番外編 少年期のエピソード1
夏休みも残すところ2週間。
本日は夕暮れ前にも関わらずうだるような夏の暑さが朝からずっと続いている。
道路の輻射熱が和らいでいて顔への照り返しがないのが唯一の救いか。
夏バテと寝苦しさによる睡眠不足がたたって快調とは言い難いが、目的があって外に出てしまった以上引き返すのは面倒だった。
自宅を出てから5分程度。
俺は近所の理髪店、《タンザナイト》に訪れていた。
お洒落なカフェ風の店舗の外観に店主自身がイケメンということもあって、町内のマダムの皆さまで繁盛している店なのだが、暑さが客足を遠ざけているのか俺以外に客はいない。
エアコンの風を浴びて萎えきった心身を癒していると、文庫本に集中している店主の姿があった。
年はちょうど二十歳。長髪を束ねた線の細い中世的な容姿の美青年。
銀縁メガネのフレーム下の泣き黒子が端正な横顔に蠱惑的な魅力をそえていて、遠目には女性にも見える。
俺がたてたドアベルの軽やかな音に気づいて面を上げるとこちらの顔を認めて柔らかく微笑んだ。
雑誌のモデルでも余裕で務まりそうなすらっとした長身はそれだけでも高名な彫刻家の芸術作品めいていて、その立ち姿は同性である俺でも感嘆に目を吸い寄せられてしまう。
シャツとスラックスのシンプルな組み合わせの仕事着だが、そのシンプルさこそ手足の長さを強調しており、イケメンは何を着ても似合うのだという論理をその身で見事に体現していた。
さらに腕も性格もよいのだからまったくの隙なしである。
この人の名は桐谷怜士。
幼少からの付き合いで俺は怜兄さんと呼んでいる。
「やあ、いらっしゃい飛鳥くん。今日も暑いね」
「どもっす、怜兄さん。うちじゃ節約マニアのオカンがエアコンをみだりに使うなってんで、干からびて干物かミイラにでもなりかけてたところですわ」
「フフッ、飛鳥くんが干物になったらオレと霞澄ちゃんが悲しむな。水分補給はしてるかい?
麦茶とアイスコーヒー、アイスティー、コーラ、オレンジジュース。どれがいい?」
客を散髪用の椅子(名前わからん)に招くわけでもなくまずは冷蔵庫に向かう怜兄さんに苦笑した。
「喫茶店じゃないんすから」
「うちみたいな零細が生き延びようと思ったら他と差別化しないとやっていけないのさ。ちなみに一番のオススメはオレンジジュース。ジューサー使わないオレの手搾り。オレの手搾りだよ?オレの手搾りの生搾りだからね?しかも国産。愛媛県産の無農薬オレンジ。意識高くない?女子だったら飲む前に写真撮ってネットで呟いちゃうんじゃない?女子ウケを狙いたい飛鳥くんの中でもオレンジジュース一択になったとみたね」
しつこく強調して冷蔵庫から出したオレンジ色の球体を握りしめる。
分厚い皮が指の形に沈んで柑橘類特有の甘い香りが室内に漂った。
オレンジジュースを推したい気持ちは分かるが、デモンストレーションとしてはいかがなものだろう?
握力自慢?
「指細いのにゴリラみたいな握力っすね。果汁100パーは余計に喉渇きそうなんで麦茶でオナシャス」
「オレンジジュース割にする?」
「バーじゃないんですし、そのカクテル飲むまでもなくお高いオレンジに対する冒涜ですよね?麦茶をロックで」
「いけずだねえ。愛媛の親戚が農家やっててね、オレンジたくさん余ってるから後で持っていってよ」
からからと笑いながら麦茶を出す。
怜兄さんは今しがた変形させたオレンジの皮をむいておやつとした。
「ども、いただきます」
「ところで飛鳥くん」
「何すか?」
「明後日暇ならオレと2人でキャンプに行かない?一緒に行くはずの友達が食中毒で入院しちゃってね。繁忙期のキャンプ場に予約のキャンセルを入れるのは心苦しいんだ。一人でキャンプは遠慮したいし、どうかな?」
「唐突っすね。暇っちゃ暇ですけど。怜兄さんならついていきたい女の子の十人や二十人いるんじゃないですか?」
ご近所のマダムからカリスマ的支持を得ている怜兄さん。
学生時代から今まで彼女がいたとかいう噂は聞いたことがないのだが、その気になれば若い女の子を誘うのは容易いことだろう。
「オレは飛鳥くんがいいなあ。気心の知れた相手と過ごす静かなひと時こそ何物にも代えがたい価値があると思わないかい?女の子がいると余計な気遣いをしなくちゃいけないからね」
気持ちは分かるかもしれない。
霞澄といると色々と気苦労を背負うからな。
言葉には出さないが、怜兄さんは枯れているなあ。
イケメンすぎるとモテること自体が苦悩になるのか。
一度でいいから代わって欲しい。
「邪魔にならないっすか?キャンプしたことないんで俺、役に立たないっすよ」
「キャンプっていっても本格的なやつじゃないぜ。寝泊まりするのはコテージだからホテルと大して違わない。やることといってもバーベキューの準備ぐらいだから心配無用さ」
「バーベキューいいっすね。ふむ」
千鳥家で焼き肉をすればそれ即ち戦争。
我が国の領土に侵攻してくる敵国からの防衛に神経をすり減らすことになる。
あいつの苦手な玉ねぎやニンニクをこちらのカルビやタンと交換するなどある程度の貿易摩擦は許容できようが、網の上で丹念に育てた肉を断りもなく一方的に略奪される心の苦しみは耐えがたいものがある。
怜兄さんのような大人ならば意地汚い真似とは無縁だろう。
平和な食卓ならば願ってもないことだ。
「夏休みの宿題が心配かい?オレでよけりゃ手伝うよ」
「宿題ならほとんど終わってるんで大丈夫っすよ。お供しましょう。なんかご馳走になってばかりで悪いっすね」
「一人キャンプの危機を救ってくれたんだ。オレが感謝したいぐらいだよ」
一服した後、怜兄さんには本来の仕事に戻ってもらった。
「じゃ、どんな風にしてほしい?」
「モテるヘアスタイルで。キャー飛鳥サンステキー!ジュンジュワーってなるような。こうキャンプ場で偶然出会った女子大生のグループとひと夏のアバンチュールに持ち込める魔性の男にしてください」
「いきなり無理難題がきたねぇ」
無茶振りってレベルっすか、そーっすか。
そりゃ自分の器量ぐらいわきまえてるけどさ。
地味メンは何したって地味メン以上の存在にはなれないもんな。
「なあに気に病むことはないさ。飛鳥くんは女の子には分からない男らしい魅力に満ちてると思うよ。量産機には量産機の良さがあるってね。オレは量産機好きだぜ?」
「量産機の魅力、女の子に分かって欲しいっすわ。いつも通り任せます」
「オーケー、カスタム機ぐらいにならできる。オレ好みにやっちゃおう」
「それはいいんすけど何で俺の肩を揉んでるんすか?」
怜兄さんサービス過剰すぎじゃね?
今時の個人事業主ってのはそこまでしないと生き残れないもんなのか。
別に俺は他の店には行かないってのに。
「うん?こないだよりもいい肩してるなと思ってね。部活でも始めた?」
ああ、そんなことか。
ちょっと前に霞澄とスポチャンで試合をして敗北後、筋トレを始めたのだ。
兄が妹に負けっぱなしでは面目が立たないからな。
今度は必ず勝つ。
「最近筋トレを始めたんすよ。大して時間はかけてないんですけど、見て分かるほどになってます?」
「少しだけね。霞澄ちゃんと何かあったのかな」
勘がいいな怜兄さん。
妹に負けたのが悔しくて鍛え始めたなんて人様にはとても語れる内容ではないので黙っておくが。
「そんなとこです。そろそろやってもらっていいっすか。それとなんか眠くなってきちゃって。寝ちゃっても?」
怜兄さんの肩もみはツボを捉えていてなかなか気持ちよかった。
寝不足もあって散髪の間仮眠させてもらいたいところだった。
「了解。次に目を覚ました時には飛鳥くんは飛鳥ゼロカスタムデストロイアサルトモード強行偵察型になっているよ」
結局は量産機の宿命か、色々と改造を施しても偵察型なので檜舞台には上がれないらしい。
「中学生どころか今時小学生でも考えない中二ワード満載で名前だけはやたらと盛ってますけど、それモテます?」
「少なくともオレにはモテるんじゃないかな。オレ好みにやるわけだし」
怜兄さんが意気揚々と櫛とハサミを手に取る。
苦笑して合いの手を入れようとしたところで剣呑な声が間に割り込んだ。
「アンタなんかにモテてどうするのよ。お兄ちゃんは前髪を1センチ。襟足は1.5センチ短くして。そのくらいアンタの腕でもできるでしょ?」
振り向いて見れば部活帰りなのだろう、制服にスポーツバッグを肩にかけた出で立ちの霞澄がいた。
わざわざドアベルを鳴らさずに入ってくるとかお前最近忍者ごっこにハマってんの?
俺をステルスキルしたって経験値の足しにはなんねーぞ。
「いらっしゃい霞澄ちゃん。飛鳥くんはオレに全てを任せると言ってくれたんだ。
プロとしてこんなに嬉しいことはない。残念だけどまたの機会にしてくれないかな」
怜兄さんは気づいていたのか、急な霞澄の来訪にも驚かず平然と迎えた。
「ダメ。アンタの趣味に合わせてたらどこかの変態に目をつけられるかもしれないじゃない。
ただでさえお兄ちゃんは警戒心がないんだから」
「霞澄ちゃんの好みにする方が飛鳥くんにとって危険な気がするんだけどなあ」
「ふん、その言葉そっくりそのまま返すわ。鬼畜メガネ」
顔を突き合わせて舌戦を繰り広げる両者。
俺に関わる争いのようなのだが、当事者であるはずの俺自身が内容についていけず置いてけぼりだ。
どうして俺が危険な目に遭うことになってんの?
量産型地味メンのヘアスタイルが多少変わるくらいで。
「霞澄、ケンカ売らない。散髪に来たんなら大人しく待ってろよ。帰りにコンビニでアイスでも買ってやるからさ」
兄として当然の注意をする。
我が妹は人の言う事を素直に聞くようなタマではないので、甘いもので釣るのも忘れない。
夏祭りの後で軽くなった財布がさらに減量を強いられることになるが争いを収められるなら安いものだ。
「それってデートってこと?」
「はあ?」
予想もしない飛躍した発言に呆気にとられる。
妹とコンビニ行くことのどこがデートだっていうんだ?
何をもってデートと定義するのか知らんが霞澄の目が肯定の返事を期待している様子なので、頷くことにした。
「まあ、デートと言えばデートなんじゃないか。要は気の持ちようだろう」
「そっか。お兄ちゃんとデート……。もうお兄ちゃんルート確定なんじゃない?」
霞澄は俯いた。頬にほんのり朱がさしている。
「おーい、霞澄、顔赤いぞ。熱中症か?」
部活で剣道やってるわけだから余計に水分を失っていることだろう。
熱中症は自覚症状を本人が軽視して手遅れになりやすい。大事にならない内に対処しておいた方がよいと思う。
そこは嫌われている相手にも寛容な怜兄さん。
いつの間にやら飲み物を出して手渡している。
「平気よ。さっさと終わらせて。私アイス食べたくなってきたから」
アイスティーをストローですすってにまにまと相好を崩す霞澄。
思春期の女の脳内ってやつは謎だらけで妹はその筆頭なのだがアイスをスゲー楽しみにしていることだけは俺でも理解できた。
「お前ほんとアイス好きだな。あ、ハゲーンダッツとかヒエネッタとかは駄目だぞ俺破産しちゃうからな」
それだけは言っておかないと何を奢らされるかわかったものではない。
ガリガリ様ぐらいにしてくれるといいなあ。
「霞澄ちゃんも苦労するね」
「アンタに同情される筋合いはないけど。お兄ちゃんの鈍さには同意するわ」
仲の悪い二人だが、お互いに認め合っている部分はあるようだ。
それが俺の鈍さであるというのが納得いかないのだが。
――――
どういうわけか霞澄はただ俺を待っていただけだった。
俺の散髪が終わるとすぐにコンビニ行こっと腕を絡めてきたもんだ。
夏祭り以降何故か霞澄は小さい頃のようにベタベタと俺にくっついてくる。
それは性を意識しない年頃ならば歯牙にもかけないだろうが、二次性徴を迎えた体では危険を伴う。
「おい!そんなにくっつくな暑いだろ」
左の二の腕にあたるふにゅふにゅと柔らかい膨らみがもたらす感触を味わうことのないように努めながら霞澄に文句を言う。
落ち着け、これは単なる脂肪の塊。
俺と同じ両親から受け継いだ遺伝子で構成されているにすぎず、唯一の違いは染色体の差異でしかないはずだ。
実質的に自分の体を触っているのと同じではないか。
だが悲しいかな。
自他共に認めるおっぱい星人であるところの俺はその脂肪の塊ごときに翻弄されざるを得ない。
制服とブラ、2重の障壁に隔てられていてもしっかりと弾力が伝わってくるのだ。
サイズ、形、ハリが申し分のない水準に達している証拠なのだろう。
そしてこの状態はまだ発育途上なのだから恐ろしい話である。
「お兄ちゃんはナンパ除けなの。こうでもしないと鬱陶しいのが今の季節の蠅みたいにたかってくるんだから」
霞澄はそう嘯くが、夕方の町内に人影はまばらだ。
せいぜいスーパーから買い物帰りのご近所のおばちゃんか犬の散歩をしている爺さん、ジョギング中の男子高校生ぐらいしかいない。
ナンパに人生を捧げているチャラ男が待機するにはあまりにも不釣り合いな長閑と言っていい光景だ。
禁断の果実からの誘惑に抗いながら白い目で霞澄を見ると、
「女の子に夜道は危険だし……。男でしょ、妹も守れないの?」
咄嗟に思いついたような言い訳が返ってきた。
「まだ明るいけどな。そういやお前、何で俺が《タンザナイト》にいるのが分かったんだ?
つーか髪を切りに来たわけでもないのに俺を待ってるだけなんて時間の無駄だろ」
金を落としていくわけでもなく茶をしばきにきた客なんて厄介者以外の何でもないだろうに怜兄さんの懐の大きさには感謝せずにはいられない。
今後迷惑をかけることのないよう、霞澄の動機を解明せねばなるまい。
「お兄ちゃんの位置情報、携帯に登録してるから」
俺の問いに霞澄はさらりととんでもないこと言った。
「それってあれか?子供がどこにいるかリアルタイムで教えてくれるアプリとおんなじやつか?
お前は俺の母ちゃんかよ!」
慌てて自分の携帯に知らないアプリがインストールされていないか確かめたかったが、片手は霞澄のスポーツバッグを持たされ、反対の腕は見た目からは想像もつかない膂力にがっちりとホールドされている。
ハーフパンツの左ポケットに携帯があるため腕をほどこうとしたのだが、
「嘘だろオイ!」
どれだけ力を振り絞っても霞澄の腕は微動だにしない。
プロレスラーや横綱力士を相手にアームレスリングを挑むような絶望的な差を感じずにはいられなかった。
怜兄さんといい、霞澄といい、この町の人間は俺以外筋力ゴリラの巣窟か!?
もしくは知らない内にトワイライトゾーンを経由して俺以外TUEEEパラレルワールドに転移してしまったか!?
いずれにせよこれだけのパワーがあればナンパも痴漢も易々と撃退してのけるだろう。
俺いらねえ!俺がトレーディングカードゲームのカードだったらかえって手札の事故率上がるからデッキに投入することすら躊躇われるレベル!甲鱗様や希望のライトニングさんに蹴散らされ消し炭にされる運命!
クソッ!離せ類人猿!!お前のおっぱい柔らかすぎるんだよ!!変な気持ちになるだろうが!!
こいつ分かってんのか?たとえ血をわけた兄が相手でもおっぱいってのは安売りするようなものじゃねえんだよ!!
「そうそう、お兄ちゃん」
「おぱっ!?」
おっぱいのことしか考えられなくなってきている俺の激しい焦燥を余所にのんびりと口を開いた。
「何その返事……?今夜パパとママ親戚の家に泊りがけで出かけることになったから晩御飯適当に済ませてだって。待ってたの晩御飯買うためなんだからね」
親から支給されたというお札をぴらぴらと振って見せた。
霞澄が俺を待っていた理由が判明したところで半ば引きずられるようにコンビニに到着。
腕の拘束は緩まない。
「いらっしゃいま――あら千鳥さんとこの飛鳥君と霞澄ちゃん。相変わらず仲がいいわね。一瞬どこの夫婦かと思っちゃったわ」
店内に入るとうちの三軒隣の鈴木のおばさんがレジに立っていた。
鈴木さんの娘は霞澄の同級生の幼馴染なのでおばさんとも交流はそれなりにある。
「こんにちはおばさん。やだ、まだ私達中学生ですし夫婦生活は先ですよー。あ、お兄ちゃん骨なしチキン好きなんで確保してもらっていいですか?」
「まだ先……?骨なしチキンね霞澄ちゃん。急いでないなら新しいの揚げるけど?」
「ありがとうございます。じゃあ、できあがるまで待ってますね」
霞澄が猫をかぶって愛想よく笑う。
俺の好物骨なしチキン確保大義である。っておばさん、俺たちは夫婦じゃなくて背中に拳銃突きつけられた人質と強盗みたいな関係です。霞澄も悪ノリしない。
抗議の声を挟もうとした瞬間、むにゅうっとおっぱいが押し付けられて理性が拡散してしまったので、なんとか表面上の平静を装い顔面に半笑いを貼り付けて黙って堪えることしかできなかった。
ある意味拳銃より凶暴極まりない凶器だ。
おっぱいならば妹のものでも至福に感じてしまう己の節操無しに自己嫌悪に陥りそうだ。
気づけばその柔らかさを無意識に求めて自ら腕を沈めているのが罪深い。
俺とは対照的に我が妹君は鼻歌なんか歌って憎たらしいほどに楽しそうである。
こちらの反応に気づいているのだろう、ニヤリと笑って言った。
「どうしたのお兄ちゃん?アイス買ってくれるんじゃなかったの?
それとも妹のおっぱいなんかに興奮してそれどころじゃないの?」
図星を突かれた上におっぱいの押し付けは確信犯であることが判明した。
「おまっ!場所をわきまえろよ!組み付いてきたのはお前の方だろ!?」
鈴木さんや他の客の耳目があるので小声で叱る。
「そんなこと言ってお兄ちゃんだって腕を押し付けてきたじゃない。
他の男から守る見返りに妹の体を要求する兄って正直どうな――」
それ以上いけない。
「シッ!わかった何が望みなんだ?」
こんな真似をするからには理由があるはずなのだ。
俺の妹はあの手この手で人をATMにしたがっている。
やり口が夏祭りからどんどん悪辣になってませんかね。
女子3日あわざれば刮目せよか。
「ガリガリ様にハゲーンダッツ大容量もつけて、あとモナ皇帝も。女の子の胸触ってそれなら安いものでしょ?」
「俺、お前の将来が心配になってきたわ」
悪女の片鱗を見せつつある霞澄に眩暈を覚えながら天国と地獄の二人三脚は続く。
腕を絡めたままニコニコと霞澄が商品をカゴに放り込んでいき、会計を終わらせて帰宅。
解放されるや俺はほうほうの体でリビングのソファに転がった。
ウオーーン!
「この握り飯がツナマヨだからちくしょう!!」
あまりに惨めで泣きたい気持ちを堪えながらコンビニのおにぎりにかぶりつく。
「お兄ちゃんお行儀悪いよ」
ガリガリ様をかじりながら窘めてくる霞澄。
俺は構わずおにぎりに食らいついてものの数秒で胃の中に納めた。
どんなに悲しいことがあっても食べ物の美味しさは変わらない。
胃が満たされれば気持ちも落ち着く。
自分自身の単純さに呆れかえるばかりだ。
あ、そうだ、霞澄で思い出した。携帯によからぬストーキングアプリを入れられている可能性があるんだったな。
直接害があるわけではないのだが監視されているようで落ち着かない。
寝転がったままポケットから携帯を出した。
「ねえねえお兄ちゃん」
「何だよ?」
アイス片手に霞澄が俺の携帯の画面を覗き込んできた。
制服から細い肩紐で繋がっているだけのチューブトップに着替えていて胸の形をこれでもかと盛大に自己主張させている。
かがんでいることで谷間がコンニチワしており、隆起したデルタ地帯に眼球の動きを抑制、視線を強奪されてしまう。
下はショートパンツで引き締まった健康的な脚が太ももから丸出しで下を見ても目に毒である。
またからかわれて強請りのネタにされてはたまらないので画面に集中することにした。
「このアプリなんだけど、ちょっとやってみない?」
霞澄がガリガリ様のパッケージを差し出して言った。
『話題沸騰中の万能占い師Σがあなたの未来の恋人のタイプを簡単な質問に答えていただくだけでお教えします!大人気ゲーム!?【熱帯植物男子】ともコラボ!あなたと相性抜群のキャラクターがいるかも!?』
とパッケージに記載されている。
100円にも満たないアイスに芸能人占い師とゲームと二重にコラボするあたり製菓メーカーはこの夏の宣伝に社運を懸けているらしい。
「未来の恋人のタイプ占いねえ。お前もそういうのに興味があるのな」
「一応女の子だもん。つべこべ言わずにやってみてよ」
「まあ、いいけどよ」
包装を受け取って、QRコードをスキャンする。
ほどなくしてブラウザが立ち上がり、アプリのインストールが始まった。
数秒でアプリが起動したので氏名、生年月日、血液型、好きな色や食べ物など、この手のものではよくある質問に入力していく。
最後に『送信する』をタッチすると、
『Mっ気があって愛するより愛されたいあなたにピッタリの男性はズバリ小悪魔系!
あなたのことをいじめたりしますが、実はあふれんばかりの愛情を抑えるのに必死なんです!
誰よりも一途にあなたを求める姿に母性本能を刺激されてもうメロメロなのではないでしょうか!
そんなあなたのベストパートナーは【キリカ】です。今すぐ【熱帯植物男子】に登録して、【URキリカ】をもらっちゃおう!』
ホストが着てそうな純白の華やかな衣装に灰色がかった銀髪とそれに相応しい甘いマスクをした美少年のイラストと共に結果が表示された。
占いといえば誰にでも当てはまりそうなことをもっともらしくあげつらって相手に当たっていると思い込ませるバーナム効果ってのがあるらしいのだが、人のことをマゾだとピンポイントに断定するその勇気には敬意を表するのと同時に遺憾の意を示したい。
「こんなのデタラメだ!つーかこれ女向けのアプリじゃん。あなたにピッタリの男性って。それにこの【キリカ】って男いかにもモテて当たり前ですって表情してて気に入らねえ。モデルもハエトリソウ?女を食う気満々じゃねえか!」
こんなキザな雰囲気のいけ好かない男が俺の将来の恋人やベストパートナーになるなど物理的にあり得ない!!
「お兄ちゃんのことは当たってると思うけど?でもそうね、なんかこの男すっごいムカつく。
何が『アスカ、登録してボクのモノにならないか』よ。どうせ誰にでも同じこと言ってるんじゃない?ぶっ殺されたいの?」
毒を吐いて霞澄は俺の手から携帯をひったくった。てかお前も俺のことマゾだと思ってんの!?
「おい、霞澄!」
「待ってて、今すぐこの世にもくだらない駄アプリを地球上から消してやるから」
俺のを消したところで何の解決にもならないが、アンインストールしたことで怒りを鎮めることはできたらしい。
その後の団欒で怜兄さんと明後日キャンプに行くから親がいない時間帯は留守番よろしくと話したらひと悶着起きた。霞澄もキャンプについていくことが決定したのだった。
ちなみに熱帯植物男子は人気作品だけあって男の俺がやっても意外に面白かった。
【キリカ】は性能が優秀で言動こそドSだが実はかなりいいヤツだったんで愛用している。