後編
二〇一八年一月九日 午後六時二三分
愛知県羅宮凪市 コンビニエンスストア『マイナスワン・セブンナイン』負川店
銃撃から四〇分。電力会社から『準備完了』の連絡が入り、全ての準備が整った。
「作戦開始、一分前」
特別警備隊は言うなれば傭兵の集まりだ。隊員の派遣元によって、その装備は大きく異なる。
例えばジョンの場合、派遣元はポセイドン海運が有するPMC、ミラージュ社だ。
ポセイドン海運そのものはイギリスの貿易会社だが、自社の貨物を護衛するためにフランスに籍を置くミラージュ社を子会社としたという歴史を持っている。
そのため、欧州系PMCであるにも関わらずイギリス人も多く所属している。
イギリスは当然ながら、欧州の各国軍でも装備に大きな違いがあるため、ミラージュ社の装備は隊員個人の裁量で決定してもよい決まりとなっている。
ジョンは軍人時代から慣れ親しんだ装備を好んだ。難燃性の繊維で構成された衣服に身を包み、比較的軽量のボディーアーマーで人体の中心部である胸部を守り、その上にアサルトベストを羽織る。
特殊部隊では隊員の個人情報は秘匿されなければならない。SIUも例外ではなく、作戦の際には最低でもバラクラバで素顔を覆い、さらにジョンの場合は現役時代と同様にSF10ガスマスクを被っていた。
武装はMP5短機関銃に、右脚のホルスターにはハイパワー拳銃を提げていた。現在となっては大した拳銃ではないが、ブローニングの設計は現代でも十分に通用するものであり、その性能はジョンも高く評価していた。
さらに今回は素早い制圧が重要ということもあって、ドア・ブリーチングツールとして短銃身のM870散弾銃を背負っていた。
「作戦開始、三十秒前」
準備を整えたエントリーチームはSUVを降りると、監視カメラの死角となるコンビニ西側に向かった。
「作戦開始」
ベカエールが告げると同時にコンビニの照明が落とされた。電力会社の協力のもと行われた停電だ。
これによって照明だけでなく監視カメラも停止し、容疑者に混乱を起こすことが出来る。
突入班は素早く裏口に回ると、ジョンが背負った散弾銃を抜いた。
この散弾銃には扉の向こうの被害を最小限に抑えるため、金属粉末を弾頭としている特殊なシェルが装填されている。
裏口の扉は経年劣化の進んだスチール製。この弾頭で撃ち抜けることはシミュレーション済みだ。上下の蝶番と錠をこれで破壊するのだ。
散弾銃で扉を強引に開ける場合、右側の角度四十五度を心掛けて撃ち抜く。ほんのわずかにズレるだけでも、綺麗に吹き飛ばすことはできなくなってしまう。
一発、二発、三発と上の蝶番・錠前・下の蝶番の順で破壊したジョンは扉を蹴破った。そこへ防弾盾を抱えた長谷川が真っ先に飛び込む。
盾に搭載されたライトで真っ先に照らされたのはX-RAY4、坊主頭だった。
監視カメラで見張っていたところを停電が襲ったらしく、椅子からひっくり返った状態で突入班を見ていた。
「特警だ! 武器を捨てて両手を見えるところに出せ!」
ジョンは周辺を警戒し、長谷川は容疑者に警告し、アルトゥールが銃口を向けた。
混乱しているのだろう。武器は持っていなかったが、両手を挙げることもしなかった。
「従わないとテイザーを浴びせるぞ!」
警告は聞き届けられなかった。すると、アルトゥールは発砲した。もちろん実弾ではなく、テイザーシェルだ。
強烈な一撃を浴びた容疑者は悲痛な叫びをあげると、その場にうずくまった。
気絶したのではなく、あまりの痛みに動く気力すらなくなったのだ。
その隙にアルトゥールがプラスチック製の手錠で容疑者を後ろ手に縛りあげた。
「突入班から司令部へ、容疑者一名確保」
「了解、捜査を続けろ」
司令部への報告を済ませ、机の上に置かれた証拠品と思われる包丁を押収すると、班はジョンと長谷川、アルトゥールの二手に別れた。
コンビニには店内と事務室だけでなく、普段客が入る事のない倉庫と、その先にはウォークイン冷蔵庫の飲み物を補充するためのスペースがある。
本来なら二つ以上の班で店内・倉庫・ウォークインと流れるように同時制圧すべきなのだが、残念ながら人が足りない。班を分けざるを得ないのだ。
店内の担当はジョンと長谷川だ。銃器を持った極めて危険な容疑者がいる可能性が高いうえ、人質が集められた部屋だ。素早くかつ正確に制圧しなければならない。
扉に鍵はない。
ハンドサインで長谷川に伝えると、ジョンは一気に扉を開け放った。
「特警だ! 全員床に伏せろ!」
長谷川の死角をカバーするように短機関銃の銃口を向ける。ハンドガードに取り付けられたライトが真っ暗な店内を照らすが、容疑者の姿はない。
どこかに隠れているのだろうか。
店内奥の扉から離れた二人は棚の陰を警戒しつつ、店内の制圧を続ける。
ジョンは窓側の列を捜索すると、カウンター前に一人の人間が仰向けに倒れていることに気付いた。
ライトの灯りを向ければ、腹部から大量の出血が見受けられた。しかも、服装からしてX-2に違いない。
「突入班から司令部へ、容疑者一名重傷」
無線機に向けてそっと呟き、伏せて震える人質を横目にカウンターの裏を覗いた。
敵影なし。
「こちらフレッシャ、容疑者一名拘束」
アルトゥールからの報告だ。なら、残る容疑者は一人。
カウンター前の安全を確保して自動ドアを振り返ると、女性が一人床に伏せていた。床にはおびただしい量の出血痕があり、死んでいるようにも見えた。
どちらにせよ、生死を判断するのは彼らではなく、医者の仕事だ。
「こちら突入班。市民一名負傷、生死不明。至急、搬送の用意を」
背中からの一撃、傷跡から察するに刺創ではなく、銃撃による銃創だ。
つまりこれをやらかしたのはX-1。銃を持った危険な男によるものだ。
「こちらシルト、容疑者の姿が見当たらない」
長谷川からの報告に、ジョンは耳を疑った。よりにもよって、一番危険な男が見当たらないとは。
事務室にいなければ、店内にもいない。ましてや、情報のミスや外へ出たとは考えられない。
容疑者はこの建物のどこかにいるはずなのだ。
「馬鹿な。フレッシャ、そっちはどうだ?」
「こっちに隠れられそうなスペースはない」
「……了解した。こっちに来て、トイレを調べてくれ」
容疑者を全員確保しなければ、負傷者を外に出すことができない。どさくさに紛れて、容疑者が現場を逃亡する恐れがあるからだ。
負傷者が死ぬ前に、制圧しなければ。
「シルト、現場をくまなく捜索するぞ。人が入れそうなものはすべて調べるんだ」
とはいえ、カウンターにも居なければ、咄嗟に隠れられそうな場所は二つしかなかった。
長谷川とアイコンタクトで頷き合うと、そこをライトで照らした。すると、件の容疑者と視線が合った。
「武器を捨てろ!」
二人で叫んでも、容疑者は拳銃を抱えて放そうとしない。
まだ銃を持っているだけ。銃口を向ける様子を見せない限り、交戦規定によって効果射撃は禁止されているのだ。
しかし警告を無視するようであれば、威嚇射撃なら許されている。
ジョンが頭を掠めるように発砲した。ガラスが砕け、容疑者に降り注ぐ。
自身が初めて向けられて、ようやくその恐ろしさに気付いたのだろう。固い手がほぐれ、自分の胸に拳銃を落とした。
ジョンが咄嗟にリボルバーを押収すると、長谷川が容疑者の首根っこを掴んで外に引きずり出した。
なんと、彼はアイスクリームを保存するための冷凍庫に身を隠していたのだ。
電源が落ちたとはいえ、内部はマイナスの空間。寒さに凍えたのか、それとも逮捕の恐怖からか、酷く震えていた。
「突入班だ、容疑者を確保。残りの制圧に移る」
「了解、よくやった」
事前情報にあった容疑者はすべて逮捕した。しかし、まだ終わっていない。
「お、終ったんですか?」
コンビニのオーナーがおずおずとジョンに語りかけるが、彼は答えない。
代わりにオーナーの両手を背中に回し、手錠を掛けた。
「ま、待ってください! 私は犯人じゃない!」
その言葉は聞けない。犯人ではないのはわかっている。
それでもなお、万が一の可能性を考えて現場にいる人間はすべて拘束しなければならないのだ。
店内からちらほらと非難の声が漏れるが、無事全員の拘束が完了した。
「はぁ」
安堵の溜息をもらすと、無線機の送信ボタンを押した。
「突入班から司令部へ。現場の制圧が完了した。時刻一八二六、作戦終了」
「了解、あとの処理は警察に任せろ」
外が騒がしくなると、瞬く間に自動ドアが開かれた。救急隊員が勇ましく現場に乗り込み、二名の負傷者を素早く担ぎ出していく。
その騒ぎに乗るように、SIUの隊員は現場から消えていた。
◇ ◇ ◇
エピローグ
二〇一八年一月十日
愛知県羅宮凪市 コンビニエンスストア『マイナスワンセブンナイン』負川店
事件から一夜明けた現在、再びSIUの隊員は現場に戻って来た。
日本は変化があったとはいえ、仮にも法治国家だ。あらゆる行動には法的根拠に基づいた正当性が必要となり、それは傭兵たる特別警備隊も例外ではない。
拘束や発砲の正当性を一つ一つ検証し、問題がないかを確認するのだ。
「あなたはこの時……冷蔵庫に潜む容疑者に対し、威嚇射撃を行いましたね。状況をお聞かせ下さい」
「最後は極めて危険な容疑者であるとの情報から慎重に捜索を行い、冷凍庫にその姿を発見しました。再三の警告にも関わらず、容疑者は武器を手放さなかったため、やむなく警告射撃を行いました」
検察から投げかけられた質問に、つらつらとジョンは事実を述べる。
事前にあった情報と照らし合わせているのだろう。検察はリストに目をやると、
「以上です。お疲れ様でした」
確認が終わると、ジョンは早々に現場を出た。
あの後、容疑者三名は無事逮捕され、重傷を負った残りの一人も、治療の甲斐あって一命を取り留めた。
彼もまた、退院が済み次第逮捕という流れになるだろう。
人質の重傷者については、残念ながら救急隊員によって死亡が確認された。弾は背骨を貫通し、心臓に達していた。被弾から五分以内の短時間で死亡したとの事だった。
X-1は強盗殺人で他三人よりも重い刑罰に処されるだろう。
ふとコンビニの正面側を見ると、昼のニュースか何かの報道陣がコンビニ前で撮影していた。
そっとカメラの死角に移り、それとなくレポーターの発言に耳を傾けた。
「えー、現場の守谷です。先日の午後三時に発生したコンビニ立て籠りの現場ですが、現在は事件なんてなかったように、静かな状況となっています」
レポーターは真剣な表情で告げる。その一方、カメラマンをはじめとする他のクルーはどこか上の空。
どうでもいい仕事でやる気がないのだろう。
「今、中では警察による実況見分が行われており、事件の詳細を調べているところです。……はい、はい。この事件でアルバイトをしていた佐藤珠子さんが亡くなり、犯人も一人重傷との事で……いえ。特別警備隊の特殊部隊、SIUの突入の結果からとは、まだ発表がないのでわかっていません」
警察ならともかく、特別警備隊が行う封鎖の荒さは有名だ。少なくとも、マスコミが周辺には近付かない程度に。
とはいえ、ニュースになる事なら日本中どこにでも転がっている。特に、日本人の大好きな芸能・政治系スキャンダルは島南部のリゾートホテル街を調べればすぐ見つかる。
なのに、わざわざこんなチンケな現場を中継するという事は、それほど番組の間をもたせるのに手こずっているのだろう。
カメラにはあまり映りたくない。足早にその場を立ち去ろうとすると、不意に背を追う気配に気付いた。
長谷川だ。彼の分も終了したのだろう。
振り返ると、やはり。
「ジョン、昼でもどうだい?」
「そうだな……」
まだジョンはこの島に赴任して間もない。
懐に余裕のないときにオススメの飯屋や、デート向きのディナーを楽しむレストランさえ知らない。
既婚者の長谷川にディナー向けのレストランを聞くのもおかしな話だが、土地勘は彼の方がある。
「行くとしよう」
「決まりだ、希望は?」
「すする店以外を頼む」
「ハハッ。イギリス料理よりうまくて、すすりもしない店にするよ」
長谷川が案内した店は、車を走らせ十分ほど。国道沿いに建つ、全国展開しているチェーン店だ。
ジョンも東京で見たことがある。『牛丼』なる、甘辛い汁で煮込んだ牛肉と玉ねぎの煮物を米にかけて食う料理を出す店だ。
入った事はないが、値段と同僚の口ぶりから気にはなっていた。
そのアメリカ人の同僚曰く、牛丼とは「日本のファストフード」だとか。
ジョンも米は嫌いではない。
自動ドアをくぐると、店内は空席が目立った。
時刻は午後一時、多くのサラリーマンの昼休憩が終わる頃であるためであり、決してこの店が流行っていないわけではない。単に暇になる時間帯というだけである。
店に入ってすぐ、自動販売機が目に入った。
「これで食券を買うんだ」
「馬鹿にするな、見ただけで想像がつく」
メニューは数え切れないほど多い。件の牛丼や、定食。さらにはカレーまである。
「不安なら安定のカレーもあるぞ」
「折角だ。牛丼とやらを食べよう」
並・大盛・特盛とあるが、大盛という表示から量の話であるとすぐに推測できた。
五〇〇円を入れ、とりあえず並。すると水色の紙が出てきた。牛丼並、そう書いてある。
あとはこれが半券となっている以外にこれといった特徴がなく、透かしなどの仕掛けもなさそうだ。
「チャヴ(ガラの悪い労働階級)の集まる場所に店を建てたら深夜に強盗され放題だな」
「日本の労働者にそんな発想と実行する暇はないよ」
果たして、貶しているのか褒めているのか。恐らくはその両方だろう。
回転スシにあるようなカウンター席に座ると、即座に店員が食券をもぐと、残り半分をカウンターに残した。
なるほど、注文票だけでなくこちら側の控えにもなるというわけだ。
「奥さんとはどうだ?」
ジョンは何気なく長谷川に聞いてみた。
「確か、高校来からの関係だったか」
「いつも通り、変わりはないな。会う機会が少ないから、倦怠期になったような気もしないな」
「……それはなにより」
遠距離の関係ならば、倦怠期関係なく普通は不安になるものだが、本人がそう思うのならばそれで良いのだろう。ジョンはそう思うことにした。
二人でこのようなことを言い合っているうちに、ミソスープ付きの牛丼が来た。
店内に漂う独特な匂いは、やはり牛丼に使う汁のものだ。現物が目前にきて確信出来た。
よく火の通った肉に、茶色がかった玉ねぎ。スキヤキを米にかけた、と言った方が近そうだ。
「これが牛丼か」
ジョンは箸の扱いが得意ではない。日本人の癖して、箸を扱えない変人のために置かれたスプーンを取ると、一口含んだ。
思った通りだ。味は具の少ないスキヤキに近い。しかしスキヤキと比べて少し甘いだろうか。
シンプルに感想を述べるとするならば、「うまい」。この一言に尽きる。
「悪くないな」
「だろう?」
「ただ他の日本食と同じく、塩分が心配だな」
「マーマイト漬け民族が何を言うか」
「マーマイトはいいぞ。納豆よりマシだ」
間もなく、長谷川の頼んでいたキムチ牛丼がやって来た。辛味増し増しである。
「味覚が狂わないか?」
「いや、全然」
牛丼本来の色は何処へやら。汁に溶けきっていないレッドペッパーが山のように盛り上がり、丼の内側は全て赤く染まっていた。
「辛いだろう」
「ああ、辛いぞ」
そう言いつつ、頬張る顔は幸せそうだ。
ふと、ジョンの頭に『幸』と『辛』の二文字が浮かんだ。
「……そうか、そういうことか」
「なにが?」
「いや、別に」
よくわからない事を理解すると、ジョンは食事を再開した。
丼の中身が空になるころ、新しい客が来店した。
三人の家族連れ。他人の事情など知りえないが、平日に家族と一緒に昼食へ出かけられる環境は少し気になった。
「パパなんにする?」
「カレーかな。ちーはどうする?」
「チーズカレー!」
父親は三〇代ほど、ジョンと同じぐらいの年齢だ。娘は五歳か六歳か、ジョンの人生が好調であれば、このぐらいの……
ジョンは思わず視線を時計に逸らした。少し早めだが、離れるにはちょうど良い時間だろう。
「そろそろ午後の仕事が始まるな」
「……そうだな。行くとしようか」
長谷川もジョンの心中を察したのか、何も言わずに席を立った。