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番外編 少年期のエピソード2

 

 キャンプ当日の朝、俺は霞澄と並んでタンザナイト裏手のガレージに向かっている。


 俺は連日と変わらない霞澄曰くダサいTシャツにありふれた普通のハーフパンツのラフなスタイルで出発。男の着てる服なんて事細かに描写してもしょうがないな。どんなやつかはご想像にお任せする。

 服の選択に5秒もかけなかった俺に対して霞澄は30分待たせた末に部屋から出てきた。怜兄さんとの待ち合わせは遅刻である。

 霞澄が選んできたのはオフショルダーの白いブラウスにデニムのショートパンツ。おへそがチラリと覗いていてエアコンで腹を冷やしたりしないか心配だ。腹だけじゃないな。山の中に行くってのに胸元も太モモも大胆に露出していて虫刺されを恐れていないらしい。俺と怜兄さんしかいないってのにどうしてオシャレなんかしてくるんだか。

 こうして隣から見るとこいつ腰の位置高けぇな。

 背は俺より10センチ以上低いが脚の長さが身長を占める割合で負けている気がする。


「何?お兄ちゃん」


 霞澄が俺の視線に気づく。


「あー、お前って脚長いよなって。そんだけ」


「え、そ、そう?お兄ちゃんは……脚が長い方がす、好きだったり……?」


「女子の好みか?俺は脚よりも――ってなんでお前に教えないといけないんだよ」


 危うく妹に性癖を赤裸々にするキモい兄になるところであった。

 いや、パーフェクトに危ういわ。妹の脚に注目している時点で問題だな。兄妹でする会話じゃねえ。


「周りの友達彼氏持ちが多くて話題についていけないから興味あるの。男って人の胸だけじゃなくて脚もじろじろ見てくるし、お兄ちゃんもそうなの?」


 男の本音を妹に訊かれるとかとんだ羞恥プレイだ。

 元はと言えば自分の蒔いた種、当たり障りのない程度には語ってもいいか。


「健康な男なら誰だって美脚に魅せられるもんだろう。俺は脚フェチってわけじゃないけどな。だいたい俺が将来どんな彼女連れてきたってお前はその子の脚の長さなんて気にしないだろ。ほら、遅刻してるんだから急ぐぞ」


 この先彼女ができない可能性については言及しないでいただきたい。


「お兄ちゃんの将来の彼女……」


 会話を切り上げるため歩調を早めようとしたら霞澄は足を止めて俯いた。つばの広い帽子を目深にかぶり、表情を窺い知ることはできない。

 どこか群れからはぐれて取り残された動物のように孤独に見えた。美貌と才能をほしいままにして男女関係なくお友達が寄ってくる妹がだ。

 誰が見ても裕福なはずの人間が実は誰よりも貧しい。

 俺にはそう感じた。


「霞澄?」


「………………」


 俺が発したどの言葉が霞澄の機嫌を損ねたのかわからない。

 家族であるとはいえ、女心は極めて難解だ。

 思春期真っ盛り、吐露できない気持ちだってあるだろう。

 結局のところ俺は胸襟を開くに値しない兄なのかもしれない。

 気持ちを細部まで推し量ってやれない以上、できることはたかが知れている。


「…………」


 沈黙する霞澄の手を握る。

 霞澄が物心つくかつかないかの頃、こうしてやると無邪気な笑顔を見せてくれたから。


「……お、お兄ちゃん!?」


「嫌か?」


「ううん!そんなことない!」


 自分からやっておいてなんだが中学生になって兄妹で手を繋ぐなんて小恥ずかしい。

 一昨日腕を組んで歩いているところをご近所さんに見られているので今更だけどな。

 霞澄は最初はおずおずと、一呼吸置いてからぎゅっと力強く握り返してきた。


「ねえ」


「ん?」


「お兄ちゃんに彼女なんて100年早いんだから、それまでずっと私が一緒にいてあげる」


 幼い頃の笑顔にいまだかつて見たことのない女の子の表情を重ねて霞澄はいたずらっぽく笑った。

 もしかして霞澄は将来俺が大学生、社会人になって家を出て嫁さんもらって自立するのが寂しいのか?

 なんだかんだで衝突することもあるが、俺は霞澄といて楽しい。

 霞澄もそう感じてくれているのだろうか?


「100年後は平均寿命的に生きてねえだろ。お前も未婚じゃ千鳥家は俺達の代で終わりだな」


「終わりでもいいよ。今時生涯独身だって珍しくないし。…………………………私生児だって絶対不幸にしない!立派に育ててみせる」


「何が立派だって……?」


 言葉の後半は口の中で小さく呟いていて耳に届かなかったが、異様な気迫を感じた。

 握られた手が痛みを訴えるほどに。


「痛っ!いででっ!霞澄!折れる!折れるって!!ギブギブッ!」


「…………お兄ちゃん、やっぱり好き。どこにも逃がさない。他の女なんて目に入らないように私のモノにする。永遠に…………」


 なんか変な電波受信しちゃって邪教の祝詞でも口ずさんでいるのか昏い笑みを浮かべてくつくつと笑う霞澄。

 女って解からねえ!本当に同じ人間かよ!握力も人間じゃなっ!あっ……


 ぱきゅっと茹でたてのウィンナーかじった時の快音が手の中から鳴った。


「うぎゃああああああああああっっっ!!!!!!」


「あ、お兄ちゃんゴメン」



 ――結果的に骨折しておらず、取り返しのつかない負傷にならなかった奇跡を今は喜びたい。



 ――――


「遅れちゃってすみません!」


 タンザナイトのガレージに到着するなり俺は謝罪した。


「謝らなくていいよ飛鳥くん。実はオレ、年甲斐もなく今日のキャンプが楽しみで寝坊しちゃってね。

 見ての通りまだ準備中さ」


 赤貧まっしぐらの俺の懐具合とは月とスッポン、月とスッポンってきょうび聞かねえな。

 言った通り怜兄さんは俺の全財産と比較するのも烏滸がましい国産高級車に荷物を積み込んでいる最中である。


「それはともかくおはよう、飛鳥くん、霞澄ちゃん。最高の行楽日和だねえ」


「おはようございます。怜兄さん、お世話になります。……おい、霞澄」


 さっきまで不気味な笑顔でいたのが嘘のようにつんと澄ました顔で挨拶もしない霞澄の態度を咎める。

 霞澄の分の宿泊費は親父のポケットマネーから出ているが予約内容の変更をしてくれたのは怜兄さんなのだ。

 蛇蠍のごとく嫌っていても最低限の筋は通すべきだろう。


「中学生と旅行に行こうとする変態に人間扱いって必要?」


「はあ?怜兄さんがお前をそういう目で見るはずがないだろ。ですよね?」


 トランクに荷物を詰め終えた怜兄さんに水を向ける。


「うん、女子中学生(・・・・・)を恋愛対象に見たことはないね。これからもないんじゃないかな」


 口では何とでも言えるが邪なものなど微塵も感じさせない爽やかさで答えた。


「な?怜兄さんはお前みたいなのは眼中にないの。ロリコン扱いなんて失礼だろ」


「そんなのわかってる。女子中学生どころか女に興味すらないでしょうね」


 霞澄はあっさりととんでもなく失礼なことを言う。

 そのニュアンスだとホモか自分大好きナルシストのどちらかしかねえじゃん。

 あ、恋愛自体に興味無しってのもあるか。そっちの方が俺の中の怜兄さんのイメージって気がするわ。


「それは心外だなあ。オレにとって恋愛対象は外見より中身で選ぶべきだと思っているよ。好きになったら男か女かの違いは些細な問題だね。できれば親不孝にはなりたくないからいつか好みの女の子に出会いたいところだけど」


 怜兄さんはどこか寂しげに眼鏡の位置を直して言った。

 それに霞澄は何故かホッとした様子。


「そうだねえ、飛鳥くんがもし女の子だったらぜひお嫁さんに欲しいね。毎日が楽しくなりそうだ」


「なっ!?」


 驚きに目を大きくする霞澄。今日の霞澄は珍しく百面相してるな。面白い。

 明らかに笑うべき冗談でバトル漫画の強敵前にしたモブキャラみたいな戦慄の表情をしている。お前は一体怜兄さんの何と戦っているんだ。


「ハハッ、あり得ねー仮定の話っすね。女に生まれてもモテねえ自信ありますわ」


 怜兄さんは突拍子のない発想をするな。

 いや、ないわけじゃないか。もし誰々が女だったら誰が一番イケてるかって話、クラスの野郎共と盛り上がったことがある。

 俺のクラスだと満場一致で子犬系男子の小原クンに決まったっけ。

 当然ながら本人は非常に不服そうだった。

 元の顔のつくりがいいんだから男でも女でも人生イージーモードだろうに。

 まあ俺も美少女だろうと女になりたいとは思わんけど。

 話が進まなくなるのでそれはさておいて、俺なりに解釈すると怜兄さんは男友達感覚で付き合える彼女が欲しいってことなんだろう。

 外見よりも中身か……、ムチムチのグラビアアイドルを彼女にしたいなんて常日頃から妄想している俺とは求めるところ違う。流石真のイケメン。


「そうかな?飛鳥くんは女の子だったら女子力磨いてそうだから霞澄ちゃんに似てなくても素敵な恋人ができそうだけどね。さあ、立ち話はこの辺にしておいてそろそろ行こうか」


「インターから1時間半、高速運転するんですよね」


「うん、途中に景観がよくてグルメも充実してるサービスエリアがあるんだ。そこで朝食をとろう」


 出発の高揚感とともに車の助手席乗り込もうとする俺。

 だがドアに伸ばした手を霞澄に掴まれた。


「何だよ?助手席に座りたいのか?」


 俺も霞澄も車で酔ったためしはない。

 エアコンの前を占領したいのだろう。

 と思いきや、


「お兄ちゃん後ろに座ろ」


「おわっ!」


 すかさず腕ホールドに移行、警官に逮捕された犯人のようにがっちりと固められ後部座席に連行される。

 関節技の達人が奥義として求めてやまない無駄を極限にそぎ落とした流水の如き動き。一昨日仕掛けられた時よりも遥かにキレを増していて対処を許さなかった。

 座席に引きずり込まれた俺は盛大に抗議しようとする。


 むにゅう


『人の返事ぐらい聞いてから行動しろよ!』と頭の中で作っていた抗議は密着してきた脂肪の塊に挫かれて霧散した。

 クソザコナメクジにもほどがある。


「お前、もう少し強引なとこ改めないと友達なくすぞ」


 気勢をごっそりそがれて優しく諭していた。

 妹のおっぱいなぞに鼻の下を伸ばしては末代までの恥。

 だらしなく弛緩しようとする表情筋の制御に脳のリソースの大半を割いた結果であった。

 今だけでいいから女になりたい。

 爆乳の女になればこんなものに惑わされないで済むのに。


「友達にはしません。お兄ちゃんならいいでしょ」


「あのなあ、高速道路走るんだから助手席に誰かが座らないといけないだろ」


 言い返すとすかさずむにゅむにゅと得も言われぬ感触が攻めてくる。

 俺を黙らせる有効な武器と気づいたか、はたまたサービスエリアで俺に何か奢らせるつもりか。

 生憎と今の俺にはンマイ棒を買う金すらないぞ。

 お前は親父を篭絡してたっぷり小遣いをせしめてただろう。

『パァパ❤お願いがあるの♪』とあざとくおねだりされて夏の生命線である晩酌代まで贈与してしまった親父は真のドMだ。

 そうそう、俺は親父と違ってMではないのでインチキ占いなど真に受けないように。


「お兄ちゃんこれ好きなんでしょ。いい加減堕ちちゃったら?うりうり」


「何のことだっ!?俺は何者にも屈しない男だ!怜兄さん、今助手席行きますんで!」


 おっぱいごときに屈してたまるかと唇を噛みしめて脂汗を流し、腕をほどこうともがいていると、

 

「嬉しいこと言ってくれるけどオレのことなら心配いらないぜ。飛鳥くんは霞澄ちゃんと景色でも満喫しちゃってよ」


「だって。兄妹水入らずで過ごしましょ」


 反省皆無のウッキウキな様子で霞澄は俺の腕を抱いた。

 甘やかして妹を我がままにしてしまった俺と親父の罪は重い。



 ――――


 軽やかに発車した車は馴染んだ国道から日常生活では滅多に利用しないインターチェンジに乗り換えて高速道路へ。

 1時間走行した後サービスエリアで朝食をとることになった。

 サービスエリアと言えばご当地B級グルメの宝庫。

 そういったイロモノも良いが、カレーライスにラーメン、そば、うどん、フランクフルトと万人の味覚に訴える定番メニューもよい。

 金ねえからどれも食えないけどな。

 席を確保した後2人は思い思いの売店に散っていく。

 俺は見送って席に待機だ。


 「それにしてもクソッ!漆黒の堕天使に抱かれし右腕が疼くッ!(現役中二感)……馬鹿なこと言ってないで準備しとくか」


 リュックから早起きして作っておいたおにぎりを2個取り出して並べる。

 中の具は夏場の痛み防止に梅干しと俺の好物ツナマヨを入れてある。

 コンセプトはしょっぱければうまい。

 濃い味を好む若者の舌を満足させ熱中症予防にミネラル補給もできる一石二鳥のおにぎりである。

 ドリンクサーバーで給水し、水を飲んで待っていると2人はすぐに戻ってきた。


「お待たせ。飛鳥くんそのおにぎりは?」


「金ないんで早起きして作ってきたんすよ。おにぎりなら俺でも失敗しないんで」


「飛鳥くんの手作りか……。美味そうだね。そのおにぎりオレのクラブハウスサンドと交換しないかい?」


「いいんすか?」


「もちろん。ある意味とても貴重な――」


「ちょっと!それは私のよ!!お兄ちゃんはこれでも食べてて」


 霞澄が横槍を入れて残ったおにぎりを奪い、代わりにホットドッグを押しつけてきた。


「まだ交換するって一言も言ってねえ!」


 とは言うものの、俺のみすぼらしいおにぎりは2人分の朝食と交換されて一気に豪勢に。

 おにぎりの材料費は家にあるやつを使ったので原価0円、なかなかのわらしべ長者っぷりだ。霞澄は俺の制止を待たずに食べ始めたので諦めてホットドッグにかぶりつく。


「ふーん、味が濃すぎるけどまあまあね」


「男飯って感じでオレは好きかな。丁寧な握り方してて飛鳥くんらしいぜ」


 濃いめの味付けは俺の好みに合わせたので仕方ないにせよ高評価な部類ではなかろうか。

 怜兄さんも霞澄もゆっくりと味わうように食べている。


「ご馳走様。まさか飛鳥くんの手作りおにぎりが食べられるとはね。今度は普通の味付けのものが食べてみたいな」


「そうね、お兄ちゃん本格的に料理覚えてよ。もっとイイコトしてあげるから」


「適当おにぎりでよけりゃいくらでも。難しいのは期待しないでくれよ。もっとイイコトは嫌な予感がするから遠慮しておく」


 食事の後、俺達は腹ごなしに土産物屋を冷やかし、外の空気を吸って休憩した。


「気力も充実してきたし、もうひと頑張りといきますか」


 怜兄さんは気合十分にハンドルを握る。

 再出発した車は順調に走行を続け、昼前にはキャンプ場に到着した。




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