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最終話

 数日後、維紅は最悪の気分で応接間に座っていた。

 目の前にいるのは梅田三郎その人。

 きっぱりと断ったはずが、父は強引に梅田との縁談を進めてしまい、これから梅田も交えて挙式などの話し合いをする手筈となっているのだ。


 維紅はもちろん、こんな縁談などぶち壊そうと考えている。

 しかし……滋と最後に別れたときの出来事が、心の中で引っかかって仕方ない。


――滋ちゃんと結婚できないのなら、もう誰と結婚したっていいのではないかしら……。


 ともすれば、そんな弱気な考えが脳裏を過ぎり、維紅は慌てて頭を振った。


――ううん、だめよ。やっぱり私は滋ちゃん以外の方に嫁ぎたくはない!


 こうなったらいっそ、独身を貫くのもいいかもしれない。今は大勢の職業婦人がいる。

 幸いにも維紅は女学校では首席だ。頑張れば、どこかの会社にお勤めできるかもしれない。


――そうだわ、そうしよう。


 自分の考えが固まったところで維紅はゆっくりと口を開いた。


「お父さま」


 確固たる意思をもった声音に、父と梅田の視線が集まる。


「私やっぱり、梅田さんとは結婚できません」


「維紅! お前は今さら何を言っているんだ!」


「そもそも私は最初から、結婚なんてしないって言ってるじゃないですか。それを強引に進めたのは、お父さまの方でしょう?」


「親に逆らうんじゃない!」


 鬼のような表情で激昂する父を前にしても、維紅の意思は変わらなかった。


「梅田くんのような将来有望な男を袖にして、あの引きこもりと結婚するとでも言うのか!」


「繁ちゃんは関係ありません。彼のことがなかったとしても、私は梅田さんとは結婚できない」


 あのような野望を抱いて、好きでもない女を娶ると宣言する男だ。

 気が合うとは到底思えないし、愛を交わすなど到底不可能だろう。


「では維紅さんは、この先一体どうやって生きて行くというのですか?」


 梅田が落ち着いた口調で尋ねる。この男は前回も、維紅の親の前ではしおらしい態度を取っていた。維紅の前では態度を豹変させたくせに。


――やっぱり、いけ好かない男だわ。


 改めて梅田に対する苛立ちが募る。


「維紅、お前はもう下がりなさい。梅田くん、すまないな。維紅は少し結婚に戸惑っているようだ」


「いえ、いいのですよ。結婚前は情緒不安定になる女性も多いと聞きますし」


「なんとありがたい。維紅、聞いたか? 梅田くんが寛容な男でよかったな。後は我々で決めるから、お前は部屋に戻りなさい」


「嫌です! 私は絶対に結婚しませんから!」


「維紅!!」


 父娘の間で火花が散る。

 一触即発の空気。

 あわや取っ組み合いの喧嘩に発展か……そう思われたとき。

 突然障子がスッと開いて、見知らぬ男が姿を現した。


「誰だっ!?」


 誰何する父の厳しい声。

 しかし維紅にはそれが誰か、すぐにわかった。


「滋ちゃん……」


「何っ!?」


 そこに、美しい髪を靡かせて、友禅を優雅に着こなしていた滋の面影はどこにもなかった。

 濡羽色の髪は短く切り落とされ、形のよい耳がはっきりと見て取れる。

 着物を身につけていたときには気付かなかったが、洋装をするとシュッと締まった体躯も、スラリと伸びた手足がはっきりとわかる。

 真っ白い肌はそのままだが、それが不思議と妖艶な色気を醸し出していて、その場にいた全員がゴクリと息を飲んだ。


「篠原のおじさま。お久しゅうございます」


「う、うむ……」


 滋の妖気に飲まれ、父は思わず口籠もった。


「突然の訪問、失礼いたします。本日はお願いがあって参りました。どうか、維紅を私にください」


 滋は三つ指を突いて頭を下げた。

 男性のものとは思えない美しい所作に一瞬見惚れた父ではあったが、すぐに気を取り直して「ならん!」と一喝した。


「大体君は維紅を娶る資格があると言うのかね! 女装したまま、もう何年もずっと家に閉じこもりきりで、何もしてこなかった君に、維紅を幸せにできるとは思えん!」


「たしかに私はずっと引きこもって生きてきました。維紅や祖母に甘えて、自分の殻に閉じこもっていたんです。けれど維紅に縁談が持ち上がって、維紅が私の側から消えようとして……ようやく目が覚めました。私は維紅を、誰にも渡したくない」


「滋ちゃん……っ!」


 維紅は滋に駆け寄ると隣にペタンと腰を下ろして、自らも土下座して許しを乞うた。


「お父さま。私はどうしても、繁ちゃん以外の方には嫁げません。私たちの仲をお許しください」


「駄目だと言っているだろうが! 大体そいつは今まで仕事をしたことがないんだぞ? そんな生活力のない男に、娘を渡せるものか!」


「仕事? そんなもの、私がなんとかするから大丈夫よ」


「維紅!?」


 まさかの発言に、父だけでなく滋も驚いた。

 梅田は一人、面白そうな目で維紅を見つめている。


「女学校では首席の私ですもの。働き口くらい、いくらでも探せるわ」


「と言うことは、維紅さんがその男を養う……と言うことですか?」


「もちろん、そう言うことになりますわね」


「まるで女に養われるヒモだな。君はそれでもいいのか?」


 挑発するような口調の梅田。しかしそんな口車に乗る滋ではなかった。


「その点はご安心ください。働き口ならもう見つけてありますから」


「えっ!? 繁ちゃん、いつの間に?」


 今まで家から出たこともなければ、尋常小学校も碌に通わなかった滋が、すぐに働き口を探せるとなんて、維紅はもちろん父も梅田もすぐには信用できなかった。

 しかし滋はニッコリと微笑んで


「昔、祖父がお世話になった書道家の先生にお世話になることが決まってね。前々から弟子にしたいと乞われていたんだけど、どうしても踏ん切りが付かなくてずっとお断りしていたの」


 けれど今回のことで、ようやく気持ちが固まった。

 滋はすぐに、弟子になりたいと文を認めて、そうして今日やっとその返事が届いたのだ。


「私がこうして新しい人生を歩もうと決意したのは、全て維紅のおかげです。維紅がいない人生など、考えられません」


 憤怒の表情を浮かべる父に臆することなく、真剣な眼差しで語る滋の姿に、維紅は感動のあまり胸が熱くなった。


「くっ……許さん! 儂は許さんぞ!!」


「どうあっても認めてはくださらないと……?」


「当たり前だ! 娘がみすみす不幸になるとわかっていて、誰が嫁に出すか!」


「あら、そんなもの。そのときにならなきゃわからないじゃない。まだ何も始まっていない状態で、幸せか不幸かなんて決めつけるなんてナンセンスだわ」


「維紅、お前は口答えするな!」


「私は絶対に幸せになります」


「そいつが幸せになどできるものか」


「別に、繁ちゃんが私を幸せにしてくれなくったっていいのよ。だったら自分の手で、幸せになるための道筋を作ればいいんだから」


 幸せだとか不幸だとか、片方に全て押しつける気なんてさらさらない。

 二人で歩む人生だ。ならば幸せも、二人で一緒に作っていけばいい。

 滋とならきっと、それができる……維紅は確信していた。


「ふっ……ははははは」


 静かになった座敷に、梅田の笑い声が響いた。


「う、梅田くん?」


「面白い物を見せていただきました。まさかそう来るとは思わなかった」


「私は本気です」


 それを軽々しくあしらわれたような気がして、再び腹が立った。

 やはりこの男だけは、どうしても好きになれない。


「いいでしょう。あなたの決意に免じて、ここは身を引くことにします」


「梅田くん!?」


 突然の敗北宣言に、父は目を丸くして梅田を見遣った。


「ここまでハッキリ宣言されたのです。縋り付くなど男の沽券にかかわるというもの。それに私は自立心の高い女性は苦手でして……つまり、お嬢さまのような女性とは、上手くやっていける自信がありません」


 梅田はスックと立ち上がると、その場を後にした。

 それでも去り際に、維紅を見つめて


「今宵の決断を、せいぜい後悔なさらぬように」


 そんな捨て台詞を吐いていくことも忘れない。


「後悔なんてしませんわ。私は絶対に、繁ちゃんと二人で幸せになってみせるんだから」


 梅田の背中にそう叫ぶも、彼は片手を軽く上げただけで、一度も振り返ることなく去って行った。


「繁ちゃん……繁ちゃん!」


 梅田の姿が見えなくなってすぐ、維紅は滋を抱きしめた。


「維紅……今まで本当にごめんなさい。私に意気地がなかったばかりに、維紅を随分待たせてしまって」


「ううん、いいの。ところでさっきの話は本当なの?」


「仕事の話? それなら本当よ。明日からでも来てくれと、おっしゃっていただいたの」


「書家の先生なんて……繁ちゃん、大丈夫なの?」


 滋が趣味で書を嗜んでいることは知っていたが、それが仕事になるとは思えなかった。


「大丈夫。これでも先生からは、実力があるとお褒めいただいているんだから。維紅がお勤めに出なくても済むように、これから頑張るわ」


「あら、それは別にいいのよ。繁ちゃんがお仕事をしようがしまいが、私もお勤めに出ることに決めたから」


「やっぱり私じゃ頼りない?」


 ションボリとする滋。凜々しい姿に似合わない表情に、維紅はプッと吹きだした。


「違うわ、そうじゃないのよ。私、さっきも言ったでしょう? 繁ちゃんに幸せにしてもらうんじゃなく、私も繁ちゃんを幸せにしてあげたいの。二人が幸せになるために……まずはお互い、できることから初めてみましょう」


 やっぱり私、どう考えても家に籠もっているだけの人生じゃつまらないもの……維紅は笑ってそう言った。


「全く……それでこそ維紅と言うかなんと言うか……なんだか一生、維紅に勝てる気がしないわ」


 胸を張る維紅に、滋は苦笑するしかなかった。


「ふふふっ、私も繁ちゃんに負ける気がしないわ。だって恋する乙女は無敵ですもの!」

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