えてたのか。
「別にいいじゃん。」
「僕の矜持の問題。今は女の子で助かるよ。」
その言葉を聞いたとたん何がか冷めた。へーえ、そっか。そうなんだ。
俺はハジムを乱暴に押し返すとソファから立ち上がった。
「女なら誰でもいいんだ?」
「ダリッチ?」
「良かったな、あんたのお望み通りの女で。でも俺は・・・」
俺を見上げるハジムを見て傷つけたいと思った。昔と同じように俺のせいで血を流すハジムが見たい。もっと俺のことで苦しめばいいのにと、思った。
「俺は、別にあんたじゃなくていいから。」
そう言って部屋を出て行こうとすると後ろから抱きしめられた。
「離せよっ!」
「僕はダリッチじゃないと嫌だよ。あと何回でも言うけど、何年待ったと思ってるの? ちょっとぐらい嫌がっても離すつもりはないし・・・ああ、そうか。」
くるりと肩を押されてハジムと正面から向き合うことになった。
「今度は僕が口説けばいいのか。なんだ、簡単だね。」
そう言って顔が迫ってきたと思ったら、チュと触れるだけのキスをされた。
「・・・泣く?」
囁かれて我に返る。
「ふっざけんな!」
思わず向う脛を蹴るとハジムがしゃがみこんだ。その隙に慌てて部屋を出た。走って自分の部屋に戻り、床にへたり込んだ。全身が沸騰しそうに熱い。別にあいつとキスぐらい何度もしたことあるのに、なんだか泣きそうだ。これが体が違うということなのか。
混乱しながらしばらく床で考えて、やがて一つの結論が出た
これはリチの気持ちだ。
リチが15年間生きてきたことを俺はまるで他人事のように思ってたけど、この体は確かにリチの物で、リチが10年以上積み重ねてきたあいつへの気持ちがある。リチにとってはファーストキスだった。
「ごめんな、リチ。」
リチはもう俺なので何も答えてはくれない。元々のリチは臆病で純粋な女の子だった。俺がそれを踏みにじるのはおかしい。
まるで長距離を走った後のように疲れ果てていた。俺はそのままベッドに転がりこんで眠った。優しい女の子とおっさん、どうやったら矛盾なく一人の人間になれるんだろう。




