07 父と娘 王と王女
「フィリウス、大丈夫? また持病の頭痛?」
膝を付き俯いていたフィリウスに、エレナが心配そうに訊ねる。
「……あぁ、大丈夫だ。……私は大丈夫だ」
心配そうなエレナの声に、フィリウスは優しげな笑みを浮かべて応じる。
「……私?」
一人称は『僕』だった筈だと疑問に思う……が、エレナにとってはそんな些細な事よりもフィリウスの事の方が大事だ。
「ホントに大丈夫?」
重ねて尋ねるが、フィリウスは笑みを浮かべて頷く。
「思い出したんだ。……僕の前世を」
「……え?」
「その戦争……僕にも手伝わせてくれ。先ずは僕の兵達に知らせる事から始めないとな。エレナ、大きさは何でも良いから木を用意してくれないか?」
「どうしよう……フィリウスが可笑しくなっちゃったわ」
自信満々な表情のフィリウスに、エレナは困惑するしかなかった。
フィリウスを離れの一室に案内し、先ずは身体を休める様に言ったエレナは、日も暮れた頃王宮にある一室に向かった。
扉の前に立ち、エレナは扉を数回ノックし、中へ声を掛ける。
「お父様、いるかしら?」
「あぁ、エレナか。入って来て構わないぞ」
直ぐに中から声が返って来て、エレナは部屋の中へと入る。
「失礼するわ」
エレナがやって来たのは王の執務室である。
王の執務室らしくない質素な造りのその部屋は、王の嗜好によって整えられた部屋だ。
机も椅子も年季が入っており、大事に、長く使われている事が分かる。
その質素な部屋の主――この国の王にしてエレナの父親であるヘンリック・リリーズは、穏やかな顔をして積み上げられている書類に眼を通していた。
温和そうな顔付きの王が、入室したエレナに晴れやかな笑顔を向け、
「――フィリウス君が来たんだろう? 愛しの婚約者様の用事は何だったのかな?」
そう言った。
まだフィリウスが来た事を知らない筈の父の言葉に、エレナは肩を竦めた。
「……侍女から聞いたの?」
「いや、侍女からは何も聞かされてないよ。第一、私は仕事で一日中此処にいたから侍女達は来れないだろう?」
フィリップスの言う通りで、離れの侍女達は此処には来ない。管轄外である。
「……はぁ、お父様には隠し事は出来ないわね」
「この国の事は誰よりも知ってるとも。特に、王城内の事に関してはね」
さも当然と笑う父にエレナは薄く笑い、そして眉を顰めた。
「……フィリウスが王族から除名されたそうよ」
それを聞いて、ヘンリックは驚きの表情を浮かべた。
「……本当かい?」
「えぇ、フィリウスが言っていたから本当だと思う」
「……お前との婚約は?」
「白紙だそうよ」
「……そうか。……それは問題だな」
リリーズとフィリウスの母国アルビオンは主国と属国に近い関係である。
それの継続を推し進める意味で交わされていたのがフィリウスとエレナの婚約である。
それが白紙となれば、様々な事が変わってくる。
今迄アルビオンの属国であるからと手を出してこなかった国が、その情報を得て今のうちにと水を得た魚の如くこの国を狙う事もあり得る。それ程の情報だ。
「お父様。私、フィリウスと離れたくないわ」
愛する娘のお願いに、ヘンリックも頷く。
「分かっている。お前は彼にぞっこんだからね。離れたくないのは分かるよ。……でも一度王としてフィリウス君と話さなければならないね。……明日の会議の前に時間を取ろう。フィリウス君にそう伝えなさい」
「分かったわ」
「……さて、戦も控えているし、それの対処も考えないといけないね。お前にも苦労を掛けるが、頼むよ」
「えぇ」
エレナが頷くのを見て、ヘンリックはニコリと笑う。
「ではもう離れに戻りなさい。愛しのフィリウス君の元に行っておやり。彼も心細いだろうからね」
「えぇ」
エレナは頷くと、部屋を出る為に歩き出す。
部屋を出る直前、エレナは忘れていたと振り返る。
「お父様。これは伝えるかどうか迷ったのだけれど……」
「なんだい?」
「フィリウスがね、前世を思い出したって言いだしたの」
「……ほう?」
ヘンリックは首を傾げる。
この大陸には、そう言った昔話が伝わっている。
それを言い出す人物も珍しい訳ではない。
大陸に住まう人間皆が、何となく『事実であり、魂は循環し、転生を繰り返している』と信じている。その程度の話だ。
「前世か。……それで、誰の生まれ変わりだと言うんだい?」
「あのね……」
次に続く娘の言葉に、ヘンリックは今度こそ耳を疑った。
「――”人形王レインハルト”だそうよ」