番外編の番外編 36年越しの復讐 まな板や洗濯板を愛称とするのはお控えください
少女になって訪れた変化の内、生活に最も影響を与えたのは金遣いだ。老舗の高級ブティックで買い物デート中にそんなことを思った。
「これはこれは、目の保養とはお客様のことを指すのですな。
当店お抱えの職人が丹念に仕立て上げたドレス、大変よくお似合いでございます。
美しさにおいては神の中で並ぶ者のない月の女神様もお客様の前では嫉妬せずにはいられないことでしょう」
「どーも。なあなあ、これどうかな?」
店の主人のおべっかを聞き流し、俺は彼氏である霞澄の反応を待った。
彼の言葉ならば『似合うよ』とか『可愛いね』とか判で押したような感想でも構わない。
見惚れてくれるかどうかだけが絶対の基準だ。
「……常々思っていることだけど本当にお人形さんみたいに綺麗。浴衣も制服もメイド服も全部似合うけど、ドレス姿だとまた違って幻想的な可憐さだね。初対面でこれを着ていたらどこかの国のお姫さまと間違えてたかも」
目を見開き、息を飲んで感想を述べてくれた。
元女としての本能かドレスそのものにも目を奪われている。
本繻子に似た独特の光沢ある生地は【銀狐】というSランクに位置する高位の魔物の体毛を織って編まれたもの。
銀狐は人の生活圏から遠く離れた大森林の奥地、秘境といってもよい場所に生息し、青白い月の光に似た美しい毛皮を纏っている。
銀狐について少し掘り下げると、一国の近衛騎士の中隊(よく訓練された兵隊200人規模)を無傷で一蹴したという逸話があり、凄まじい力の持ち主であるが、基本的に争いを好まず気高く賢いのだという。
そんな高潔な生き物を欲望を満たすために狩っちゃう人間、マジ鬼畜!
強さは元より美しさと気性から従魔としての需要も極めて高く、魔物使いにとって銀狐を従えていることは超一流のステータスとされている。
もし俺が出会ったなら金のために狩るだろうな。魔物使いのスキルはもってないし。
戦闘力は自前で間に合っているので仮に従えるとしても無駄に豪華な乗り物にしか使い道はなさそうだ。
乗り物としてのスペックで言うと銀狐がF1ならうちのコマちゃんはスーパー〇ブといったところだろう。岡持ちの似合うスー〇ーカブ。
銀狐は――量はそれほど多く食べないが、舌が肥えていて高級食材しか口にせず、魔物使いは銀狐を使役して稼いだ金のほとんどを食費に回さざるを得ないので、一生自転車操業の火の車状態になるのだとか。
もはやそこまでいくと主従関係が逆転しているようなものだ。
庶民派な俺はスーパーカ〇の方が好きだからエンゲル係数のクソ高い銀狐はいらねえな。洗濯のみで済む毛皮だけでいい。
それに銀色系は俺や霞澄とキャラが被るし。
よって不採用。貴殿の今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます――と身勝手に心の中で吐き捨てた。
身勝手の極意である。
「――ええ、最初は他国からお忍びでいらしたやんごとなき立場にあるお方かと……。まさか一流の冒険者様だとは。いやはや、人は見かけによらぬものですな」
「アスカ姫か。いいなあそれ。今後は姫様と呼ぼうか?」
「よせよ姫様なんて。おに――じゃなくてアスカって呼び捨てでいい」
姫なんて呼ぶのはあのじいさんだけで十分だ。
あながち間違いではないんだけどな。
アーティファクトの効果で俺のクラスは【月光姫】とやらになっているのだ。
しかしながらクラスとは人の才能や性質を示す枠組のようなもので、社会における地位を保証するわけではない。
だから自分を姫などと僭称するつもりはないし、他称されるいわれもないのだが、
……俺はそのだな、女の子としてはだな、霞澄だけのお姫様だからな!!
「よし気に入った!これいくらだ?」
「3200万Gでございます。お客様はAランクのライセンスをお持ちですので分割でお支払いいただけますが――」
「一括で頼む」
ギルドカードを店主に預ける。
Aランクのギルドカードは機能もハイクオリティで冒険者ギルドで開設した口座から専用のアーティファクトを介することで引き落としが可能だ。
クレジットカードの決済みたいだな。
高度な魔法技術は現代の科学技術と遜色ない。
非常に高価なアーティファクトなので設置できる高級店でしか使えないのが難点といったところ。
他にもAランクの特典として所持資金を越えた信用取引も行えるなど豪商顔負けのマネーゲームに参加する資格があるのだがビジネスについてまったくの門外漢なので詳細は割愛しておく。
「お買い上げありがとうございます。お直しが済み次第お住いの住所までお届けにあがります」
「ああ、よろしく。じゃ、次の店行こうぜ」
「え、まだ買うの?今のドレスを入れてもう5着目だけど……」
店を出て次を品定めする俺に霞澄が待ったをかけた。
「それを言うならまだたったの5着だぞ。こっちでのお前の両親に挨拶しに行くとき、第一印象はできるだけ良くしておきたいんだよ。
それなら選択肢を増やしておくに越したことはないだろう。ほら、服の次は小物も見に行くんだから急ぐぞ」
「貴族でも3200万するドレスを着れる人なんてそうそういないんだけどね……。高くてもその百分の一だよ」
「別に俺は金持ちなんだからいいじゃないか。金は天下の回り物だぜ?社会に還元するのが人のためってもんだ」
ごく一部の富裕層が富を独占して消費しないで貯めこむから貧富の格差が拡大するのだ。
俺は善行を積んでいるのだと、胸を張って言える。
清貧をもって貴しとするなんて心構えは堅実に生活していらっしゃる真面目な方が実践していただければよろしい。
冒険者なんて山師な職業をしているなら一発当てて豪遊するのは男の夢、アメリカンドリームってもんだろう。男でもアメリカンでもねーけど。
「どう考えても買物で興奮しちゃって物欲に抑えが効かなくなった女の子のそれなんだけど。金銭感覚麻痺してない?もう今日だけで5000万G使っちゃってるよ」
「そ、そんなことねーしっ!俺は公共の利益の追求とお義父さんとお義母さんに認めてもらうために努力してるだけだしっ!5000万Gぐらい普通だしっ!」
心を見透かされていて焦る。
いいじゃんか、命がけで稼いだ金なんだし。
可愛い服を見るととにかく欲しくなるんだよ。
とにかく着てみたいんだよ。
んで、俺超可愛いって悦に入りたいんだよ。女になってから毎日鏡を見るのが楽しいんだよ。
お前を虜にしている瞬間が一番人生輝いてるんだよ。
「……お前に可愛いって言われたいから……だし」
本音を漏らしてしまった。
「そうなんだ。ふーん、へぇー」
「だったら5千万ぐらい安い……だろ?ひゃっ!」
いきなり頭をわしゃわしゃと遠慮なくかき回された。
霞澄の口元は緩んでいて俺を見る瞳の色は優しい。
「ゃ、や!おい!髪、乱れるからやめろよ。セットするのに結構時間かけてるんだぞ!」
「ごめんごめん。いつまでも触っていたい髪だからついね」
頭を撫でる手をはがしてこれ以上悪戯されないようにぎゅっと握る。
女の頃でも男でも変わらず常識外れな霞澄の筋力を、上から抑えつけられる自分のパワーに初めて感謝した。
それにしても俺は恥ずかしい気持ちを吐露して顔も見れないくらい照れてるっていうのに、こいつは品のいい顔立ちを崩さない範囲でにやにやしている。
「調子のいいこと言ったって赦してやらない」
リンゴのように赤くなっているであろう頬を見せまいとぷいと顔を背ける。
「怒った顔もカワイイなぁお姫様。ま、せめてお姫様が騙されて値段不相応なものに大金を出したりしないよう見守らせてもらうかな」
「だからお姫様はやめろって。子どもみたいな扱いもだ。心配するなよ、俺の方が冒険者歴も人生経験も長いんだからものを見る目はあるっての。口座の残高だってきちんと把握してる」
「わかってる。わかってるんだけどお兄ちゃんの見た目だと守ってあげなきゃって庇護欲がそそられるんだよね」
「庇護欲より嗜虐心をそそられてね?」
「うん、それは否定しない。前のお兄ちゃんより1000倍増しで可愛がりたい」
「あのなあ……」
どれだけの時間に隔てられていてもお互いの性別が変わっても俺が霞澄にいじられるパターンは変わらないもんだな。
知らずに再開した時から感じ続けていたそれはとても懐かしい。
しかしやられっぱなしを放置できるかといえば俺はそこまで懐が深くない。
今後、ダンナを尻に敷く試金石とするためにぜひとも反撃したいところである。
この場でできることはないか?
ふと少年だった頃のことが脳裏に甦って、俺には女の武器があるのだと思い出した。
はっきり言ってはしたない行為だし、そもそも人の猿真似にすぎなくて正直どうなんだと思うが他に霞澄をやり込めて留飲を下げられるアイデアも思い浮かばない。
記憶にある霞澄のいたずらっぽい笑みを自分の顔に再現しながら俺は握っていた腕を胸に抱いた。
霞澄必勝の型、『あててんのよ』拷問作戦である。またの名を一人美人局。
おっぱいの魔力に精神の平衡を保てる男など存在しない。
霞澄とて例外ではないはずだ。
当時のお前より全然膨らみは足りないけど、超美少女の俺がやったら悩殺確定なんだからな!
その余裕いっぱいの顔をすぐに情けないオスのものに歪めてやる!!
少年時代に味わった生き恥と快楽を今こそ倍にして返す。
「えい!えい!うりゃ!この!うりゃうりゃ!」
「……?」
どうだ!こんなこともあろうかと寄せて上げるブラをしているんだぞ!4000万Gしたやつだ!
着用者に豊胸効果を与える(※個人差があります)というエンチャントが付与されたレジェンド級の逸品なんだぞ!
銀狐のドレスより高い?気にするな!
本当はスライムゼリー製の柔らかパッドを仕込みたかったが、ソフィーに『いくらなんでも不自然に盛り上がりすぎてない?』と反対されて諦めざるを得なかった。
霞澄はそのような不正はしていなかったと思うので俺も正々堂々と挑もう。
足りないボリュームはプロからご教授いただいた男を堕とすテクニックでカバーする。
俺が出会った女たち。イリア、リデル、ミレイユ、アリス、ハンナ、シャルロッテ、カリンetc……みんな!俺に力を貸してくれ!
「はあ!せいっ!」
剣の稽古をイメージしながら裂帛の気合と共に乳を押し付ける。
そりゃもう男なら誰だって下半身が大変にお見苦しいことになるかってぐらいに過激に、大胆に体を埋める。
掛け声が幼いソプラノでどうにも色気に欠けるが、少女になって以来、最高にエロいことしてる自覚がある。心臓はバックバクに鼓動を刻んでいて腕から音を拾われているのではと余計に恥ずかしくなった。
なんという自爆技。あの時の霞澄も緊張したのだろうか、思い出せない。
少なくとも俺はこの捨て身の攻撃に秒殺されて言いなりのATMと化したのだ。
効果があってしかるべきだろう。
果たして成果は!?
「急にどうしたの?お兄ちゃん。人の腕なんかに抱き着いて」
――これが演技だったなら名優の素質があるであろうのんびりとした反応。まったく意識すらされていなかった。
脈絡なく奇行に走ったとしか認識されていない。
「馬鹿な!?まるで効いていないだと!?」
「何が?」
そう尋ねられて正直に答えられるわけがない。
俺は虚空に視線を彷徨わせ、
「デート中なんだし、ただくっつきたくなっただけだ。今日は少し寒いしなー」
頭を上腕にもたれかけて甘えたいんですアピールしてお茶を濁すことにした。
「寒いかな?あ、ははあ……ふーん」
何やら納得し始めた霞澄。
その瞬間、冒険者として鍛え上げた鋭敏なる感性が不穏な気配をキャッチした。
「ね、お兄ちゃん」
不気味な猫なで声。背筋にざわざわと毛虫が這う。
「な、なに?」
「買物はやめて誰の邪魔も入らない静かな建物に行こうか」
赤ずきんを見つけた狼のように嗜虐に口角を歪め、舌なめずりしながらそう言った。
「ワッツ?誰の邪魔も入らない静かな建物ってなんだよ。さっぱり分からないんだけど」
「カマトトぶらなくても。そんなのホテルに決まってるじゃない」
「ナンデ!?ホテルナンデ!?」
思わず片言になってしまった。
「お兄ちゃんからのお誘いかと思ったんだけど違うの?」
「違う!俺はただ、昔お前がしたようにこうすれば言う事をきかせられるかもって……」
「ああ、中学の時のアレ?私はケダモノになったお兄ちゃんに後で滅茶苦茶に犯されても構わなかったんだけど――お兄ちゃんにその覚悟はあるの?」
ない。そんなもんあるわけがない。
「あのさ、今せ、せ、その、生理中だから今日は……」
「もっとましな嘘をつくんだね。お兄ちゃんから血の匂いがしない」
「うぅ……」
そういやこいつ吸血鬼だった……。
こうして会話をしている最中でもお姫様抱っこに移ろうとしている。
隙さえあればすぐにでも。
「なあ霞澄、嘘をついたのは悪かった。こういう家族計画はしっかりと話し合いをしてからにしようぜ。そもそも俺まだ……せ、せいり……きてないし」
「家族はできないけど愛を確かめ合うことはできるよ。火を点けられた男が止まるとでも思っているの?」
思ってない。霞澄の倍以上の年月を男してきた俺は最大の理解者である。納得できるかはまた別の話として。
「ダメ!ダメダメダメ!!」
「本当にダメ?」
背中に腕を回された。
恋人に抱かれる官能に足腰が立たなくなりそうだ。
逃げなければと本能が警鐘を鳴らしているのに。
口では拒否するものの、本気で望まれたら恐らく断れない。
愛されていると実感した瞬間が何よりも幸せだから。
天を仰ぐ。
忌々しいほどに雲一つない快晴の空だった。
大空を自由に羽ばたく鳥やグリフォンが恨めしい。
俺は力を手に入れてあらゆる束縛から逃れたのではなかったか?
力こそ自由へ至る翼ではないか。
霞澄に対する精神的な敗北は認めよう。
暴力に頼ってもこれを覆すのは至難の業である。
ただ、力さえあればお互いが釣り合うまでの時間を稼ぐことはできるはずだ。
今はまだ夫婦や母親をするよりも、あと少しだけ普通の恋する少女でいたい。
だから、
「悪い!霞澄!デートの続きはまた今度!」
36計逃げるにしかず!
俺は霞澄の首にぶら下がるように腕を回すと軽く口づけをして、面食らっている刹那に脱出、天空めがけて跳躍した。
地面と垂直に風を切って飛び、悠々と間抜け面で羽ばたいているグリフォンの足首を掴む。
想定外の事態にグリフォンは驚き慌てて、宙でバランスを崩した。
飛行体にとって墜落の最大の要因は失速による揚力の低下である。
一時的に錐揉み状態に陥いったものの、グリフォンは咄嗟の機転で下降によって速力を回復させ、飛行を安定させた。怒声らしきいななきも同時にあげて。
「キエエー!!(訳:驚かすなや!ってなんや、こないだ中庭でキッスしてた嬢ちゃんやんけ。なんやねん急に、ワイの脚に飛びついて。危ないやろが!)」
「お前!学院に配達に行くやつだろ?女子寮まで乗っけていってくれ!大至急だ!!」
民家の屋根を足場に猛追してくる霞澄を眼下に捉えていた。
全然諦めてないらしい。俺のことどれだけ好きなんだあいつ。
男子禁制の女子寮ならば中まで追ってくることはできまい。
霞澄に理性と良心が残っていればだが。
「クエッ!?クエェッ!?(訳:ファッ!?なんでワイがそないなことせなあかんのや?ちょっ、タンマ!タンマや!ドスを抜くのは卑怯やろ!わかった!わかったから、女子寮やな?たまに風呂覗いとるからどこにあるかちゃあーんと知ってるで)」
「グリフォン語は何言ってんのかわかんねーけど、こいつ羽根をむしってフライドチキンにした方が世のためのような気がしてきたな」
「クエエェェッ!!(訳:冗談や冗談!刃を腹に当てるのやめてぇな!)」
グリフォンは厳めしい鷲のツラに誰が見てもそれとわかる情けなさで助命を請う。
涙がちょちょぎれていて哀れを誘った。
気の毒だが乙女の貞操がかかっている。本気で飛んでもらいたい。
「俺はまだ飛行魔法の制御に慣れてないんだ。最速で飛べよ」
「クエッ!!(訳:堪忍して!今日はワイ、あと3回往復せなあかんのや。体力もたへん!)」
グリフォンが口答えらしきものを挟んだその時、翼の先端に鞭のようにしなる剣閃が掠めた。
霞澄の蛇腹剣だ。
斬られて舞い散る数枚の羽根を視界に収めた鷲頭がみるみるうちに蒼白に青ざめる。
「翼を狙ってきたか。これ、将を射んと欲すれば先ず馬を射よってやつだな。死にたくなかったら――わかってるな?」
「クエェェ……クエェッ!!(訳:狂っとる……、あのボン狂っとる……。無関係のワイを殺してまで嬢ちゃん抱きたいんか……。いやや、死にたない……。ワイはまだ死にたないんや!全力で飛ぶやで!!)」
死に物狂いで速度を上げるグリフォン、霞澄との距離が開き始めた。
が、間合いまで伸びてくる執念の剣の猛攻は止まない。
俺は抜いていた脇差の《千鳥》で弾き返してグリフォンを守る。
「結婚式まで清い体でいられるかな俺」
せわしなく腕を動かしながら嘆息した。
世の女性の皆さま、彼氏に『あててんのよ』のご利用は用法用量を守って正しくお使いください。
でないと地獄の果てまで追われることになるぞ!
配達員グリフォンの趣味、酒を飲みながら球技観戦。女風呂覗き。