時代についていけない
時代の流れは速いですね。
最近は特に顕著になってきてますね。
車いすに座り俺を見ているのか、それとも窓の外に広がる景色を見ているのか。佐々木守は威厳を失った父、雅史のうろんだ目を見据えている。守はそんな父を非常に情けない者として識別する。
畏敬の存在であった父。彼自身、名門の国立大学を卒業し、大手の企業で副社長まで上り詰めたこともあったのだろう、守は幼少期から英才教育を施されてきた。小、中、高、大学の受験では全て最難関の学校を志願させられ、それに受かることが当たり前とされた環境。一日たりとも勉学は怠ることはなく、その他にも運動や他者との友好的な交流など、社会人として必要な能力も培ってきた。常に緊張と隣り合わせの日々であった。守は途中で何どもくじけそうになったが、そのたびに父の顔が脳裏に浮かび上がるのだった。
「それで普通だ」
父の口癖である。いや、俺にだけ言っていた可能性もある。他人にとっての普通は守にとっては致命傷である。普通以上でも以下でもない。父から見て、彼の存在はその程度のものだったのだろうか。
今となってはその真偽はつかみようがない。
「なあ、俺、来週からチーフマネージャーに昇進することになったよ」
就職二年目にしてチーフマネージャーを任されるほど、周りからの信頼と実績が十分であった。どうやら、会社創設以来の異例昇進だそうだ。あながち父の教育も間違っていなかったのだなと、この点においては感謝だ。
「……普通、だな」
依然として守を見ているのか外の景色を見ているのかわからない父はそう言う。無意識に言っている気がしてならない。やはり、父にとって普通という言葉は口癖だったのかもしれない。
もう面会にくるのはやめにしよう。俺がわざわざスケジュールを組んでまで来たのは、父から何か職場で役立つテクニックを盗むための建前に過ぎないのだ。にも関わらず、車いすに乗せられ、一人ではどこにも移動できない老人からは、何も得ることはなさそうだ。
全く、人を卑下することしかできないから自分が地の底まで堕ちるんだ。
守はそう結論づけ、面会を予定より早く切り上げることにした。
父が大手の会社から独立したのは20年前。当時としては画期的なロボット産業に手を出していたそうだ。業績の方も上々であり、おかけで守が大学を卒業するまでは何不自由のない生活を送っていた。
ところが、守が大手自動車会社に就職してからわずか数か月後のこと。父の会社は倒産した。原因は時代のスピードに付いていけなかったとのこと。全く持って情けない話である。もしかしたら、倒産することすら普通に分類されるのか。それが正しいならば、とんだ普通の基準だ。
俺は父のようにはならない。そう心の中で誓う。
家は都内にある高層マンションの最上階である。
会社までのアクセスと、なにより高い場所から見下ろすことができる場所に住みたいという願望が幼いことからあったので、それを叶えた形だ。
暗証番号と顔認証でロビーのロックを解除し、自宅に入るためには、さらに鍵が必要である。防犯設備が満遍なく施されており、近隣トラブルなど、余計なことを考えないで過ごせる最高の環境となっている。
部屋は3LDKで、一人で暮らすにはいささか広すぎると周りから言われる。自分ではそうは思わないのだが。
玄関で出迎えてくれたのは、愛犬のポメラリアンのポンである。会社で溜まったストレスを癒してくれる、使えない上司よりもよっぽど役に立っている存在だ。そんなポンと少し戯れてから夕食をとり、軽くシャワーを浴びて就寝することがルーティーンである。
おもむろに65インチのテレビをつける。右手に新聞、左手にはリモコンを携えてニュース番組を確認する。新聞5誌、テレビ3番組で話されているその日の出来事を瞬時に頭の中で整理する。どこかの国での悲惨な戦争の話。芸能人の不倫の話。学校教育における様々な問題点。そして、何も身にあることを何一つ実行しない、政治に関する事柄。今日も世界には、とりたてて守の生活を妨げるものはないもない。
また巷では、社会が変化するスピードに付いていけないと嘆く人が増加しているという特集もされていた。父のような過去の常識に囚われている人間がなんと多いことか。本当に力のある者だけが上を目指していける時代が来たのだな。よい時代に生まれたものだ。
他人を卑下しているという点では父親譲りだな、と苦笑する。
何不自由のない生活は、大人になって自律した今でも健在である。
ダブルベットに預けた体は昨日の疲れを吸収してくれた。携帯のアラームは毎日5時にセットしてある。そのため、カーテンを開けても外はまだ夜の様相を保っている。
朝の食事をとる前に軽く散歩に行くのが日課である。同僚には会社終わりや休日にジムへと趣き、体を鍛えた方が効率的じゃないかと提案されるが、それは大きなお世話である。別段、必要以上の筋肉を付けたいとは日常生活の中で感じたことがない。肉体労働こそ努力を怠ってきた者に与えられる仕事であろう。第一、この散歩はポンの運動も兼ねているのだ。
散歩の道中、毎回のように守と同じく犬を連れて歩く中年の女性に出会う。いつものように、他人からでもわかるような厚化粧で顔をコーティングしている。
朝の5時過ぎだぞ。控えめに見積もってもメイクには1時間かかるはずだ。つまり、4時前に起きてわざわざ化粧をしていることになる。最初に会ったときは、えらく薄い化粧だったのを覚えている。肌にキメなど皆無で、目は細い一重、大きないちご鼻は他のパーツがどれだけ優れていても差し引きでマイナスにさせてしまうほどの残念さであった。偶然、守と散歩中に出会い、翌日から厚化粧へと切り替わることになったのだが、改善されたのは肌だけであった。その女性は、女として全く魅力を感じない容貌をしているのだ。まさか、自分が守に一目置かれていると想像しているのか。はなはだ癇に障る女だ。
そんな厚化粧女との100パーセント世間話をし、守の散歩は終了する。
4月の朝はまだ肌寒い。
ようやく空は闇から解放され暖かな橙色へと彩られ始める。
会社では、新入社員が期待と不安の入り混じった表情で社長からの挨拶を聞いている。俺はというと、それを半分耳で流しながらある噂が気になっていた。その噂というのが、新入社員の中に守をも凌駕する天才がいるというものだ。入社試験の一つである面接において、社長を始めとした幹部たちが、もれなくその天才ぶりに度肝を抜かれていたとのこと。
守はその人物を確かめたい欲求が高まっていた。
俺よりも優れた人間などいるはずがない。とりあえず、けん制でもしておくか。
入社式は滞りなく進行され、残すは新入社員代表の言葉を残すのみとなる。
「それでは、粂川久さん。よろしくお願いします」
粂川、久。覚えた。さてと、お手並み拝見といったところか。
粂川は一見するとただの爽やかな好青年にしか見えないが、どこを観察しても緊張を示すような反応が男からは感じ取れない。おそらく大勢の人に対して、何かを発言することに慣れているのだろう。それと、スーツを着ていてわかりにくいが、相当体を鍛えている。趣味でボディービルでもしているのか。
たかが挨拶、されども挨拶なのだ。大抵の力量はここでわかる。守自身の経験はそれを如実に語っていた。
「私はこの会社を変革し、日本もとい、世界で戦える企業へ発展させることを第一の目標としております。そのためには……」
家に帰るなり、守は冷たいシャワーを浴びた。
一体なんだ、あの粂川という男は。会社を変えるための具体的なプランまで提案してきたぞ。それも、俺が何日もかけてようやく作り上げるような、クオリティーのものだ。会社の中の人間ならまだしも、概要しか知らない男がどうしてあそこまで芯を食ったプランを生み出せたのだ。わからない。
守は名一杯思考を回転させているため、頭に熱がたまる。それを冷たいシャワーによって冷却する行為をかれこれ30分。
大丈夫だ今年度は俺の考えたプランで滞りなく物事を進行するに決まっている。
杞憂でしかなかった悩みが解決した後、日課である新聞とテレビの同時情報吸収タイムに移行する。
今日も世界は守の成長を見守ってくれていると満足していると、一つのニュースが速報で流れる。
『生後幼い子供に人工的に情報を吸収させる実験に成功しました。これにより、理論上では、生後数か月の段階で小学校卒業程度の学力が身に付くとのことです』
番組を進行するコメンテーターたちがその話題についての不毛な議論に移ったのでテレビの電源を切った。
そんな付け焼刃な知識を植え付けたところで、知恵として生かせるわけがない。医療業界が潤うだけである。
寝る前にメールを確認すると、一通来ていた。内容は、暗証番号が変わったようだ。明日は自分の誕生日を入力してくださいとのこと。セキュリティーが厳重であることはいいことだ。
改めて、守を邪魔するものは何もないと結論付け、就寝する。
「おはようございます。現在は午前5時12分。天気は晴れ、散歩日和です」
一体誰だ。むろん、俺の部屋には同居人はいない。住居侵入の線を考えてみたが、それこそ可能性は無いに等しい。どうやってあの二重のロックを攻略するのだ。それでも、得体の知れない何者かが自分の家にいるというのは恐怖である。守は、速まる心臓の鼓動とは対照的に冷静さを保持し、声のした方向がどこか推理する。
ベットの下だな。
「おい、誰かいるのか」
「はい、私はいます」
ずいぶんと機械らしい声であることに気付く。すっかり目は覚めているためわかった。携帯電話を乗っ取られでもしたのか。いや、携帯はまだアラームという役目すら果たさず、真っ暗な画面のまま守のそばにある。
おかしいな。
備え付けの時計が5時15分少し前を指しているからだ。アラームの設定は5時にしたはず。つまり、5時には携帯電話のアラームが鳴るということだ。それで起きなかったことは守の経験上ない。携帯が作動せずに、わけのわからない機械音が聞こえてきたというのか。状況が皆目見当もつかない。
意を決して、ダブルベットの下をのぞく。そこには、ポンがいた。
そういえば、昨日ごはんを与えたか、などと記憶を振り返るご主人様に対して、ポンは元気に吠える。
「おはようございます。では、失礼。(赤外センサーを眉間に当てられる。)簡易式CT検査の結果、異常はありませんでした。では、日課の散歩に行きましょう。すでに予定よりも15分遅れています」
吠えた、というのは訂正しようと思う。何があったかは見当がつかないが、ポンが得体の知れない機械にされたことは確かである。
「ポン、なのか」
半信半疑のままでいる守はそう切り出さずにはいられなかった。悪い夢なら速く覚めて欲しいものだが、いかんせん意識のほうは明瞭になってしまっている。
「はい、私はポンです。正確に言えば、犬型移動式ビッグデータ保管ロボットのポンです」
昨日の朝の段階では確実に犬であった存在が、急に人語を駆使しながら長々と個体紹介をされたところで、信じる方がおかしい。
ロボ化したポンは散歩に行きたいことをアピールするように守の周りを走り回る。
「散歩、散歩。楽しい、散歩」
動きとしては非常に可愛らしいものだ。まあ、実際に散歩に行きたいと口にしているため台無しだが。
散歩、という名分で外へと繰り出した守。リードでつながれたロボ化したポン、ロボポンははしゃぐことなく守と並ぶように歩いている。
ポンの時には考えられないほど落ち着いた態度である。こうもお利口であると、かえって気持ち悪い。家での散歩に行きたいアピールはなんだったのだろうか。まさか、俺が散歩に行かないとでも思っていたのだろうか。ああ、そうに違いない。所詮はプログラミングの集合体。大きなお世話である。
原因は不明だが、携帯が壊れていたことが起きるのに遅れた理由である。今日中に契約している携帯会社へ行き、改善してもらおう。
守は犬ぶっているロボットを一瞥しそう誓う。
「ご主人」
「なんだ」
答える義理はないと思うのだが、無視というのも不必要な罪悪感が残るだけなので応答する。
「いつも同じ散歩コースを通っていますが、この近辺2キロメートルで検索したところ、より効率的な運動が可能である道順がヒットしました。そちらにしてみてはいかがですか」
うるさい犬だ。なぜ俺が犬の提案に乗らなければいけないのだ。効率の問題ではない。散歩をするという行為に意味があるのだ。ま、そのように話したところでロボポンには無駄であろう。
「外にいるときは一切しゃべるな。いいな」
「了解しました」
「しゃべるなと言っただろ」
「はい、ご主人様」
こちらが話し続けたら必ず応答してくると確信した守は、口を閉じることにした。ロボポンもそれ以降しゃべることはなかった。
「あら、どうも」
声だけで誰かわかるし、この時間、俺に話しかけてくるのは一人しかいない。例の中年の女だ。犬はいつもと変わらない様子。だがロボポンも見た目では判断できないため、真偽は不明だ。
だかしかし、変化するのは一概に犬だけではないらしい。
中年の女の顔が明らかに綺麗になっていたのだ。完全に整形だな。とはいえ、もとがもとであったので、綺麗になったというコメント以上の感想はない。社交辞令のように綺麗になられたという趣旨の話をすると、その中年の女の表情から喜びがにじみ出ていた。守において、そこまでして美を追求する理由が見いだせないのが現状である。そのため、どれだけの額を積めばそこまで綺麗になるか、それだけが興味の対象だった。彼女の主張では、有名な美容師に髪を切ってもらったことで印象が変わったとしているため、そうしておくことにした。
「犬の方も綺麗になりましたね。シャンプーでも変えましたか」
美しくなった中年女に贈る賛辞もそこそこに、犬の話に移す。もしかしたら、近隣のペットが全員ロボット化した可能性があるからだ。
「いえいえ、してませんよ。あ、もしかしたら、私の影響でコロンちゃんも美に目覚めたのかしらね」
どうやら中年女の犬、コロンは動物の犬で間違いないようだ。一体、俺のポンだけがどうして機械仕掛けになってしまったのだ。謎は一層深まるばかり。ロボポンに関して検証したいことは山々あるが、あいにく会社で期待の星は暇ではないのだ。
「ああ。あの計画書だけどね。粂川くんのものを採用することにしたよ」
その一言を聞いた時、守は腸が煮えくり返る思いとはこの感覚なのだと感じる。人生において一度も敗者側に回ったことのない彼にとって、その一言の破壊力は甚大たるものだった。
普通だな。
父の言葉が頭の中で再生される。
違う。俺が入社して二日目の奴に負けるわけがないだろ。
守はその日に予定されていた仕事を午前中に終わらせ。午後からは、粂川よりも優れた計画書を思考する段階へと移行する。
ロボポンが朝食中にお経のごとく述べたやるべきことリストが、意外にも役に立った。だが、散歩でしゃべらなかった分を取り戻す勢いだったので、散歩にはロボポンを連れて行かない方が賢明であろう。
打倒粂川と題した計画書は着々と作成され、残り5分の1にまで達した。
そんなタイミングで、不意に上司から肩をたたかれる。
「なんですか。今日やるべき仕事なら、すでにデータで送信してるはずですが」
「いやいや、そうじゃないよ。困るね、こんな時間まで残られるのは。うちはブラック企業じゃないんだよ」
「どういう……」
それまでパソコンに向かっていた視線は上司の方へ。思考の停止に伴い、軽快なリズムを刻んでいたタイピングも止まる。
「今、何時ですか」
すると上司は、自分のパソコンで確認しろとばかりに顎を突き出す。それに従いパソコンの右下に表示されている時刻を確認する。
「15時34分、ですね」
「ああ、会社の業務時間は10時から15時までだよ。早く帰りまたえ」
帰るしかない。
とりあえず、昨日と今日とでは何かがおかしくなってしまっている。そのことだけは確かである。
帰り道、いつもは憂鬱な雰囲気をまとった者と乗るはずの電車内。行きも帰りも満員電車で辟易としており、守も近いうちに車を購入しようと検討している。
しかし、今日は時間が早いこともあり、かなり空いていた。だがこれも、上司によれば、残業で遅い帰宅であるのだとか。いつもならばスーツ姿を多く見かける電車内には、子供たちの姿がほとんどであった。夕方近くの時間帯には、車両を子供が占拠しているとは驚きだ。少子化と叫ばれて数十年になるが、この電車内を見る限りは全く関係のない話にしか思えない。
なるほど、近頃の小学生はランドセルを背負わないのだな。
空いていた座席に座り、パソコンで粂川の提出したプランを超えるプランを作成する最中、そんな感想を抱いた。
携帯ショップに行くことを思い出し、最寄の店舗へと足を運ぶ。
ついこの間まで開店記念を行っていたチェーン店が別の店に変わっていたり、こじゃれたお店が並ぶ通りができていた。
少し見ない間に馴染みのある場所も様変わりしてしまうのだな。
そんな通りを少し過ぎたあたりに、目的の携帯ショップがある。店に入るや店員が応対しているカウンターへ向かう。
「あの、携帯が今日の朝から使えなくなってまして」
「どちらでしょうか」
「これです」
「これは11ですか」
「ええ、最新機種ですよね」
「いえいえ、とんでもございません。最新は45ですよ」
「45も出てないだろ。少し前にCMで放送してましたよ」
「いや、してないですよ」
話は平行線のまま進まなかったので、仕方なく45の携帯電話を新たに購入することにした。手に持っていると意識しなければわからないほど軽量化されており、改良されている分には構わないかと結論づけ、帰路に就くことにする。
マンションの玄関。
暗証番号が変わっていた。誕生日だなんて嘘っぱちである。
高級マンションの厳重な警備を潜り抜けた不届きものでもいたのだろうか。それよりも、勝手に暗証番号が変わったことは感心しない。新しく購入した携帯電話になにかしらメールが届いていないかを確認したが、届いていない。
まさか、ロボポンが何かしたのか。
そんな不安を感じつつ、変更された暗証番号を解読する。
記入画面は液晶に文字が映し出され、それに対応する言葉や数字を記入するものとなっていた。
その質問事項には、自分の名前を始めとした、このマンションに住む前に記入したであろう事柄についてであった。幸い、ロボポンが勝手に決めた12桁の数字を入力しないさい、というような無理難題でなかっただけ助かる。余計な時間をここではかけたくないのだ。
数分をかけようやくロックの解除に成功する。
玄関前のロックはある程度予想していた通り、鍵が変更されていた。いや、正確には鍵穴が存在していなかったとする方が正しい認識だ。
なに、ここにおける問題は解決済みだ。
「おい、ロボポン。俺だ、ロックを解除してくれ」
直後、ドアから機械的が音がした後、開かれる。玄関には本物の犬らしくお座りの状態でロボポンがいた。癒されはしない。
「お前は何を食べるんだ」
おとといから何も餌を与えていないことを懸念し、ロボポンに尋ねる。機械であったとしても何かしらの燃料なり、充電が必要なはず。急に動かなくなったでは、本当に家に入れなくなってしまう。
「私は窒素を燃料にしています」
「窒素なんて燃料に使えるのか」
「ええ、現にこの部屋の窒素は私によって消費されています」
具体的な仕組みを聞こうかと思ったが、そもそもが得体の知れない存在であるためやめておいた。これ以上余計な情報は。かえって頭の中がこんがらがるだけである。
「結論から申しますと、私はこの部屋の中で4か月は予備電源なしで活動することが可能です。特別お願いすることを挙げるならば、気が向いた時にでも窓を開けてください」
そうかと、窓を開ける。宵を迎えてほどないため、まだ漆黒が太陽の光を侵食しきれていない。しばらく窓は開けっぱなしにすることにした。
粂川を上回るプランが完成されたのは19時を少し過ぎたころであった。
完成した達成感と開放感に包まれた守は日課の新聞とテレビの同時情報吸収タイムに取り掛かる。
そうそうにテレビ画面に違和感を感じる。おかしい、いつもいる大御所のコメンテーターがいない。それだけでなく、レギュラーをはじめ、大人がいないのだ。テレビ画面に映るのは子供。子供だけでニュース番組が進行されていた。
何かの企画か、と推理した守はチャンネルを切り替える。なんと、このチャンネルにも子供だけしかいない。再びチャンネルを変える。またしても子供だけしかいない。どうなっているのだ。次から次へとザッピングするようにチャンネルを変えていく。しかしながら、画面が切り替わったところでいるのは子供の姿のみ。
「これはどういうことだ」
「と、いいますと、ご主人様」
「子どもしかいないぞ」
「新聞をお読みになればおのずと理解できるかと」
ロボポンにそう促され、守はテレビのリモコンを離し、新聞を手に取る。
そこには、新しい政党を発足されたというニュースがデカデカと印字されていた。その政党の名前はどうでもいい。問題はその構成員である。全員子供なのだ。
被選挙権なんて問題じゃないぞこれは。
「全く理解できんぞ。大前提、子供が国のトップになれるわけないだろ」
「いえ、なれます」
「そもそも法律で不可能だ」
「いいえ、全て変えられました」
「そんな時間はなかったはずだ。ありえない、こんな内容を書いた新聞社はもう終わりだ」
「残念ながら事実です、ご主人様。」
守はその新聞を破り捨て他の新聞を手に取る。そこにも同様な内容が掲載されている。一つひとつ確認し、事実無根であると引き裂く。そうして引き裂かれた新聞の山を築き上げた守。彼の耳に、政党の公約を堂々たる口調で語る、声変わりもしていない子供の声が聞こえてきた。
「日本国憲法の全面撤回から始まり、彼らはルールというものを一新させました」
「そうか、そうか。もう俺に話しかけるな。正直ついていけてない」
「そうですか。理解されるのが普通のことなんですけどね」
普通か……。普通とはなんだ。もしかしたら、父もよくわかっていなかったのではないか。そんな疑惑が浮上する。理解できなかったからこそ俺に口癖のごとく言い続けたのではないか。
俺は普通ではないらしい。断言するのは犬型ロボット。数日前まではいい意味で使っていたはずなのに。
その日、守は何も考えないことにした。ただただ、翌日が来ることを待つだけであった。
「おはようございます、ご主人様」
人間の、それも女性の声を聞いた時、守は気が気ではなかった。声の主はロボポンであると分かると安心した。昨日までの機械的な声ではなく、人間と区別できないレベルにまで進化していたのだ。
「ああ、おはよう」
「散歩に行く時間ですよ」
外見は犬で中身はロボット。そして、声は若い女性の声ときたか。明日にでも人型に進化しているのではないか。そんな疑惑があるが、深くは考えない。
ここ数日、世界は目まぐるしい勢いで変化してしまっている。
鍵が開けられなくなる可能性があるため、仕方なくロボポンを同行させる。歩くことで少しでも気を紛らせなくては。
一応、ロボポンには一切しゃべらないようにと釘を刺しておいた。
「あ、どうも。おはようございます」
知らない美少女から声をかけられた。高校生か大学生か、ティーンエージャーあたりの年齢であると推測する。黒い髪の毛は肩のあたりまで伸びており、先端部分がカールで巻かれている。二重の目は幼さが残っているが、体のラインはグラマラスの一言に尽きる。肌は白く文句のつけようがない。女優にもいないのではないというほどの美人である。どうして今まで出会うことがなかったのか恨めしく思う。
だが、今となってはどうでもいい。連日の変化に疲弊している守の心は踊り、挨拶を返す。
「おはようございます。初めましてですね。いつもこの辺りを通るのですか」
「初めまして?いいえ、昨日も会ったじゃないですか」
ああ、そういうことか。
美少女が連れている犬を確認しようやく事態を把握した。中年女だ。整形なんて言葉でも納得できないぞ。明らかに年齢も身長も顔のベースも違うではないか。
元中年の美女は好意的な目で見られていると感じたのだろう。一歩、二歩と守にねじり寄ってくる。10センチほどの身長差からの、若干首をかしげ、上目遣いをする彼女は非常に魅力的に見えた。
しかし、どれも計算ずくで行っていると思うと、途端に恐怖の対象でしかない。不埒な気持ちになどなれるはずもなかった。
褒めて欲しそうなので、適当に褒めることにした。
「変わりましたね」
むしろ、変わってないのは連れている犬だけだ。
「えええ、そうですか」
なんとも白々しい答えである。元中年の美少女は、モデルの撮影を連想させる表情と動きを駆使しているが、自然な動作で演出している。そのどれもが、いかにも男受けするような妖艶なポーズである。
おとといまでの守ならば、このまま食事のお誘いでも切り出す選択肢があったかもしれない。が、無理やり会話を終了させ、自宅まで早足で帰るのだった。
「どうして昨日まで若作りが目に付く中年だったのに、今日になって美少女になっているのだ」
帰るなりロボポンに尋ねる。どんな整形をしたらあそこまで人間が変化するのだ。
ロボポンは、アナウンサーのような聞き取りやすい女性の声で淡々と答える。
「あれは無機物人体です」
「……勘弁してくれ。じゃあなにか、中年女は整形したわけではなく、体ごと乗り換えたってことか」
「ご名答です、ご主人様。昨日、無機物人体認定法が施行されましたため、アバターの所持及び電子結合した無機物人体にも人権が認められました」
「日本国憲法はどうなっている。俺は今、この国の最高法規を知らない」
ルールなど必要あるのか。昨日今日で変わるルールなんてないようなものだろ。
「日本国憲法は昨日でなくなりました。ご主人様のいう最高法規は現在、N21と呼ばれています。Nはnational、21はバージョンアップした回数ですね」
「N21とはずいぶんシンプルになったものじゃないか。それはいい、ああ、本当に、どうでもいい」
会社に行こう。仕事だ。そうだ、粂川をぎゃふんと言わせるプランを作ったのだ。
鞄にはそのプランが保管されているパソコンとロボポンを詰め込み家を後にする。
「なぜ来たんだね。君は昨日クビにしたはずだが」
「どういうことですか」
会社にくるなり上司にあたる人からそう告げられる。
それより、こいつは誰だ。
自分よりもあきらかに幼い。幼いという表現が正しいほどの身長である上司は、小学生と言われても遜色ない。辺りを見渡すと、上司と同等の幼い顔つきをした男女が目に映る。
「ならせめて」
自分がここに来た理由が他にもあったことを思い出し、おもむろにパソコンを起動する。
「何をしている」
怪訝な表情で守の動向を注視する上司。
「弊社の今年度におけるプランを改めて提示しようかと思いまして……」
「なんだそれは」
「それというと」
「その、パソコンだよ。一体そんなかさばるものを会社に持ってきてどうするのだ。ひと昔前のレトロ機器ではないか」
パソコンがレトロだと。こいつは何を言っている。
上司は何一つ悪びれた様子はない。
嘘はついていないようだ。とはいえ、ここまで来たら見せるものを見せるしかない。
「こちらになるのですが」
恐る恐る昨日作り上げた力作を披露する。
それを見るや、上司は憤慨する。
「君はこんなものをわざわざ可視化しなくては、私が理解できないと思っているのか。いいか、今期のわが社は年商5兆円を目安として一日単位で実行計画を練っているのだ。子供のままごとに付き合っている暇はないのだよ」
見た目が子供であるので、子供のままごと、という例えが腑に落ちない。
「それでは、粂川のプランはどうしたのですか。彼のプランもそのような壮大な目標は掲げていなかったはずです」
「粂川の案が採用されるはずないだろ。あいつは今日から窓際社員だ」
粂川の方が優秀とみなされていたなんてことは些末な問題であった。クビを宣告された守は太陽が高い時間帯に帰宅する羽目になった。
街を見渡す。
こんなに大きな建物はあったか。
周囲は超高層のビルによって囲まれている。昨日まで数えるほどしかなかったはずだ。会社に行くことで頭が一杯になっていた朝とは違い、今は変に周りの様子が気になる。
街を歩くのは守以外子供しかおらず、うち半数は中年女のように無機物人体に分類される非の打ちどころのない美形をした、男子と女子であった。
すっかり変わってしまった街並み。俺は時代に置いて行かれているのか。
普通だな。
何が普通なんだ。世界の方がおかしいに決まっている。
父の言葉が守の思考を悪い方へといざなう。
電車に乗って帰ろうとしたが、腕に専用のチップが埋め込まれていないと言われ、なくなく徒歩で家に帰ることになる。
マンションのロビーまで到着する。
「おい、ロボポン、ロックを解除してくれ。……おいって」
外では発言禁止の命令を忠実に守っているのか。女性の声で反応することもなければ、ロックされたドアが開錠されることもない。
どうしたものか。鞄からロボポンを取り出す。損傷などは見受けられなかったが、胴体に『契約が更新されなかったため、自動的にサービズを終了しました』の文字が電光掲示板のように連続して流れていた。
ロボポンがガラクタになったことで、守は家に入れないことが確定した。
そうだ、貯金はどうなっている。
最悪を想定した守はパソコンを起動させ、自分の口座ページを開く。
「残高がゼロなはずないだろ!」
これまでストレスが蓄積されていたことも災いして、場違いに大きな声を出してしまった。
それだけで警報がロビー全体に響き渡り、管理室からロボットが出てくる。
「迷惑行為者と識別。これより検査をする」
最近、まともな会話をした感覚がない。
「勝手にしろ」
ロボットは遠慮なく守のバッグを奪うと、その中に入れていたパソコンと機能を停止したロボポンを無造作に地面に落とす。
かたい物同士がぶつかる鈍い音がしたのち、ロボットはセンサーで落とした二つの物をスキャンする。
「これはいるか」
「いる。……ああ、そうだな、いらない」
「了解した」
先ほどとは違う色の光線をロボットは発した。たちまち、パソコンとロボポンは消し炭と化し、原型は失われた。
守は、地面に傷ひとつ付いてないなんて大した技術だ、と関係のないところで感心していた。
何もかもを失った彼は楽観的な思考へとシフトしていた。
家からは追い出され、電子機器が紛失したため、守の資産は着ているスーツと彼自身だけとなった。あいにく、金銭は全てインターネットを通して行っており、銀行にある貯金も今の守には関係ない。
マンションロビーから出るようロボットに催促されたので、守はそそくさとその場を後にする。
さてと、これからどのようにして過ごせばよいのだろうか。漫画喫茶なんてところは行ったこともないが、そもそも手元に持ち合わせがないから候補には入らないな。ならば、公共施設のどこかでしばらく身を休めるとするか。
一変してしまった街。そこには、24時間営業をしている店が多く存在した。つい先日までは人材不足によって廃止する動きが活発になっていたが、これはどうしたものか。とはいえ、周りの環境の方がおかしいので、さほど疑問視はしない。
手始めにコンビニに入る。
接客は人型のロボットだった。なんだか未来にタイムスリップした感覚だ。商品は液晶に映し出されている写真をタッチすると、その場で作ってくれるようだ。
それには目もくれず、休憩できる場所があるか店内を回る。幸運にも、イートインスペースがあった。しばらくぶりに腰を下ろすことに歓喜しながら足を運ぶ。
すると、近づくにつれ、見覚えのある顔が視界を捉える。
「お前は、粂川か」
粂川は入社式とは打って変わり、アンニュイな雰囲気が漂っていた。ここにいる理由が聞かなくてもわかる。会社をクビになったのだろう。
恐ろしい勢いで社会は変わりつつある。
「どなたですか」
「俺は佐々木守。お前の勤めていた会社の一年先輩だった者だ」
「ああ、そうですか。では、あなたも時代に置いて行かれたわけですか」
「そうなるな」
なんとも情けない一言か。
粂川は一人にしてほしいとばかりに手を払う。
だが、守からしてみれば同じ境遇でしかもまともな人間だ。是が非でも行動を共にしたい。
「単刀直入に言う。俺には仕事も家もない。そして金もないからコンビニで何かを買うことすらできない」
「奇遇ですね。僕もですよ、佐々木さん」
「なあ、粂川よ。どうせ、俺たちは会社で活躍する人生を送ることはできない。だから、せめてその原因である大元に一矢報いないか」
「会社に何かするんですか」
「会社にあるコンピューターと名のつくもの全て、俺たちの手で壊すんだ」
「ははは、それはいい。遅かれ早かれ、我々の行先はホームレスとして路上を彷徨うか、犯罪者となって一生牢屋生活を送るかのどちらかですからね」
二人の意見は合致し、自分たちが務めていた会社(粂川に至っては三日しか勤務していない)を襲撃することに決定した。
「作戦はあるんですか、佐々木さん」
「あるわけないだろ。ただ言えるのは、バットみたいな道具を使って電子機器そのものを壊すんじゃなくて、データを丸ごと消去してやろうって計画だ」
「なるほど」
守と粂川は現在国道を自動車で走行中だ。電車での移動は不可能であるため、自動車で移動することにした。幸い、自動車を簡単に借りられることが判明したことで、窓ガラスを割るような野蛮な行為をせずに悠然と会社へ向かっている。
まだ犯罪者ではない。それも時間の問題だが。
会社に到着したころには深夜近い時刻になっていた。果たして、視界不良であることがどれだけ犯罪者に対して有利に働くかは、定かでない。ただ、日中よりは人やロボットが少ないことは間違いない。
「じゃ、はじめるぞ」
車で会社に突っ込む。安全装置がついていたので、それは事前に解除しておいた。
玄関ガラスが激しい轟音とともに崩れる。
本来ならば会社のために捧げられるはずだった知識が、こうして犯罪に使われるとは時代の皮肉である。もしも、こんな社会になるほんの数日前に戻れたらと考えるのは後にしよう。今は会社に対して、社会に対しての復讐が先だ。
けたたましい警報音がオフィス全体に鳴り響く。お構いなしに会社の受付から各部署の機密情報を抜き取り、一斉に削除を始める。
「侵入者発見」
機械音を発しながら猛スピードでロボットが近づいてくる。粂川が身を挺してそのロボットと対峙する。
「一つでも多くの情報を削除してください。でないと、ここまでした意味がないです」
「わかっている」
なれない端末に手間取っていると、何かが折れる音とそれをかき消すように粂川の絶叫が会社ロビーに響く。
「侵入者を一人拘束。残り一名」
見ると、粂川の右腕が可動域を超え反対方向に折れ曲がっていた。
なるほど、骨を折られたか。
ロボットが目の前までくる。
どうやらここまでのようだ。だが、やるべきことは成し遂げられたかと思う。
あっけなく守も拘束される。
「粂川よ、悪かったな。こんなことに巻き込んでしまって」
痛ましい右手を見ながら守は語りかける。
「今更なんですか。結局はこうなる運命だった。ただそれだけのことでしょう」
「俺たち、これからどうなるのかな」
「さあ、わかりません。殺されなければいいのですが」
ここは都内某所にある老人ホーム。
食事は毎回ロボットが配達してくれ、どれも絶品であるともっぱらの評判である。
守の机の上に置かれたのは、肉汁があふれんばかり、人工牛肉100パーセントのハンバーグと人工栽培によって作られたライス。それに野菜やスープが合わさった非常に豪華な夕食である。
「7591971052072057207101014080170510108048980980947107174027197270571374058120720582701027027420745204207310571163616666666666401271936130140161968057207205701018491235241741057103」
相変わらず、ロボットが何を言っているのかはわからない。
ハンバーグを一口食べる。
逮捕されてから、牢屋ではなく老人ホームへ、ある意味収監された守は一言しか発さない。
「普通だな」
無機物人体には憧れますね。