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黒猫と魔女

 次の日から、伯爵様をお守りするための方法を、皆様に聞いて回りました。


 お屋敷に咲く赤色のバラに聞いてみます。たくさんの人が訪れるお屋敷のお庭に住む彼女たちなら、きっと何か知っているでしょう。



 「バラさんバラさん教えてください。どうすれば人間とお話しできますか?」

 「あら可愛いお嬢さん。伯爵様の子猫ちゃんね。貴女が人間に言葉を教えればいいわ。貴女は私たちとお喋りできるけど、彼らは同種としか話ができない。きっと勉強不足なのよ。」



 あのたくさんのことを知っている伯爵様も勉強不足なのでしょうか。けれど伯爵様に言葉を教えている時間はとてもありません。いくら頭のいいお方だって、たった一月で私たちの言葉を覚えるのはきっと難しいことでしょう。



 「バラさんバラさん教えてください。どうすれば人間になれますか?」

 「人間になりたいの?人間たちよりも貴女の方がずっと美しいのに。その雲のように白く暖かい毛皮、雨上がりの空のような青い瞳、ちくりと小憎い気高い爪。どれもこれも人間よりも美しいわ。まあ明け方の水浴びを終えた私たちには敵わないけれど。」



 バラさんは刺や葉の生えた身体を上品に揺らして笑いました。

 バラさんはきっと知らないのでしょう。人の持つ五本指が美しいハープを奏でることを。牙のない口が美しい音を紡ぐことを。彼らの膝の上が陽だまりのように暖かいことも。

 バラさんにお礼を言って、次の方を探すことにしました。



 次に兵舎に住んでいる大きな犬さんのところへ行くことにしました。彼らは日々人間たちと過ごしながら時に一緒にお仕事をしています。きっと彼らなら人とのお話の仕方を知っているに違いません。



 「犬さん犬さん教えてください。どうすれば人間とお話しできますか?」

 「そいつあ難しいなぁお嬢ちゃん。奴らってば俺たちに命令はするくせに俺らの話は聞きやがらねえ。こっちが人間に合わせてやってんだ。別に話せてるわけじゃあねえ。まあ飯をくれるってなら文句はないんだがな。」



 お仕事をするということはやはりとても大変なことのようでした。ただただ伯爵様のお側にいるだけでご飯がもらえる身が少し恥ずかしくなりました。少し居心地が悪くて顔を洗います。



 「犬さん犬さん教えてください。どうすれば人間になれますか?」

 「猫の嬢ちゃんが人間に?あっははは、そいつぁ無理だ諦めな。やつらは生まれた時から人間だし、俺らも生まれた時から犬だ。お嬢ちゃんも生まれた時から猫だろう?人間が犬になることなねえし、犬が猫になることもねえ。んでもって猫が人間になることもねえ。んなできもしねえこと考えても腹が減るだけだぜ?」



 犬さんは、自分が犬であることに誇りを持っているようでした。犬は犬であり、人間は人間である。自分の現状に満足するということが大人になるということなのでしょうか。働いている方はやはり考えることが違います。

 犬さんにお礼を言って、次の人を探しに行きます。



 お昼ごろまでお庭のバラさん、兵舎に住む犬さん、公園にいた鳥さん、街にいた樫木さんなど、たくさんの方々に聞いて回りましたが、誰も人間との話し方も人間になる方法も、ご存知ないようでした。半日かけて聞いて回って何の収穫もないというのは辛いことです。けれどめげてはいけません。クラウス様の命がかかっているのですから。


 街の中の方々はきっと人間と話したことも人間になったこともないのでしょう。それならば街の中に住んでいる方よりも旅をしているような方の方が変わったことを知っているかもしれません。少し離れた街のはずれまで足を運びますと、あまり見かけない黒猫さんを見つけました。金貨のような目が黒い毛によく映えていて夜に浮かぶ真ん丸のお月さまのようです。もしかしたら旅の方かもしれません。そうであればきっとたくさんのことを知っていることでしょう。



 「黒猫さん黒猫さん教えてください。どうすれば人間とお話しできますか?」

 「おやまあ、白い猫のお嬢さン。人間とお話がしたいのかイ?やめとけやめとケ。話のできる子猫なんていた日にゃアッという間に見世物小屋に売られちまうゼ?」


 黒猫さんはにぃんまりと笑いました。見世物小屋というところがどういうものなのかは知りませんでしたが、それが悪いものだというのはわかりました。しかし私が話したところで、伯爵様が私を誰かに売るなんてことはないでしょう。彼は私をとても可愛がってくれています。



 「黒猫さん黒猫さん教えてください。どうすれば人間になれますか?」

 「ああ可愛い白いお嬢さン。それならうちのご主人がなんとかしてくれるかもしれないナ」

 「ご主人?貴方のご主人なら私を人間にできるのですか?」

 「そうさなァ。きっとご主人ならできるに違いなイ。うちのご主人はみんなの恐れる魔女なのサ。できないことなんてないネ。きっとお嬢さんだって誰より可愛い女の子にしてくれるサ。」



 魔女。魔女は知っています。伯爵が読んで聞かせてくれた本の中に出て来ました。魔法を使う恐ろしい相貌をした老婆です。子供を攫ってスープにしたり、人を唆す預言をしたり、生まれてくる子に呪いをかけたりするのです。てっきり物語の中にしかいない不思議な人物だと思い込んでいましたが、どうやら現実の世界にもいるようでした。

 ”みんなの恐れる魔女”というフレーズは少々恐ろし気に聞こえますが、それでもここまでいろんな方にお話を聞いて初めて聞くことできた有力な情報です。この程度で臆病風に吹かれるわけにはいきません。



 「貴方のご主人は私に手を貸してくださると思いますか?」

 「どうだろうなァ。そう、例えばお嬢さン。もし人間になれるなら、うちのご主人に何をしてくれル?何を差し出せるんだイ?」



 対価が必要ということでしょう。世の中のたいていのことにそれが必要とされることは、無知な私でも知っています。

 私は魔女さんが欲しがりそうなものを何も持っていません。珍しい宝物も、高価な宝石やアクセサリーも、お金も、何ももっていません。私が持っているものといえば、この白い身体と伯爵からいただいたこの首輪と「ぱいにゃん」という名前だけです。しかしもし願いが叶うのであれば、



「なんでも。なんでも差し上げましょう。なんでも致しましょう。あの方のご恩に報いることができるなら、私に心残りはありません。なんだってあなたのご主人に差し上げます。」



 金の目をした黒猫は少し鼻白んだような顔をして長いひげを震わせました。

 きっと私は答えを間違えたのでしょう。けれど私にできることはほとんどありません。ならば持っているすべてを差し出すとしか、私には言えないのです。



 「私は何も、選ぶことのできるほどのものをなど持っていません。お願いします、力を貸してください。大切な人を守りたいのです。」

 「……ついてきなァ。ご主人のトコ連れっててあげようじゃあないカ。」



 少し考えた後、鍵尻尾を揺らしながらすたすたと黒猫さんは歩いていきます。戸惑いながら私はその尻尾を追いかけました。他の猫さんと匂いが、話し方が違うことに気が付いていました。恐ろしい魔女のところへ行くこともわかっていました。けれど他に方法が見つかりそうになかったのです。

 ご恩に報いるためならば、あの人の命を守るためなら、何も怖くはありません。藁にも縋る想いで、鬱蒼とした街外れの西の森へと向かいました。




 西の森は日中だというのに薄暗く、根がびっしりと這う地面はとても歩きにくいものでした。黒猫さんは慣れたようにスルスルと根から根へと飛び移ります。時折私がついてきているかと振り向いてくれる彼はきっと優しい方なのでしょう。

 しばらく歩きますと、どこからか不思議な匂いがしてきました。草を煮詰めたような苦い匂い、鼻にツンとつく辛い匂いです。



 「薬の匂いがするだろウ?もうすぐご主人の家ダ。せいぜい頑張って説得するといイ。」



 奥へ奥へと進んでいくといつの間にか室内に入っていたようです。湿った風が遮られ、薬の匂いが強くなります。洞窟のような、木でできた部屋のような、なにでできているかも私にはよくわかりません。



 「ディアヴォロ、それはガールフレンド?」



 幾重にもかけられた布の先から、突然女の人の声が聞こえました。驚いて毛を逆立てますと、ディアヴォロと呼ばれた鍵尻尾の黒猫さんは鼻で笑って、勝手知ったように布の先へと進んでいくので慌てて私もその後を追いました。



 「馬鹿言っちゃいけねェ。俺はご主人様一筋サ。こっちのお嬢さんが、わざわざ身軽な体を捨てて、愚鈍な人間になりたいってサ。」

 「へえ。それはまた酔狂な子猫もいたものね。」


 するりするりとディアヴォロさんは戸棚を上り、椅子に腰かけた女性に媚びるように笑いかけた。

 魔女は人間の姿をしていました。菫色のフードの奥の顔を見えませんが、せせら笑う声に思わず後ずさりしそうになりました。ローブから覗く細い指についた爪は人らしくなく深い黒いものでした。



 「何のために、あんな醜い生き物になりたいと思ったの?」

 「……私を拾ってくださったお方がいました。その方は今、命を狙われています。今月末、彼が殺されてしまうかもしれません。しかし私はそれを伝える術を持ちません。この身体では彼を守ることができません。」

 「それで?」

 「私をどうか人間にしてください、お願いします。人間になって、あの方を守りたいのです。私を拾ってくださった伯爵様に恩返しをしたいのです。」



 魔女は高い声で笑いました。その声色はとても恐ろしく部屋に響き、心臓が止まってしまいそうでした。底冷えするようなその声はまるで雪に埋もれたあの夜のようで。

 明確に、侮蔑し、見下す色をしていました。



 「ああ、本当に馬鹿な猫ね。」



 傍に置かれた水瓶の水面を、白い手が撫でます。



 「お前は猫の分際で、人間に恋でもしたの?全く身の程知らず。猫と人間では結ばれないからって、人間になろうだなんて、浅ましい。その浅ましさはもう人間とおんなじくらいじゃないかしら?」



 思わず顔がかっと熱くなる。そんなつもりはありませんでした。ただただ今はお役に立ちたいと思っていたのです。その気持ちには一片の偽りもありませんでした。



 「ご愁傷様。あの伯爵が人間になったお前を愛することはないわ。諦めることね。」

 「違います。確かに、確かに私はあの方をお慕い申し上げています。しかしそれ以上に、私はあの方に恩返ししたいのです。報いることができたなら、お助けすることができたなら、それ以上は望みません。無知な私は恋を知りません。ただただあの方が大切だという気持ちは間違いのないものなのです。」



 きっと私のこの必死さも、浅ましいと彼女は笑うのでしょう。けれどそれでもかまいません。これが浅ましさと言うのであれば、私はどこまでも浅ましくありましょう。

 愛も恋も、私は知りません。けれどあの方を私が大切に思うように、あの方が私を大切に思ってくださっていることを、私は知っています。



 「お願いです、力を貸してください。どうしても、あの方を助けたいのです。それさえ叶えば、他に何も望みません。代償が必要とあれば、私にできることを何でも致します。なんでも差し上げます。」



 他に何も望みません。クラウス様が生きていられるなら。



 「どうか、どうか一時で良いのです。私を人間にしてください。」



 魔女は疑うように私を見て、深く深く息を吐き出しました。



 「……ああ、本当に馬鹿な猫。」



 あれはお前を愛さない。魔女はもう一度つまらなそうに言いました。



 「いいわ。お前を人間にしてあげましょう。ただし、人間としていられるのは昼間だけ。タイムリミットは伯爵が襲われる日の晩までよ。そうしたらお前はまた猫に戻る。そして猫に戻ったら私の使い魔として生涯を尽くしなさい。その命が終わる一秒まで、私に捧げると誓いなさい。」

 「っありがとうございます!!」



 立ち上がりフードをとって笑う魔女はとても美しい女性でした。伯爵の読んでくれた本の挿絵とは似ても似つきません。無垢な10代の少女にも見えたし、すべてを知り尽くした大人の女性にも見えました。けれどどちらにしても、彼女が恐ろしいほど美しいことに変わりませんでした。



 「契約はなされた。」



 魔女さんは私に向かって掌を向け囁くように歌うように言いました。

 何が起こるのかわからず、私は身を固くしました。ただ一つ、逃げてはいけないことだけはわかりました。戸棚の上からディアヴォロさんが目を細めます。



 「叶えよう、貸し与えよう。鈴のような声を、天に伸ばす両手を、物語を紡ぐ言葉を、無垢なるものに貸し与えよう。あるものはなく、ないものはある。目に見えるものはなく、目に見えないものはある。確かさは不確かであり、不確かであることは確かである。日の下に偽であり、月の下に真である。愚かな心に気まぐれを。叶えよう、貸し与えよう。鈴のような声を、天に伸ばす両手を、物語を紡ぐ言葉を、無垢なるものに貸し与えよう。」



 紡がれる声とともに、彼女の掌から美しい金糸の光が現れました。何の匂いもしないそれは宙を泳ぐように私の方へと近づいてきます。



 「ぱいにゃん、それを避けちゃいけないヨ。それは魔女の魔法、お嬢さんを人間に変える魔法サ。」



 棚の上から投げられるディアヴォロさんの言葉に従い、ぎゅ、と両目を瞑って光を受け入れます。

 目を瞑っていても光が私の中に吸い込まれていくのを感じました。

 すると身体がなんだかムズムズしてきます。身体の内側が落ち着かず、まるで何か変なものを飲み込んでしまったかのようです。違和感は身体の中心から端の方まで広がっていきます。肉球がついていたはずの手足がきしむように伸び、足の間に隠れた尻尾の存在があやふやになっていきました。



 「これでお嬢さんは立派な人間になれたってわけダ。」



 目を開けると、視線がいつもよりずいぶんと高いことに気が付きました。前足を見るといつもの白い手ではなく、人間の子供のように指がしっかり5本に分かれています。振り向いても見慣れたはずの尻尾はどこにもいませんし、顔を触るとヒゲもありません。身に着けていたのはクラウス様のくれた首輪だけだったのに、白っぽい服を着ていました。



 「ああ愚かなお嬢さん。その服は餞別にあげるわ。裸で歩き回ったら攫われるか警吏に捕まるかの二つに一つ。大切な人間のところまでは到底いけやしない。さてさて、どうなるか見ものね。」

 「ありがとうございます魔女さん!これでクラウス様の助けになることができます!」



 これで伯爵様に危機をお伝えすることができます。手足の感覚や声には少し慣れませんが、大した問題ではありません。一刻も早く屋敷へ戻り、伯爵様にお話ししなくてはなりません。

 何とかふらつく二本足で走り出し、お屋敷へと向かいました。




 白い少女のいなくなった部屋で黒猫がクツクツと笑っていた。



 「珍しいこともあるものだネ。君が願いをかなえてやるとハ。」

 「珍しいのは貴方の方もでしょう。よりにもよってあの男の飼い猫を連れてくるなんて。」

 「なに、上手くいくはずがないわ。言葉を話せたところで、あんな見ず知らずの怪しい子どもの言うことなんて誰も耳を傾けはしない。たとえ伯爵が襲われる場面になったとしても、伯爵に近づくことすらあの子にできはしないでしょう。」

 「……ああ、寂しがり屋な魔女様はオトモダチを増やしたかっただけなのかイ。」



 魔女が振り払うように手をかざすとゴウ、と突風が吹く。戸棚から飛び降りた黒猫は本や薬草が嵐のように飛び回る部屋の入口へさっさと避難した。



 「礼のようなもの。あの男が死ぬかもしれないってことを知れただけで御の字。あの愚かな親から生まれた子がどんな風に死ぬのか。確実に見物することができるわ。」

 「……本当、可哀想な子だなァ。」



 黒猫は肩をすくめて森の中へと消えていった。

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