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逆誘拐犯

作者: 春名功武

「もしもし、そこに、ワタシの妻と娘がいますね」

 地を這うような薄気味悪い声が受話器から伝わってきた。電話を受けた男は、リビングのソファに座る、見知らぬ女と少女に目を向けた。さきほど家に帰ってくると、家の中にいたのだ。あの厳重なセキュリティーをどうやって掻い潜り侵入したか不思議だが、2人とも手足を縛られ、口にさるぐつわをはめられていた。さっぱり意味が分からないところに、この電話だ。


 さらに声はこう続いた。

「ワタシは逆誘拐犯だ。妻と娘を引き取りに来て欲しければ、1億円用意しろ」

 男はハチャメチャな言い分に混乱する。

「おい、あんた頭がおかしいのか。返してもらってやるから1億円払えだと。ふざけた事をぬかすな」

「ふざけてなどいません。じゃあ、引き取りに行かなくてもいいと言うのですか」

「警察に引きとってもらうまでだ」

「警察に連れて行って、どう説明するつもりですか?逆誘拐犯にでもあったというのですか。

果たして警察はそれを信じるでしょうかね。あ、そうそう。言い忘れていましたが、昨日妻と娘が行方不明になったと警察に捜索願を出したばかりなんですよ。そんな中、あなたの家で、しばられた姿の状態で発見されたとなれば、あなたこそ誘拐犯だと睨まれるでしょうね。それに2人には、あなたにさらわれたと証言するようしつけてあります。それでも構わないのでしたら、どうぞ警察に連れていって下さい」


 計画に抜かりはないようだ。男はどうすべきか頭を悩ます。逆誘拐犯は電話の向こうで憎たらしそうな笑みを浮かべこう言った。

「あなたに残された道は二つです。1億円払うのか、2人を家族として養うかです」


 男は改めて女と少女に視線を向ける。女の年齢は30歳前後だろうか。上品で落ち着き払った雰囲気を漂わせていた。切れ長の目は大きく、鼻筋も通っており、唇の形も良かった。体型もすらっとしていて誰がどう見ても美しいと形容する女性であろう。まるで映画に出て来る女優さんのようだ。


 少女の方は10歳ぐらいだろうか。けがれを知らないあどけなさと、物おじしない度胸を感じられた。この子は大きくなったら、大物になるに違いない。色白の顔に茶色いクリッとした大きな目は、まるでお人形さんのようなに可愛らしかった。


「よし。分かった」

 と、男は決断する。

「そうですか。1億円を払ってもらえますか」

「そうじゃない。迎えになど来なくて結構。お前みたいな奴に屈してたまるか」

「じゃあ2人を養うというのですか?」

「ああ、そうだ。こんな犯罪を計画するぐらいだ。私の事を調べつくして知っているだろう。私はあらゆるものを犠牲にして、仕事一筋でやってきた。そのおかげで、かなりの財産を手にするまでに至った。なんの不満もない満足すべき人生を送ってきたと思っている。だけど唯一ひとつだけ心残りがあるとしたら、家族を持たなかった事だ。それがまさかこんな形で手に入るとは。しかもこんな美しい妻と娘が。残念だったな。お前の思い通りにはならん」


 受話器の向こうから、逆誘拐犯の溜息が聞こえ、こう続ける。

「あなたは何も分かっていませんね」

「何がだ」

「ずっと独り身だから、そういう事を気やすく言えるんですよ」

「どういう事だ。言いたいことがあるなら、勿体付けずにさっさと言え」

「家族を持つという事が、いかに大変かを分かっておられないと言っているのです」

「馬鹿にするな。紆余曲折ある事ぐらい分かっている」

「いいえ、分かっていません。例えば、あなたのプライベートな時間は確実に減ります」

「何だそんな事か。大いに結構だ」

「甘いですね」

「何だと」

「調査によれば、あなたは休みの日、仲間とゴルフに出掛けたり、のんびりとひとりで美術館に行っている。それが娘の為の動物園や遊園地に変わるんですよ」

「嬉しい限りだね」

「遊園地のアトラクションに乗るのに、どれ位の時間が掛かるかご存知ですか」

 仕事一辺倒でやってきた男にとって、それは未知の質問であった。

「……知らん」

「休日ともなれば3~4時間などざらです。それに子供というのは、その間大人しく待ってなどいません。わがままを言いだす。泣き出す。せっかく取れた休みに、そんな無駄な時間過ごすより、ゴルフをしていた方がいいと思いませんか」

「いや、ゴルフなどし飽きたよ」

 強がりではなかった。これまで自分の為だけに費やしてきた時間を家族の為に使う。男には新鮮で贅沢な使い道に思えた。


「なるほど。プライベートをなくす覚悟はあるという事ですね。でもね、本当に恐ろしいのは、そんな事ではありません。ワタシの娘、初々しくて可愛いでしょう」

「ああ」

「しかしね。娘というのは怖いものです。小さい頃は「パパ、パパ」と慕ってきて可愛いものですが、大きくなるにつれて父親を毛嫌いするようになり、目さえも合わせてくれなくなります。あなたの衣類と一緒に洗濯などしたものなら「うぜ~、キモイ」と連発するでしょう。それにワタシの娘です。頭も良く無いですから、あなたの地位に見合った学校に通わせるには、裏金を使わないと無理でしょうね。そんな事をして入学させても、頭が良くなったわけではありませんから、勉強にはついていけず、苦労して入れた学校には行かずに変な友達とつるむようになり、いたる所にピアスは開けるわ、体中にタトゥーを入れるわ、ドラックや特殊詐欺なんかにも手を染めるようになっていくでしょうね。そんな彼女に、見かねたあなたは彼女の言い分も聞かずに叱りつける。でもそれは逆効果で、あなたとの溝は開いていくばかり。ついには家にも寄り付かなくなる。そして何年かたって帰ってきた時には、訳の分からない男の子供を妊娠したと泣きながら訴えてくるのがオチなのですよ。それでもあなたは、この娘を可愛いと思えますか?あなたにそんな娘を背負う覚悟がありますか?」


 逆誘拐犯にまくしたてられ、さっきまで余裕ぶっていた男の様子が変わり始めた。逆誘拐犯はさらに別パターンの展開も話し始めた。

「何年かたって帰ってきた時、こんな展開も考えられますね。ガラッと雰囲気が変わったと思ったら男のような格好をしていて、男性ホルモンの注射を打ちたいとか、性転換手術をしたいと、せがまれるんです。あなたが人生をかけて手にした財産を、娘の髭の為に使うことになってもいいんですか」

「さ、さすがに、それは飛躍しすぎだろう」

 男は微苦笑を浮かべ言った。


「そうでしょうかね。しかしまぁ、娘に色々あったとしても、美しい妻がいれば、それなりに幸せだろうと思っておいででしょう。しかし、その妻の美しさもそう長くは続きませんよ」

「ど、どういう事だ」

 声が震えているのを、男は自分でも感じた。

「美人というは3日で飽きると言いますからね、それにその美しさは日に日に衰えていきます。人間誰もが老いには勝てませんからね。「美しい、美しい」と常にチヤホヤされていた彼女にとって、その衰えは耐え難いものになり、エステ、整形と必死にお金をつぎ込むでしょう。それで少しは衰えを遅らせる事は出来るかもしれません。でもね、それはあくまで遅らせているだけで、お金を出した甲斐なく必ず衰えはやってくるものです。お金を出してくれたあなたに勝手にプレッシャーを感じ、シミ、シワが増える度に彼女は追い込まれていく。どうにかあなたに捨てられないようにとエステ、整形の回数が増えエスカレートしていく。そして、ちょっとのシミ、シワなども許せなくなり、そうなると、精神を病むのも時間の問題です。自己嫌悪に陥り、情緒不安定になり、最後には……これは言わなくても分かるでしょう。そうなった時にあなたに彼女の面倒をみる覚悟はありますか?」


 男はゴクリと固唾を飲み込む。「あ、そうそう、こういう展開もありますね」と逆誘拐犯が思い付いたように言う。これにも別の展開があるのか。弱っているところにボディーブローを打たれているようで案外こちらの方が応えるのだ。

「こんな展開はいかがでしょう。彼女が自分の衰えと前向きに向きあい、シミやシワが増えても、肌の張りがなくなりたるんでいっても、体に脂肪が大量に付いても全く気にしなくなり、「ワタシ、昔はスリムで綺麗だったのよ」と哀れな自慢を口にするようなオバちゃんになっていってしまうという事も考えられますね。今が美しいだけにギャップが大きいでしょう。そうなった時に、あたなはそんな彼女を愛せますか?それを受け入れる覚悟はありますか?」


 体に大量の脂肪のついたシミシワだらけの女を想像した。「愛しているわ~」と脂肪を揺らしドスンドスンと迫ってくる。男は顔をピクピクと引き攣らせる。


 逆誘拐犯の話は、家族に憧れを持っていた男にとっては、考えもしなかった未来。必ずしも彼の言うような事態にはならないとは頭では分かっている。しかし、ありえない話でもない。逆誘拐犯はおとぎ話を語っているわけではないのだ。知らなかった。家族とは、こんなにも危険と隣り合わせの危ういモノだったとは……


 静寂が広がる中、逆誘拐犯の薄気味悪い声が受話器から伝わってきた。

「妻と娘を引き取りに来て欲しければ、1億円用意しろ」

「…わ、分かった。1億円払おう」


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― 新着の感想 ―
[良い点] ツッコミどころはあるかもしれませんが、めっちゃ面白かったです! [一言] 迎えに来て貰わないバージョンの未来も見てみたいっ
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