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怖い話をしてあげよう

作者: 唐草

「一つ怖い話をしてやろう。これは実際にあった出来事であるのだ」


 そんなよくある本当にあった怖い話の書き出しのようなことを突然言い出したのは男、榊芳雄二十八歳は私の二〇年来の友人である。この男は昔から突拍子もないことしては周りを驚かせ、そしてその顛末を誰も知らないことがしばしばあった。ようははた迷惑でトラブルメーカーないたずらっ子である。近くにいた私はその一番の被害者と言えよう。ただただ物静かで口数が少なく、友人が少なかった私が消去法的に近くに残っただけのような気もしないでもないのだが。


 小中高と同じ学舎で過ごした私たちは、大学は別々の道を歩むこととなったが、その腐れ切った糸は切れず、折を見ては友情を温めてきた。今日もゴールデンウィークのまっただ中である五月二日、私も芳雄もどこにもでかける用事が無く暇だ、ということで私の家にて二人で酒盛りをしていた。あまり騒々しい場所が好きではない私は基本的に家でしか酒を嗜まない。


 しかし流石に二〇年も共に同じ時を過ごした仲である。もはや話せることは話し尽くした。近況報告など無いに等しい。さながら倦怠期の夫婦のようであるため、お互い口を開くこともなくデンキブランをちびちびとやり、酒の神バッカス、そして狂乱の神ディヲニュソスの降臨を待っていた。


 そんな時である、芳雄が急に本怖系のことを話し出したのは。


「その話の落ちってのは何か禁忌を犯した君の友人Aくんが発狂し、それを相談しに行った和尚さんが『お前達何をした!』と怒りだし、結局Aくんは郷里に帰ってその後ぷっつり音沙汰がなくなった、だったりする?そんなありがちな話だったらよしてくれ。こっちはそんなの飽き飽きしているのだ。私とあなたの仲なのだから、別に無理して口を開くこともあるまいに」


 どうせくだらない話だろうと茶々を入れた私であったが今日の芳雄はどうにも様子がおかしかった。にこりともせず、そうかと思えば私の茶々を訂正しようともしない。ただ寺の池の亀のような黒々とした目でこちらを見つめている。私はどことなく居心地の悪さを覚え、デンキブランのメープル色の瓶に視線をずらした。一〇秒もその気まずい時間が流れ、芳雄は再び口を開いた。口奥のやけに赤い舌が瓶に反射して私の目に映る。


「つい一週間前のことである。その日も今日のように休日であった私は昼食後暇を持てあまし、そうだ近所の古着屋にでも行こうかとつっかけに足を通した。外に出てみるとその日は実に春らしい陽気であり、少し顔を持ち上げると花も散り去った柔らかい新緑がさわさわと風に吹かれていた。つまりは絶好の散歩日和だったということだ」


 芳雄が口から漏らし始めた言葉は、よくある日記のような、ただただ芳雄の日常を描いたような、なんてことはない叙述であった。芳雄の亀のような目も話している内にだんだんと、鳩ぐらいには人間性を取り戻していった。


「こんな気持ちの良い日だ。古着屋だけで用事を終わらせるのは勿体ないと、俺は近くにある神社へとちょっと足を伸ばすことにしたのだ。君もよく知っている平安神社のことだよ。昔よくあそこの境内でサッカーをしたあそこだ」


 平安神社ならよく覚えている。私と芳雄が通った小学校への通学路の途中にある宮司もいない小さな神社である。芳雄がしばしば向かいのアパートに野球ボールを投げ入れて、共に謝りに行かされたことを私は忘れない。


「あすこの見事な葉桜が見たくてな。過去を追想するというのは俺の趣味に合わないからあまり向こうの方には近づかないようにしていたのだが、その日はなんだかおセンチな気分だったのだろう、てくりてくりと歩を進めた。君は清水美子を覚えているかい?そうだ俺たちのクラスのマドンナだった彼女だよ」


 芳雄がよくちょっかいをかけていた清水であったか。しばしばその度が過ぎてよく泣かせていたな。彼女は芳雄のことを悪の権化のように忌み嫌っていた。微笑ましき小学生の慕情であったが、素直になれないのであればただのサボテンである。これもまた私の謝罪記憶に残っている。


「その彼女が優しそうな男、彼女の夫だろう、と赤ん坊の一家三人で向こうから仲むつまじく歩いてきたのだ。ただ挨拶すれば良かったのだろうが、俺はそんな幸せそうな様子にあてられ、進路を変更せざるを得なかった」


 そうか私たちもそんな歳になったのか。まだまだ自分たちが大人になったとは言えないような気がするが、同級生達はずいぶんとまあ進んでいるようだ。しかしひょうきん者でありながら、どこか肝っ玉の小さい芳雄である。初恋の人の前に立てず、か。クスクスと笑いがこぼれた。芳雄は少しむっとしたような表情を浮かべたが、何も言わずに口を動かした。


「とにかく、そうして進路を変更し、しだれ柳の多い川沿いを歩いていた俺だったが、またまた知り合いが前方に現れた」


 そこで芳雄はデンキブランで唇をぬらした。勿体ぶっているのだろう。グラスの中の氷に目をやった。


「その人って?」


 元々あまり興味の持てていない話であったが私はじれったくなり、続きを要求した。


「まあそう急かないでくれ」


 芳雄は私の責めるような視線に苦笑しながらグラスをテーブルにトン、と置いた。そうすると手の平をもにょもにょと動かし始める。なにをそんなに言いよどんでいるのだろうか。そもそも私たちは産まれ育った街に今もまだ暮らしているのだから、知り合いと会うことなど不思議なことでも何でもないのである。そしてお互いの交友関係などとうに知り尽くしているのだから、大体の人物が想定の範囲内であるというのに。私も唇をメーブル色で湿らせながら、話の続きを待つ。聞く態勢を維持し続けられるのは口数の少ない私が、ある種必然的に会得した長所である。


 やがてグラスの中の氷が溶けてカラン、と音がすると芳雄は口を開いた。


「君だ」


 天使が私たち二人の間を通り過ぎていった。


 一週間前?確かその日は日がな一日家に篭もっていたはずだ。芳雄に会った記憶はない。私以外の誰かと間違えているのだろうか。私は首をかしげたが芳雄は気にした様子も見せず、言葉を垂れ流した。


「そう君だ。君に会ったのだ。君は俺に気付くと手を振り近づいてきて『やあ、今日は良い日だ。穴蔵の土竜も眠っちゃいられない』と言うと、急いでいるのか足早に去っていった。友人との思わぬ嬉しい出会いをした俺はその後、私はお目当ての葉桜を見ることは叶わなかったが、気分良く用事をすませ、帰路についた。家ではスーパーで安く売られていた豚タンと貝割れ大根でご機嫌な夕飯を作り、散歩のせいか早々に寝床についた」


「なんてことはない良い休日だね。特に私と会った、ということがとても良い。それでこの話の落ちはなんだい?」


「待て待て、まだ話は終わっていないぞ。君は少々早合点するクセがある。治した方が良いぞ」


 いつの間にか空になっていたグラスにデンキブランを注ぎ、芳雄に渡し、自分のも満たす。酒の肴にはなったのかもしれないが、つまらない話である。


「その日気分良く就寝した私であった。布団で目を閉じ、さあ夢の世界へ旅立とうとしたその時、私は目を覚ました。日付を確認すると今まで話してきた私の良き休日、その日であった」


 思わず多く流しこんでしまったアルコール度数四〇%にむせる。長々と聞かされたのは、その実、ただの芳雄の夢であったのだ。これのどこが怖い話だというのか。私の胸の高鳴りを返して欲しい。


「おいおい大丈夫か。無理するな。飲み過ぎたか」


 芳雄はティッシュ箱とペットボトルの水をこちらによこした。ちり紙で辺りを拭いた私はペットボトルの水で喉を鳴らした。どうやら芳雄の話は良い肴であったようだ。意識し始めると急に頭もぼんやりとし始めた。


「君はこう思ったのだろう。これのどこが怖い話なのだ、と。だが私は寝て、起きるその時まで、自らが夢の中にいるなどとは微塵も思っていなかったのだ。むしろ未だにあのことが夢であったのか疑っている。君と会えたちょっとした嬉しさ、清水を見かけた恥ずかしさ、豚タンの美味しさ、それを脳裏に再現可能なのだ」


 それの何が怖いのだろうか。ただ多少現実味のある夢を見ただけだ。めいせきむ?とか言っただろうか。それを見たのだろう。


「この話のポイントはそこではない。現実と感じていたことが夢であった点、まさにそれこそが肝なのだ。君は考えたことがあるかい?自分が過ごしている今が、本当にあった出来事なのか」


 もう我慢できない。芳雄の言葉が耳を素通りする。まぶたが自然と降りてくる。こてん、と横になった。気持ちいい。今日はよく眠れそうだ……


 今日は芳雄とお茶を飲む約束をしている。友情というのは温め足ることはないのだ。先日の飲み会では急に眠ってしまったためそのことを謝りたい。朝起きたら私は布団の中で暖かくしていて、テーブルの上は綺麗になっていた。片付けてくれたのだろう。申し訳ない。


「やあ」


 先にミルクホールにきていた私がアイスコーヒーの氷をストローで回していると、暑かったのか額に少し汗を浮かせた芳雄がやってきた。こちらも手を挙げて返礼し、用事は早く済ませようと先日のことを謝る。ホストが先に眠ってしまうとは。親しき仲にも礼儀あり、である。


「先日はすまなかったね。あの後片付けまでしてくれたようで。礼を言わせてくれ」


 芳雄は片眉を上げ、怪訝そうな顔をした。


「なんのことだい?それよりも近々君の家に行ってもいいかい?久々に共に杯を交わそうじゃないか」



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