2話 その反応はもしかして、私のことが誰か分からないのですか?
ーー時は少し遡り、主様が目を覚ます前のこと。
ああ、主様。好き、大好きです。
私は左手で主様の頭を優しく撫で、寝顔をじっくりと堪能しながら彼との出会いに思いを馳せていました。
私の名前はクラリス。
16歳にして暗殺者の才を持ちながら、主様の荷物持ちとして今までお支えしてました。
とはいえ、今でこそ主様の立派な道具であることに喜びを感じていますが、
初めて彼と出会った時は彼が怖くて怖くて仕方ありませんでした。
だって彼と出会った瞬間に、突然身体の自由が効かなくなったんですよ?
私が彼からどれだけ離れようとしても、まるで足だけ別の生き物になったかのように彼の後ろを追っていて。
私が思い通りに動けないことへ恐怖を覚えていると、彼はさも当たり前だと言わんばかりの顔で私に荷物を持たせてきました。
例えるならそれは、神に「お前は彼者の道具だ。だから道具なら道具らしく彼者に使われる事だけを考えろ」と言われているかのようでした。
……そう、私は彼の道具。
彼は私に荷物を持たせるとき、一言も喋ったことがありません。
いえ、荷物を持たせるとき以外もそうです。何をするにしても、彼は私に対しては何も喋ろうとしませんでした。
他の人とは一言くらいなら言葉を交わしていたというのにーー。
ーーでも。
「そんな事はもうどうでも良いんです。だってこれからは私が主様を独り占めするんですから」
私は気付いたのです。なぜ主様は私に荷物持ちしかさせなかったと思いますか?
答えはこうです。荷物を持たせることしかさせなかったのは、私を危険な目に遭わせたくないから。
その証拠にいつも私の分まで強力な防具を手に入れてくれて、私に装備させてくれました。
主様が私に一言も喋らない理由?
それは主様が照れ屋だからです。私のような身近な人とは恥ずかしくて喋りにくいのです。
ああ、主様。主様ぁ。主様さえ傍にいてくれたら私、他に何もいりません。
「あはぁっ」
ああ、この気持ちは一体何なのでしょう。
『好き』とは違う、愛しくて愛しくて仕方がない気持ち。
主様の心を召喚して、本当に良かったーー。
◇
あれ、俺いつの間に寝てたんだ?
寝落ちしたなんて最悪だ。早くイベントの周回に戻らないと。
俺は寝ぼけ眼のままアルタス・オンラインのプレイを再開しようとし、ハッとする。
ここは何処だ? 俺はさっきまで自分の部屋にいたはずなのに、今はどう見ても知らない部屋にいる。
石造りの天井と壁とは西洋風だな。
「おはようございます主様。うふふ、よく眠っていましたね」
(……)
「ずっとお慕いしておりました、主様。……どうかしましたか? ここは私達がいつも使っている家ですよ?」
後それからすぐ頭上で、長い白髪の少女が俺の顔を覗き込んでいる。
……あれさっきより顔近づいてない!? 君一体誰なんだよ! って枕が柔らかいと思ったら膝枕されてるしとりあえず身体を起こしてそれでええっとこういう時に喋る言葉は、
「邪魔だ」
ちがーーーう!!
何やってんだ俺の馬鹿!!! こんな可愛い女の子を見て一言目がそれかよ!! ……じゃなくて「君は誰?」とか「君の名前は?」とかもっと言うことあっただろ!
よりにもよって「邪魔だ」だなんて、口を開くんじゃなかった。
そう、俺はコミュ障のプロなのだ。
今まで21年間生きてきたが、人間関係に亀裂を入れず会話を終えたことが1度もない。
だから口を開けば一言足りず、悪い意味に聞こえる言葉を話してしまうか、その場に相応しくない言葉を喋ってしまう。
そんなんだから友達もできたことがない。悲しい。
「主様、大丈夫です。私はどんな時でも主様の味方ですから」
(……!)
俺が憂鬱な気持ちになっていることを察したのか、少女が優しく抱きしめてくる。
何この子めっちゃ優しい。
「ところで主様?」
(うん?)
「私、1度だけで良いので名前を呼んでほしいのですが、駄目でしょうか?」
(え、名前?)
初対面なんだから名前なんて分かるわけないだろ……って待て待て何その顔。口元は笑ってるのに目が笑ってない。なんでそんな怖い顔するんだよ?
「……うふふふ。主様ったらぁその反応はもしかして、私のことが誰か分からないのですかぁ?」
俺がなにか悪いことでもしたのか、少女の瞳からハイライトが抜けていく。
そして同時に、淡い赤の瞳が深淵のような深い紅に変わっていった。
前言撤回。
全然優しくない。むしろめっちゃ怖いです。
「私はこんなに主様のことを想っているのに……主様は私のことをどうでも良いと思っているんですね、へぇ……」
少女はゆらりとした動きで俺から1歩離れたかと思えば、どこからともなくナイフを取り出した。
そしてーー
「あは、殺しちゃいますよぉ?」
「や、やめろ!!」(なにをするつもりだ!? まて、待ってくれ! う、うわああああ!!!!)
……今日の教訓。
あの少女を怒らせたら最後、死ぬより怖くて痛い目に遭わされる。
俺はもう決してあの少女を怒らせないと、心に固く誓うのだった。