01話 紅目の魔導師の暴走
今から五百年前、人々は魔術を研究し生活を発展させていた。
魔法が人にもたらす利益は大きく、高度な文明が築かれていた。
遠くにいる者とは通信魔法で会話し、実際に会いたい場合は転移魔法を使う。料理には炎熱魔法を使用し、洗い物には水流魔法が欠かせない。
魔法に大きく依存する、それがこの世界での普通であった。
そして人々は平和で、平穏で、豊かな世界を望んでいた。
その願いの裏に隠れた凶暴性が秘められていることも知らずに——。
「諸君、よく聞いてくれ! 私はユートラス王国の王、ロッド・ユートラスである!」
王は声高らかに叫ぶ。
音声魔法により、拡大された声は広く響き渡る。
そして一級品の装備に身を包んだ王を見つめる冒険者、騎士、魔導師、兵士。
何故、このような状況になっているのかというと——、事の始まりは魔族の掃討作戦であった。
この世界には魔王の治める土地と人の王が治める土地とがあり、双方において絶対不可侵条約を結んでいた。
だがある時、一人の魔王が条約を破り、人間の土地へと侵略を開始した。
その出来事をきっかけに人間陣営との戦争が勃発する。戦争は長引き、やがて全世界を巻き込む大戦争へと発展した。
ユートラス王国の国王、ロッド・ユートラスはこの戦争を利用し、人類と敵対する魔族を滅ぼそうと考えた。それが、人類の平和に繋がると考えたからである。
ロッド王は頭の切れる人物であり、ユートラス王国を大国に築き上げた手腕があった。そのため、他国の王を言いくるめて魔族の掃討作戦の協力を取り付ける事など造作も無かった。
こうして各国の兵や騎士、冒険者や魔導師が集められ、魔族討伐軍と名付けられた彼らは人類の希望を背負っていた。
「——しかし、そう上手くはいかなかった。初めは順調に魔族共の拠点を攻め落とせていたのだが、中盤から奴らは団結し、猛反撃に遭ったのだ。こちらの拠点も奇襲を受け、多くの者が死んでいった。
恐らく、途中から力と知恵を持った誰かが指揮していたのだろう。それ故、討伐軍の人数は今では元の数の半分ほどとなってしまった」
その時のロッド王は苦悩していた。
今回の討伐作戦による見返りは、人類の安全である。そのため、この戦争に敗北すれば、ロッド王を待っている運命は魔族に攻め込まれて死ぬか、責任を取らされる形で処刑されるかのどちらかしかない。
つまり、彼は何としてでも戦争に勝たなければならなかった。
「——だから私は、残存する全ての戦力で最後の決戦を仕掛けることにしたのだ」
今日は決戦当日。
決戦前の討伐軍の士気は最大限に高まっていた。
張り詰めた糸を震わすように、王の声が響く。
「討伐軍よ、人類の繁栄のために敵を討ち滅ぼせ!!」
自身の命も掛かっているため、ロッド王の激励は悲痛な叫びにも聞こえた。
王の言葉を聞き、討伐軍は魔族の軍へと突撃を開始する。
決戦が始まった直後、既に異変が生じていた。討伐軍の後方に位置する魔法部隊から被害が出たのだ。
軍隊長の所へ伝達が入った。その内容は、ある一人の魔導師が他の魔法部隊の者たちを皆殺しにしたとの事だった。
軍隊長は自身の耳を疑った。それもそのはず、この討伐軍は各国の精鋭を集めて編成されている。いくら近接からの奇襲だったとしても、一人で他の魔導師達を相手にできるはずが無い。そう思っていた。
しかし、その予測はすぐに裏切られる事となる。
伝達が届いてから数秒後、軍の後方から伸びる一本の線が戦場を貫いた。この赤い線の正体は高温度の熱線であり、生物が触れればその部分からドロドロに溶けて、蒸発していく。
兵士の心臓、騎士の脳、冒険者の眼球、魔人の右腕、各所を貫かれた者達は絶叫する。致命傷を負った者は、絶叫をあげる暇もなく絶命していった。
一瞬にして数千人が死んだ。いとも容易く殺された。
戦場が混乱に満ちたとき、誰かが叫ぶ。
「おい、空だ……!」
その声につられ、戦場にいた者達は空を見上げた。
彼らの目に映ったのは澄んだ青色に浮かぶ一つの人影だった。
人影はおもむろに手を空に掲げる。すると空を覆い尽くすように赤色の魔法陣が展開した。
「煮え滾る流血、古き知識を有する龍、神が下す最後の審判。さぁ、地獄と天国の狭間で燃え尽きろ! 【煉獄】!」
詠唱の後、魔法陣から現れたるは、巨大な顎を持ち、大きな瞳に、誇らしくうねる角を頂く、伝説の怪物。その蛇のように長く連なる胴体が現れた時、ロッド王は呆然と呟いた。
「ドラゴン…………だと……?」
彼のその呟きは大まかには当たっていたが、正確には間違っていた。
それは生物としての龍ではなく、ただ龍の形を象った、炎の塊だったのだから。
破壊の象徴のような炎は無情にも大地に降り注ぐ。
人類の希望と謳われた討伐軍の者達は、敵の魔族諸共その業火に飲まれていった。
人々が繁栄するために研究された魔法によって、彼らは灰へと還っていく。
戦場の中心から円状に広がる炎は、生きている者と死体との区別無く平等に焼き尽くした。
魔導師は黒い焦土へと降り立つ。
殺し損ねた者がいないか、彼女は辺りに感知魔法を張り巡らせた。
すると、一人の男が死体に紛れて息を潜めているのを感じ取った。
魔導師は兵士のもとへ転移する。
目の前に現れた魔導師を見て、男は自然と流れ出る涙をそのままに問うた。
「な、なんで仲間まで殺した!? お前は何がしたいんだ!?」
男は涙を零しながら声を荒げる。
高品質な装備を身に纏ったこの男は、ロッド王その人だった。
腹心の部下達が身を呈して守ったため、ロッド王ただ一人だけ生き残っていたのである。
そして今、彼は災厄そのものと邂逅していた。
「貴様、何をしたかわかっているのか!? 我々、人類の希望を消し去ったのだぞ!?」
王は涙交じりに吼える。
彼の中で、恐怖よりも怒りの感情が勝ったのだ。
ロッド王は自らの剣を抜き構えた。
「今……ここで貴様を殺せば、私を信じた民達も救われよう!」
ロッド王は、最後の希望に望みをかけたのである。
それは己がこの魔導師に打ち勝つこと。
彼は頭脳に優れていたが、剣の腕も確かであった。
そして、彼は王としての尊厳と誇りを胸に斬りかかった。
「お前が王たる器である事に敬意を表す」
魔導師は氷のような冷たい声で言った。
そして、彼女は魔法を発動させる。
「古き知識を有する龍よ、その顎門から零れ出る烈火を浴びせよ! 【龍の咆哮】!」
魔導師の前に紅い魔法陣が展開し、そこから記憶に新しいあの龍の頭部が現れる
それを見たロッド王は恐怖で顔が引きつっていたが、足を止めることは無かった。
そして、龍は大きな顎を最大限にまで開き、炎を吐き出した。
猛烈な勢いで、炎がロッド王へと浴びせられる。
瞬きをする間も無く、彼の体は燃え尽きた。
辺りに散るのは、彼の肉体であった灰のみ。
何ともあっさりと、彼の覚悟や誇りやらは、風に乗って吹き飛んでいってしまった。
魔導師はそれに一瞥もくれず踵を返す。
ローブを少しばかり手繰り寄せて、彼女はその場を後にした。
紅目の魔導師・ヘレ。彼女は最凶最悪の魔導師としてその名を歴史に刻んでいる。
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カルムメリア王国の東端にある街。
その街はずれの教会に一人の青年が暮らしていた。名前をノア・シャルラッハロート。
十八年前、赤ん坊だったノアはこの教会の前に捨てられていた。
寒い時期だったにも関わらず、毛布一枚に包まれた彼を拾ったのは、その教会の神父であった。
神父は赤ん坊にノア・シャルラッハロートとという名前を付け、大切に育てた。
その中で文字の読み書きや魔法など、生活に困らないように様々な事を教えた。
ノアは健康に育ち、元気で賢い人間へと成長した。
そしてノアが八歳を迎えたある日、事件は起きた。
神父は前々から、「街へ行くときはローブを着て、フードを被った状態で行きなさい」と注意していた。
しかしその日は、太陽の光が降り注ぐ暑い日だった。
そのため、ノアはローブを着ずに街へと出かけてしまったのである。
いつもと変わらぬ街の雰囲気を感じつつ歩く。
人々の賑わい、どこからか感じられる料理の匂いに彼は意気揚々としていた。
「……うわっと」
「きゃっ!」
他の事に気を取られていたノアは、道の真ん中で少女とぶつかった。
少女はノアよりも幼かったため、転んでしまっている。
「ごめん、怪我はしてない?」
そう言いながら彼は手を差し出す。
これは自身に責任を感じ、少女の身を案じた上での行動である。
決して攻撃的な意思は無かった。
ところが、少女は声を上げて泣きだしてしまった。
困惑するノアをさて置いて、依然として泣く声は止まらない。
するとそこへ、父親と思しき人物が現れた。
彼は少女を抱きかかえ、あやし始める。
「いや、すまんね。この子は泣き虫なもんで……」
父親は少女に優しい顔を向けている。
しかし、彼がノアの目を見た瞬間、その表情が急変した。
「その紅い目……まさか、あの魔導師の血を継いでいるのか?
……災厄め、とっととこの街から出て行け!」
そう父親は言い放った。
彼の目は血走っていた。
そこにあったのは憎悪の感情だけだった。
ノアは彼が何を言っているのかさっぱりわからない。
理解不能だった。
固まるノアに対して、父親は罵詈雑言を吐き続ける。
騒ぎを聞きつけた街の人々がぞろぞろと集まってきた。
そして口々に暴言を投げつけている。
次第に耐えきれなくなったノアは、その場から全速力で逃げ出した。
背後から様々なものが飛んできた。
石を投げつけられ、頭から血が流れたが、ノアは走り続けた。
止まれば殺されると感じていたのだろう。
そして、ただ一目散に逃げていたノアはいつしか教会まで戻ってきていた。
彼は地面に倒れこんだ。
それは頭からの出血と心からの安堵によるものだった。
教会に隣接する小さな家。
その寝室でノアは目覚めた。
頭を触ってみると、包帯が巻かれていた。傷の痛みは引いているようだった。
「おぉ、やっと目を覚ましたか。三日間寝たきりだったからな、心配していたよ」
部屋に入ってくるなりそう声をかける神父。
その穏やかな声と表情はいつもと変わらない。
「ねぇ、どうして街の人たちは僕を見て怒ったの……?」
ノアは問う。
彼には分からなかった。
自分の何が人々を怒らせたのか。
「私はよくお前にローブを着て、フードを被るようにと言っていただろう?
それは、お前の目を隠すためだ」
「僕の目……?」
「ああ。お前の目は五百年前、全てを焼き尽くした魔導師と同じ色をしている。
だから、お前はその魔導師の血を引いた人間ではないかと疑われたんだ」
「たったそれだけ?」
「それだけの事さ。人間は災いを恐れる生き物だ。それがどれだけ小さな物でも、危険性を孕んでいるのなら、排除したいと考えるだろう」
神父の穏やかさは依然として変わらないが、その発言は冷酷であった。
「お前はどうしたい?」
今度は神父が問うた。
八歳の子供にはやや難しい質問である。
「わからない……けど、怖い思いはしたくない」
それはノアの心からの望みだった。
神父は彼の頭を優しく撫でながら言った。
「それなら、十年だ。十年もあれば大抵の事は学べる。
体を鍛えて勉強するといい。 その間の安全は私が保証しよう」
目尻のしわをさらに深くさせて、神父はノアに微笑んだ。
その数日後、神父は突然、息を引き取った。