1.買われた私
世の中には人間と天使と悪魔がいるらしい。
では、私という悪魔を金で買おうとしているこの男は何だろう?
「いいですね。いくらですか?」
八百屋で野菜買うんじゃねーぞこの野郎。気軽に私を買おうとするんじゃねぇ。タタン様もあっさり答えてんじゃねぇ。
その男はタタン様のいった値段の2倍払うと言った。
そうして私はあっさりと買い手が決まった。16歳だった。
「どこから連れてきたんだい、この小悪魔。」
百歳を超えていそうな老婆が私を睨んだ。髪は真っ白だし顔は皺だらけだし装飾品過多だし怪しい事この上ない。
だが私はにっこりと笑って挨拶した。最初が肝心だ。
「初めまして。ルビーと申します。今日からよろしくお願いしますね、おばあ様。」
なのに老婆は返事の代わりに舌打ちをしただけだった。失礼すぎる。
「ババ様の若い頃にそっくりだったので連れてきました。ひょっとしたら御身内の方ではないかと思いまして。」
ハリーが慌てた様に割り込む。ハリーは私を買ってこんなクソ田舎まで連れてきたおっさんだ。この田舎の領主だと聞いているが、このババ様ってのはそれより偉いんだろうか。
「身内ねぇ・・・」
老婆が私をジロジロと眺めた。少し濁っているようだが目は私と同じ赤だ。だからハリーは私を親戚だと思ったのだろう。赤い目はちょっと珍しいから。
「あんた親は?」
「幼い頃、死に別れました。その後ご縁があってタタン様の所で養女になりました。」
「他に家族は?」
「いません。」
「ふん、殺されたのか。」
老婆の一言に保っていた笑顔が崩れた。なんだコイツ・・・
「まあ、あたしの代わりが務まるとは思えないが、置いてやんな。」
老婆はそう言うと小さなドーム状の建物中に入って行った。その背中を見送り私はハリーへと向き直った。
「何なんですか、あの人。」
「ババ様はうちの村の守り神です。仲良くしてくださいね。」
ハリーはにこりともせず言った。王都からこの村まで馬車で一週間かかったが、一度もこの男が笑う所を見なかった。歳は確か30過ぎ、茶色の短髪に緑の目で眼鏡をかけ長身で細身、わりとどこにでもいるような特徴のない男だ。
「ええ、もちろんです。素敵な方でしたわ。」
私はにっこり笑って言った。ハリーは私の結婚相手候補の中でも群を抜いて”どうってことのない”男だった。顔も普通だし清潔感もあり乱暴なふるまいもしないしこっちの体を舐めまわす様に見たりしない。だから簡単に返品される訳にはいかないのだ。たとえ今夜どんな変態趣味を見せられようとも。
王都からこの村までの間、ハリーは私に一切触れてこなかった。そして昨日の夜この村についた後も何もなく別々の部屋で寝た。だが今日あたりはなにかるだろう、なんせ私たちは新婚なのだから。
ハリーの後をついて屋敷に戻った。屋敷は大きな石造りの二階建ての建物だった。貴族の家というには小さい気がするが、他にも建物があるのかもしれない。
「じゃあ、来て早速で悪いんですが、掃除してもらえますか。」
玄関でそう言われて私は固まった。掃除? 私領主の嫁になったんじゃなかたっけ・・・
「掃除ですか? ええ、もちろんいたしますが、あの・・・他にご家族はいらっしゃらないんですか?」
ここに来てから会ったのは年取った使用人夫婦だけだ。さっき朝食の後、紹介したい人がいると言われ変なババアに会ったが、他にも誰かいるはずだ。
「・・・離れに母がおりますが、少し病んでおりまして挨拶はできません。離れにも近づかないでください。」
「承知しました。・・・他にはいらっしゃらないんですか? 奥様とか。」
「妻はあなただけです。」
ハリーはそう言って廊下を歩き出した。慌ててついて行きながら考える。確かに独身と言っていたが、30過ぎの領主様が独身な訳ないだろうと思っていた。周りが放って置くわけがないからだ。本当に独身だとしたら・・・つまり、こいつヤバい奴では?
連れていかれた先は家事室だった。大きめの洗い場や掃除道具なんかが色々積んである。ハリーはその中から箒を差し出して言った。
「うちには住み込みの夫婦二人と、通いの使用人数人しかいません。夫婦は今、母とババ様の手伝いでうちの家事にまで手が回りません。よってあなたにも手伝ってもらうことになります。」
私は無言で箒を受け取った。別に家事ぐらいいいけど・・・普通にメイド雇えばよくね?
「ご不満でしょうか?」
「はあ・・・少し意外でしたので。」
普通、領主の妻と言われて掃除させられるとは思わんだろ。
「豪華絢爛な生活を想像していたのなら申し訳ございません。私はただの田舎領主です。」
ハリーは無表情にそう言うと部屋を出て行った。
「人に仕事頼むならもうちょっと詳しい指示出せよ・・・」
掃除の範囲とか入っちゃいけない部屋とかさあ。閉まった扉に向けて呟いたが返事が返ってくるはずもなかった。私はため息をついて腕を捲った。こうなってくると家が大きくなくて良かった。
取り合えず一階を掃除しながら見て回る、家事室、厨房、手洗い、玄関、食事室、暖炉があるくつろげそうな部屋。一部屋ずつ箒で掃いてごみを窓の外に捨てる。思ったよりもきれいに掃除されていた。別に嫁にきた初日にさせる必要がない程度には。
二階に上がると扉が三つ並んでいた。真ん中の部屋は私が今朝起きた部屋だ。他の部屋にも入っていいんだろうかと思いながら、廊下を掃いていると中年のメイドが私を見つけて驚いた顔をした。住み込みで働いているという夫婦の片割れだろう。
「あら、奥様! そんな初日から掃除だなんて・・・」
「いいえ、私も今日からソドム家の一員ですもの。これぐらい当然ですわ。」
にっこりと微笑むとメイドは嬉しそうな顔をして言った。
「ありがとうございます! 奥様にそう言っていただけるなんて助かりますぅ!」
・・・おいおいおい、ここのメイドはどうなってやがんだ。普通ここは奥様にそんなことさせる訳にはいきません!だろ?
「あ、でも二階は普段ハリー様がお掃除されているので大丈夫ですよ。もうお昼もできますから休憩なさって下さいね。」
メイドは朗らかに言うと端の部屋へと入っていった。両手一杯にリネンを抱えていたのでそれを手伝えと言われなかっただけいいのかもしれないな・・・
なんとか自分を納得させようとしながら階段を降りるとハリーがいた。食事用らしいワゴンを押している。
「え、旦那様!? 私がお運びいたしますわ!」
驚いて駆け寄るとまた無表情に首を振られた。
「結構です。それより昼食にしましょう。箒を置いてきてください。」
領主様自らが食事を運ぶ・・・うん、これまでの私の常識は捨てた方が良さそうだ。
むしろハリーも使用人で、ご主人様が別にいると考えた方がしっくりくる。私は騙されて連れてこられたのかもしれない。こんな顔だけのどこの馬の骨ともわからない女に大金を出したと考えるよりもそちらの方が自然だ。今頃タタン様が受け取ったお金はただの紙切れに変わっているのかもしれない・・・
そんな事を考えながら食事室に行くと食器は並び終えられていた。スープとパンと焼けた肉のいい匂いにお腹が空いていることを思い出した。朝はパンとお茶だけという簡素なものだったので猶更だ。
「いただきます。」
席についてまずはスープを一口飲んでみる。美味しいが・・・貴族の料理というより家庭料理っぽい。気を取り直してステーキに切れ込みを入れるとスルッと刃が入った。これは・・・くず肉を固めて焼いたもののようだ。貴族の食卓でこんなものがでるとは・・・
言葉を失っているとハリーが言った。
「うちでは歯が弱いものがいるのであまり肉はでません。慣れてくださいね。」
そう言って淡々と肉を口に運ぶハリーを見て思い切って肉を口に入れた。
「おいしい・・・」
思わず呟くとハリーが初めて笑った。
「良かったです。」
正直ここまで細かくされた肉は腐ってると思っていた。臭みを誤魔化すために山ほど香辛料をいれているのだろうと。だがこれは新鮮な肉のようだ。柔らかいし確かにこれなら歯が弱くても食べられるだろう。
なるほどねぇと思いつつハリーを見ながら食事を続けた。ハリーは全くこちらを見ることなく食べ続けている。
「・・・あの、今後、私にどのような働きを期待されてるんでしょうか?」
思い切って切り出すとハリーはようやく私を見た。
「そうですね・・・掃き掃除は正直毎日じゃなくてもいいです。一番お願いしたいのはババ様の世話ですね。」
年寄の世話かぁ・・・しかもあのババア私のこと嫌いっぽいんだよな・・・とは思ったが口には出さずに微笑んだ。
「かしこまりました。」
「いずれあなたにはババ様の仕事を引き継いでもらいたいと思っています。」
「・・・守り神の仕事を、ですか?」
ハリーは当然のように頷いて食事を続けた。だが私の食欲はみるみる落ちた。え、あたし神にならなきゃいけないの? まだ16歳だよ? 遊びたい盛りよ?
「どうかしましたか?」
「いえ、あの・・・守り神とは具体的にはどういうことをするんでしょうか。」
「それは明日直接ババ様から聞いてください。私にはわかりかねます。」
お前知らんのかい! 知らんくせにやれっつってんのか、最低だな。
とは言えずに私は微笑むしかできなかった。どうやらとんでもない所に嫁いできてしまったようだ。