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氷の伯爵と呪い

 「ぎにゃあ!」

 「だからお前、上に跳ぶなって何回も言ってんだろ阿呆!」

 「んぐぐぐ……」



 いいお天気の午後、今日も今日とて私は教育係に任命されたジャンによって吊り下げられています。



 「跳躍力あるのは結構だが、跳ぶ度足掴まれてちゃ世話ねえよ。」

 「だって……、」

 「だっても軍手もねえ。」



 片足を掴まれ逆さになった世界でジャンが逆立ちしながら説教をしてきます。全くもって耳が痛いのですが、如何せん手よりも足の方がはるかに力が強いため足技に頼りやすく、またジャンの攻撃をつい上に逃げて躱そうとしてしまい、毎回毎回こうして捕らえらえた獲物よろしく吊り下げられています。身体も小さく体重も軽い私は軽々と捕まえられてしまいます。猫パンチもできなくはないのですが、やはり殺傷能力に欠けるので、蹴りが中心になってしまいます。



 「身体能力ないわけじゃねえのに……その鳥頭じゃ宝の持ち腐れだな。」

 「鳥じゃないですー。」



 残念なものを見るような目で見られますが、鳥頭ではなく猫頭なのです。じわじわ頭に血が上ってきたところでブンッ、放り投げられます。くるっと回って危なげなく着地すると、勿体ねえと呟かれてしまいました。

 ふと、訓練場の端の方からどよめきと張りつめた空気、それから嗅ぎなれた匂いがしてきました。



 「なんなんだ……?」

 「伯爵様ですよ!クラウス様がいらっしゃっています!」

 「イチェベルク公……、たまにこうやって見に来るんだよ。ていうかその視線の高さと距離でよく伯爵が見えたな。」

 「心眼です!」



 ジャンの言葉に対し適当にごまかしておきます。まさか匂いで分かったなんてとても言えません。特に人間は匂いを嗅いだりすると怒ったり引いたりする、ということはここに来てから学びました。兵団に入ってからいったい何人もの先輩方の心に小さな傷をつけたことでしょう。嘘をつくのはよくありませんが、これ以上変な子を見る目で見られるのはごめんです。

 昼間にクラウス様を見るのは久しぶりですが、太陽の下でも彼は相変わらず麗しいです。夜のクラウス様は月明かりと銀髪が本当に美しいのですが、太陽の下ではいつもより健康的にも見えます。残念なことと言えば、たくさんいる兵士の中に混じっている今、クラウス様に撫でていただくどころか、視線を向けてもらうことすらできないことです。

 私たちから遠く離れたところで立ち止まり、兵団長であるアルディーロさんと何やら話をしています。流石にこの距離ではお二人の会話の内容を聞き取ることはできません。すると一人の兵士さんが刃の引かれた剣をクラウス様に渡しました。



 「……マルコさんと手合せするみたいだな。」

 「ジャンはどっちが勝つと思いますか?」

 「普通に考えてマルコさんだろ。あの人がここで一番強い。……伯爵がどの程度戦えるのかは知らねえけど。」

 「じゃあ僕は伯爵様を応援します!」



 アルディーロさんは腕っぷしが一番の売り。きっとこの街の誰よりもアルディーロさんは強いでしょう。私もよっぽどアルディーロさんが勝つとは思いましたが、ここは敢えてクラウス様を応援します。伯爵様がきちんと見える場所に移動します。



 「賭けか。マルコさんが勝ったらどうする?」

 「兵舎の裏に生えてた良い感じの猫じゃらしを差し上げます。」

 「いらん。」



 間もなく始まった金属と金属のぶつかり合う音に、思わず眉間に皺が寄ってしまいました。あの音は冷たくてあまり好きではありません。身体の大きさ上私の訓練は体術と私が何とか扱えるサイズの短剣だけです。刃をひいてあるとはいえ、あんなに大きくて硬いものが身体に当たったら、きっととてつもなく痛いのでしょう。アルディーロさんに痛い目に遭ってほしいわけではないのですが、伯爵様に痛い思いをしてほしくないので、アルディーロさんが足を滑らせるように祈ります。



 「……ほら、やっぱりマルコさんが勝ったぜ。」



 硬いぶつかり合う音の中でひときわ大きな音が鳴ったと思うと、伯爵様の持っていた剣が弾き飛ばされ、アルディーロさんの剣が胸に突き付けられました。見ている限りそれだけで、伯爵様がひどく打たれたわけでもないようなので安堵します。もし怪我でもしていたら夜に彼の手に爪を立ててやるところでした。もっとも、兵団長様は雇い主に怪我をさせるような腕ではないでしょう。



 「仕方がないので猫じゃらしを差し上げましょう。」

 「だからそれはいらん。」



 にやにやと笑いながら伯爵に近づくアルディーロさん、よく見えるよう移動したため今度は話している内容が聞こえました。



 「少し腕が鈍ったんじゃないですかイチェベルク公?」

 「そうかもしれんな。」

 「そこは俺が強くなったって言ってくださいよ。」



 落ちていた剣を大して興味もなさそうに拾い上げ、近くの兵士に渡します。ただただそれを見ていると、クラウス様と突然目が合いました。アイスブルーの目はいつもよりずっと遠いのに、なぜだかとても近く感じられました。たくさんの兵士の中にいるのに、その中から私を見つけてくれたことが、飛び上がりたくなるほど、嬉しかったのです。もっとも、私がぱいにゃんであることには気づいていないでしょうが。



 「イチェベルク公、どうした?」

 「……いや、何でもない。戻ろう。変わらず精進しろ。」



 そっけなく言う伯爵様に皆敬礼をし、その背中を見送りました。

 けれど私はそんなことより、一瞬でもあの方が人間の姿をしている私を見てくれたことが、嬉しくて仕方がありませんでした。手を振ることも名前を呼ぶこともありませんが、それだけで頑張れる気がしました。

 伯爵様がいなくなってからばらばらと休憩に入っていく中、なんとも表現しがたい顔をしたジャンに呼び止められました。



 「……さっきお前、伯爵に見られてたな。」

 「はい!目が合いました!」

 「……お前みたいなちんちくりんが混ざってたから驚いたんだろ。今日中にもしかしたら追い出されるかもな。子供の遊び場じゃない、とか言われてな。」



 ジャンの意地悪は今に始まったことでもないので睨むだけにとどめておきます。確かに伯爵様の目を引いたのはきっと私が子供だったからでしょう。しかし私を連れてきたのはほかでもない兵団長であるマルコ・アルディーロさん。兵団内での裁量はすべてアルディーロさんに任されている以上、追い出されるということはまずありません。



 「お前、伯爵の知り合いか何かか?やたらと役に立ちたいだとか言うし。」

 「いいえ、今回初めてお会いしました。」



 少なくともシロとして姿を見るのは初めてのことです。実際、まさか私が実は猫だなんて気が付くわけもありません。それならば人間の私と伯爵様は初対面ですし、言葉を交わしたことすらありません。

 しかしこれ以上追及される前にお茶を濁しておきます。



 「伯爵様は本当に綺麗なお顔をされてますね。」



 既に知っていることですが、人間の目線で見るのと猫の目線で見るのとでは違います。人間の姿になってからいろんな人を見て、いろんなものに触れましたが、やはり彼の美しさは格別だと思うのです。彼は確かに人の中にいるとまるで笑いません。誰に興味があるようなそぶりも見せず淡々としています。けれどその澄ました様子もまた絵画か何かのようで美しいのです。遠くてとても触れることができないような、そんな心地がするのです。



 「……綺麗なのは顔だけだろ。」

 「そんなことありません。お心だって綺麗な方です。」

 「なんだよ、お前伯爵と話したことあんのか?」

 「うっ……」



 ジャンの言葉に思わずむっとしますが、シロの状態で話したことはありません。もしかしたら伯爵様はとても緊張しいで、素顔を見せるのは猫である私だけ、なんて可能性もあるかもしれません。伯爵様は猫の私といるときはよく笑いますし猫じゃらしで遊んだりもしてくれます。街の人々の生活を気にし、犯罪に頭を悩ませる勤勉な方です。



 「見た目に騙されんなよシロ。あいつは血も涙もない人間だぜ?」

 「うう、ジャンこそ伯爵とお話ししたことがあるのですか?」

 「…………、」

 「ジャンもないんじゃないですか!」

 「なんだお前ら面白い話しているじゃねえか。」



 どこから聞いていたのか、先輩のイゴールさんが笑いながらジャンの背中を叩きました。そう分厚くもない背中は大きく前のめり急き込みます。可哀想にと思わないでもありませんが、伯爵様をないがしろにするような発言の手前、冷たい視線を送っておきました。



 「ジャンが伯爵のことを悪く言うんです。血も涙もないって。そんなことないですよね?」

 「あ?当たり前だろう。ここの領地が荒れてないのも重税に喘いでないのもイチェベルク公様のおかげだ。……でもま、ジャンの言わんとするところもわからんでもない。」

 「ええっ、」



 せっかく味方を得たというのに、イゴールさんまで反伯爵様のようです。あんなに素敵な方であるのに、周囲にまるで伝わっていいないようで衝撃です。イゴールさんこそ、長い間兵士として伯爵様の下に仕えてきたというのに。



 「いやいや、もちろんひどい人じゃねえよ。職務はしっかりしてるし、統治者としては十分だ。ただなあ、あのイチェベルク伯爵は誰も愛せないんだ。」

 「愛せない……?」



 それはどこかで聞いた言葉でした。



 「クラウス様が生まれる前、前伯爵が魔女に呪いをかけられたのさ。」


 『お前から生まれる子は、誰も愛さない。実の親であるお前のことも、伯爵のことも、部下のことも、民のことも。その子は誰も愛さない。』


 「呪いなんて、馬鹿馬鹿しい。まして魔女だなんて。」

 「ここだけの話だぜ?その魔女は今も森の中に住んでるんだってよ。」



 ジャンはその話を鼻で笑い、胡散臭げにイゴールさんを見ます。私は心当たりがあるだけに、イゴールさんの話をじっと聞いていました。



 「だいたいなんで愛さない呪いを?」

 「さあ?詳しいことはわかんねえよ。先代の伯爵たちが魔女を怒らせたとしかな。実際、クラウス様は誰に対しても平等に興味がない。実の両親が亡くなった時も泣かないどころか顔色一つ変えなかった。」

 「はっ、それはまた難儀なことで。」



 どこまでいっても何を言っても、ジャンは伯爵が嫌いなようです。もっとも、絵物語のような眉唾の話を聞かされて納得する人間などそうはいないでしょう。知り合いに魔女や魔法使いでもいない限り。この態度に流石のイゴールさんも呆れたように苦笑いをします。



 「……ジャンお前よくそんな悪感情でここに居られるな。」

 「給料が良いんで。」

 「だよなー俺もー。」


 

 イゴールさんは不貞腐れたようなジャンの返事に怒るでも叱咤するでもなく気が抜けたように同意した。

 兵士と言うものは、命がけのお仕事だと私は思っています。主人のために死ぬこともあるでしょう。

 給料が良いからここにいるという二人は、もし死んでしまったとき、主人のために命を投げうったのではなく、お金のために命を投げうったと考えるのでしょうか。

 お金は大事です。ご飯を買うためにはお金が必要です。生きるためにはお金が必要です。けれど生きるためにお金が必要で、お金が必要だから命をかけるなんて、おかしな話のように私は思いました。


 私には理解できないきっともっと複雑な何かがあるのでしょう。貨幣社会で生きる人間は、随分と不自由なようです。

 なにより、お金がもらえるからという理由で嫌いな人間を守るのは嫌ではないのでしょうか。

 全部全部好きになった方が、遥かに幸せに暮らせるだろうに、と言えば、きっと先ほどのようにジャンから阿呆、だなんて言われてしまうのでしょう。

 好きを嫌いに変えるのも、嫌いを好きに変えるのもきっと難しいことでしょうから。





 街に夜の匂いが漂い始めたころ、人波を抜けていく黒の鍵尻尾を見つけました。ふと昼間のイゴールさんの言葉が蘇ります。


 『クラウス様が生まれる前、前伯爵が魔女に呪いをかけられたのさ。』


 この街に魔女がそう何人もいるとは到底思えません。きっと魔女は、あの西の森に住む美しい魔女さんのことでしょう。

 彼ならことを知っていると思い、誘うように揺れる尻尾を追いかけました。



 「そうさ、昔魔女エーヴァが伯爵にかけた呪いダ。」



 私が来ることなどディアヴォロさんはわかり切っていたことらしく、人気のない草むらで悠々と私のことを待っていました。そしてそれがどうしたのだ、と言わんばかりに金色の目を細め言いました。



 「彼女はなぜ、そんな呪いを……?」

 「それをお前さんに教えてやる筋合いはないネ、ぱいにゃん。」

 「…………、」

 「それが知りたきゃエーヴァの使い魔になって気にいられるんだナ。そうすれば話が聞けるかもしれン。」



 彼は、知っているということでしょう。エーヴァと言うあの美しい魔女さんがなぜそんな呪いをかけたのかを。それを魔女から聞いたのか、はたまたその現場を見ていたのかはわかりません。伯爵様が生まれたのは二十数年も前の話です。しかしこの猫らしくない猫である彼であれば、当時から生きていてもおかしくないと思うのです。

 風が出てきて、草がこすれあうサラサラという音に包まれます。西の森は木々が揺れ、生き物の唸り声のような音を立てます。昼の空に浮かんでいた白くて薄い月は金貨のような色に姿を変えていて、ほんの一瞬目を瞑るともう私は草むらに飲み込まれそうになる小さな白猫に戻っていました。



 「あと、一週間です。」

 「そうだねェ。それが人間にいられる時間で、伯爵の愛猫でいられる時間で、伯爵が生きられる時間かもしれン。」

 「伯爵は生きられます。私が必ず助けます。」

 「……しっかりまわりを見ておくことダ。目的があるなら目を曇らせてはいけなイ。決しテ。」



 あと一週間、後悔のない様にナ、と言ってディアヴォロさんは夜に溶けていきました。

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