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お返しのプレゼント

 フィリップ・マグリットは、その白い建物を見上げた。


 ――相変わらず大きい。こうして見上げると圧倒されるな。


 マルカ王立学院の入場門と、本館との間、開けた庭のようになっている場所に、フィリップは立っていた。刈り揃えられた緑の芝生のうえを、数名の生徒たちが本館へ向かい、歩いていく。だがフィリップはその場から動こうとはしなかった。白く輝く本館の壁の高い部分を見つめて、いったいどうやって掃除をしているのか、その方法を考えてみたりしている。


 授業が始まるのはもう少し先だ。朝のこの時間、特に理由がなければ登校した生徒たちはまっすぐ教室へ向かう。こんなところでウロウロしているのは、フィリップだけだった。

 通りすぎる生徒たちを見送る。フィリップに気がついた何人かの女子生徒が、肩を寄せ合って言葉を交わしていた。


 フィリップが探している人物――アリス・ルーベンスはまだ登校していないようだった。前日、いつもの図書室では会えなかった。だから、こうしてここで待っている。プレゼントをもらったのに、感想のひとつも言わないままでいるのは失礼だ。そう考えての行動だった。一刻もはやく、感謝の気持ちを伝えたかった。


 ――甘すぎる、ということはなかった。しましまおパンティーちゃんの、あの深い味わいは、どう表現すればいいだろう。そしてヌルヌルとしながらも絡みついてくるような、あの舌ざわり。……いや、こういうときは、ただ素直に、美味しかったと伝えたほうがいいか。


 そんなことを考えながら、フィリップは落ち着かない様子で歩きまわる。感想を伝えることよりも、もっと気がかりなことがあった。だから落ち着かない。


 ――あともう一枚、おパンティーちゃんをもらえたなら。


 そんなことを言うのはあまりにも厚かましいだろうか。

「はい、いいですよ」とアリスが優しく微笑み、スカートの中に手を入れる。そして、脱ぎたてのホカホカおパンティーちゃんを手渡してくる。自分の想像に、いやさすがにそれはないだろうとフィリップは首を振った。

 どんな風習なのかはいまだによくわかっていないが、そのまま手渡すということは考えられない。渡した側はどうなるのだという問題もある。何も履いていないことになってしまう。


 ――だが、言ってみるだけなら……。


 感想を言ったあとに、さりげなく頼んでみればいい。冗談めかして言うのもいい。アリスなら喜んで応えてくれるかもしれない。あの天才、サイモン・ルーベンスの妹というだけあって、アリスにはどこか普通ではないところがあった。


 ――しかし、これが何かの間違いだとしたら。


 そんな考えが、ふと頭の中をよぎる。

 風習とはいえ、いきなりおパンティーちゃんをプレゼントとして渡すのは普通ではない。もちろん、普通ではないからこそ、風習として伝わっているのだろうという見方もできるのだが。


 ――考えてみるとおかしな部分があったような……。


 おパンティーちゃんを食べることに夢中で、あまり深く考えていなかったが、アリスとの会話には不自然な部分があった気がする。少なくとも、アーモンドの味はしなかった。

 何かの間違いで、おパンティーちゃんをプレゼントしてしまう。本当は別のものを渡すはずだったのに、袋におパンティーちゃんを入れてしまう。そんなことが、果たしてあるだろうか。


 ――もしもそんなことがあったとしたら……。自分はとんでもない……取り返しのつかない道の踏み外し方をしてしまったのかもしれない。


 そう考えて、フィリップはからだを震わせた。それは後悔でも、不安でもない。興奮が、フィリップのからだを震わせているのだった。


***


 ひと目見て高級品だとわかる、深い艶のある、黒色の机。大人が数人が集まっても、持ち上げることもできないだろう大きさと重量感だ。

 その上に書類を並べ、ノエル・マグリットはペンを走らせていた。午前中のこの時間はいつも、邸宅の自室でこうして執務に追われている。


 普段ならつまらなそうに細められているその目は、いまはキラキラと輝いていた。とても書類仕事をしているようには見えない。癖のあるグレーの髪の毛は、丁寧に整えられながらも、少々自己主張をしている。フィリップと似たところのある顔立ちは、しかしその目の輝きのせいもあって、野性的な、生き生きとした印象を見るものに与える。

 

「随分ご機嫌がよろしいようですね」


 執事のシモンが書類をまとめながら言う。ノエルはニヤリと笑って、「まあな」と答えた。


 領内の犯罪者、あるいは敵対する貴族たちなら、それを見ただけで震えあがる迫力の笑顔の前でも、シモンは顔色ひとつ変えずに作業を続けていた。ノエルが子供のころからこの家に仕えている執事だ。この程度のことで顔色は変えない。


「フィリップを見たか?」


 ノエルの言葉に、シモンは「はい」と頷いた。次期当主であるフィリップの雰囲気が変わったことは、この家にいる誰もが気づいている。シモンもその様子をしっかりと確認している。


「いい顔をするようになった」


 この言葉には、シモンは素直に頷けなかった。たしかに生き生きとしているように見えたが、その姿がノエルに重なってしまう。学生時代の、フィリップとちょうど同い年のころの、ノエルと。


 他人の言いなりには決してならず、周囲を巻き込み、いつの間にか我を通してしまう。いまでこそ、ノエルのそれは、頼りがいのある、魅力的な当主の姿だ。シモンも、それ以外の多くの人間も、その姿に惹きつけられ、あとを追い、思わず従ってしまう。


 そんなノエルの性格は子供のときからだった。しかし行動はいまのような洗練されたものではなく、ただただ思い込みで突っ走るというものだったから、トラブルが続出した。もちろんトラブルの後始末など、ノエルはしない。そのころのシモンは事後処理に追われ、昼夜を問わず走りまわることになった。ノエルに振り回されっ放しの日々だった。


 ――フィリップ様は違うと、まともな方だと思っていたのですが……。

 

 品行方正で、聡明で、問題を起こすことなど考えられない。それはあのころのシモンが思い描いた、もしも仕える主人がこのような人物であったなら、という理想の姿に似ていた。ノエルとは正反対の性格をしている。そのはずだった。


 そのフィリップが、あのころのノエルを思わせるような表情を浮かべるようになった。とても「いい顔をするようになった」などと喜べるようなものではない。トラブルの予感がする。まともではない行動を始めてしまうのではないかという不安が、シモンの中に膨らむ。


 懐かしい感覚が、ノエルが学生だったころは痛み続けていた頭が、ズキリと響いたような気がして、こめかみに手を当てていた。


 そんなシモンの様子を見て、ノエルがさらに笑顔を深める。


「あれは俺の息子だからな。他人の顔色をうかがうだけの、お利口さんでいいなりな都合のいいお人形なわけがない」

「はい……」

「それにお利口さんのお人形に、領地を治めるのは無理だ」

「はい」


 それはたしかにそうだった。ノエルでなければ、この領地のここまでの発展はなかっただろう。領内に目を光らせ、敵対する貴族と渡り合い、神経をすり減らしているはずなのに、平然とした顔で自分の主張を押し通す。そんな生活を続けるには、ある種の無神経さが必要だ。他人の顔色をうかがう性格ではやっていけないだろう。


 ――しかし、そうは言っても……。


 トラブルの処理にひたすら駈けずりまわっていたころの記憶が浮かび、シモンはまたこめかみに手を伸ばしていた。


「まあ、しばらくはあいつの好きにさせるさ。問題が起きても、お前がなんとかしてくれるんだろう?」


 そう笑って、ノエルがシモンを見つめる。


 ――この目だ。


 あのころと変わらない、澄みきったキラキラとした瞳で、「お前がなんとかしてくれるんだろう」などと言われたら、頷くしかない。不満を言う気分にも、逆らう気分にもならない。「この人」に頼られているという満足感が、じんわりとシモンの心に広がっていく。


「もちろんですよ。おまかせください」


 とシモンは答えてしまっていた。いつのまにか頭の痛みは、消えていた。


***


 私が異変に気づいたのはマ王学院のすぐそばに着いてからだった。門をくぐった生徒たちの様子が少しおかしい。特に女の子がそうで、こっそり髪を整える仕草をしたり、隣を歩く子に近づき、慌てて会話を始めたりしている。


 ――何かあったんだろうか。


 と思いながらも深い考えは持たないまま、入場門をくぐる。

 見えたのはフィリップ先輩の姿だった。中庭に佇んでいる。それだけで、絵画の一場面を切り取ったかのようだった。光が差し込み、周囲が鮮やかに色づいている。誰も近づこうとはしない。近寄り難い空間ができあがっている。


 私もほかの生徒と同じように、遠巻きに、横目でフィリップ先輩のことを見つめる。


 ――あんなところで何をしているんだろう。


 もしも私を待っていたら、と考えてフワフワした気分になり、すぐに自分の思い上がりに気づいて、恥ずかしさでからだが熱くなる。

 フィリップ先輩にとっては、私はただ図書室でよく会うだけの女の子だ。特別でも何でもない。そんな子のことを、わざわざこんな朝から学校の前で待つなんてことをするわけがない。


 前を歩く女の子たちも、きっと自分のことを待っていたらと想像しているのだろう。私だけが都合のいい妄想をしているわけではないんだ、みんなやっていることなんだ、と言い聞かせて、からだの火照りを冷まそうとする。


 ふと、フィリップ先輩の視線がこちらを向いた気がした。

 軽く頭を下げてみる。

 ニコッと笑って、フィリップ先輩が歩き始める。

 私のほうへ。


 ――どうしよう。私に……。でも近くのほかの人に用があるのかもしれないし……。


 プレゼントを渡してから、あのとき自分のしたことを振り返ってみると、頼まれてもいないのに勝手にクッキーを渡して、いきなり泣き出して、フィリップ先輩を困らせて、随分と身勝手に振る舞っていたと思う。顔を合わせづらくて、昨日は図書室へ行くこともできなかった。


 こんな形で顔を合わせることになるとは思わなかった。だがまだ私に用があるとは限らない。ここで駆け寄って、私に用があるわけではなかったら、またフィリップ先輩を困らせることになる。そもそも私を待っているはずはない。

 一方で、フィリップ先輩を置いて、このまま校舎のほうへ歩いて行くのもどうなのだろうと思う。もしも私に用があったのなら、無視する形になってしまう。それに挨拶だけはしたほうがいいかもしれない。気持ちとしてはひと言だけでも喋りたい。


 さまざまな考えが頭を駆け巡り、私は動けずに、もじもじとして、結局ただ立っていた。そのあいだに、フィリップ先輩が、どんどん近づいてくる。


「おはよう、アリス」

「おっ、おはようございます」


 ――やっぱり私に用があったんだ。


 緊張していたせいで、声をかけられただけで、倒れてしまいそうだった。だが嬉しい。嬉しくて、にやけてしまいそうになるのを必死に堪える。


「このあいだの……美味しかったよ」

「あ、あっ、はい! ありがとうございます!」

「こちらこそありがとう」


 ――このために、美味しかったと伝えるために、待っていてくれたんだ。


 なんて素敵な人なんだろうと思う。にやけるのを抑えられない。この人のことが、大好きだという気持ちが、全身に広がっていくようだった。


「初めて作ったから、上手くできてたか不安で……あの、下手くそですいません……」

「そんなことないさ。よくできていて、びっくりしたよ」

「えっ、そうですか!」

「ああ、美味しかった」

「良かった! クッキーの作り方はもう分かったので、また作りますね!」

「あ、ああ……。クッキー……。そうだね」


 会話の途中で、妙に気が抜けたような、不思議な顔をフィリップ先輩がした。普段は見せない表情だ。


 ――もしかしたらこれは、私にだけ見せる顔なのかもしれない。


 おかしなことを考えている、と自分でわかりつつも、止められない。頭の中が暴走している。


 ――私の隣をフィリップ先輩が歩いてるんだ。夢みたい。


 こんな日がくるとは思わなかった。プレゼントをして、本当に良かったと思う。先輩との距離がぐんと縮まった気がする。兄といるときのような、距離の近さだ。私にはそう感じられる。そういえばフィリップ先輩は兄に似ている気がする。どこがという具体的なものはわからないが、何かが似ている。


 ふと、我に返った。


 ――あっ、さっきの顔は、そうか。


 と私は気づいた。


「あの、クッキーばっかりは食べられませんよね。ほかのものも作ります。練習して作るから……また食べてください」

「あ、ああ、もちろんだよ。いやあ、アリスの作るお菓子、楽しみだなあー」

「ふふ、あは。そうですか? 頑張って作りますからね!」

「うん。待っているよ」

「はい!」


 駆け出しそうな気持ちになって、慌てて先輩の歩調に合わせる。

 周囲の視線が集まっている気がして、ちょっぴり見せびらかしたい気分にもなって、私はゆっくりと、先輩とふたりで、校舎へ向かった。すぐに着いてしまうのはもったいない。

 短い時間だが、私にとっては夢のような、素敵で、特別な、先輩からのプレゼントのお返しだ。

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