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幕間

「それじゃみなさん、乾杯」

 宴の主役が無礼だからといって、従わないわけにはいかない。

 次期組長となる大狩勝がセッティングしたこの会の流れは、ヤクザの就任式とはおおよそかけ離れたものだった。

 適当に酒を飲み、飯を食い、女を呼び、温泉につかる。本当にこれだけなのだからおかしな話だ。自分が組を背負う立場になるのだと考えているようには思えない。

 まさに、飲まずにはいられない状況。表で暮らせない身の上なのに、組のお先は真っ暗。

 ニューリーダーの遅すぎる退場を組員が考えつつも飲んでいたその時、事は起こった。

 乾いた破裂音。日本でも聞く機会が増えた音。

 心当たりのない者は困惑するばかりだが、心当たりのある人間にとっては、音が聞こえるだけでも身を振るわせるに十分なものだった。

 組員たちが身構えていると、会場に下っ端のチンピラが飛び込んできた。

「大変です!」

「カチコミか!」

「フィリピン野郎です!」

 上等だ、久々に血がたぎる。そんな事を考えながら、組員たちは懐に手を伸ばす。

 カチコミとは言え、相手は鉄砲玉の一人や二人。この人数相手にどうやって勝つというのか。

「あいつら、一人じゃないっす! 一〇人以上で、機関銃持ってます!」

 その一言に、組員は震撼した。

 ヤクザの武装は拳銃やドスだけではない。短機関銃や自動小銃、中には対物兵器まで。持つだけなら倉庫に眠っていることは珍しくない。

 だが、実際に使うことは極めて稀だ。ないと言っても差し支えない。

 この背景にはこんな事情がある。

 ヤクザには事件を起こした後、別の組員にあえて自首させる習慣がある。これは警察が「犯人が捕まらない」と苛立たないために行うご機嫌取りのようなものであり、同時に目を掛けている下っ端の地位を安全に上げさせる目的もある。これは有名な話だ。

 だが日本の場合、自動小銃などの殺傷性の高い武器の使用は、逮捕されると重罰に処される。使用しただけで無期懲役、一人の殺害で死刑といった具合に。

 もし一生を塀の中で過ごさなければならないのであれば、地位が上がったところで意味がない。そんなリスクを冒して自首しようとする者はいない。出頭させたとしても、今後は重武装しているヤクザとして、警察からの監視も厳しくなる。

 そもそも、銃規制の厳しかった日本という国で使う銃器なぞ拳銃で十分。撃たずとも、拳銃弾数発を郵送してやるだけでもいいほどだ。

 彼らにとって、危険を冒してまで重武装をするうま味は皆無なのだ。

 だからこそ、自分達のルールが通じない外国マフィアには滅法弱い。外国のマフィアは重武装し、平気で銃を使う。警察に追われたなら、最悪自国の大使館を抱き込んで逃げ込めばいい。大使館の内部は治外法権だ、捜査の手が及ぶ心配はない。

 こんなルール無用のライバルが現れ、古き良き日本のヤクザは近年衰退気味。そして無法者は、襲撃のルールすら破ってきたのだ。

 現実を目前にして、組員たちはようやく正気に戻った。

 拳銃数丁で重武装した一〇人以上の集団に勝てるわけがない。逃げるしかない。

「組長、ここは逃げましょう」

 幹部の一人が背後の若者に向けて告げるも、その姿はない。

「組長?」

 よく見れば、襖が一つ開け放たれている。

「組長はどこだ」

「いないぞ」

 まさか、部下を置いて一人で逃げたというのか。

 なんという事だ、これでは他の部下に示しがつかない。

 銃撃戦の気配は近付きつつある。

 組員は散らばり、とにかく逃げ惑う事しか出来なくなったのだ。


◇ ◇ ◇


 悲鳴、怒号、銃声。

 恐怖、混乱、破壊。

 なぜこんな事が起きているのだ。

 どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。

 咄嗟に逃げ込んだ小さな浴場で、大狩勝は一人震えていた。

 なぜだ、なぜだと心中で呟き続けている彼ではあるが、実は自身を狙う襲撃者には心当たりがあった。


 半年ほど前の話だ。

 勝はいつものように父の財力で気のおけない友人たちと名気屋北区の繁華街で遊びながら過ごしていた。

 キャバクラで、ダンスクラブで、会員制クラブで、ソープで、ピンサロで。

 そして時には高架下を住処とするホームレスやオタク風味の人間を襲撃しながら、日々の暇を潰していた。

 当時、勝は偶然インターネットでとある記事を目にしていた。

 それは外国人の技能実習生、つまり東南アジアなどの周辺国からやって来た留学生に関する記事。

 インターネット掲示板やSNSの書き込みを切り貼りして作られ、最後に運営者のコメントが載っている構造となっている、所謂まとめサイトというやつだ。

 そしてこの記事に書かれていたのは、一種の扇動だった。

 内容を要約すれば、『技能実習生は日本人の職を奪い、日本に図々しくも移住しようとしている。この国に巣食う害虫だ』と言ったところだろうか。

 これはサイト運営者がアクセス数を増やすために考えた煽り文句だ。

 多くのメディアは人々の目につくように過激な、あるいは過剰な表現を用いる。これも数多く存在する不快な表現の一つに過ぎない。

 このようなネットを巡回していれば星の数ほど目の当たりにする煽りを真に受ける人間はさほど多くない。目にすればまず「またアフィカスのアクセス稼ぎか」と流すか、興味を失ってバックスペースキーを押すだろう。

 しかし、世の中にはこんな煽り文句を真に受けてしまう人間がいてしまう。

 勝はその一人だった。ただし、無知ゆえの義憤に駆られたわけではない。

「そうか。なら、そいつら痛めつけても文句は言われないな」

 無知ゆえに義憤を感じたのではなく、他者の憎悪に便乗したのだ。


 数日後、その時が来た。

 午後五時夕方。夜が始まる頃になると、勝はいつものように取り巻きを従え、名気屋の町を歩いていた。

「今日は銀山かねやまのホームレスでもやっちゃわね?」

 銀山は名気屋の北にある平凡なオフィス街だ。特筆するところがあるならば、羅宮凪環状線の高架下に広がるホームレス村だろう。

 そこではなんと一〇〇人近いホームレスがダンボールの居を構えている。環状線下の県道では度々酔ったホームレスが下道の国道に飛び出して死亡事故を起こす事で有名だ。

 そんな場所に住む人間が五、六人減ったところで、困る人間はいない。むしろ喜ぶだろう。

 彼らは高架下の住民をその程度の存在としか認識していなかった。

「勝さん、どっすか?」

「どーしよっかなぁ……」

 正直なところ、ホームレス狩りにも飽きていた。彼らは抵抗せず泣き喚き、通報するだけ。スリルも何もあったものじゃない。

 父親は鉄砲玉の襲撃を受けて危篤状態、そろそろ死ぬかもしれない。そうなれば、次の組長は自分と決まるに違いない。

 なら、実戦の経験も欲しいところだ。

 うんうん確かに、ではどうしようと考えていると、不意に浅黒い肌を持つ男の姿が目に入った。

 作業着の名札には中部の工場が書かれている。

 ここで、勝の脳裏を数日前に見たものがよぎった。

「外人狩りだ」

「え?」

「外人狩り」聞き返した取り巻きに、もう一度告げる。「悪い外人をやっちまおうぜ」

「外人って、ヤバくないすか?」

 と、取り巻きの一人がおずおずと尋ねる。しかし、勝は揺らがない。

「やるのは中部の工場で働く交換……なんたら生だ」

「でも、ホームレスと違ってヤバくなりません? ほら、工場の上が居なくなって通報したりとか……」

「大丈夫だよ、ああいう奴らってすぐ逃げ出して不法滞在者になるらしいから。消えたところで代わりを探すだけだって」

「マジで? 酷くないっすか?」

「なんかネットのサイトでいってたけど、元からブッチするために日本に来てるらしいぜ」

「うーっわ、そらダメだわ」

「サイテーだな」

 取り巻き達の意見がまとまり始めると、自然と勝が目をつけた青年に視線が向き始める。

「勝さん、もしかしてアレ?」

「アレ」

 自然と彼らの表情に笑みが浮かびだす。

 そうだ、奴が獲物だ。ぶっ殺そう。

 狂気の一団が歩き出し、青年の肩を叩いた。


◇ ◇ ◇


 あれから半年間、勝は父親が死んでからのゴタゴタが起きるまでの間、約一週間ごとに浄化を行なっていた。

 もしフィリピン人が自分を襲うとするなら、それ以外にはありえない。今の今まで小競り合いぐらいで、揉め事などなかったのだから。

「ここです、組長はここにいます!」

 外では浴室の扉を叩く者がいる。

「組長、今なら逃げられます。露天風呂から外に逃げましょう!」

「バカヤロォ! 連中の狙いは俺だ。あいつら、俺に復讐に来たんだ! 逃げても追い掛けられる!」

「……な、なにを?」

 とにかく、この扉は絶対に開けない。

 解決策はない。ただ、勝の脳内には一秒でも長く生きていられそうな方法がこれしか考え付かなかったのだ。

 警察が来るまで、それまでここで耐えなければならない。そう、警察なら自分を守ってくれるに違いないからだ。

 最悪の事態に備えて懐に忍ばせていた拳銃を胸に、じっと時が過ぎるのを待つ。


 一時間か、それほど経っていないかもしれない。

 銃声は相変わらず散発的に響いていたが、不意に館内の照明が落ちた。

「はひぃっ!?」

 思わず、声にならない悲鳴が喉奥から漏れた。

 停電だろうか、こんなタイミングで。なら、連中の仕掛けた攻撃に違いない。きっと、映画のように配電盤を破壊したのだ。

 この小さな浴場は、月明かり一つ差し込まない密室。当然だ、見つかりにくい場所を探してここに飛び込んだのだから。

 しかし、光源一つないこの空間では、自分がどんな状態であるのかさえわからない。

 もし息を潜めた暗殺者が目前にいても、気づく事はできないのではないか。

 そう考えてしまった途端、急にこの空間にいるのが間違いに思えてきた。

 一度、このように現実的な思考が降りてくると、周囲は闇に包まれているというのに現状が見え始めてきた。

 銃撃の音は、耳をすませれば間近に接近しつつあった。すぐ外ではさかんに銃声が鳴り響いているように聞こえた。しかも、破裂音に混じって誰かが叫んでいた。

 聞き覚えのある声、確か組員のものだ。外で戦って時間稼ぎしている。

敵は近くまで来ているのだ。

 どうしよう、ここにいては危険だ。逃げなくては。

 先ほどまでとは真逆の思考が脳裏を駆け巡り、出てきた結論は「とりあえず出る」と、非常に短絡的なものだった。

 しかし、一度決めると顧みないのが大狩勝という男。戸の鍵を手探りで探し開けると、さっと飛び出した。

 浴場の外は非常灯の柔らかい光のおかげで、かろうじて視界が確保できた。辺りでは組員達が集まって何かをしていたが、勝は気に留めない。

 部下を押しのけ、銃声に身を屈め、前進。

「組長、そっちは危険です!」

 幹部の一人が絶叫すると同時に、勝の数センチ目の前を何かがキュンと音を立てて通過した。

 銃弾だ。音速で飛ぶ金属の塊だ。ここではそれを用いた殺し合いが行われている。

 今度は銃弾が飛んで来ていない方向へ。危険から遠のくために。

「……だ! 武器を捨てろ!」

 来た、ついに来た。連中の声が聞こえる範囲までやって来た。俺を殺しにやって来たのだ。

 自分の背中を守るため、床に転がっていた女を引きずり、とにかく明るいところへ。

丸くでこぼこした床を歩き、ガラス戸を開く。そこはまるで昼間のような明るさだった。

 俺は気付かないうちにあの空間で何時間も過ごしていたんだろうか?

 しかし、空を見上げて気付く。真っ暗な空、白んだ夜の闇。周囲を照らしているのは、ヘリコプターが向けているサーチライトだ。決して陽の光などではない。

 これは、奴らなのか。それとも警察のものか。

 混乱に突拍子もない妄想を抱いていたが、まばゆい光をもろに浴びて、勝は思わず眼前を手で覆った。

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